捕まってなど、やらない。
黒獣は白雪に触れるか
「コウタから大体、話は聞いた」
テーブルを挟んで佇むセンカと、ソファに身を沈めるリンドウ。処分を伺いにリンドウの部屋を訪れたセンカの頬を一瞥した男が切り出した話の、その第一声は重い溜め息交じりだった。
ツバキに報告を指示されたコウタとエレベーター内で別れたのは、センカがサカキ博士を驚かせる三十分前の事である。一通り興味深げにセンカから状況を聞きだし、満足したサカキに開放されたのが数分前。その間に、センカの前で悠々と煙草をふかす部隊長はコウタから事の次第を細かく聞いていたようだった。
ちくちくと、男の視線が白雪の左頬に、正確には、そこに貼られた痛々しいガーゼに突き刺さる。
「派手にやられたなぁ…ぶっ飛んでターミナルに頭まで打ったんだって?」
コウタはどこまで言ったのか。後半は余計だ。思いながら、センカは直立不動を保った。
「すみません」
「謝るくらいならガキでも出来るな」
アラガミは出来るかどうかわからんが。茶化して言う目が鋭い。怒りの気配が無いから、怒ってはいないのだろうが、何か不満があるのは確かだろう。
銀色から覗く淡い青が揺れる。
「聞いた限りでは、あっちが先に仕掛けたようだが…何も食って掛かる事はないだろう」
初めて聞いた時はあまりに意外な展開に再度、説明を頼んだくらいだ。
第一部隊の陰口を叩く奴がいない訳ではない。殺伐とした世を生きる中では、今回のシュンのようにこちらを挑発してくる類の輩も数えるのが面倒なくらいには、存在している。生き残る事を最優先にしながら、討伐数では群を抜く第一部隊に対する八つ当たりに似た妬みは尽きる事が無い。
しかし、そんなものを相手にするくらいならアラガミを一体でも多く屠っていた方が生産的だとリンドウは思っている。何より、万年人員不足のゴッドイーターがそんなくだらないやり取りをしているような暇は一秒たりとも無いのだ。
「…あーあー、別に怒ってる訳じゃあ無いからそんなに縮こまるな。こっちの話だ」
揺らめく湖面が密かにこちらを伺う気配を感じ、感覚が現実味を取り戻す。――――今、向き合うべきなのは情勢が生み出す感情ではなく、ささやかな存在感で佇む部下の方だ。
ソーマから話を聞いていた通り、エリックに関する事について目立って気落ちしているようにも、顔色が悪いようにも見えなかったが、だからこそ、平常心を保つ事に長けているらしい彼がシュンが仕掛けたという安い挑発に乗るとは思わなかった。
コウタ曰く、センカは「何事にも基本的に無関心で更に会話能力が壊滅的に低いだけ」らしい。正直、その表現もどうかと思うが、懸命にセンカの弁明をする彼の前で言える筈も無い。だが、無関心で無防備に見えて、その行動にはちゃんと意味があるのだ、と続けたコウタの言葉を隣で聞いていたソーマが些か呆れた顔をしながら、しかし、神妙に頷いていた所を見ると、今日の任務で思い当たる節があったのだろう。それについては、自分にも確かに思い当たるものがある。
あれは良く周りを「観察」している。ともすれば、冷徹な思考。――――まあ、その辺りはまた別の機会に考察するとして、今回の事件以上にリンドウの興味を誘ったのはコウタがセンカについて随分、理解している、という部分だ。
性格的に見れば正反対だろう彼等が、どうやら良い関係を築いているらしい、とはコウタと任務に出た事があるサクヤからそれとなく聞いた事があった。歳が近い者同士、気が合う箇所があるのかもしれない。勿論、隊長にとって隊員達が仲良くしているのは良い事だ。実に良い事だが、隊長であるはずの自分が隊員と仲良く出来ていないのは少々よろしくないのではないかとも思う。
要約して、自分だけが彼とまともに会話出来ていないのは至極、面白くない。今でも目の前で直立不動、無表情を保つ彼が全くもって面白くなくて仕方がないのだ。コウタにどう接しているのかは知らないが、少しくらい、そう、サクヤにしたくらいには会話可能な状態であって欲しいと思う。
それを考えれば、これは良い機会だ。好機だ。大チャンスだ。彼と向き合って接する事が出来る機会はほぼ無いと言って良い。相当、レアだ。アラガミで言うならグボロ・グボロ黄金。でもきっと防御力はどんな神機も敵わない。最強クラス。
開き直った彼は、ふぅ、と紫煙を吐いた。
「…そういや、お前とはゆっくり話した事が無かったな。とりあえず、そこ座れ」
笑うなら笑え。ガキっぽさ上等。この機会を逃す俺じゃない。
にやりと笑ったリンドウを些か訝しげに見返したセンカが入り口に程近い場所に座るのを認め、男は浮かべた笑みを穏やかなそれへと切り替える。
「おしゃべりは得意じゃないんだが…ま、それはお前にも言えた事だな。コウタが『センカは会話能力が壊滅的に低い』って言ってたぞ。俺もお前との初任務では驚かされたしな」
新たな煙草に火を着ければ、細く、天井を目指す紫煙。
「……不敬、だったでしょうか…」
「いや、驚いただけで、コウタの言葉を聞いたら納得した」
主語が足りないだけの話じゃないんだなぁ、お前は。からから笑いながら言うリンドウの麹塵が優しく細まるのを眺めるセンカの眉がきゅう、と寄せられる。――コウタは本当に、どこまで言ったのか。何だか余計な事…例えば、端末の使い方を知らなかったとか、ターミナルの使い方を知らなかったとか、そんな事まで言っていそうだ。
罰せられる為に来た上官の部屋である筈なのに、何故、こんな話になっているのか。柔らかい空気が、居心地の悪さを胸に生む。
これ以上、入ってこられたら、良くない。初任務で感じたものと同じ感覚だ。早く、この部屋から出なければ。
「…今回の、」
「んー?」
生返事と共に真っ直ぐこちらを向く視線から、彼は目を逸らした。
「今回の…件について、もっと、言葉を選ぶべきだったと思います」
空気が変わる。これは報告を聞く時のそれだ。上官と、部下の間の。これで良い。こうでなくては駄目だ。
今回の件についてセンカ自身、少しばかりやり過ぎたとは思っている。湧き上がった何かが噴出すように、その激しい流れに任せて言葉を選ばず吐き出した。一番、やってはいけない事で、初めての事だった。飛び掛ってきた男の目を見て、漸く我に返ったのだ。瞬時に「わるいことをした」と悟り、避ける事もせずに目を閉じたが、彼は殴り飛ばすぐらいでは満足しなかっただろう。それは、良くないと思う。罰は相応のものを然りと受けるべきだ。
ゆらり。紫煙が揺れる。
「…態々、その話題に引き戻す理由を、聞いても良いか?」
ついでに、視線を合わせない理由も問い詰めようとした自分を、リンドウは理性で引き止めた。
逃げられた。そう悟る。どうやら彼はこちらとあまり仕事以外の話をしたくないらしい。純粋な上下関係を求めている。しかし、だからと言って仕事に関して、こちらを頼る事は無い。結果的に、彼は明確な拒絶を表しているのだ。
人を惹きつけるその容姿から、声から、言葉から、矛盾する心の内。そういう意味では彼は非常に不幸だろう。孤独を望みながら、その存在そのものがそれを許さない。
伏せた長い睫毛が、僅かに震えた。
「……答えなくては、いけませんか?」
「黙秘権の行使は一度だけだ」
示すところは、見逃すのは今回だけ。
次はこんな事態に陥らないように気をつけなければならない、と自身に言い聞かせて瞼を閉じたセンカの行動は、それだけでその意味をリンドウに伝えたようだった。
ふぅ。気の抜けた息が部屋の煙をかき混ぜる。――――これでこの話は終わりだ。今日のところは。
「…わかった。今回だけだぞ?次は無いからな」
この鬼ごっこ染みた会話は存外、心躍る時間を齎してくれるが、次は逃げの選択肢など与えない。ぎらりと刹那、妖艶な光を帯びたリンドウの双眸は、獲物を見据える獣のそれに似ていたかもしれない。
「それじゃあ、ついでに今回の件についての処分を言い渡す」
本当はこっちが本題だが、リンドウにしてみればあっちが本題で、こっちはついでで十分だ。
頭を擡げかけた黒い感情をねじ伏せ、一度だけ唇を舐めて潤した彼は漸くゆっくりとこちらを見てくれた白藍に殊更、優しく微笑んで見せた。
「コウタと二人でちょっくら任務に行って来い」
可哀想に。今度は逃げられない。
この長編の鬼門、リンドウさんと新型さんのツーショット。この二人が絡むと楽しい反面、どうしたらいいのか分からない部分もあるので中々難しかったりしますが…結果的にはいつも大人気無いリンドウさんが発動して不憫な感じに納まってしまいますね(笑)今回も新型さんの逃げ勝ちです。
職については、リンドウさんは結構、現実的だと思うのでごちゃごちゃ言うくらいなら一匹くらい屠ってた方が生産的、くらいに思っていそうです。なので、陰口なんか気にしない。でも、内心はきっと新型さんが怒ってくれて狂喜乱舞してると思います(…)
で。新型さんは相変わらず、リンドウさん警戒中。
2010/10/25 |