言っていないだけ。そう、皆、言っていないだけ。言えないだけ。
ペテン師達の去り行く後に
不承不承頷いたサカキの使いであったとはいえ、誰にも見られる心配の無いセンカの自室へ入る鍵を持っていたのは何とも間が良い。行きの道すがら、唐突に囀った端末を確認して目を瞬いたソーマが丁度、通りかかったコウタの首根っこを一目もやらずに掴んで向かった先はベテラン区画のセンカの自室だった。
こんな時に暢気に端末を鳴らして来る人物など知れている。思いながら、些か綺麗過ぎる部屋の片隅に鎮座するターミナル――使っていないのか、綺麗にしているのか、画面に指紋の一つも無い――に映し出された大根王子と猪王女の変わらぬ壮健さに、とりあえずは料理はされなかったかと密かに安堵の息をついたのもつかの間。時間を惜しむように資料を送りつけ、前置きも無く本題に入った話を聞く内、目を白黒させながらも不満げにはしゃいで所在を問うていたコウタは次第に顔を引きつらせて、ついには送付された数枚の紙切れを片手にふらりとターミナルの手摺を離れてソファに沈んでしまった。
画面の向こうで厳しく目を細め、赤い唇を引き結んだサクヤが語る。
「以上が、エイジス計画とアーク計画の全容…そして、そこにあると思うけど、『箱舟』に乗ることが出来るメンバーのリストよ。ここにいる私達全員の名前も記載されているわ。加えて、収容者から二等親以内の親族の収容も認められている」
用意の良い事だ。反発を和らげる策を用意しているとは、あの男らしい、と、ソーマは密かに唾を吐く。そうしてある程度、望まぬ屑を受け入れる事でこの計画の正当性を主張しているのだろう。計画に賛同する者はこう思う筈だ。自分達は「選ばれたから救われる」のだと。全てに与えられる訳ではない、「この困窮した世界から開放される安心」という名の餌を「特別」に与えられたと舞い上がる者程、そこに一遍の疑いも持たないに違いない。卑下する存在とは無意識に余裕を与え、余計な手間をかけずに混乱を押さえ込む事が出来る便利な材料だ。…そんな所だと思ってはいたが、全く、驕った人心を操るのに長けたあの男らしい反吐の出る計画である。
手摺に体重を預け、長い話を聞き終えた彼は大方の予想と違わぬ内容にただ腕を組んで目を閉じた。閉ざされた視覚の代わりに周囲に神経を尖らせる聴覚に、続く女の声が入り込む。
「…まあ、私とアリサはエイジスに忍び込んだことでリストから外れちゃったけど、それでも、このままいけば、あなたたちは「救われる」側って訳。逆に私達は極東支部からもお尋ね者にされちゃってるでしょうね」
室内を渡り、笑いの一つも誘えず消える、確信的な苦笑交じりの言葉。
確かに、彼女の予想の通り、橘サクヤとアリサ・イリーニチナ・アミエーラの二名は数時間前に警戒速報も兼ねた放送で指名手配が発布されている。サクヤとアリサが支部を発って一日と半少し。異様な対応の早さから考えて、この命令も予め用意されていたものと思うのが普通だろう。つまり、蒼穹の月から今、この状況まで、シックザールは全てを予期していた事になる。無論、抜かりの無いよう何十にも手を回す男の事、予期していなかったにしても、一度逃がそうと二度は逃がさぬ前提を掲げ、緻密な計算の上に、起こる可能性の高い事態の数だけ命令を懐に忍ばせてあったに違いない。その場で始末できれば御の字、そうでなければすぐさま打てる違う手を。そんな所だ。
そうであるならば、今、此処で支部に残る自分が下手に動く事は墓穴を掘る事になりかねない。人事のようにそう判じたソーマの傍らで、呆然とソファに身を沈ませたコウタがテーブルに投げ出されたリストを眺めて縋るように手を組んだ。
開き、閉じる口。躊躇いに詰まる喉。家族を救う為に神機使いになり、部隊中、最もエイジス計画に期待していた彼だ。些か、衝撃的過ぎる事実の齎した落胆は計り知れないだろう。
「エイジス計画が…嘘?…そんな、そんなことって…」
では、何の為に戦ってきたのか。世界を、人類を守る為ではなかったのか。今し方、サクヤとアリサから聞いた話は自分の想像とは随分とかけ離れている。少なくとも「世界を、人類を守る為」ではない。だって、アーク計画は、人類の間引きをした上で、一度、全てを終わらせるつもりなのだ。
その、間引かれる人間が、一体、どういう人間なのか、コウタには想像もつかなかった。
リストを見る限り、フェンリルの根幹に携わる人間は大方が計画の対象となっているようではあるが、それが全人類の比率からすれば微々たる人数であるのは態々数えるまでも無い。有能や有益の基準がどこにあるのか、個々の性格の考慮はされているのか。分からないどころか、答えは明らかな否であろう。機械的に選出された「間引かれない者」が利己主義に走った傲慢な人でなしではない保障は何処にも無い。反対に、「間引かれる人間」が有能な人格者である可能性も捨てきれない。…リンドウがその良い例だろう。鬼籍に入った今も誇れる上司である彼は紛れも無い人格者だった。故に、潰されてしまったのだとは、今、聞いた事だけれど。
沈黙が降りる部屋の中、視線を捉えたまま放さない数枚の紙切れが静かに薄い埃の積もりつつあるテーブルに座している。枚数にして四、五枚程度の、軽い筈のそれらが矢鱈と重く思えるのはその紙上に並ぶ細かな文字で構成された名の一つ一つが、紛れも無く命そのものであるからだろう。触れるのも躊躇う重さが胸に圧し掛かる。
もしも。もしも、だ。自分が神機使いにならなければ、自分も、自分の家族も、この重さの中には無かった。それは間違い無い。神機使いにならなければ、藤木コウタという人間は何の変哲も無い一般民間人なのだ。フェンリルに名を残すような特筆した能力がある訳でもない自分がアーク計画のおこぼれに預かるなど出来よう筈も無い。数ある砂粒の一つ。「間引かれる人間」だった。それが、今は救われる人間として家族と共にこの紙面に名を連ねている。だが、この紙面に載るという事は同時に、同じように救いを求める多くの人間の手を踏みつけて安寧を掴み取る事と同意義だ。
自分にそれが出来るのか。誰かを守る事を誇りとして来た自分が、薄情な蛮行に気づかぬふりを、出来るのか。人による人の命の選定が、果たして正しい行いであるのか、答えは見つけられそうもない。
一間置いて聞こえた、愛想の全てを投げ打ったソーマの声が波紋に変わり、閉じた瞼の裏に映る暖かな母と妹の像が消えていく。
「…俺は元からあの男に従う気はない。それに、お前等と違って俺の身体は半分アラガミだ。そんなヤツが次の世代に残れると思うか…?」
「…それでも支部長…貴方のお父様は、貴方もリストアップしているわ」
間髪入れずに返されたサクヤの、嗜めるような言い回しに、けれど、鼻で嗤った彼は小さく、知ったことか、と返した。――――今更。…今更だろう。今更、父親面されても感じるものなどありはしない。今の己を動かすものは血の繋がりだけの他人より同族といって差し支えない、センカとシオだ。その彼らを害する者にどうして従えるだろう。父親など、寧ろ、あだ名にするにも笑えない冗談だ。大根王子の方がまだ趣味が良い。
聞く耳など持たぬとばかりに目を閉じれば、朱色は諦めたように小さく溜息をついた。
彼自身は下らないと思っているようだが、誰よりもソーマの事情を知りながら、それでも救われる者に選び出したシックザールの判断は他への対応と比べ、稀有な程人間的だったのではないかとサクヤ思っている。それは確かに子の生存を望む親の思いであったのかもしれないし、或いは、新世界で新たに関係を築こうとした不器用な希望であったのかもしれない。どちらにしろ、次代の種ではなく「ソーマ」を思っての選択だったに違いない。親というものを失って久しい身には捉え難い感覚だが、サクヤにはその名が記された部分にのみ、冷たい筈の紙面の活字に僅かばかりのぬくもりがあるような気がしてならないのだ。
子を救う親の思い。理解は出来る。だが、しかし、それが数多の犠牲を強いる計画を許す理由にはならない。
「改めて言っておくけど、私はこの船を認めるつもりは無いの」
再度、引き結んだ唇から紡ぐ己の意思に傍らのアリサが頷く。
「ええ、私達は支部長の凶行を止めなければならない。とりあえずは身を隠して、エイジスへの再侵入方法を探すつもりです」
チャンスは一度だ、と記していたリンドウの言う通り、警備プログラム上の欠陥を補ったらしいエイジスへ同じ手法で進入する事は難しいだろう。馬鹿正直に試した事は無いものの、中枢へ至るまでの危険が倍加したのは想像に難くない。
さて、どうするべきか。思い、とりあえずは、この長引いては危険な通信を切る事が先だろうと結論付ける。
「伝えておきたかった事は、それだけ。どうするかは、貴方達が自分で決めてね。その結果、私達の敵に回ったとしても恨まないから安心して」
「邪魔するようなら、全力で排除しますけどね」
「アリサ…!」
物騒な言葉に誰よりぎょっとしたのはサクヤだ。飛び上がった拍子に揺れた黒髪を乱して振り向いた彼女の咎めを受け、纏めようとした矢先の不吉な冗談を投げた少女はぺろりと舌を出して肩を竦めながら少しだけ笑い返して、それから、密かに祈るような声色で続けた。
「冗談ですよ…でも…できればそうならない事を願っています」
もう仲間に凶器を向けるのは沢山だと、そう切に思う。撃つのは敵の獣だけで十分だ。人を撃つのは、もう、一生、無くて良い。――――強がりに隠れた思いが伝わったのは、画面越しではなかったからだろうか。そっと、震えかけた手に、サクヤの手が触れる。
「…それじゃ、もう切るわ。後悔の無いように、しっかり考えなさい」
ぷつり。切れた後に残るのは、息苦しい程の沈黙。静まり返った室内は、持ち主の性格そのものの如く整然としているようで、その実、その前の持ち主の性格の方が色濃く残されている。
モニターに映る熱い程の夕空はリンドウが好んで映していたものだ。冷蔵庫横のビール箱、棚に所狭しと並べられた色とりどりの酒瓶と、数本の矢が刺さったままのダーツ盤。整えられて、そのままの褥にはもう何日誰も横たわっていないのだろう。リンドウが居た頃と変わらない、変化といえる変化が見られないセンカの部屋を一瞥したソーマが徐に動き出したのは時計の秒針が丁度、二週してからだった。
部屋の隅の、薄汚れたダンボール箱の丘――山というには高さが足りない――に近づいた褐色の手が無遠慮に箱を空ける。豪快に中を掻き出し始めて、流石に目を剥いたのはコウタだ。
この部屋にある物は、リンドウが居ない今、全てがセンカの私物である。だというのに、この男は何をしようとしているのか。箱から引っ張り出すのは洋服に着物に、薬の束。大きさ的にも明らかにリンドウの物ではないそれは無論、ソーマが好きに漁って良いものでは無い。
「ちょっ、ソ、ソーマっ!何やってんだよ!それ、センカの物だろ!?」
「…本来の俺の目的はこっちだ」
言いながら、次々と服を引っ張り出してはその辺りの――これも漁った――袋に適当に詰めて行く乱暴な手を見ながら、コウタはふと気づいた。
彼はセンカの部屋の鍵を持っていた。サクヤとアリサの指名手配に混乱していた自分は初めこそそこまで意識が向かなかったが、冷静に考えれば、どれ程親しくなろうと依然、個人的な領域への他者の侵入を頑なに拒むセンカが例え、ソーマとはいえ、自室の鍵を常時、預けているとは思い難い。しかも、当のセンカは病床に臥して面会謝絶の筈。鍵を持っているという事は彼の部屋に自由に出入り出来る権限のある、彼に近しい人物から何らかの理由で鍵を預かってきたという事だろう。その何らかの理由が今、彼が行っている蛮行であるのは考えるまでもない。詰めているのは服が主立っているから、恐らくはサカキ辺りに頼まれて動けないセンカの着替えを持って来てくれとでも言われたのだ。
センカ。今は、どうしているだろう。元気ではないのは、間違い無いけれど。
逸らした視界に入った台所の流しに放置されたままの食器を居心地悪く眺めた。…彼は、病弱の癖に少食過ぎる。神機使いにしておくのが勿体無いくらいに腕は確かなのに、見える食器だけで並ぶ料理を大体、想像出来るくらいには銀色の食卓に並ぶものは少なくて、必然、食器も調理器具も一人分にしてはやけに少ない。…だからこそ、気付いた。光景の違和感に。
もう一度、今度は粒さに数えて見る、何とは無しに籠に入っている食器類。一人分の食器と何故か洗ってあるリンドウの物と思しきオールドファッションドグラス。レンギョウ用の皿に、鍋に、フライパンと――――真新しい弁当箱が二つ。ありえない。瞬時に彼は思った。いくら料理をするとはいえ、人前であまり食事をしない彼が、それも、任務先では水すら口にしない彼が、弁当箱など。傷一つ無い箱の新しさとごく最近洗われた様子からこれが購入されたばかりのセンカのものである事は間違い無いが、よもや、室内で弁当を作って食すなどという虚しい行為に及ぶ訳でもあるまいに。そもそも、彼はそういった奇妙な手間を出来るだけ省くような生活を好んでいる。うっかり分量を間違えでもしない限りきっちり一食分だけを作る彼が珍しく作り置きをするにも、弁当にするなどという面倒な事はするまい。
では、一体、何の為に、この部屋に弁当箱があるのか。一体、「誰」の為にこの弁当箱があるのか。
「…なあ…センカ、ってさ、俺達に言って無い事とか、あるのかな…?」
此処まで来て、具体的に訊けなかったのは一重に己の臆病さ故だ。
不意に零れた疑問がソーマの手を刹那、止めさせる。それでも、また直ぐに動き始めた迷いの無い手の僅かな動揺は視線を逸らしたままのコウタに気付かれる事は無かった。
「……どういう意味だ」
問い返す声に抑揚は無い。
「だって、さ…サクヤさんも、アリサも、いつの間にか事件の真相を掴んでて……俺、皆が走り回ってるの、全然気付かなかった。何も知らなかったよ…。…ソーマだって色々隠してただろ?リンドウさんも。博士も多分、何か隠してるし…だから…センカも、何か隠してるのかな…って…」
ぽつりぽつりと言い訳染みた物言いをしながら、他方で、隠していた、というには少々語弊があるだろう、と辛うじて残った冷静な部分で思いを巡らせるコウタは胸中だけで訂正する。
思えば、自分も同じようなものだ。センカの隠し事を知っていて、知っている事を隠している。そうして、隠している事を棚に上げて、隠している者を咎めようとしている。我ながら子供染みた趣味の悪さだと思う。同じ穴の狢が、今更、仲間から爪弾きにあったかのような空虚な被害妄想を抱くなど、幼稚で愚かしく、実に醜い。自己中心というより卑怯な思考には最早、救う言葉も見当たらない。そういう意味では己が一番、汚らしい隠し事をしているのだろう。
その隠し事とて、彼等のそれは自分とは違い、致し方の無い事なのだ。サクヤもアリサも、危険を冒して真相究明に尽力しているとはおいそれと口に出来る訳が無く、ソーマに関しては己が半分なりともアラガミであるなどと言い出せる筈も無い。センカにおいても同じだ。彼等は嘘はついていない。ただ、言わなかった。言い出せなかっただけなのだ。必然の隠匿を責められようか。我侭に追求しようなど、性格が悪い以外の何物でもない。
だが、それでも。そう、それでも、と溺れながら藁に縋る愚者の如くコウタは思うのだ。どうして、言ってくれなかったのだろう、と。殊、センカのやり方には憤りを超えて悲しみすら覚える。仲間だと、友人だと思っていたのは自分だけだったのか。自分は彼にとって気の置ける存在とは成り得なかったのか。思えど、それは単なる薄汚いはりぼての詭弁に他ならない。己自身、それを理解している。外面ばかり綺麗にしたとて、いざ、明かされた時、平静でいられた筈は無いのだ。
確信的に、恐らく、ソーマはセンカの隠すものを知っているだろう。自分の知らない、センカの「本当の事情」を。今はまだ信じ難い、彼がアラガミだという事の真偽も含めて。それはきっとセンカの、最も個人的な領域に近い部分だ。親友だと思っていた自分が知らない、彼の秘密。それを、ソーマは知っているに違いない。だからこそ、正面切って問えなかった。――――センカが本当にアラガミであるのか、否か。ソーマはそれを知っているのか。他にも何か隠しているのか。臆病な自分は問えなかった。突きつけられれば、距離を置かない保障が何処にも無かったから、自分は今の関係に縋る保身を選んだ。
「知ってどうする」
「どうするって…どうも、しないけどさ…センカにとって俺達って仲間なのかな、って…ちょっと思ってさ」
「…お前がそう思うならそうなんだろ。俺に訊くな」
いつかの銀色が言ったものと同じ言葉でにべも無く切り捨てられて、僅かに見開いた茶の双眸が彷徨う。付けて足された後半は、迷うくらいならば訊くな、と。そういう事を言われたのだろう。言葉の不足が目立つ青年は、冷徹を装いながら人の心を汲み、守る事にとても長けている。
眺めるのは、ベッドサイドにならんだ鉢植え二つとその傍らのグラスに活けられた紫と白の珍しい花が二輪。眺めて、また、視線は弁当箱へ。
後悔の無いように、しっかり考えなさい。サクヤの厳しく、優しげな声音が耳に残っている。倫理的に考えるならば、コウタ個人としてはアーク計画に対して手放しで賛同出来はしない。それは本当だ。しかし、自分に連なる、切り離せない者達を脳裏に描く時、それは、先のものと同じ、詭弁になる。誰もが一人で決められるような立場には無いのだ。
詰まる所、彼が選べる道は決まっていた。
「あの、さ。こんな時に言うのも何だけど…」
ぱたり。同時に、粗方の物を引っ張り出し終えたソーマの手が散々漁った箱を閉じる。そのまま一瞥もくれずに部屋を出て行く彼は、既に結論を知っていたのかもしれない。退室して数歩で歩みを止めてくれたのは、せめてもの情けだったのか。
後をついて敷居を跨いだコウタの背後で冷たく閉じた鋼鉄の扉が咎める如くに、立ち止まったままの背を硬い冷気で撫で上げる。
「…悪い…俺は…アーク計画にのるよ」
飲んだ唾が、酷く重い。胸の真実を切り出す筈の瞬間は恰も裏切りを告白するかのようで、知らず、握った拳が戦慄いた。
「勿論、それがどういうことかってのも分かってる。でもエイジス計画がなくなっちまった以上、他に母さん達を確実に守る方法は無い。俺は、どんなことをしても家族を…母さんと妹を守るって決めたんだ。ゴッドイーターになったのもそのためなんだ…」
窒息しそうだ、と何処かで己が囁くが、これだけは譲れない一線だと思い出す。本来の目的を忘れては本末転倒と言わざるを得ない。
あえて危険な道を選んだのも、全ては家族の為。血という確かで揺ぎ無い、母と妹の為。彼女達を守る為に、自分は神機使いの道を選んだのだ。だが、神機使いになったからといって家族の絶対的な安全が保障される訳では勿論、無い。優遇の範囲は狭く、事実、自分達の住居はアラガミの侵入を許しやすい外部居住区にある。数日前にも家族が住む区画の障壁が破られ、肝を冷やした。
そんな、今にも吹き消されそうな命の灯火に密かに恐々とせねばならない日々に終わりが見えるかもしれないこの機会を、どうして逃せるだろう。
「だから俺、アーク計画に乗るよ」
知っている。これは無責任な放棄だ。分かっている。それでも、これは譲れないし、これ以上、行動を共にする事も出来ない。
聞き届けた結論にはやはり、一瞥もくれないソーマの背を眺め、コウタは冷えた指を握りこんだ。
「あと、俺、暫く休む。…ごめん」
下手な情に流される男ではないと知ってはいるが、別離の心を決めた者が長々と居座るのも迷惑な話だろう。そう思いながら、その実、潜んでいるのは自分の勝手な恐れだ。他者云々より何より、自分が耐えられそうに無い。結局は、単なる逃避でしかないのだ。…醜い。とても。とても。
響きが消えて、暫く。ブーツの踵を鳴らした青年は、ただ一言、そうか、とだけ言い置いてエレベーターを目指した。
靴音も溶けた後に残ったのは、安い蛍光灯の下で俯いた少年が一人。
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貧乏くじピッカーズ、アーク計画を知る、の巻。
いやぁ、こういう、人の心がぐるぐる考察してる様を書くのは大好きです。伏線と、心境とをまぜこぜにするのがそもそも好きなので、分かってないコウタさんと分かってて反応を隠してるソーマさんの対比がノリノリで書けた気がします。
コウタさんという人は現実と理想の板ばさみが激しい方だなぁとも思う訳で、その辺りは実に人間らしいなぁ、と思ってます。美点ですよ、美点!人並みに怖い、とか、戸惑う、とかあると物語中でイイアクセントになってくれます。何せ、当家の主人公が規格外の人外なもんで(笑)
2016/01/16 |