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 あの日と違うのは、今度は共犯者がいる事だ。

砂塵の街に詐欺師が二人

 命令が下された瞬間の彼等の表情といえば、思ったよりも冷静なそれであったと思う。私情を挟まぬよう念を押したツバキも緊張の傍ら、常の通りの顔つきを保つ面々に一先ずは胸を撫で下ろしていたようにも見えた。――――全てが、常の通りだ。それが見た目だけなのは言うまでも無いが、それでも、目に見えて冷静を欠いていないだけ、ましなのだろう。
 吐息を砂塵に攫わせ、センカはあの日と同じ色に沈む茜の街並みを見渡した。
 相も変わらず広い空を染める色は燃える橙。天を舐める炎の如き苛烈な色で雲を焦がす。夢物語に浮かぶ綿菓子のようなそれを縁取る影が、そこだけやけに重みを感じさせて、まるでそこだけが現実であるかのようだ。同じ様は二度と作らぬと謳われる無限の天蓋の下、あまりにあの時の情景に似すぎた景色が胸の内まで翳らせる。憎らしい程あの時の色に酷似しているのは気紛れな世界のくだらない悪戯であろうか?朽ちた建物が纏う影の形から割れた硝子の反射の一つまで再現してみせる趣味の悪さには反吐が出そうだ。
 黄昏時の、討伐任務。「野獣の黄昏」とは、言い得て妙な題をつけたものである。或いは、悪趣味だと罵るべきか。一つ間違えば夕闇に沈む中での任務になりかねない作戦は内容の過酷さの割に杜撰な時間編成だと思う。討伐対象の徘徊予測時間を考慮に入れたとしても好ましい時間帯での任務ではない。
 黄昏に沈むのは獣か人か。笑えない叙事詩の一説のような展開を設えたのがシックザールであるのなら、この悪趣味さにも幾らか納得がいくものだが、他の誰かであるならば、それは単に美意識の何たるかを知らないだけなのだろう。
 銀髪に砂を孕ませる彼は抱えた神機を一撫でして抱え直しながら、珍しく辛辣な事を思う。苛立っているのかもしれない。既に聞こえている自分達以外のものの息遣いが張り詰めた神経を欠けた爪先で掻いている。不快だ。とても。
「…センカ?大丈夫?」
 迫り上がる嫌悪感に目を細めかけた刹那、サクヤの心配気な顔が景色に割り込み、センカは微かに肩を跳ねさせた。縮んだ気道を無理に通った空気が奇妙な音を立て、胸が冷える。
 咄嗟に浮かべるのは無理な無表情。
「問題、ありません。少し考え事をしていました」
 返してはみるものの、この状況で物思いに耽るなど不謹慎以外の何物でもない。ましてや、隊を統率する立場の者が任務中に他へ気をやるなどあってはならない事だ。崩れ行く世界の中、死は離れる事の叶わない影の如く傍にある。忘れてはいけない。集中しなければ。この任務は他の任務とは事情が違うのだ。
 小さく息をつき、瞬きを、一つ。繕いに気づいた筈の彼等は何も言わずに姿勢を正した。問いを飲み込む瞳を見返し、砂に乾いた花弁が開く。
「目的のディアウス・ピターの他、プリティヴィ・マータが徘徊しているのは事前の資料の通りです。彼等の合流が望ましくないのは既にご承知の事と思います。任務地が広いとはいえ合流しない可能性が無いとは言えません。万一の事を踏まえ、どちらかを先に討伐するのが望ましいでしょう」
「二手に分かれるんですね?」
 神妙な面持ちで自身の神機を握るアリサに、彼はゆったりと頷いて見せた。
 旧市街地は広い。しかし、その広さを十二分以上に活用し、動き回るのがアラガミだ。ある程度の巡回路は決まっているとはいえ、人の力では到底、通れぬ通路を使われてしまえば、再度、標的の捜索から始めねばならないのは確実。満身創痍で逃げ回る獣一匹を探すにはこの地は広すぎる。駆けずり回って体力を減らし、反対に隠れて体力を回復した獣に食い殺されては本末転倒である。加えて、今回の標的は一体ではない。ヴァジュラの上位種二体を相手にせねばならないのだ。ディアウス・ピターに至ってはリンドウすら屠って見せた禍神。吹雪の女帝を屠る片手間で相手に出来るようなものではない。
 そうであれば、先にどちらかを屠ってしまうのが「人間には」上策であろう。
 澄ます耳に引っ掛かる耳障りな地鳴りは朽ちた教会の裏から倉庫区へ向かっている。――――好ましくは、無い。あの場所では獣道を使われる可能性があるからだ。
 頬に砂を叩きつける風を密かに睨んだ白藍を瞬き、直後、彼は意識を切り替えた。
 好ましくは無い。大きく動かれる可能性も捨て切れない。逃げ回られれば苦戦は必死。だが、それは反対に「片方から目を逸らす」事が出来る絶好の機会だ。逃げる獲物を追う間ならば焦りが余計な思考を攫ってくれるだろう。その間にもう片方を建物の中にでも閉じ込めてしまえば良い。幸い、今の指揮官は自分だ。
 誰が編成をしたのか、出撃メンバーはサクヤ、アリサ、ソーマ、そしてセンカの四人。見回す顔は皆が皆、強張って見える。無理も無い。因縁の相手とも言える者との対峙で平静を保つ方が難しい。この中で問題なく動けるのはセンカ唯一人だ。ソーマはまだ平静を保つだろうが、それが、あの時のように「辛うじて」であるのは否めない。サクヤとアリサに至っては正面からディアウス・ピターに挑むのは無謀の一言。寧ろ、センカ以外があの黒い獣に一分も心揺らがず対峙するのは不可能だろう。ならば、「彼等は一纏めにしておいた方が安全」だ。
 倉庫区へ続く角を曲がった砂利を踏む音に一瞥をやり、冷えた声音が続く。僅かな視線の行き来に気付いたのはフードの下の海だ。何も言わぬまま、腕を組み直した彼の仕草に言外の咎めを認め、静かに目線を外したセンカの白藍は逃げるようにサクヤとアリサを捉えた。返るのは不安げな双眸。無理だ。思う。やはり彼女達はあの獣を屠れない。
「ソーマ先輩とアリサさんはサクヤ先輩について倉庫区方面の捜索をお願いします。遭遇した場合、そのまま強襲、討伐して下さい。僕は教会方面を捜索します」
 これ以上は、時間の浪費だ。頃合を計り、瞬きで絡もうとする視線を拒んだ銀色に異議の手が上がったのは必然であっただろう。橙の光を受ける頬を青褪めさせたサクヤが口を開け、声を上げるより早く、茜の空に褐色の手が億劫に上がる。
「ちょっと待て」
 低い声。ソーマだ。意図を気付かれているのには気付いていたが、こちらの事情を知られてしまっている手前、出来れば異議を唱えてきて欲しくはない相手だと思う。
 瞬時に身構えた白藍の双眸を見やり、ソーマは靡く白金を縫う鋭利な海原を細めた。
「合流の指示は出るんだろうな?」
「…え?」
 何を、言っているのだろう。口が開く。詰問されるか、単独行動を咎められるかを覚悟したというのに、飛び出したのは想像もしない問い。
 間抜けにも刹那、言葉を失ったセンカを凪いだ冬の海が射抜く。不思議と氷を打ち込まれたようでないのは、彼がそれを意図していないからだろうか。シックザールとは違う温度だ。ただ、純粋な人を案じる気配。まるで、人間を案じるかの、ような。
 もう一度、響く彼の声を、センカは信じられないものを見る心地で聞いた。大気を裂く明朗な声音が渡る。
「だから、合流の合図はあるのかと訊いてる」
 合流の、合図。それは、つまり、嗚呼、つまり。――――示すものに確かに意識を触れさせた白藍が、ゆっくりと見開いていく。渡る風に靡く銀髪は燐光を空へ散らし、白皙の頬には橙がかる薄い影。あの日と同じ色の世界と、あの日と同じ風の強さ。違う所があるとすれば、それはまだ場が混沌としていない事と、彼等の距離があの日よりも近くにある事だろう。そうして、あの日と変わらぬ砂埃のにおいに包まれて、あの日とは少しだけ違う問いを投げている。
 よもや自分がこのような問い掛けをされる日が来ようとは夢にも思わない。複雑な心境だと言ったなら、リンドウ辺りは、馬鹿な事を言うな、当たり前だろう、とでも言うだろうか?そんな身の程知らずな想像さえ出来てしまえるくらい、自分は欲を知ってしまったらしい。
 目を閉じる。呼吸一つを置き、再び、銀の睫毛をはためかせて斜陽を受けた白藍は茜の閃光を弾いて見せた。
 聞こえるのは風の音。獣の息遣いが、二つ。
「はい。必ず」
 揺ぎ無い声は何処まで彼に届いただろう。こうして、彼相手に全て言葉にして返すのは初めてかもしれない。思えば、彼といい、リンドウといい、この欠陥だらけの生き物の言葉をよく酌んでくれる。それは彼等の性質が成せる特技なのだろう。未だ、人間を理解できず、言葉にも長けているとは言い難い自分に手を伸べてくれるこの特技は、反面、だからこそ、この身の真実を知られた今でも彼等相手に警戒を解けない理由の最たるものであるのだけれど。
 思う意識の端で、沈黙を乾いた音で埋めた小石が回収地点から転げ落ちる。遠く響く微かな音。風に攫われ、遠く彼方。それを追ったか否か、続くように砂利を擦って歩み出したソーマの手が、擦れ違いざま、風に嬲られた銀の乱れ髪を手荒くかき回して過ぎていく。伝わる、人の温度。
「…そうか。ならいい。何かあったら呼べ」
「ちょっと……ソーマ!?」
「さっさと行くぞ。リーダー様のご命令だ」
 言って、戸惑いながら銀色と青いパーカーを見比べるサクヤとアリサを急かしながら崖から飛び降りた長身は大剣を携え、迷わず倉庫区方面へ歩を進めていく。追ってひらりと崖を飛び降りる彼女達の後ろ髪が、そのまま、気の表れのようだ。知ってか、余所見も出来ぬくらいには早い速度で歩む彼は彼女達に己の背を追わせる如く、砂塵を進む。
 どうやら、納得はして貰えたらしい。あえてサクヤ達が顔を顰める指示の通りに動いてくれるのは、二人を連れ回す役は追ってやるから用事は早く済ませろと、そういう事だ。無論、その用事がディアウス・ピターを屠る事であるのは彼も承知の上だろう。
 だからこそ、彼は言ったのだ。合流の合図はあるのか。皆と帰る意思はあるのか、と。
 前回は帰る意思が無かった。だから、合流の合図を出す必要も無かった。だが、今回は違う。これは「帰らねばならない任務」だ。
「……あまり、時間を掛けてはいられないな…」
 ソーマの時間稼ぎにも限界はある。彼がこのささやかな謀の共犯者を買って出てくれた恩に報いる為にも出来れば迅速、且つ、穏便に事を済ませたいものだが、そうも行かない事は目に見えている。何せ、今更、返してくれと言っても、目的の物は件の帝王の腹の中だ。言葉の通り、かの獣と腹を割る話をせねばならない。
 抱えた神機を撫で、見渡した旧市街地。あの日と同じ一面、降り注ぐ橙と、その閃光の影に沈む街に耳を澄ませば、覚えのあるもう一つの足音が教会内に響いている。
 記憶を辿っている訳でもあるまいに、良い所に入り込んでくれるものだ。教会内ならば瓦礫の隙間から覗き見られでもしない限り、プリティヴィ・マータを相手に立ち回るだろう彼等に気付かれる心配も無い。何より、再度、訪れてみたいと思う程度には好ましく思っていた光の園を汚してくれた礼をしてやりたいとも思っていた所だ。リンドウの欠片を返して貰うついでに少しばかり個人的な思いを叩きつけてみても良いかもしれない。
 些か不謹慎な事を思いながら、神機を抱え直す。
 かしゃり。鍔鳴り。天を舐める炎の色に煌く白藍がゆるりと睫毛を伏せ、直後、舞った銀の燐光が西日の闇に消えた。



野獣の黄昏で夕暮れの街再びの図。今度もソーマさんが共犯者ですが、前回と違うのはソーマさんが新型のやろうとしている事のほぼ全部を知っていて共犯者になっている、という箇所です。前回は知らなかったが故に許した失踪を今度は許さない為に新型本人に「帰還」を約束させて「帰って来ない」という選択肢を奪っています。新型の秘密を知っている人ならではというか…ソーマさんはちょっとレベルアップしました(何それ)
中身はもう作戦シーン以外の何物でもないのでこれ以上語れる事は無いんですが……なんというか、やっぱりこういう作戦シーンは楽しいですね。コールドダムゼルの時でもやったような、地形の特性だとかそれを見越しての人員の配置、振る舞いの予測を考察するのは書いてる方もわくわくします。もっとこういうのを書きたい!が、しかし、息が詰まる!!(えええええ)

2013/01/14