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 眺める写真の男が現実に現れる事はもう無い。彼女は漸く得た一つの結論に息をつき、けれど、直に顔を引き締めた。
「…リンドウ…流石にこれ以上は、巻き込めないよね…」
 知り過ぎれば殺される。それは彼自身が身をもって証明した。今此処で引き返すならば、顔を顰められる程度で済むだろう。だが、それで己が納得するかといえば、答えは圧倒的否だ。自分とて、それ程大人しくは出来ていない。
 景気付けのビール缶を煽り、サクヤは過去の絵に残る男に向き合う。瞳は苛烈。烈火の炎。
「安心して。センカは私が守るわ」

飛ぶ鳥、高く、冬の空

 夜分遅くに帰還したとして、それを咎める者など居はしない。精々、遅かったな、と言われるくらいのものである。その言葉さえ、外出の帰還の遅さを言うものではなく、任務遂行の早さを指しているのだから、そもそも人知れず支部を抜け出し、人知れず戻ってくるセンカを咎める者など居よう筈もない。こうして幾度と無く抜け出している事にも、一部を除き、誰一人気付いていないだろう。気付けるような通路を辿っている訳でもないのだ。
 センカが通る道は決して通過に易くはない。エントランスから堂々と出る事をしない彼の辿る道は、人の手が易々入らぬ地下道。人外の獣が蔓延り、肌を焼く熱気に悶える、溶岩の懐、煉獄の地下街である。外界から支部の地下に繋がり、任務地にもなる溶岩地帯を単独で潜り抜け、地上と支部を行き来していると知れた時にはリンドウですら、卒倒しかけたものだ。その後、効率性を語る事も許されずにしこたま怒られたのは記憶に新しい。センカにしてみれば、見つかる可能性が極めて低く、且つ、時間短縮に優れた良い通路だと思うのだが、彼には理解されなかったようだ。全く、人間とは些か面倒な生き物である。
 その、リンドウの嘘を知ったのが、つい先程の事だ。衝撃は大きい。けれど、今はそれ程動揺してはいなかった。――――思い出す、心音。彼の人の温度。佇んだベテラン区画の廊下で、彼は白藍を閉じる。
 信じたと、言っていた。好きになってしまったから、信じた、と。愚かな。そう思う。彼がそんなに愚かな人だと、性格的に勘付いていたとはいえ、本気では思いもしなかった。だというのに、失望の欠片もしていないのは、何故だろうか。
「あっ、センカさん!何処行ってたんですか!探したんですよ!?」
 突如、意識に割り込んだ高い声音に僅かに跳ねた肩を押さえ、振り向けば、何処を走ってきたのか、息を切らせたアリサが銀髪を乱しながら駆けて来るのが見えて、センカは密かに握った拳を緩めた。
 何の、用だろう。リンドウのディスクの確認は既に終わった筈。もう用があるとは思えない。
 目前で足を止め、慣性の法則に従って僅かに前のめりになった身体を戻した彼女の冬空が銀色を少しばかり怒った様子で捉える。
「?…何か、あったのですか?」
「何かあったのかって…もうっ。…部屋にもいないから、てっきりリンドウさんの後を追っちゃったんじゃないかって冷や冷やしましたよ!」
 あまりに通常通り過ぎるぼんやりさにアリサの長くは無い導火線が火を噴きそうになるが、そこはセンカの鉄面皮を知る者の一人。これしきの事で拳を震わせては血管がいくら丈夫でも持ちはしない。ぎりぎり奥歯を噛んで一息ついて、彼女は怒った肩の強張りを解いた。
 平常に、見える。誰が、など言うまでも無い。センカだ。サクヤの部屋を飛び出す直前の、あの動揺が嘘のような顔をしている。まるであの時の事が夢であったかのようだ。全くの、自然体。衝撃を和らげるには短い時間で此処まで立ち直る事が出来る人間はそう多くは無いだろう。リンドウの件についてはまだ顔に苦痛を浮かべる者も多い。その中で、渦中の一人でありながら、逸早く自力で立ち上がり、歩みだした彼はともすれば、冷酷ですらあった。
 たった一人を世界との天秤にかけない完璧な職業主義。命令を至上とする彼には私情を挟むという危惧をする方が無駄であるのは周知の事実である。故に、ツバキも野獣の黄昏に異存無く彼を抜擢したのだろうが、目に見える姿と、心に潜むものは別のものだ。アリサ自身、長年、己の心的障害に翻弄され続けた過去がある。長い時を経ても一向に癒えぬ傷に悶え、自ら傷を抉る日々を、忘れはしない。それを考えれば、確かに、サクヤの言う通り、これ以上、彼を巻き込むべきではないのだろう。――――彼も、確かにリンドウを失って悲しんでいるのだ。他の、誰よりも。
 思えば、出会った当初から彼は変わらない。初めて共に出撃し、重傷を負った日も、機械のような無機的な言葉を紡ぎながら、寂しさに項垂れる兎のようにぽつんと蛍光灯に照らされていた。
 今も、同じだ。彼は今も、ぽつんと一人で蛍光灯に照らされている。
「…サクヤさんから、伝言です…」
 ぼんやり安い蛍光灯の光を浴び、朧の銀光を纏う彼の姿は、今でも不思議で、綺麗で、無機的で。でも、その心が無機物では有り得ない、とても繊細なものである事を、アリサは知っている。リンドウの言葉を理解しようとして、けれど出来なくて、悲しく思うような、そんな優しい心であると、知っている。そして、皆が傷つかない為に自らが贄に出される事を甘んじて受けるような人であるとも、知っているのだ。――――サクヤは正しい。少なくとも、彼は、もう関わるべきではない。だって、もう十分、傷ついたのだ。ぼろぼろで、隣には誰もいなくて、それでも、荒野に独り、立ち続けている人を無理に歩かせる必要は無い。
 拳を握り締め、俯きかけた顔を上げる。見詰める白藍は変わらぬまま。吸った息は重かった。
「忘れてくれって。これ以上、危険に足を踏み入れる事はリンドウさんも望まないだろう、って…言ってました」
 それは、労わりであろうか。或いは、騎士然とした守護であろうか。どちらともつかない言葉は、ただ一つ、彼を関わらせないという一点にだけ、共感できる。
 最後の最期まで仲間を案じ続けたリンドウだ。自分の遺した物で仲間が死ぬような事は最も避けたいものだろう。死地へ行かせようなどという思いも無いに違いない。ただ、警戒をしろ、と。知っておいて欲しいと。それだけの事だったのかもしれない。だが、知っていて、見ぬふりを出来る程、自分達は無責任にはなれないとも知っている筈だ。
 だから、あのディスクには「プログラムが残っている」。サクヤも、その意図には気付いているだろう。だからこそ、解せない。見逃せない。
「…サクヤさんの言う事も、理解出来ない訳じゃありません。でも…私、納得出来ないんです。あんな風に諦めるなんて、サクヤさんらしくないですよ…。それに、もうサクヤさんだけの問題じゃないんです。このまま見て見ぬふりなんて出来ません!」
 張り上がりそうな声を、彼女は必死に抑えた。
「だから、私一人でも探ってみるつもりです」
 これは明らかに人類全体に関わる大変な謀だ。見逃すなど出来はしない。出来る筈も無い。何より、リンドウの無念の原因となった自分が出来る償いは、せめて、この事件の真相を明らかにし、彼の望んだ未来に少しでも近付くように振舞う事だけなのだ。数少ない自分に出来る事。それをしない道理は何処にもない。
 自分が何に関わっていたのか、関わる事を知らず強要されていたのか。それも、自分には知る権利がある。状況から、己の主治医であるオオグルマが関わっている事は明らかだ。探し出し、事の次第を問いたださねばなるまい。もっとも、生きていれば、の話であるのは言うまでもないが。
 惑いを振り切る、明朗な響きを途切らせる事無く、一息に放ったアリサを眺め、センカはゆるりと睫毛から燐光を撒いた。俯いた視線が虚空を彷徨い、やがて眼前の冬空へと戻る。
「僕は、手を引かねばなりません」
 空間を裂く、控えめな、小さな声は静けさだけがある廊下には過ぎる程の大きさで。言葉の先を読んだ彼女はほんの少しだけ残念そうに、はい、と返して先を促した。
 聞こえる、何処かの鈍い機械音。
「隊長職を戴くからには、相応の監視がついているでしょう。僕が動けば、皆さんに影響を及ぼしかねません」
 実際、シックザールは隊長とはいえ、一隊員には過ぎる程の監視を己に対して敷いていると、センカは自覚している。自負でも自慢でもない、事実であるそれは一重に此処最近の行動の所為だろう。
 支部を抜け出し、短い時間とはいえ、どこぞへ雲隠れする行為は以前からしていた奇行とはいえ、今、行うには些か時期も具合も悪いものだ。何処へ行っていたのかまで訊かれた事はまだ無いが、過ぎればいずれ訊いて来るのは目に見えている。それが、シックザールが先なのか、はたまた、サカキが先なのかは、彼等のいたちごっこの進行具合に寄るのだろう。まだ放任されているが、それも時間の問題。そろそろシックザール辺りが行動の制限を掛けてきてもおかしくは無い。計画の遅れと忍ぶ攻防が彼をいらつかせているのは明らかだ。
 シックザールの命に逆らえない己が貸せる手といえば、このまま動かず、常のように振る舞い、少しでも自分が第一部隊に刃を向けるまでの時間を稼ぐ事だろう。
「だから、お力には…なれません」
 本意ではない。とは、言えない。それはシックザールへの完璧な裏切りだ。
 噤んだ唇。綻ぶ花が萎れ行くような細い声音が消えて行く。返す少女は鋼の如く。煌く瞳は炎を秘めた冬の空。

「ええ、分かっています」

 そうして彼女は凛々しく笑った。


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アリサさん、水面下の行動続行を新型さんに自己申請する、の巻。
ゲーム中の感じだとサクヤさんの行動というのはバレバレだと思うので、寧ろ、よくぞエイジス潜入まで支部長が放っておいてくれたな、みたいな。多分、そこの所をアリサさんが密かにフォローしてたんじゃないかとか密かに思っています。どっちにしてもこの二人、隠密行動には全く向かない(真顔)
対する新型さんは現時点では支部長側寄りなので…というか支部長が放してくれないので(←誤解を生む発言)、言外に何かを滲ませつつ協力はお断り。
勿論、アリサさんはそんな裏事情など知る由もないので「よしっ、手を引いてくれるなら今度は守れるぞっ!」と一安心&意気込んでおります。

時期的にはそろそろ空母でドボンの時期です。

2013/05/23