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 私は王子様になりたい。

仮初王子と瞑目狼

 信じられるか否か、答えは決まり切っている。否だ。それ以外には無い。だというのに、己の中にある本能は確かに彼を男性ではないと知っている。…滑稽な話だ。非常識で、非現実的極まりない。頭でわかっていながら、なんという事か、その非常識さすら自分は受け入れている節がある。
 思えば、烏羽センカという生き物に対する違和感というものは大分以前からあった。それが何に対する違和感であったのかは当時、定かではなかったものの、センカをあえて「彼」と表現する事に多少の気持の悪さがあった事は事実だ。「彼」というにはおかしく、されど、見た目からして「彼女」ではない。曖昧な感覚を強いて言葉として表すならばそんな所だろう。その違和感の正体が、よもや、彼の受胎可能な身体に対しての本能的違和感であったとは思いもしなかったが。
 未だに馬鹿馬鹿しいと思う一方で、ソーマは、こういう事に関してサカキが決して嘘をつかない事を知っていた。
 以前、サカキがセンカに対して嘘をつかないと表現していたように、サカキ自身もくだらない嘘をつくような暇で馬鹿げた人種ではない。養子と同じ、「知っていて口には出さない」類の人種だ。訊けば答える癖に、訊かねば答えない。何故、言わなかったのかと問い詰めれば、訊かれなかったからと答える始末。全く、厄介な事この上ない親子である。
 はあ。落ちる、溜息。考えても仕方の無い事だ。事実は事実。覆る事は万に一つも無い。センカが生物学的に少々特異な性質を持っているというだけの話だろう。自分も生い立ちを振り返れば大して変わりない。無理矢理、そう胸中でごちて、フードを被り直そうとした彼はふと、廊下の先からやってくるヒールの甲高い音に意識を奪われた。同時、こちらに気づいたらしい向こうの足音も止まる。
 揺れる黒髪。携えた長い銃身。硬い床を叩くハイヒール。サクヤだ。
「ソーマ…?」
 響いた女の声色が僅かに揺れていて、片眉を跳ね上げたソーマは奇妙な違和感にフードの下で目を細めた。――――動揺、している。明らかだ。何事も無いように振舞おうとして、出端から挫けた証拠のように、にこやかに対峙しようとした頬が強張っている。まずい。そんな表情。しかし、互いに闊歩する此処はベテラン区画の廊下だ。同じベテラン区画の住人である彼女がいて何らおかしい場所ではない。何をそんなに動揺し、又、それを隠す必要があるというのか。
 任務か。思い、彼は直にそれを否定した。
 昏睡状態のセンカが帰投した混乱も冷め遣らぬ内にサカキから送られた、シオ捜索の命を下す秘密裏のメールが彼女にも届いている筈だが、一瞥する彼女の装いは単なる捜索というには少々、物々しいようにも思える。神機を携え、装いは宛ら出撃直前。いつもより多少、膨れた腰のポーチも討伐任務の準備をする時のそれより重みを増しているようだ。予備を持ち込むにもこれは過ぎるだろう。一体、何を狩りに行くのか疑えと言わんばかりである。
 居心地悪げに身動ぎしたサクヤがぎこちなく笑う様を眺めて、ソーマは行く手を阻む意を示すように腕を組んだ。
「何処へ行く」
 単刀直入。飛び上がったのは細い肩。まさか馬鹿正直に支部長の命に従う訳でもなかろうに。虚を突かれた女の笑顔が刹那、凍る。視線を逸らし、朱色が虚空を彷徨い、少し。沈黙はそう長くは無かった。
「ん、と…リンドウの墓参りとか、かな…?」
 しらじらしさも此処まで来ると漫才に近いかもしれない。赤い唇が歯切れ悪く紡いだ、返す言葉も無い程胡散臭い疑問系が明らかな嘘であると、誰が見抜けずにいられただろう。此処まで下手な嘘もそうそうあるまい。目線は他所の天井隅、唇は少し窄んで口笛を吹くかのよう。浮かべた微笑は引き釣り気味。意識はへっぴり腰の逃亡姿勢だ。リンドウに次いで大人の気配を纏う彼女がこんなにもわざとらしい大根芝居を演じるとは、最早、嘲りすらも浮かばない。
 思わず半眼になる青年に気まずさを覚えたのか、うーん、と一つ唸った彼女は頬を掻いて今度は力無く笑って見せた。
 ごつり、床に下ろされた彼女愛用のステラスウォームが重くモルタルに影を落とす。
「…やっぱり、ばれちゃう?」
「大根も良い所だな」
 寧ろ、大根に失礼だ。低い声が続けた直後、冗談の通じない、どちらかといえば任務以外では真面目一辺倒な青年の珍しい表現に噴出したのは朱色だ。まさか、こんな状況でこんな冗談が言える人種だとは思いもしない。初耳も初耳。天地がひっくり返ってもおかしくない。
 詰問されている場面にはおおよそ似合わない楽しげな声でけらけらと一頻り笑ったサクヤは目尻の涙を拭いながら、苦しげに息をしながら思う。――――彼は気付いているのだろう。自分が、今から何をしようとしているのか。少なくとも、このまま大人しくシオの捜索に加わるのでは無いという事くらいは気付いている筈だ。そして、気付いていて、どうするべきか見極めようとしている。だからこそ、此処で見てみぬふりをしなかった。いつかのコウタのように、返答次第で行く手を阻もうとしている。彼を説き伏せなければこの先へは進ませてくれないだろう。
 己の身体に凭れさせた神機を一撫でして、彼女は長い瞬きに目を伏せた。
「…あーあ。ちょっと急用が入っちゃってシオを探しに行けないんだ、なんて…練習しても上手く出てこないものね。いざ、貴方を前にしたら台詞がぶっ飛んじゃったわ」
 全く情け無い事この上ないと思う。生き恥もいい所だ。準備をしながらあらゆる場面を想定し、幾度と無く言い訳の台詞を唱えたというのに、うっかり遭遇してしまったソーマの顔を見た瞬間、思考が凍ってしまった。咄嗟に出た台詞も仕草も三文以下。大根といわれても、返す言葉が無い。
 けれど、此処で引き下がれるような緩い覚悟でこの先の道を行く訳ではないのだ。きゅ、と引き結んだ赤い唇が煌く。
「…まだ土の中で良いと思ってくれない?」
「掘り起こすかどうかはアンタ次第だ」
 つまりは、理由を述べろ、と。やはりそうそう簡単には見逃してはくれないらしい。当然だろう。そもそも、支部への出入りは勿論、外出の際の行き先まで管理されている神機使いが勝手に支部を抜け出す事自体が既に規則違反だ。此処で見逃せば、ソーマ自身も共謀した事になってしまう。密かに人情に厚い彼であれ、その責を負って貰える程、今の自分達の絆が深いかといえば、悲しいながら、完璧に是とは言い難い。
 フェンリルの規則云々を抜きにしたとしても、現時点での戦力の低下は良しとする所ではないだろう。
 結論から言えば、此処で見逃して貰える可能性は非常に低い。だが、望みが無いかといえば――――それもまた否ではないかとサクヤは思うのだ。
 彼は「アンタ次第だ」と言った。躊躇いも無く、はっきりと。明確に。つまり、正当な理由があれば、ひいては、彼個人が納得出来る理由があれば見逃して貰えるという事だ。この場合、綺麗事ばかりを並べ立てた嘘が通用しないのは言うまでも無い。くだらない嘘や偽善は彼の最も嫌悪するものだ。しかし、その一方で、欺瞞を嫌う彼が真摯な思いに応える優しさを持っている事も、短くは無い付き合いで自分は理解しているのだ。それが如何に手前勝手なものであったとしても、それが己の信念と望みに基づくものであるならば、歯噛みしながら見逃してくれる優しさを、ソーマという青年は確かに持っている。
 目を閉じ、息を吸い、また神機を一撫で。じりり、と何処かで漏電の音が響き、徐に。
「ねえ、ソーマ。私ね、王子様になりたかったのよ」
 さらりと紡がれた存外、明るい声音に僅かにソーマの肩が動く。
 微かな変化を認めて、気恥ずかしそうに笑った女は、もう一度、王子様になりたかったの、と続けてから、何かを思い描くように目を閉じた。浮かべるのは、穏やかな微笑。
「笑っちゃうでしょ?誰かに助けて貰うお姫様じゃなくて、誰かを助ける王子様になりたかったの」
 始めのそれはツバキやリンドウの影響だったかもしれない。自分より先に神機使いとして戦場に出て行った二人の幼馴染。弱い者を背に守りながら、巨大な獣を相手に勇敢に戦う彼等は確かにサクヤの誇りだった。背中を眺め、見送り、置いてかれる寂しさに少しだけ視界を滲ませ、不安にもがきながら、いつか自分も隣に立ってやる、と意気込んで、漸く相棒と巡り合った二年前。嬉しくて、とても怖くて、そして、とても誇らしかった。リンドウと同じ第一部隊に配属された時も力を認められた事がとても嬉しくて、何より、目標とした幼馴染達と同じ舞台に立てる事が嬉しくて、だから、彼等と守っていけると思っていた。自分は誰かを守るヒーローになれるのだと。
 日々の中で強まっていくその思いが明確に形を持ったのは、多分、あの日、配属されたばかりの綺麗な銀色を一目見た瞬間であったと思う。
 リンドウとの初任務に赴く直前の、あの日のセンカ。真新しい大きめの制服に身を包み、袖からちょこりと出た白魚の指先でしっかり大事そうに神機を抱えて立っていた、あの今にも消えそうな朧げな光。それは今まで見てきた砂と埃と鋼鉄の世界の中で酷く輝いて見えて、見た瞬間、近付かずにはいられなかった。リンドウが自己紹介をしている間に割って入ったのも衝動的だったと思う。早く声を聞いてみたかったのだ。どんな声をしているのか、どんな仕草で世界を見詰めるのか、どんな風を纏って歩くのか。結局、その時の彼は小首を傾げるばかりで、微かな声の一つも聞けなかったけれど、白藍の目に自分が映った瞬間、どうしても守らなければいけないと、まるで、守るべき主君を見つけた騎士のように自覚した。儚過ぎて直にも潰されてしまいそうな彼を、どうしても、この手で守りたいと思った。今思えば、リンドウが己の恋心を自覚する前から、彼をとても大切なものとして見ていたのかもしれない。
 だから。だから、だ。どうしても、知っていて、動かない事など出来よう筈も無かった。
「センカが帰って来たのに、傷つくあの子を受け止めて、守れる人が…リンドウがもういない。あの子の王子様がいなくなっちゃった。それなら、置いていかれてしまったあの子は誰が守るの?十分、傷ついて、今も傷つき続けてるのに、何か…得体の知れないものがまだあの子を傷つけようとしてる。そう思ったら、どうしてもじっとしてなんていられなかったの。…私はあの子を守りたい。傷つけさせなんてしない。だけど、だからといって私の身勝手な我侭に貴方達まで巻き込める程、非情にも無責任にもなれない。仲間は大切だ、って散々貴方に言ってる私がこんな勝手な事をするのは矛盾してるって分かってるわ。見逃して欲しいなんて虫のいい話だっていうのも重々承知よ。でも、私はこれを諦める訳にはいかないの」
 だって、私は王子様になりたいから。滔々と身勝手さを吐露しながら、けれど、直線的な朱色の視線は一分も揺らがない。
 絡む視線をどちらも外さぬまま、青いフードが軽く揺れる。
「………アイツの事を、どこまで知ってる」
 問う彼に、女は黒髪を散らして返した。ふわり、翻る、鴉の羽。
「…何も知らないわ。本当よ。シオがいなくなった時、おかしくなったあの子を見てぞっとしただけ。初めて見る様子に驚いたし、疑問を持ったのも本当だけど、そんな事はどうでもいいの。それ以上にあの子からリンドウを奪うだけじゃ飽き足らず、必死に乗り越えようともがいてるあの子までどうにかしようなんて奴が許せなかった。許すつもりも無いわ」
 語調を強めながら、あえて、誰を、と言わないのは双方が同じ人物を思い描いていると互いに理解しているからだ。今更、この場で悪趣味な台本を書く脚本家の名を出す程、野暮でも愚かでもない。
 以前、アリサを「支部の上層部が関与している」と言って窘めたが、エイジスを私物化している以上、その提唱者が真相の中心人物である事は疑い様の無い事実である。この極東支部で実権を握り、且つ、エイジス計画の提唱者である人物といえばたった一人だ。あの頃にはまだ薄い夜の帳のようだった仄暗い疑念も、先に発令された特異点捜索の命で完全な漆黒へと変わり、今となってはもう自分が引き下がる理由は何処にもない。あの男は決して手を出してはならない大切なものに手を出したのだ。許す訳には、いかない。
 目指す場所はエイジス。リンドウのディスクが導く全ての終着点。
「どいて」
 これ以上、大事な銀色を傷つけさせる訳にはいかない。許し難い蛮行を見逃すのも此処までだ。唸りを上げる獣の如く低く放つサクヤの銃口が天井から僅かに傾く。これで道を開けなければ武力に打って出る意思表示だろう。まだ冷えたままの鋼鉄の筒。揺るがない意思の表れ。数センチずらしただけの銃口がサクヤの頭上から、ソーマの頭上へと狙いを変えている。
 此処でサクヤを見逃したとして、彼女が無事でいられる保障は皆無だ。寧ろ、闇に葬られる可能性の方が遥かに高い。実父の性格を良く知るソーマにすれば、あの男が不安要素を野放しにしておくなどとは甚だ考え難く、彼女のこの行動もあの男の計画の内か、或いは、起こりうる事態の一つなのであろうとも容易く想像がつく。詰まる所、サクヤが此処で打って出る事はシックザールの思惑の範疇を出る事の無い、予定調和であり、ただの犬死に他ならない。
 全く、愚かな話である。彼女は彼女の守りたいセンカが許さなかった事を尚もやろうとしているのだ。
 真っ直ぐに見据えてくる彼女は分かっているだろうか?勝ち目の無い戦。負けの見える出来レース。いかさまだらけの糞ゲーム。この状況で吐く罵詈雑言など考えるまでも無く沸いて出てくる。如何に外せぬ用があろうと、死地に挑むなど狂気の沙汰。守りたいものは手の届く場所にあるというのに、屍を掘ってまで何を得ようと言うのか。安全か、安心か。それとも、永劫の盾か。どれにしても命を賭けるまでのものなのか。分からない。サカキがセンカを匿い、診ている事にも気付いている筈だ。否、守護対象が絶対安全な領域で守られているからこそ今動くのか。そうだとしても、到底、理解出来ない。思いながら、けれど、何処かで理解している。混乱と我欲ばかりが先立ったあの日の任務とは、明らかに違うと。
 目を閉じ、開き、こつり。床を打つ、ブーツの硬質な音。ソーマの身体が揺れ、青いパーカーが――――壁に、背を預けた。
「…ソーマ…」
 突如、開けた廊下の先を茫然と眺めた女の唇が小さく紡ぐ。
 そうであればと、願ったのは事実だった。だが、こうもあっさりと道を明け渡すとは思いもしなかった。夢か、現か、迷い、進む、少し大きめの、一歩。二歩。三歩。静かに佇む彼と位置を並べて、漸く、夢ではない事を知る。――――嗚呼、こんな事が、あるのだ。団結しているように見えて、実は少しの纏まりも無かった自分達の間に、こんな、事が。
 夢ではない。幻でもない。通じた。道を開けてくれた。行かせてくれる。守る為に。身勝手な思いを叶えてくれる。
 沁みた目頭に急いた呼吸をしたサクヤの耳に響くのは、破砕を免れた天井の蛍光灯を何気無いふりで眺める青年の低い声。
「大根はまだ土の中がいいんだろ?早く行け。食われるなよ」
 曰く、見ないふりをしてやるから死ぬな。納得なんかきっとしていない癖に、らしくも無く冗談めかした言葉で送り出そうとするソーマにまた一つ、サクヤは鼻をすすった。
 今ので二度目だ。この、無愛想で実は堅物なくらいに真面目で、優しさを悟られたくない照れ屋な青年がこんな状況でこんな事を言うなんて誰が想像するだろう。リンドウがいたら、お前も人並みに冗談が言えるようになったか、と喜んで、センカがいたなら、きっと少し目を丸めて驚いに違いない。そうして、驚くばかりのアリサとコウタと、自分もからかいの輪に加わって、賑やかな一日が過ぎて行く。そんな日々を、出来れば、それに近い日々を、取り戻したい。
 そうだ。だから、私は、王子様になりたいのだ。
 言葉も無く、ただ出来損ないの笑顔を浮かべて強く頷いた彼女がヒールの音を引き連れて勇ましく過ぎていくのを横目で見送った青年は、靴音が消えた頃、漸く、肺に堪った鉛を長く吐き出した。ぎりり、握る拳が震え、口端に鈍く牙が光る。
 鬱陶しい囀りでメールの着信を告げる端末の音を聞きながら、呟いたのは、一言。
 嗚呼、くそったれ。


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当家の女性陣は男前を目指しております。
という訳で当家のサクヤ姐さんは王子様になりたい人です。ゲーム序盤の姐さん具合を基にしている当家なので男前度がココになって急上昇。「うちの子に何すんのよ、ゴルァ!」と相手のお家に殴りこみに行くモンス…ごほんっ。王子様になりました。
新型が不在なので代わってストーリー進行を担うのがソーマさんなので、とばっちり半端ない感じですが、これもソーマさんの味の一つだと思います。ええ。わりと本気で(笑)
内容に原作のフリー会話の言葉を混ぜ込んでいますが…アレルギー出ないといいなぁ。出やすくなる内容にはしていないつもりですが…うむむ。

今後もサクヤ姐さんは新型の王子様!(…ぇ?)

2013/12/31