勇者の剣は必要無い。仲間を救う両手があればいい。
希望の裏側
暗い。見えない。けれど、怖くは無い。鋼鉄の通路を半ば摺り足で進むサクヤは溜め息を吐かぬ様、きつく、息を詰める。汗ばむ手は初陣の時のように硬直して、踏み込んだ時から引き金に指を引っ掛けたままだ。
ごくり。冷気が撫でる肌が僅かに粟立つ。薄闇に薄らと見えるのは剥き出しの鉄の柱。光は見えない。
計画通り、リンドウのプログラムとリッカの手助けで忍び込んだエイジスの有様といったら、最先端からはかけ離れた、まるで工事が進んでいるとは思えない廃墟の如くであるように見えた。垂れ下がった電気ケーブル、千切れたワイヤー、おざなりに被せられた布、禍々しく重い鉄柱の群れに、金網の床。建築の知識がそれ程ある訳ではないサクヤですら完成からは程遠いと思えるのだから、確かだろう。点在する灯りさえ埃を被り、使用されているかも定かではない。潜り込んだその時はあまりの有様に開いた口が塞がらなかった程だ。――――これが、エイジス。人類の希望。この、穴だらけのがらんどうの代物が。絶海の孤島に浮かぶ希望がよもや打ち捨てられた世界のジオラマのようだとは誰も思うまい。それに少しだけ絶望したのも確かだ。
じりり。ヒールを滑らせて進む先に何があるのか。細めた目で先を見据えても、まだ音を飲む闇が続いている。噛み締める唇。強張る肩。静かに神機を持ち直す手。
ソーマには何とか見逃して貰って来たが、そろそろアリサが不在に気付く頃だろうか。支部中に訊き回っているかもしれない。そうなれば、リッカ辺りから洩れるだろう。出来ればソーマに止めて欲しい。メールは送っておいたものの、彼がそこまで面倒を見てくれるかどうかは実際、不明だ。密かに厚い彼の人情に賭けるしかない。彼とて、これ以上の戦力の低下は望ましくない筈だと思い、同時に、出来れば、どうか、これ以上、誰も巻き込まないでいたいと、そう胸中で願う。無論、それが他力本願の自分勝手な望みであるのは承知の上だが。
いくつ目かの扉を開け、飛び込むと同時に素早く廊下の壁に背をつけ、身を屈める。――――大丈夫だ。誰もいない。誰もいないが、誰かを排する為の仕掛けが、警戒が途切れる隙間を絶え間なく狙っている。気付いたのは忍び込んで暫くしてからだ。人気の無い施設内がそうと見えるだけなのだと、低く唸る機械の音に気付かされた。監視カメラに始まり、認証システムを利用した扉の数々、侵入者狙撃用のセーフガード…警備システムまで。現代技術の粋を集めたエイジスは要塞のようだ。否。実際にこれは要塞なのだろう。アーク計画を安全に遂行し、守る為の強固な要塞だ。
「…流石に警備が厳重ね…そろそろ中心地の筈だけど…」
吐息にまじえて呟く筈の声もサクヤには大きく聞こえる。全てを無音の闇へ引き込むような薄暗い中では己の感覚と微かに鼓膜に触れる音の反響だけが頼りだ。凝らしても見えない道の先。両側の圧迫感が消えた気配がする。…開けているのだろうか。細める瞳。駄目だ。見えない。
「視界が悪い…」
神経を研ぎ澄ませてはいるものの、多方向からの奇襲でも掛けられてしまえば抵抗もままならないかもしれない。背後から、上空から、正面、側面から。予想される攻撃方向は実に百八十度。常に最悪を想像しておかねばならないとはいえ、探る手に触れる壁すらない空間に焦燥と不安が覚悟を決めた胸を侵食していく。
せめて、壁が、空間の広さを示す何かが見えれば。低く唸り、唇を噛んだ彼女はふと感じた生物の気配に天井を見上げ――――そこに見えたものに思わず銃口を下ろした。
「これ…は…!?」
紅が彩る唇が呆然と忍ぶ事を忘れて紡ぐ程に、そこに薄らと見えた「何か」は奇妙なものだった。
歪な球体。否、蛹だろうか。闇に縁取られたそれが身を縮めて羽化を待つ蝶の如く楕円の球形を形作り、天井に張り付いている。暗さに慣れた目がうねる溶岩の如き様を見せる表皮を認識し始め――――だから、聴覚を研ぎ澄ませていた筈の彼女は照準を定める音に気付けなかった。
遅れて認識した、消音機を経た発砲音。混沌の彼方から、突如、響いたものがレーザー砲のそれだと気付けたのは闇を裂く青白い光の筋が視界を焼いてからだ。遅い。咄嗟に思う。向かってくる数は、一、二、三、四発。凍て付く青光。もう見える。見えてからでは遅い。その速度、威力、全て、同じ遠距離系神機を使用している自分が一番良く知っている。仲間内で誤射が無いとは言わないが、放たれたこれは侵入者の排除の為に改良されたものだろう。接近型のように盾を持たない自分が生身でそれを受ければただでは済まない。知りながら、驚愕に硬直した身体は回避を拒んで、金網の床をヒールが擦るだけ。
もう、数メートルも無い。終わりまで考えの至らなかった思考が距離を測った、刹那、見えたのは闇に光る見知った鋼鉄と、翻る赤。
衝突する寸前のレーザーと自分との間に走り込んだそれが素早く展開した装甲で黄泉の手を弾くのを、サクヤは半ば呆然とした心地で眺めた。矢鱈と遅れて鈍る思考に認識されたそれは恰も映画の一幕を眺めているようであったかもしれない。
ドン。防御ついでの腹癒せに銃形態へと変換した神機に火を噴かせ、軽く乱れた銀髪を手早く直した乱入者が詰めた息を吐き出して振り返る。
「…ふう!危なかったですね」
鈍色の銀髪に映える赤い帽子。日系のそれとは少し違った面立ちと雪国生まれらしい白皙の肌。手にした赤い銃身を抱えてロングブーツの踵を鳴らし、笑って見せるのは、冬空の色。
知った色と馴染んだ声に、サクヤの朱色が見開いた。
「アリサ!?」
アリサだ。至近距離で、間違えよう筈も無い。今際の際の幻覚でも、妄想でもない、本物のアリサ・イリーニチナ・アミエーラだ。彼女が金網の床を歩く音が、その手に握られた神機の鍔鳴りが、現実の重みを持って鼓膜に触れる。
まさか。恨まれる事を承知で置いてきたはずなのに、何故、彼女が此処にいるのだろう。口を開けて言葉に出来ないサクヤに視線を合わせたアリサの唇が少し尖って返した。
「勝手においていった挙句、死んじゃったら笑い話にもなりませんよ!」
リッカにサクヤの行方を聞いた時の怒りとやるせなさと言ったら無い。全く、リンドウといい、彼女といい、幼馴染というのはこうも似るものなのだろうか、と、置いていかれた事を知ったアリサは驚愕もそこそこに大層、憤慨したものだ。みっともなく踏みそうになる地団駄を奥歯を噛んで抑えつつ、隼の如く部屋に帰り、とりあえず引っ掴んだのは己の神機と必要な道具を詰め込んだポーチだけ。長丁場になるかもしれない可能性も視野にいれながら、それでも余計な準備に時間を割かずに飛び出してきたのは、今思えば正解だった。
反面教師は予想の内。手を引く、などと見え透いた嘘をついたサクヤがエイジスに潜入する可能性は、確率を計算するより先に答えが見えているようなものだ。殊、同じ疑惑を追い続けてきたアリサにしてみれば必然の領域だったと言っていい。諦める筈が無い。いつか機を見て動き出す。それは彼女の背を見てきた者だからこそ抱ける確信だった。
リンドウに順ずる冷静さと穏やかさを売りにした第一部隊の副リーダーが、実際には酷く波のある、激しやすい、直情的な人物だというのは、一見しただけでは気づきにくい意外な本質かもしれない。アリサ自身、気づいたのは復帰して少し経ってからだ。慎重に、けれど、些か大胆に動き回る彼女の行動は敵味方の合間をすり抜ける間諜には到底、向かないものだった。それが彼女が身の内に燃え上がらせる怒りや悲しみ、或いは、もどかしさの齎すものであったのは想像に難くないが、それにしても復帰し立ての者にまで気づかせるのだから、その点での配慮には著しく欠けていたと言っていい。良くて、仲間思い、悪くて、猪突猛進。そんな所だろう。
一度、大事に抱えたものに不埒な手が触れれば、盲目な程の勢いで感情を燃え上がらせる。それが瞳に炎の色を映した橘サクヤという人物だ。
そういう意味では、彼女の世界はとても小さなものなのだろう。アナグラの中の、例えば、リンドウやツバキ、ソーマを始めとした仲間達。それらは恐らく、彼女の「大事に抱えたもの」だろう。誰にも傷つけさせたくない、大事なもの。基本的に大衆的な「世界」ではなく酷く利己的に限定された「大事なもの」を守る為に神機を握る彼女が何よりも大事に大事にしているものを傷つけられて目の色を変える様は、まるで大切にしていた物を奪われた子供の反応に良く似ている。返して貰いたくて、どんな形ででも取り返そうとしているような、そんな感覚だ。…そもそも、自分も含め、寄る辺無い者達というのは、総じてそうなのだろうけれど。
思い返し、アリサは瞬きで瞳の揺ぎを払う。
それにしても、だ。こうも突拍子も無く動き出すとは想像だにしなかったというのが本音である。何かしらの予兆がある筈だと踏んで、具に動向を観察していたというのに、気づけば出し抜かれて先輩神機使いは既に暗澹の渦中。フライングも良い所だ。確かにシオはおろかセンカにまで手を出してきたのは腹立たしい。実に腹立たしい。腹立たしいが、しかし、焦燥に押された軽率な行動で一つばかりの命を散らしては、いつかのソーマが叫んだ犬死に他ならない。それは最も腹立たしい事だ。癪に障るを優に超えている。
大事なのは、死なない事。生きる事。生きて帰る事。生きて、また、皆に会う事。それだけは忘れてはいけない。そうでなければ、どうしてリンドウとセンカはあの切迫した状況で使い物にならなかった自分達を生かそうとしてくれたというのだろう。
「ほんと、笑い話にもならないんですよ、サクヤさん」
「…貴方…」
死ねば、笑い話にもならない。その言葉の意味は、自分達がよく知っている。
暗闇でうっすらと確認できる互いの顔が何処か、安堵しているように見えて、思わず、気抜けた風船のような笑みを浮かべそうなった、瞬間。がしゃん、と響いた機械音と共に、周囲が光に包まれた。
そうして、闇の薄布を払われた場に渡る、主の声。
「ようこそエイジスへ!!」
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サクヤさん、頑張るの巻。でも頑張りがちょっと足りなくてアリサ王子が登場です。
サクヤさんは広く物事を見ているようで、実は結構、世界と考え方がの狭い人なんじゃないかと思います。目の前の事でいっぱいいっぱいになっちゃいやすい、というか。そういう意味ではコウタさんとかの方が大人だなぁ、と思う瞬間がたまにあったりします。
アリサさんはカッとしやすいけど、でも、いざとなると一歩引いて物事を見られるんじゃないかと。それで考えすぎる時もあるけど、サクヤさんとあわせるといい具合になる印象です。
さて。次はエンペラー・シックザール様(何それ)が小っ恥ずかしい演説を大声でやってくれますよ!
2015/06/20 |