「俺は雨宮リンドウ。形式上、お前の上官にあたる」
そう言った男は後にも先にもセンカの中で微妙な立場に位置する事になった。
獣を前に目を閉じた
討伐任務を主とする第一部隊配属になるのは新型神機使いとして当然だろう。寧ろ、新型で防衛班に回れば、極東支部が腰抜けだとでも言われかねない。もっとも、当の新型神機使いである烏羽センカにはどうでも良い事だったが。
「ここも大分、荒れちまったなあ」
言いながら、大して残念そうに聞こえないのは感傷を抑えているからなのか。瓦礫の山と言って差し支えない旧市街を眺める、雨宮リンドウと名乗った男の横顔を観察するセンカはそんな事を思いながらゆったりと瞬いた。
センカの初任務に引率した、第一部隊隊長だというこの男はどうにも油断ならない。そう判断したのは、彼の笑みに時折混じる獰猛な気配に気付いたからだ。気を抜けば、思わぬ場所まで踏み込んできそうで、正直、あまり係わり合いにはなりたくないと思う。
そう思いながら、生物の本能がこの身にも生きているのか、リンドウから外したいとどこかで思う視線は縫い付けられたかの如く動かない。
斜陽の茜に照らされ靡く漆黒の髪の間から覗く麹塵の双眸。切れ長のそれが刃を抱きながら優しげに細められる様は妖艶ですらある。弧を描く唇が奏でる甘い声音はそれだけで獣の牙を抜く毒だ。――――美しくありながら、美麗よりも精悍という言葉が似合う男の身体が、着込んだ外套の上からでもわかる程鍛えられていなければ、或いは、今、その手に握る赤い刃さえなければ、誰も彼が異形を相手に死線を潜る者だとは思わなかっただろう。
あまり感情というものが存在しない――自ら感知し辛いだけなのかもしれないが――センカにとっても、男の姿は目を惹くものだった。
自分ですらそうなのだから、彼は所謂、「そういうもの」に苦労しない人なのだろう、と頭の片隅で思う。それなら、「そういう意味」での自分の出番は、少なくとも彼に関しては無くて良さそうだ。
靡く鴉の色。ふいにこちらに目を向けたリンドウの鋭利な視線から反射的に逃れようとする仕草を見せなかったのは、多分、その時に一際強く風が吹いたからだ。気が紛れていなければ、目を閉じていた。
開いた彼の唇から紡がれる冷えた甘い音が、空気を裂く。
「命令は三つ」
瞬いた麹塵の、鮮烈な光。響く声音は閃光。緩やかに開いたように見えた唇を、神機さえ持っていなければ塞ぎにかかったかもしれない。――思い返せば、「命令」という言葉一つで既に硬直した身体では遅い話だったけれど。
瞬きすら忘れたと思う、そんな、言の葉は、
「死ぬな」
それこそがその宣告のように。
「死にそうになったら逃げろ。そんで隠れろ。運がよければ不意をついてぶっ殺せ」
それは、命令ではない。何を思ってそれを「命令」と称するのか。理解が、出来ない。出来ないが、それが「命令」なら従うより他無い。頭で理解しようとして、しかし、それが追いつかない。――どうすれば。どうすれば。疑問で息を詰まらせて尚、疑問ばかりを辿るのは、きっと此処に答が無いと知っているからだ。
自らの言葉を振り返って、ああ、これじゃあ4つか、などとおどけてみせる上官の意図を汲めないセンカの眉がすこしばかり顰められたのを何と思ったのか、リンドウは穏やかに笑って見せた。
「まあ、とにかく生き延びろ。それさえ守れば万事、どうにでもなる」
再度、旧市街を見渡して作戦開始を宣する彼の、当たり前のように紡がれた言葉が頭を占める。
分からない。特攻しろと言われた方がまだ納得出来る。死ぬ気でいけと言われる方がまだ安心出来る。…死ぬなと言われて、多分、動揺した。起伏の乏しい感情がその瞬間、確かに何かの動きを示したのだから、それは恐らく「動揺」と言うのだろう。
手の熱を移した己の神機が小さく音を立てる。
自分が知っている「普通」であれば有り得ない言葉だったから、少しばかり筋肉が機能を失いそうになったが、それが彼のやり方なら何も言うまい。
目を閉じて、再び世界を見た白藍の双眸が捉えたのは――――狩りに血を騒がせる黒獣の背。
今は、血塗れた息遣いを追う為にある。
センカはもう一度、目を閉じた。
作戦前に「死ぬな」ってどうなのよ、という話。大事な命令ですけども、それは命令になってないよ、リンドウさん。
で、そんなリンドウさんが理解出来ない当家の新型さん。最後はひとまず考える事を放棄して任務に集中する事にしました。
「そういう意味」での自分の出番〜について、新型さんは売ってた訳じゃないですがヤられた事はある方向で。
2010/09/09 |