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 一瞬見えた煌めきは、まるで溶解を嫌がる雪のようだった。

冬に縋る白雪

 カレルの中で鳥羽センカという人間はいけ好かないというよりも理解に苦しむ人間として認識されていた。
 初めて朧げなその姿を見かけたのは彼が配属された日だったと思う。初任務に同行するリンドウを待つ彼がエントランスの隅に神機を抱えて佇んでいて、そのあまりにぼんやりとした雰囲気が気に食わなかった自分は、細い身体の華奢な指先と大人しそうな面が戦いには不似合いどころか寧ろ、荷物にしかならないだろうと新たにやって来た厄介者を相手に脳裏で唾を吐いた。
 ただ「新型」というブランドに甘えた名前ばかりの綺麗なお人形。嫌悪感以外の印象といえばその程度だ。
 元より、カレルは他人に対して友好的な人種ではない。時折、ブレンダンやカノンに窘められるくらいには毒を吐く性質であり、自他共に認める捻くれ者だが、自身としては捻くれているつもりなど全く無く、それが世の中に蔓延る嘘や謀から己を守り、又、己が勝ち進んでいく術であると信じている。捻くれ者上等。一度、気に入らないと判断した相手にはそれに相応しい態度で接する。それがカレル・シュナイダーという男である。辛うじて友人と呼べる者は比較的、共に行動する事が多い小川シュンくらいのもの。しかし、それも同じ性質を持つ、利害が一致した者同士というだけの職場主義的な感覚に近い。
 その彼が、珍しく決めた認識を改めた相手が鳥羽センカだった。
 初めに己の意識が変わる感覚を味わったのは、確か、ソーマの悪評を教えてやった時だったか。
 あの時はまだ極東支部の誰もが新型神機使いの性質を探っている最中で、いまいち、戦えるのか戦えないのか、見た目の儚さから疑ってかかっていた頃だった。仲間贔屓のリンドウは隊長という立場上、虚偽報告をする筈が無いとは思うものの、信用するには至らず、サクヤも同じく当てにはならない。かと言って己で確かめようにも、まずは同部隊に所属する者から優先的に共に出撃する為、部隊の違う自分達に順番が回ってくるのはどう考えても二週間以上後。それまでは指を咥えて綺麗な人形が傷一つ作らずに帰還する不思議を探っていなくてはならなかった。元々、気の短い自分とシュンは苛立ちを募らせていて、丁度、その時に入ったエリック殉職の報がそれを噴出させるきっかけになった。思えば、ただの八つ当たり。餓鬼臭い幼稚な癇癪。だが、その下品な癇癪にも綺麗な銀髪から燐光を舞わせる彼は声を荒げはしなかった。
 今でも思い起こせば鮮明に蘇る銀光。あの綺麗な顔の、滑らかな白雪の如き肌の上にふわりと落ちた薄桃の花弁のような唇が開き、紡がれた氷の声音。広いエントランスの全てを飲み込んだ凍える冷気は彼の静かな怒りであったのかもしれない。ぴりりと頬を切る空気に言葉を失った自分が、何だ、そんな態度も取れるのか、と今更ながら思ったのをよく覚えている。
 あの鳥羽センカはまるで氷の女王のように怒る白雪姫だ。そう言ったのは確か意外と夢見がちなタツミであったと思う。得意気に言ってのける男の隣でカノンが両手を併せて、雪の妖精さんですね、なんて暢気に馬鹿馬鹿しい事を言っていた。
 間抜けにも相手の挑発に乗って白雪に無粋な痕をつけたシュンもあの頃からどうやら認識を改めるまではいかないまでも、再度、人となりを探るまで判断の駒を戻したようだ。
 その認識が再び、進展を見せたのがリンドウの――正確にはコウタが策を巡らせたらしいが――呼び掛けでタツミ達が彼と任務に出た頃の事。その日、センカと共に出撃したタツミが食堂で気持ち悪い程にやにやしながら、あれは凄かった、やばいくらい綺麗だったと五月蝿くのたまい、仕舞には自分達は切っ先を掠めてすらいないとまで言ったものだから、撃破数を稼ぐ事に執着する自分はサラダをつつきつつ、瞬時に耳を澄ませた。
 場の会話を盗み聞けば、何と、初任務の時に同行したリンドウや極東支部屈指の銃器使いであるサクヤですら、神機を構える間もなく全てが終わっていたという。これで驚かない者がいたなら、そいつは廃人だ。気の無いふりで自室に帰ってすぐさま報告履歴を見た時は、今まで他人の報告書になど見向きもしなかった己を刹那、呪った。――――新型の名前に甘えてばかりいると思っていた新人はどうやら名前以上に使える者であったらしい。与えられる任務制限時間の内、彼が要していたのは高々、十五分程度。或いはそれ未満。例え、それが「どんな任務であっても」だ。どんな屈強な歴戦の神機使いであろうと、例えば、小型種を片付けるだけの任務と大型種数匹を相手にする任務を同列に扱える訳が無い。それを、彼は「どんな任務であっても」全て同じように迅速に片付ける。
 澄まし顔の綺麗なお人形は、こちらが思う以上のとんだ食わせ者の敏腕であったという訳だ。認識が甘く、且つ、遅かったと言わざるを得ないが、漸く気付いたその時の衝撃は想像を絶していた。今でも思い出すとしゃがみ込みたくなる。だが、相手が実は使える人間だったとわかったとして、センカという人間が理解出来たかといえば答えは無論、否。いけ好かなかった理由が消えて、いけ好かないと言えなくなっただけの話である。
 詰まる所、今のカレルは鳥羽センカという人間を観察している最中にあった。
「カレルさんとシュンさんは…まだセンカさんの事、お嫌いなんですか…?」
 ヘリに乗り込むカノンが恐る恐る問いかける言葉を、先に乗り込んだシュンが鼻息で吹き飛ばす。
「あ?知らねーよ。リンドウさんがぞっこんだったって事知ってるだけで、別に話した事なんかねぇんだからよ」
「同じく、だな」
「そんなぁ…いい人なのに…」
 眉尻を下げるカノンには悪いが、実際、自分達が知っている事といえば、それくらいのものだ。リンドウが必死に口説き落とそうと奔走していた、凄腕の新型神機使い。たったそれだけ。判断材料には著しく欠ける。彼個人に限定しての認識を分かりやすく表現するなら、近くに引っ越してきた名前を知ってる細っこい美人、くらいだろう。縋る視線を跳ね飛ばしながら窓外を眺めて苦虫を噛むシュンも同じ感覚かもしれない。挨拶一つすら交わした事の無い自分達にはそれが限度だ。
 けれど、そう思う一方、カレルは心臓の隅を蝕むもどかしさに顔を歪ませ、舌を打った。
「…しけた面してんじゃねえよ。たかが自分を追っかけてた男の部屋に移るだけじゃねえか」
 誰に届く事も無く、呟く声がヘリの爆音に消える。
 あんなに嫌がる素振りを見せていた癖に、いざ、その男の存在をかき消すような行いをする際には抵抗を見せるなど、理解出来ない。迷惑だったのなら、いなくなって清々するであろうに、彼の見せた表情はそれと真逆だった。蛍光灯に照らされた、今にも崩れそうな脆い気配。理解出来ない。出来る筈もない。だって、自分はあの綺麗な銀色の人形が「人形」ではない事をたった今、知ったばかりなのだ。
 突然、人間のような顔で俯いて、悲しんでいないふりをした得体の知れない生き物の事など、理解出来る訳もない。


 ぴぴぴ。以前の部屋と似たような機械音で施錠が外れ、何の感慨も無しに冷たく開いた扉から漂ってきた香りにセンカは思わず、俯いた。――――煙草だ。濃い、煙草の香り。苦く、息が詰まるような、彼の香り。不在期間が長かったにも関わらず未だ、強く香っているのは閉め切っていたからだろうか?
 温室で空を眺めて治癒を待つ男からは既に薄れてしまった香りだというのに、彼のいない部屋の方が強く彼の存在を主張している事が酷い皮肉に思えて、入室を躊躇ってから漸く前へ進んだ爪先は、薄暗い部屋に数歩踏み込んだだけで歩みを止めてしまった。背後で空気音と共に閉じた扉が室内に差し込む光を遮る。闇ばかりを映す消えたモニターは、機動させれば、彼が好んで設定していた眩しい夕焼けを映すのだろう。見渡す室内は明かりが点いていない以外、変わったようには見えない。部屋の真ん中にぽつんと置かれた四箱の段ボール箱とその上に鎮座する観葉植物の鉢植えだけが見覚えのある少ない己の私物で、転居先であるこの部屋の中は彼が生活していた時のままになっているようだった。並べられた空の酒瓶も、壁のダーツ盤も、そのまま。収納も開けた様子は無い。少ない荷物を運び込んでやっただけで、後は自分で片付けろという事なのだろう。
 つまりは、彼の私物を、此処にいるべきではない自分が片付けなくてはならない。
 冒涜だ。漠然と思う。彼の痕跡を、彼の居場所を、雨宮リンドウという人間の全てを無かった事にしてしまうなど、許されないというのに、現実はどうだ。その一つを自分は既に第一部隊隊長就任という形で奪ってしまっている。更にはこの部屋まで奪い、彼の存在を消そうとしているのだ。――――おこがましい。身の程知らず。裏切り者。どの言葉も罵るには足りない。誰も責めてはくれない中で、自分の醜さが獲物を絞め殺す蛇の如く心臓を締め上げる息苦しさに目眩すらした。
 眺めるソファ。漆黒の髪をかき上げる幻が笑いながら名前を呼んで、消えていく。センカ、座れよ、と。響く幻聴。流しで綺麗に洗われたカップは彼の愛用品だ。淹れるコーヒーは濃いめのブラック。隣のグラスはビールの色が美味く見える無色のトール。その隣は、ウィスキー用のオールド・ファッションド。テーブルに放って置かれた煙草の箱は吸いかけで、まだ半分と少しが残っていた。棚の向こうのベッドは帰らない主の香りを濃く残したまま、誰かが身を横たえるのをじっと待っている。
 この空間を、己が壊す事は善行か。――――否、蛮行だ。してはならない愚行に違いない。この部屋は雨宮リンドウ一人の部屋。自分が好き勝手に手をつけて良い場所ではないのだ。最低限の設備は借りなければならないが、寝るならば床でも構わないし、棚も引き出しも使う程物持ちではない。段ボール箱四箱と鉢植えだけが己の私物。何もいりはしない。手をつけず、彼の帰りを待てばいい。何より、自分は物だ。物は人の権限を、存在を侵してはならない。勘違いをするな。
 もう一度、首を動かして室内を見渡した銀の髪から燐光が散る。瞬く白藍に未だ拭えぬ躊躇いを揺らがせて、また数歩、歩みを進めた彼は積み上がった荷物の上に静かに座る鉢植えを持ち上げた。嬉しげに揺れた緑が指を掠め、長く不在にしていたわりには存外、元気な様子にセンカの唇から安堵の息が零れる。
 乱暴には扱われなかったらしい。葉も破れていないが…これの隣にあった筈の枯れた花はどうしたのだろう?からからになっていたから、ごみと間違われて捨てられてしまったのだろうか。一応、ああなってしまっても捨てられなくて、取って置いたつもりだったのだけれど。
 思いながら、持ち上げた緑の、その根本を覗き込んだセンカは深い色の土と緑の葉の間に隠れるように埋もれて、所々に茶色をくっ付けた紫の欠片を見つけ、鉢植えを掲げたまま時を止めた。
「…あ…」
 呆然と眺める、からからの欠片。埋もれて、隠れて、それでもまだそこに色を残して存在している、竜胆の花弁。まるで、人間ではなくなってしまっても生きようとする彼のように。
 唐突に、思い出す。
「……先輩…おなか、すいてるかな……」
 彼は枝になる果物の見分けが壊滅的に下手だ。自分が出ていく三日の内になんとか渋い物を避けられるくらいには上達したものの、それでも下手な事には変わりない。飢えない程度には食物を摂取しているだろうが、折角、他の物を調達出来る環境に戻ってきたのだから、違う栄養分も取らせるべきだろう。戻ってきて得た情報の報告もある。レンギョウの事も心配だ。
 ベッド脇のサイドボードに置かれた彼の鉢植えの隣に、手にした己のそれを据え、台所へ向かったセンカはとりあえず、パンと干し肉をいくつか取り出してテーブルに広げてから、包む物を探すべく部屋の灯りの電源を入れた。
 闇に慣れた目を焼く光に刹那、目元に手を翳し、やがて戻ってきた視界の中で見たものは記憶に違わない、蛍光灯の白を飲むモニターの夕焼け。それを背に愛しげに笑う男の顔が見えた気がして、ぼんやり橙に染まる海の彼方を見つめた銀色の白藍が緩やかに瞬いた。息を吸えば、鼻腔に満ちる煙草の香り。脳裏に描く漆黒の髪が靡き、麹塵の双眸が細く微笑んで、名前を呼ぶ。
 今、その色が見たい。――――そんな、人間のような事を思った。



カレルさん、新型について熟考するの巻。
こうしてカレルさんを真面目に書くのは今回が初めてですね。とても楽しかったです!うひひっ!!
初出が○話だったので、前回は、えー…実に九十数話ぶりの再登場だったんですよね。それも軽い描写くらいしかなかったので登場しているとは言い難い状態(酷)でも、嫌いじゃないんですよっ?うん。寧ろ、カレルさんは好きな部類ですからねっ!
カレルさんの新型認識については文中で話しているのでその辺は省くとして、カレルさん本人としては新型に対する感情を頭から気に入らないと決めつけている訳じゃないんだよ、という表現が出来ていれば良いと思います。
そもそも、カレルさんとしては見ているだけで話した事が無い訳で。かといって、見た目だけで気に入らねえと言ってしまえる程子供でも無い訳で。じゃあ、どうすんの?保留じゃね?という結論で現在に至ります。
シュンさんも概ね同じですね。本人も言った通り、リンドウさんがぞっこんだったというのを端から見て知っていただけで、本当にそれだけ。
なので、双方、思いあぐねているというか…上辺しか知らないのを少しもどかしく思っている感じです。でも、素直じゃないから悪態ばっかり。

新型については…今日からリンドウさんの部屋で過ごす訳ですが、やっぱり色々、思う事があります。これはゲーム中にも思った事ですが、故人になって間もない人の部屋に、事務的な理由とはいえ、移らなくてはならないというのはちょっと抵抗があるんじゃないかと。特に、当家のように「実は生きてるよ」というのを知っていれば尚更。
その人の部屋を使う、という事はその人のいた痕跡を自分が上書いて消すという感覚に似ていると思うので、当家の新型は特に嫌がっている感じです。
で、そのもやもやずぶずぶ感をリンドウさんの面影を追ったり、「ああ、今、生きている事を確認したいな」と思う事で誤魔化そうとしています。

2012/05/27