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 ノルンに届けられた烏羽センカ復帰の知らせに二人は顔を見合わせ、頷いた。
「百聞は一見にしかず、ってな」
 これは、好機。漸く巡って来た幸運だ。

捕獲完了、強制連行

 いつもの時間に、いつもの場所に立ち、いつものように挨拶をしたヒバリは久方ぶりに見る美しい銀の麗人に胡桃色の瞳を輝かせながら、祝辞を述べ、直後、彼が選んだ任務の内容に笑みを凍り付かせた。
 干上がる、とはこの事だ。ざあざあ音を立て始めた耳の中で血が引いていく。
「セ、セ、セ、センカさんっ、こ、これは無理ですっ!容認できません!せめて何方か一緒に…!!」
「?問題ありません。エントリーをお願いします」
「だ、だ、だめですー!」
 カウンターを挟んでぎゅうぎゅう任務書類を引っ張り合うのは、フェンリルの事務制服に身を包み、赤銅色の髪を二つに結ったヒバリと神機を片手に抱いた銀の白雪、烏羽センカである。今にも引き千切れそうな薄っぺらい紙切れの端を掴み、必死にエントリーを拒むヒバリはそれこそいつもの穏やかさが嘘のような形相だ。ここにタツミがいたなら、ぽかんと口を開けて呆けたに違いない。
 そもそもの原因といえば、反対側の紙端を軽く握りながらも決して放そうとはしないセンカにあると彼女は思う。それはもう、絶対だと言える自信を持って。
「…?放して頂けると助かるのですが…」
「だーめーでーすーぅーっ!」
 渡すものか。絶対に渡すものか。絶対に渡さない。何があっても、今のままでは絶対に渡さない。心に決める。しかし、これもいつまで保つか。いつもは人で溢れている筈のエントランスは今日に限って誰もいなくて、味方は皆無。…嗚呼、もう、これはどういった仕打ちなのだろう。せめて誰かが帰ってくるまで粘らなくては!
 味方の帰還を願いつつ、孤軍奮闘するヒバリの手には更に力が篭る。
 皆が今日の任務の為に出払った後、今日から復帰予定にあったセンカが姿を見せたまでは良かった。帰還の折に姿を見かけた時は、ただ嬉しくて、けれど、こうしてフェンリルの制服に身を包み、神機を抱えてエントリーカウンターに向かってくる姿を見る事はそれとはまた違う感慨深さを齎すものだ、と思わず視界が滲んだ。リンドウが行方不明のまま隊長を継ぐのは複雑であろうが、継ぐのがセンカであればリンドウも異議は唱えまい。寧ろ、諸手を挙げて喜んだかもしれない。
 そうして、形式通りの挨拶と、就任への祝辞もそこそこに広げた任務書類。復帰初日なのだから肩慣らしに軽めの任務を負うか、誰かと打ち合わせでもしているのだろう。そう踏んでいたヒバリは白魚が彷徨いもせずに取った紙切れに目を剥いた。
 選んだ任務はよりにもよって、旧市街地に現れたクアドリガとシユウ堕天の討伐。そんな馬鹿な。何を言い出すのか、このぼんやりしているのは見てくれだけな敏腕妖精は。復帰早々、大型種二体を相手にしようというだけでも大事だというのに、次いで、愛らしい唇から知らされた参加人数はまさかの一人。それこそ、そんな馬鹿な。彼女は咄嗟に彼の正気を疑った。しかし、視線の先の白藍はいつもの茫洋とした冷静な色で、自棄になった気配は何処にもない。本気で本気なのだ。その事実に、彼女は更に干上がった。
 自分は任務の管理を任されている立場もあり、センカの実力にはいち早く気付いていた部類だと自負している。少なくとも、彼が一通り任務を負えるようになってから同行するようになった防衛班よりは早かっただろう。何しろ、当の彼といえば、見た目だけならお世辞にも戦えるようには見えない。安い蛍光灯の光の中、溶けて消えそうな淡い気配で佇む煌く雪の色。ぼんやり開いた目は宝石も敵わない澄んだ白藍。細い身体に、白い肌。両手で大事に抱えた神機に頬を寄せる仕草を見て、戦場よりも裕福な家の愛玩人形が似合いだと思った者も少なくないだろう。流石に自分はそこまで下世話な思いは抱かなかったものの、エントランスに常駐する手前、そう言った会話を小耳に挟んだ事もある。画く言う己も彼が戦えるようには見えないと第一に思った一人だ。リンドウと共に任務に向かう背中を見送り、直ぐに訃報を聞く事になるのだろうと肩を落としていた。しかし、それは杞憂も杞憂。以降、日々を経るごとに積み重ねられる戦歴により、失礼極まりない勝手な思い込みは思わぬ形で裏切られる事となる。
 如何な任務であろうと、帰還すれば提出される輝かしい完遂記録。これに目を剥かない者は一人もいない。まぐれだ何だと性懲りも無く嘯く者もまだいたが、何人もの神機使いに相対してきたヒバリはこれがまぐれではないと確信した。――――昔語りに聞く、戦乙女の降臨。興奮に高鳴った胸でそんな冗談染みた事を思ったものだ。リンドウが彼に惚れたと聞いた時には漸く戦乙女にも兜を脱ぐ場所が出来ると胸を撫で下ろしもした。その思いが最早、夢語りになってしまったのは言うまでもないが。
 だが、だからこそ、リンドウが顔を曇らせるような事態は避けなくてはならない。
「どうしても!ダメです!絶対に一人では行かせられません!危険です!」
 言えば、さして気にした風でもなく傾く銀色の頭。
「?危険ではない任務は支部内の清掃くらいだと判断します」
「じゃあ、お掃除してて下さい!」
 もう滅茶苦茶だ。されど、正気に返れば負けである。滅茶苦茶でも無茶苦茶でも何でも、彼を兎に角、単独で任務に出さぬよう自分が此処で食い止めねば!彼の意外な頑固は承知の上。己に無頓着な気があるのも承知の上。危険に対して少し背負い過ぎるきらいがあるくらいには神経質な癖に、五月蝿い外野には道端の小石の如くすっぱり無視を決め込む大雑把さを発揮する彼の気概はこのご時勢、どちらかといえば好ましいが、これだけはどうしても見逃せない。
 カウンターを挟んでの奮闘はもうかれこれ数十分になるだろうか。ぎりぎり紙を引っ張り合う二人を止める者は残念ながら、一人もおらず、動かぬ事態に時計がささやかな声援を送るばかり。
「お願いします。早くしなければ日が暮れてしまいます」
 穏やかな鈴の音はただ清廉。悔しい。つん、と紙を摘んだだけの彼は余裕綽々じゃないか。ヒバリの唇が憮然と一文字を描く。どうしてこんな時に誰もいないのだろう。センカが復帰する日なのだから、ツバキくらいは居てもいいのに。初日からこれではリンドウを悲しませる事態になってしまう。
 そんな事を、必死に考えていたからだろう。彼女は静けさの満ちるエントランスに響いたエレベーターの開閉音にも、続く、二人分の荒々しい足音にも気付かなかった。
「そんなに任務に出たいなら何方か一緒に出撃する人を連れて来て下さいー!」
 ああもう、誰かこの叫びを聞いて飛んできてくれ!願いを込めての絶叫に、けれど、銀色は首を傾げてみせる。
 ことり。愛らしい仕草で傾いた頭、その柔らかな銀の毛先からふんわり舞い上がった燐光が蛍光灯の光に消えて。開いた花弁からは春の音。

「ですから、参加人数は、」
「三人だ」

「へ?」
 胡桃の双眸をまあるく見開いたヒバリは思わず、動きを止めた。目をやった銀色の背後に、くすんだ赤と眩しい金が佇んでいて、此処に来て漸く見た人影に紙を握る指から力が抜ける。突然、響いた声音に後ろを振り向いた彼も白藍を見開き、酷く驚いたようだった。
 ぺな、と情けない音で二人の指から解放された紙切れがカウンターに舞い落ちる。すかさず進み出て奪った紙の参加者欄に備え付けのペンで己の名を書いたのは金が先。流れる字体で書き殴った名は――――カレル・シュナイダー。その下にセンカの名を書き、続く赤が、俺が先に書く筈だったのに、と文句を言いながら、小川シュン、とやや乱れた字で綴る。それに、うるせえ、と返して彼の足を蹴っ飛ばしたカレルが呆然とする胡桃と白藍の前でさも当然のように顎をしゃくった。
「俺と、こいつと、そいつで、三人だ」
 俺と、こいつと、そいつ。カレルと、シュンと、センカ。ヒバリには適合する神機が現在、存在していないのだから、指示語の指すものは自ずと知れる。問題は、何故、彼らがセンカと任務に赴こうとするのか。
 ヒバリの認識上、彼らはセンカを快く思っていない。寧ろ、嫌悪していたように記憶している。それが、何故。嫌悪対象には一切の興味を持たず、接触を避ける彼らが、たかがセンカの隊長就任を理由に近づいて来たとは思えない。皮肉だけなら陰口を声高に響かせてやるのが彼等の流儀。まさか、任務の名を借りて私闘しようという訳では無いだろう。仕事は仕事。それくらいは弁えている連中だ。
 せめて、センカが一言、否を叫んでくれれば参加を辞退するよう彼等に提案する事も出来るが、眺める光景の中の彼はただぼんやり場の進行を見守るばかりで、自分が渦中の中心人物だとは欠片も思っていないように見える。実際、彼はこの異様な光景を異様とは思っていないのだろう。彼から意見を望む事は難しい。さて、どうするか。
 悩む間にも、待たぬ時は動き、カレルの手が労わりの欠片も無い仕草で白雪の片腕を捕らえる。細い腕の、もう片方を掴むのはシュン。
「頭数揃ってりゃ文句ねえだろ。おら、行くぞ」
「あ、はい」
 そのまま、ずるずるとまるで捕獲された動物の如く引っ張られていく様をコウタ辺りが見たなら、顔を真っ赤にして怒っただろう。掴めば折れるか、引けば抜けるかという細腕を乱暴に扱っているのだ。これには刹那、思考の海に溺れたヒバリも現実に舞い戻る。
「あっ、ちょっ、そんな乱暴に…!」
 宥める言葉も何処吹く風。手を緩めずに歩み去る彼らに引っ張られて階段を昇っていく銀色の燐光が消えるのを見送りながら、ヒバリは大いに焦った。彼等の中にセンカに対する敵意は無いように見えなくも無いが、しかし、触れる手つきは友好的とは言い難い。このまま行かせて良いかは疑問だ。遠慮も無ければ、口も悪い彼等がセンカを皮肉り、貶し、暴言を叩きつける事は確実。帰還したての彼の心を慮りなどしないに違いない。仕事をこなすからといって、人の心を酌む者達ではないのだ。
 第一部隊に連絡か、それとも、防衛班か、はたまた、教官か、否、これしきの事で大事にする訳にはいかない。内容だけ見れば、単に頭数の足りなかった任務にカレルとシュンが立候補しただけの話。それだけ見れば、寧ろ、彼等はセンカを助けた事になる。
 センカもその辺りを理解しているのか、ふんわり開いた唇から零れた声音は柔らかな響きのままだった。
「あの…放して頂ければ自力で歩行します」
 ずぅるずぅる。階段を昇りながら言うも、引っ張る彼等は手を放さない。どころか、返って来るのはカレルのしかめっ面。
「馬鹿。お前、歩くの遅ぇんだよ」
「てか、細くねえ?軽いし。ちま過ぎ。片腕で運べるぜ、きっと。やってみる?」
「…歩けます…」
 ささやかな抵抗の言葉もあえなく流され、直後、視線の届かぬ上階でついに担ぎ上げられたらしい銀色の小さな叫び声と、それにけたけた笑う男達の声を聞いたヒバリは早速、貶されて遊ばれている新任隊長の心情を慮り、静かに合掌して至らぬ自分を悔やんだ。
 きらり。目尻に光るのは哀愁。

 無事に帰ってきて下さい。色んな意味で。



ついにちゃんと新型と接触した守銭奴二人組と彼らに引きずられていく子羊をハラハラしながら見送ってしまったヒバリさん初登場の回でした。
ヒバリさんは受付担当なのである意味、隊員の誰よりも早く新人さんに接する人だと思うんですよね。なので、会った瞬間に「あ、この人は生き残ってくれそう」とか「ああ、この人は長続きしなさそう」とか、職業病的にぴん、とくる瞬間があるんじゃないかと思います。発言内容から見ても、ヒバリさんは頭の回転が早そうですし…まあ、それも職業柄だとは思いますが。
で。そんな職業病のヒバリさんを盛大に困らせる当家の新型を引きずっていったのがシュンさんとカレルさんな訳で……この二人はちゃんと出してあげようとするあまりに登場がのびのびになってました(笑)
彼らの事は次が本題なので次回、語るとして、とりあえず、ヒバリさんは誰かが帰ってくるまで新型の無事を祈り続けて合掌していると思います。

2012/07/17