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 こんなのって有りか。

狼とあかずきん

 新人二人がコンゴウを倒したというのはベテラン組に発破をかける話題だと思う。現にセンカとコウタを馬鹿にするような奴はなりを潜めたし、全体的な討伐数が格段に増えた。良い傾向だ。だが、
「これはないだろ」
 ないない。有り得ない。ほんっと有り得ない。大昔にあったらしい労働基準法なるものが今もあったなら絶対に賠償金をふんだくれる扱いだとリンドウは憤慨するより落胆した。
 支部長室に呼び出される日はいつでも気が重い。あいつが嫌いだからとかそんな事は、表立っては言わないが、毎回の特殊任務のとんでもなさは最早、苛めなんじゃないかと最近、思い始めている所だ。無論、自分の「あの行動」がそれに拍車をかけているのも確かだろう。秘密裏に動いているつもりではあるが、此処最近の極東支部の動きはそれに気付いている節がある。
 牙を剥いてくるのも時間の問題か。嫌な汗が流れそうだ。そうなる前に、こちらが噛み付かなければ。もしもの為に、保険を残しておいた方がいいかもしれない。
 己の行動が無駄にならない方法を思案しつつ自室へ向かうべくエレベーターに目を向ければ、丁度、その扉が開こうとするのが見えた。珍しい。こんな所に用はあるのは特務を命じられる自分のような立場の人間か、支部長と何かある人物くらいだろう。――身を潜める場所は無い。探るには不向きな廊下。だが、こちらには特務を命じられたという理由がある。此処にいても、何らおかしい事は無い。
 黒髪の合間から覗く切れ長の目を細めたリンドウは、しかし、次にはその目を見開いた。
 ふわりと銀の燐光を散らしてエレベーターから華奢な身体が現れる。
「…センカ?」
「あ」
 話しかけられて気付いたのだろう。俯けた目線が上がり、ぱちり。白藍が瞬いた。
「お前、何でこんな所にいるんだ?ここはお前にはまだ早いだろ」
 彼は新兵だ。間違っても幹部が集うこの階に居て良い人間ではない。或いは、彼自身が支部長と何らかの関わりがあるのか。だとすれば、この問いには少し渋る素振りを見せるかもしれない。勿論、動揺しないように訓練されている可能性もあるが。――――明かりに浮かび上がる銀色を観察するリンドウの麹塵が密かに冷えた刃を抱く。
 見かけばかりの暖かさで言葉を促そうとする気配に眉を動かしかけたセンカは、しかし、渋る様子も無く、さも当たり前のように両手に抱えた書類を示して見せた。
「博士の、おつかいです」
「おつかい?」
 おつかい。お使い。所謂、あれだ。子供が親に頼まれて用事を済ませに行くという、あれ。
「おつかいって、支部長室に?博士から?」
「はい」
 淡々と答えるセンカに嘘の影は見えない。もとより、黙秘はすれど嘘はつかないように見える彼だ。それは本当に嘘ではないのだろう。博士から、というのが少々引っかかるが、頼まれてきただけなら問題は無さそうだ。かと言って、その細腕に抱かれた書類の中身が気にならないといえば嘘になる。それとなく彼に聞いてみるにしても、素直に答えはしないだろう。そもそも、彼が中身を知っているかどうかすら分からないのだ。変に言葉を含ませて、巻き込むのも良くない。
 これはただのおつかい。何の事は無い、頼まれ事。内心、安堵の息をつくと同時に少しの申し訳なさが胸を刺した。
「あー…変に勘繰って悪かったな」
 言いながら、低い位置にある頭を撫でてやれば、さらさら指先を擽る柔らかな感触に自然、弧を描く口元。抑えられない。良い手触りだ。やばい。癖になる。わしゃわしゃと髪を乱されるセンカにも拒絶する素振りが無いものだから、止める頃合が難しい。畜生。手袋なんて取って置けば良かった。そうすれば手のひらから指の間まで彼を堪能する事が出来たのに。
 これは癒しだ。とても良い癒しだ。もっと癒されても良いと思う。良いと思う。大事な事だから二度言った。神経が磨り減るような毎日の中で、これ程の癒しはそうそう無い。
 手放しがたい煌きの感触を暫く味わった後、漸く手を離したリンドウは目に見えてにやけていた。
「これから一緒に任務に行かないか?勿論、そのおつかいが終わってからで良いんだが」
 殊更、優しく笑む麹塵を前に、白藍が躊躇うように彷徨う。
「……今日でなくては、いけませんか」
 色良い返事ではないのは、対策を考えたいからだろう。彼はこちらの出方に敏感に反応し、距離を大きく取ろうと動く。加えて、先日の取引だ。今度、彼に関する事をこちらが聞いた場合、彼に黙秘権は無い。双方、納得の上であの時、退いたからからこそ、今回は無碍にする事が出来ないのだ。
 律儀だと思う。見た目だけではなく、中身も可愛い。
「出来れば今日が良いな」
 逃げられないように言葉を操りながら、次はいつ時間が取れるか分からないと笑うリンドウの言葉は嘘ではなかった。
 今回命じられた特務は少々骨が折れる。下調べは偵察部隊がやっているだろうが、容易なものではないのは確かだ。その前に少しでも彼と関係を深めておきたい。せめて、サクヤくらいには話せるようになるのが目下の目標だ。その為なら多少、汚い手を使ってでも近づかなければ。自分達の距離はあまりにも遠すぎる。
「どうだ?嫌か?」
 汚い手口。こう言えば、部下である彼は拒否出来ない。――自分はなんて卑怯な男だろう。こうして優しげに微笑んで見せながら、彼の首に噛み付く瞬間を虎視眈々と狙っている。そして、彼はそれに気付かない人間では、無い。
 瞬間、あからさまに逡巡して見せてから、ゆるく瞬き、銀色はこちらの思惑通りにゆっくりと頷いた。
「…エントランスに、いらっしゃいますか?」
 静かな声音が約束を確定させる。これで今日は午後から魅惑の癒しタイムだ。
 ぽん、と俯き加減になってしまった頭にもう一度触れて、リンドウは満足げに踵を返した。
「ぱぱっと終わらせて来い。待ってる」
 恋人に囁くような言葉を残してエレベーターに乗り込む背中に、途方に暮れた白藍の視線を感じる。扉が閉まるまで追いかけてくるそれにどこか優越感を感じてしまうのは彼の視線が何かを明確に捉える事が少ないからだろうか。今、この瞬間だけは彼の視線を、自分が独占している。それは間違いなく喜びだ。
 動き始めた箱の中、思わず零れた笑いに喉を鳴らし、ふと、思い出す。
「しっかし…『おつかい』、ね」
 あれは可愛かった。ぼんやりした雰囲気でもきちんと警戒している癖に、口から出たのは子供が使う幼い言葉。歳で言えば確かにまだ子供だが、他に言い方があっただろうに。例えば、用事だとか、届け物だとか、そんな言葉でも良かった。それが、彼の声が紡いだのはよりにもよって『おつかい』だ。他者を観察する目の鋭さからは想像もつかない言動。
 そんな可愛い事を言ってくれる彼にやられてしまった自分がいるのも確かで、何としてもこの機会を生かして距離を詰めなければと妙に士気が上がってくる。
 出かける前にエントランスで牽制でもしておこうか。先の事件でどうにも不埒な輩を煽るような姿を見せたというから、少しばかり釘を刺しておかなくてはならない。
 取り出した煙草に火をつけ、咥えた口元が歪む。

 さて、出掛けに彼の肩でも抱こうものなら、どんな噂が飛び交うのだろう。



例の特務を押し付けられたリンドウさんが癒しを求めて新型さんを餌食にする、の図(何)
隊長だって癒しが欲しい筈…!…その分、新型さんが迷惑しますが(ぇ)
ヤる時はヤる男、雨宮リンドウ。新型さんの「おつかい発言」に脳内が春模様です。更に、周りを牽制する気満々です。……最後の一文を本当に実行したかは…ご想像にお任せしますが。

2010/11/11