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 人間である貴方と、アラガミである僕と。

話をしましょう、貴方と私の

 ソーマの部屋は隣室であるという所在こそ知っていたが、実際に戸を叩いた事はただの一度も無かった。そうする機会も、用事も無かっただけだという話もある。しかし、本音を吐露するならば、互いに距離を測りかねていただけだったのだろう。どちらもが、相手の人間とは違う部分に薄々勘付き、それを探られたくは無いのだと、それにも勘付いていたから、自然、声が届く程度の、指先が触れない距離を保っていた。
 臆病者同士の睨み合い。言われればそれまでだ。
「茶なんて高尚な物は出ねえぞ。適当に座れ」
 と言いつつも、見渡す限り荒れた室内では座る所など精々、ソファの片隅くらいしかない。小さく断りを入れ、最大限の愛想の無さで迎えられたセンカは扉に一番近いソファの隅にちょこりと腰を据えた。
 部屋は性格を表すとはよく言うが、荒れ放題の部屋は誠、ソーマそのものであるように思える。棚の全てとベッドの上にまで無造作に転がる神機のパーツ。鋭利な刀身すら無神経にも抜き身で放って置かれている。褥脇のサイドボードには彼の手には丁度、収まりが良さそうな少々物々しいハンドガンが黒光りする銃身を横たえていて、隣には数発ばかりの空薬莢が虚しく散らばっていた。中身が吸い込まれて行ったのは役目を放棄させられた正面モニターに開く混沌とした弾痕の闇の奥だろう。人型を模した的が修練には役不足な現実味の無さで一発、二発、急所に穴を開けている。床に目を落とせば、所狭しと這う太めのコード類。辿って辿り着く大型のスピーカーは彼の趣味だろうか。一目で上等と分かる綺麗に手入れされた機械は拘りの逸品なのかもしれない。リンドウの部屋にも音楽機具の類はあったが、これ程のものは無かった。
 唯一、場所の空いたソファには毛布が一枚丸めて置かれ、慣れた風でそこに身を沈めたソーマに、そこが彼の寝起きする場所なのだろうと内心、頷く。
 粗雑で殺伐。迂闊に触れれば怪我をする。他者を遠ざける気配。まさに「ソーマ」を表すに相応しい室内だ。
 空の飲料缶が転がるテーブルに脚を乗せ、目深に被ったフードを後ろへ落とした彼は、彼にしては珍しく、緩やかに唇を開いた。
「烏羽センカ、十六歳。性別、男。二千七十一年入隊。フェンリル極東支部初の新型神機適合者」
 ターミナルで閲覧出来る情報を機械的に音読するソーマには欠片の揺らぎも無い。分かりきった事を滔々と語り出す青年を、けれど、白雪は嘲笑の一つも浮かべず、白藍の双眸を静かに瞬かせるだけで、力強く見据えてくる彼の視線を受け止めた。
 いつものように腕を組む僅かな衣擦れの音が時計の音を掻き消し、響く、硬い声音。海が凪ぐ。

「全部嘘だろう」

 瞬間、ぴくりとも神経が飛び跳ねなかったのは、幸運ではない。この時に彼が暴いてくると知っていたからだ。覚悟にも似た感覚はサカキに鍛えられたが故か、眉の一つも動かさない完璧な平静を見事に保った。
 静寂を保ったまま次なる言葉を待つセンカを眺め、ソーマは、いや、と言葉を続ける。
「全部、じゃないな。名前と歳までは本当だろう。あとは胸糞悪ぃ嘘だ。お前はもっと前からあいつに…支部長に関わってる。違うか?」
 センカの事を調べるべくターミナルにアクセスしたのはもう随分前の話だ。初めて共に任務に出た日、帰還してから真っ先に彼のデータを探した。リンドウと同じ事をしている自覚が無くも無かったが、それ以上に、珍しい興味が胸をかき立てたのだ。そうして見つけたのが、リンドウが見た物と同じ空白だらけ、謎だらけの履歴である。紛れ込んだ不審者と言って差し支えない情報量の少なさはソーマの首を傾げさせた。
 慣れた戦い方に、冷静過ぎる思考、立ち居振る舞い。全て昨日今日実戦配備されたばかりの素人とは思い難いものだ。それだけでも怪しいというのに、履歴すら曖昧では訝しげに見てくれと言わんばかりではないか。性格も特異の一言では表せない不思議ぶり。様々な意味で周囲の興味を集めていたのは今更、言うまでも無い。挙句、公式文書には記載されていない、ペイラー・榊という後見人の存在。シックザールとサカキの水面下での攻防を知る者にとっては裏にあるものを訝らざるを得ない背景である。
 敵か否か。見定めようとすれど、答えには辿り着かず、漸く、迷える天秤が完全に傾いたのは奇しくもヴァジュラの群れに囲まれたその時だった。
 もっと早く気付ければ彼を助けに入る事も出来たかもしれない。躊躇いに目を瞑り、回収地点に向かいながら思えど、敵ではないと気付くにはあまりに遅すぎた。握り締めた手に血が滲み、噛んだ唇から鉄の味がした事を覚えている。
 それから数週間も経った今、こうして向かい合って真実を問いかけているのが嘘のようだ。
 彼は、嘘をつかないだろう。元より、嘘をつくような人種ではない。胸に確信として息づく感覚は、だからこそ、問い詰めるという形を取るには至らなかった。事実として、彼は「本当の事を言っていない」だけで「嘘をついた訳ではない」のだ。彼は一言も自分が実戦配備されて日が浅いとは言わず、けれど、以前から任務に出ていたとも言っていない。誰も問い掛けなかったのは先入観が齎した、完璧なこちらの勘違いの所為だ。誰に非があるかと言われれば口を噤むより他は無い。
 かくして、性別も、入隊年も、極東支部初の新型適合者である事も、全てが嘘であると言われ、最終的な回答を求められた銀色ははたりと一つ長い睫毛をはためかせて――――事も無げにゆるりと頷いた。
「相違ありません」
 十分な沈黙を経て、漸く開いた薄桃の花弁は真実を曝け出すには酷くあっけらかんとした物言いだったと思う。
 真っ直ぐに見詰めて来る茫洋とした白藍の双眸が一分の揺らぎも無く視線を投げ、背筋を伸ばした華奢な身体が上品に座する光景は部屋の殺伐さも相俟って、恰も、荒れ野に咲く華の如く。散る燐光が舞い、消えるまでの長い一瞬をソーマは納得したような、或いは、愕然としたような気持ちで眺めた。
 澄んだ声音は宛ら清流。
「博士にお聞きになりましたか?」
 言いながら、センカは胸中で己の言葉を否定した。ソーマにも関係が無い訳ではないとはいえ、慎重派のサカキが軽々しく真実を口にするとは思わない。これは彼の考察が弾き出した答えだろう。
 予想に違う事無く、白金の髪を揺らしたソーマが軽く首を振る。
「…いや、考えた結果の…予想、だな。実際、お前がどこまで知っていて、どういう存在なのかは知らないが、あいつに関わってるなら『俺の事』は知ってるんだろう?」
 どうなんだ。視線で再度、返答を要求する眼光にセンカの頭が先と同じ動作を繰り返した。
「ご推察の通りです。『ソーマ・シックザール』先輩」
「……言ってくれるな」
 ついでに付された敬称の皮肉に褐色の頬が歪む。狼が嫌悪感を露にする様に似た仕草は雰囲気だけならば、彼の父親たるヨハネス・フォン・シックザールに良く似ているとセンカは思う。眉を吊り上げ、片頬だけを歪めるのではなく、両頬を僅かに歪め、牙を剥いて笑ってみせる獰猛な獣の仕草。彼はこれ以上ない程嫌悪するだろうが、傍目からは親子だと納得出来るくらい良く似ている。
 ソーマ・シックザール。それが本来、ノルンのデータベースに記載されるべき彼の正式名である。年齢は十八。性別は男性。センカがこの世で目を覚ましたその日からデータで見続けてきたマーナガルム計画、最初にして最後の検体。
 多くの犠牲を払い、失敗に終わったマーナガルム計画の実態を知る者はそう多くは残ってはいないが、今、神機使いに関わる全ての技術の元となっている計画のそもそもの目的は脅威を増すアラガミに対抗する為の「人間のアラガミ」を作り出す事だった。しかし、オラクル細胞制御の土台となる理念すら定説化しているとは言い難かった当時、目的を達する為に示された選択肢が多くなかったのは想像に難くない。生きている人間にオラクル細胞を投与する事は単なるアラガミ化を誘発する事になる。ならば、「人間になる前の人間」に投与するならばどうか。――――つまりは、妊娠初期の胎児への投与である。倫理的な問題を捻じ伏せれば理論的に完全な不可能とは言えない方法だ。受精後、急激な細胞分裂を開始する段階から、或いは、その前から生き物を構成していく過程にオラクル細胞を組み込めば自然に人間の性質とアラガミの性質を備える存在を創り得るかもしれない。
 最終的に、それが、フェンリルの研究者であり、マーナガルム計画を率いたヨハネス・フォン・シックザールとその妻、アイーシャ・ゴーシュの選択した方法だった。
 結果は史実に残る通り。母体のアラガミ化の末、数多の人間の命を奪い、失敗に終わる。残ったのは計画の始動を決めたその時にフェンリルを離れていたサカキがシックザール夫妻に贈っていた「安産のお守り」を所持していたヨハネスと、母体から生まれ、生き延びた最初で最後のアラガミに限り無く近い人間…今はソーマと呼ばれる赤子のみ。
 センカが生まれるのはその惨事の、二年後の事である。
「俺の事情を知ってるなら話は早い。化け物の種明かしが済んだ所で…次はお前の番だ。俺と同じ身の上、って訳じゃねえだろう」
 アラガミを分析する能力に長けている訳ではないソーマでも「センカ」という生き物が自分と違うという事くらいには気付いていた。感覚的にはシオを感知する時のそれに近い。任務地でも討伐対象と間違えてしまいそうな、そんなアラガミらしさがある気配だ。それも、特異な気配に慣れるまでの話で、今は罷り間違っても彼相手に刃を振り翳したりなどはしないが。
 そう。彼は、自分よりもアラガミに近い。人間よりもアラガミに近いのではなく、「よりアラガミに近い自分よりも」アラガミに近いのだ。
「答えろ。お前は人間か?それとも、俺と同じものか?」
 問いかけは願望か、嘆願か、それともただの詰問か。逡巡する間も無く返ったのは――――否定だった。

「いいえ、僕はシックザール支部長に造られた完全なアラガミです」

 変わらぬままの凪いだ白藍が屹然とした面持ちで花弁を開き、静かに閉じて、動きを止める。こちこちと微かな時計の音が沈黙を埋める中、切れ掛かった暗い蛍光灯の鈍い光を美しい銀色に滑らせている様を眺めたソーマは、そういえば、いつでもこいつは人間離れしていた、と脳裏で記憶を辿った。
 初めの印象は戦えるかも怪しい細い子供。その失礼極まりない勝手な印象が覆ったのは、オウガテイルに銃口を突き込み、躊躇いも無く弾丸を連射して見せた時だ。綺麗な顔に似合わない粗暴な戦い方に唖然として、間抜けな面を晒してしまったのを覚えているが、幸いだったのはそれを見た者がいなかった事だろう。――――思えば、あの時から既に彼は「人間らしい印象」から外れていた。
「…そうか」
「はい」
 何時かのラボラトリの時のように、静寂が流れる。真っ直ぐに見詰め合う青と白藍が微動だにしない様は一枚の写真か絵画のようだ。
 空気は重くなく、けれど、軽くもなく。時折、鋭敏な聴覚に触れる微かな吐息が痞えの取れた胸に響いて消える感覚も、悪い気はしない。
「……わかった。この話はこれで終わりだ。後は追々訊く事にする」
 彼も明日、特務を控えている身だ。夜遅くまで引き止めて本当に殉職してしまっては笑い話にもならないだろう。烏羽センカは人間ではなく、人工のアラガミ。今はその事実だけ分かればそれで良い。要は、シオと同じ身体構造という事だと考えておけばいいのだ。
 あの少しばかり天真爛漫過ぎる子犬を思い描き、嗚呼そういえば、今日も駄々を捏ねていたな、と思い出す。
「ああ、あと、おっさんと何があったかは知らねえが、そろそろ腹括ってシオに会いに行ってやれ」
「…シオ、ですか?」
「今日もお前に会いたいと駄々くりやがって…毎日五月蝿くてしょうがねえ…」
 実際は超音波に匹敵する声で喚き立てるもので、駄々くりなどという可愛らしいものではないのだが、何にしろ、五月蝿いことには変わりない。ほぼ毎日それに付き合わされるソーマとしては特効薬があるならば使いたい所である。此処最近ではサクヤもコウタもアリサも音を上げ始めていたから、もう潮時だ。頃合はとっくに過ぎている。
 比喩でなく怪獣と化した彼女の大暴走は衣類の件での一回だけで十分だろう。今度の彼女はセンカを探して名を叫びつつ全速力でアナグラの壁に穴を空けて回りかねない。
 冗談めかして吐き捨てた台詞にそっと瞳を緩めた銀色が薄く苦笑いして立ち上がり、辞意を述べようとした所で、ふと、記憶の小石を拾い上げたソーマの声が再度、白藍を捉えた。
「最後に…もう一つ訊いて良いか」
 テーブルに乗せた足を下ろし、組んだ腕を解いて、幾分か穏やかな声色で彼は問う。海原の色が彷徨い、やがて、何かを決めたように、絡む視線。
「…『もっとこうだった』、ってのはどういう意味だ?」
 ずっと気になっていた事だ。あの日、空気をかき回した細い指先のしなやかな動き。大きくも無い、小さくも無い、緩やかな円。思い出す度、いつ問いかけようか、迷っていた。実戦の事を言っていたのか、だとすれば、もっと大変なものだと思っていたのに存外、簡単に決してしまったのが意外だったのか。或いは自分が及びつかないような理由が他にあったのか。自らの事をあまり語ろうとしないセンカの言葉は主語が抜けている癖に抽象的過ぎて全く理解出来なかった。
 今なら、答えてくれる気がするのだ。だって、彼はあの日からずっと待っていた自分に、今日、漸く、偽り無く答えてくれた。
 一心に見詰める先で、柔らかな、瑞々しい薄桃色がふわりと開く。
「文書データでしか知らなかった貴方に、あの日、初めてお会いしました。…幼稚な、勝手な思い込みだと憤慨なさってくれて構いません。貴方を見るまで僕は貴方を、もっと、屈強で、温度の無い、アラガミのような方だと思っていたのです」
 紡ぎ、けれど、と鈴の音を続けた銀色は少し俯く仕草で細い毛先から燐光を煌かせながら、崩れそうな微笑を浮かべてそっと踵を返した。
「けれど、貴方はとても暖かい、『人間』でした」
 刹那、海が、見開いて時を止める。
 それはきっと彼にとって愕然とするに値する現実だったのだろう。ずっとデータだけで見てきた「ソーマ」という生き物。成り立ちは異なるにしろ、人工のアラガミといって差し支えない存在。それだけが唯一、彼が己と同じかもしれないと思えるものだったに違いない。だというのに、実際に会ったものといったら自我が強くて、ついでに口も悪いだけの、ウロヴォロスのように大きくも、シユウかコンゴウのように筋骨隆々でもない、ただの人型。…どれだけ幻滅した事か。自分のように一撃で相手を仕留める力も無い男を見て、彼は己の異質さを再認識し、その瞬間、本当の意味で心までひとりぼっちになってしまったのかもしれない。それは、何て寂しい事なのか。周りで騒ぐ相手があるだけ自分の方が恵まれている気さえしてくる。
 ぽつり。残した囁きを最後に無機質な閉扉の音が小さな靴音をかき消し、締め出して、また静寂が訪れる。
 独り残された部屋で呆然と天井を仰いだソーマは、重々しく持ち上げた片腕で目を覆い、嗚呼、くそったれ、と一つ呟いた。

 完全なアラガミでなかった事を悔いた事なんか、初めてだ。



ソーマさんにバレちゃったよ、というお話。……といっても、ソーマさんも半分アラガミなので感覚的に気付いていた感じです。多分。
中身的なものは全部作中で書いているので端折りますが、ソーマさんと新型の違いを少し意識している部分があります。あとは、ソーマさんがちゃんと支部長の息子だという、類似箇所も意識している部分もあったりします。
9話で出たアレの答えも今回、関係してきましたが、成り立ちと構成から考えると、一応、人間から生まれて半分は確実に人間であるソーマさんと、細胞培養で形作られた新型は種族的に全く違う生き物です。ですが、ソーマさん的には「自分がアラガミである」という若干、被害妄想めいた意識があるので、新型には多少なりとも同族感があったりなかったりします。んが……最後の質問で見事、新型自身にそれを否定された格好になりました。だって、貴方、人間じゃない、私とは違うわ、と。ばっさり一刀両断。
ソーマさんにしたら複雑な事この上ない返答ですね。忌んでいるとはいえ、アラガミである事を否定されて、人間である事を肯定されているなんて皮肉意外の何物でもないというか。
複雑すぎて思わず新型と同じアラガミでなかった事を悔いてみたソーマさんでした(ぇ)

2012/08/27