mono   image
 Back

 その感覚は、不快とは少し違う。

下種の勘繰り

 こちらを見ていた海の色。何故、見ていたのか分からない。思っていたよりも人間的な人。意図があって向けていたのだろうそれに合わせた刹那に顔を俯けた彼はエレベーターに身を滑り込ませてしまったから、恐らくその視線に特に意味はなかったのだろう。
 エリックを失った任務から帰った自分を労わるコウタの声を聞きながら、センカはそっと瞬いた。
 エリック・デア=フォーゲルヴァイデ。そのデータ欄には既に享年と付された年齢が記してある。どういう人物だったのかは知らない。ただ、自己紹介してくれた彼の目は口調の傲慢さの割りに暖かだったように思う。きっと、温度の無い人では無かった。
「大丈夫か?リンドウさんも心配してたからさ…報告とか後にして医務室先に行くなら、俺、伝えとくよ?」
 ターミナルの手すりにしがみ付いて言う彼に、ゆっくりと首を横に振る。
 それを見たコウタの顔が瞬間、辛そうに歪んだのは、恐らく気のせいだろう。
「…そっか…あんたがそう言うなら、良いけどさ…」
 無理だけはすんなよ?勤めて明るく紡がれた言葉が変わらない表情を柔らかくさせた、その時。

「死神と一緒でよく生き残れたよなぁ」

 そんな声が、聞こえた。
 広いエントランスで、それは殊更、大きく響き、だからこそ、センカはそれが明らかに自分に向けられたものだと気付いた。
「ソーマって名前の死神に殺されたエリックが哀れだぜ。新型もあいつと一緒にいたら殺されちまう」
 ソファで寛ぐ、金髪の男と赤い髪の青年。大声で話し合うその内容が矢鱈と説明口調なのは、ターミナルをいじるのに夢中な何も知らない新入りに聞かせる為に他ならない。――ちりり。腹の底で何かが点る。
「いや、新型が生き残れたのは実力かもしれねえぞ?何せ、期待の新型の上に、第一部隊は生存率ナンバーワンだからなぁ」
「もしかして、新型に適合したのはアッチの実力で上を丸め込んだんじゃないか?」
「有り得るな。顔が綺麗で具合もイイと来たらコネも取れるだろうよ」
 大人しい顔して、とんでもなく上手かったりしてな。からかうような言い回しと下世話な勘繰りに、隣で佇むコウタの手が手すりをきつく掴んだ。顔が険しい。これ以上、何か言うようなら、この同僚は果敢にも先輩相手に喧嘩を仕掛けに行ってしまうだろう。そして、彼だけが罰せられて事は仕舞いだ。それならば、此処はそ知らぬ顔で場を後にするのが好ましい。そもそも、彼らの話の種である自分はその内容を何とも思っていないのだから、コウタが心を乱し、憤る必要などどこにも無いのだ。
 しかし、コウタに新人区画への移動を促そうとしたセンカの思惑は、思わぬ所で崩れる事になる。
 相変わらず響く、耳障りな声。思えば、それを「耳障り」と表現した時点で、この日の自分は常とは少し違っていたのだろう。
「でもよ、男なら撃破数稼がなきゃな!…おっと、これは逃げるのが十八番の奴らには悪かっ…」
「下種はよく勘繰るそうです」
 ぽつり。何かが、煙から熱を持つ灯りへと変わる。
「あ?何だって?そこの新人」
 朗々と大気を振動させた声音を辿った赤い髪の男が低く唸るのを聞きながら、センカの身体が揺らめくように向きを変えた。
 星の煌きを写した銀の糸の合間から覗く表情を変えない白藍の双眸。ゆるりと瞬くそれは今し方、エントランスの空気を裂き、凍らせた者のそれとはあまりに違う冷静さで目を吊り上げた男に相対していた。
 憤るでもなく、怯えるでもなく、強い眼光に身を晒す彼の隣で、驚いた様相でその顔を見上げているコウタが滑稽に映る。
「ちょっ、センカ!?」
 これは予想外だ。大人しく見えるセンカが、こんな事を言うとは思わなかった。否、正確には、何事にも無関心を貫くセンカがあえて物事を荒立てようとするとは思わなかった、という方が正しい。自分ならまだしも、彼が、というのは至極意外だ。
 おろおろし出したコウタを他所に、ブーツを鳴らして近づく男の足音が響く。まずい。これは、まずい。思えど、センカがターミナルの前から動く気配は微塵も無い。
「おい、もう一回言ってみろよ、新人」
「御所望であれば、何度でも」
 返す声音に、男が弾けたような嘲笑を返す。
「そうやって、何回下の口に銜え込んだんだ?俺もサービスして貰えんのかね?まさか、リンドウさんともヤったのか?」
「っ、てめっ!なんて事…」
 仲間を侮辱する下品な言い回しに、狼狽を打ち消して牙を剥くコウタを、しかし、センカは何事も無いかのように細い手で制した。
 その後は、誰の記憶にも鮮烈に残ったと思う。――――小鳥の如く愛らしい仕草で傾げた首に合わせ、ふんわり白い頬を滑る光を散らす銀色。何の表情も映さなかった白藍が妖艶に細く笑む、その様。潤う唇を淡く歪ませ、吐息を溶かして紡がれた言葉すら疼くほどの艶かしさを纏う。
 眼光だけは、冷えた炎の如く。

「卑しい人程、種を注ぎたがるんですね」

 大気が、軋んだ。薄氷が罅割れた音を聞くようなこの瞬間を、恐らくそう表現するのだろう。空調の音すら止まったような錯覚。全てを止めた広い空間に再び動きを齎したのは――男の方だった。
 反動の少ない素早い動きで距離を詰め、拳を振り被る。見開いた双眸が怒りに滾り、半ば血走るまでにぎらぎらとセンカを捉える様は逆上した獣のようだ。
 カン、と音を奏でた靴音がやけに軽やかに鼓膜に触れたのを感じたコウタが振り向くより早く、鈍い音と共に飛ばされた銀色がターミナルにぶつかり、そのまま床に崩れていく。落ち着いて見た時には、殴られた白い頬を赤黒く変色させたセンカがいつもの無表情を浮かべて虚空を見つめていた。
「セン…!」
「何をしている!!」
 突如、響いた硬い声音にエントランスにいた全員が肩を強張らせる。コウタに到っては、みるみる顔が青くなり、ついには震え出す始末。――――エレベーターの機械音を裂くヒールの音。長い黒髪。切れ長の双眸は鋭く、騒ぎの舞台を見渡す。
「ツ、ツバキ…教官…」
 雨宮ツバキ。フェンリル極東支部において教官の職を担う雨宮リンドウの実姉である。
 床に崩れたセンカの頬を一瞥し、次に握った拳をそのままにしていた男に移る、薄汚れた話題に上ったリンドウと同じ麹塵の瞳。聡い彼女にこれ以上の説明は不要だろう。
「…処分は各部隊長に任せる。各自、早急に報告をするように。……大森!お前は見ていたな?」
 ちらりと振り返って見やったのは、黒髪の男。
「あー…はい…」
 背後から返る男の声に瞬きで頷く。血の気の多い者が集まれば殴り合いの一つや二つはあるものだが、無論、規律を乱す事は別問題だ。エントランスが騒然とする程の騒ぎを起こした者を無罪放免にする訳にもいかない。
 鈍く痛む頭に気付かぬふりをしながら、溜め息交じりに指示を下すツバキは些か青褪めた顔でこちらを呆然と見てくるコウタを見下ろした。
「藤木コウタ。お前はリンドウにこの事態を報告しろ」
「え、お、俺、ですか…?」
 自分を指差して目を丸くする少年の傍らで頬を腫らした少年が緩く瞬く。今し方あっただろう騒動が幻想であったかのような、茫洋とした双眸。痛みが無い訳でも無いだろうに、彼は傷に手を添える事すら無い。
 彼女は再度、溜め息をついた。
 この少年は少しばかり特殊だ。公開されている個人情報に伏せられた部分が多い事もそうだが、そう、彼自身が至極、掴み辛い性格をしている。リンドウの報告では思考が本当に特殊――具体的に聞いたが、彼は兎に角それしか言わなかった――らしい。それ以外でツバキが分かっている事といえば、今、此処にいる藤木コウタと比較的親しいという事くらいだ。
 コウタが報告を偽る心配は無い。センカを殴り飛ばした男、小川シュンについては大森タツミが騒ぎの一部始終を見ていたようだから問題は無いだろう。残る問題は、コウタに促されて漸く立ち上がった銀色の、その腫れ上がった頬だ。
「烏羽センカ。お前は医務室で手当てをしてからリンドウのもとへ行け」
 この状態で報告になど行かせたなら、あの少々、人情に厚すぎる弟は腫れた白雪の肌を見た刹那に目を覆って凹んでしまうかもしれない。
 らしくなく、冗談めいた想像したツバキは、次の瞬間、何の抵抗も無く想像出来てしまった事に軽く絶望を覚えた。

 駄目だ。彼について報告してきた時のあの弟の顔を思い出すと、本当に有りそうで笑えない。



隊長と強襲兵曹長が話し合っている間の、一方、その頃、な新型さんの話。
小川さんとシュナイダーさんは嫌いではないですが、ソーマや第一部隊に対する発言がアレな傾向があるので、こんな扱いになりました。…というか、プレイした方なら「逃げるのが十八番の〜」のセリフはこの場面ではないのをご存知かと思いますが…話の流れ上、このタイミングでの発言になりました よ 。 間の悪い人万歳!(ぇ)
一応、いつか和解させるつもりではありますよ。ええ。予定ですが。

2010/10/25