教えてくれなくても、多分、良い事があったって知ってるよ。
友達レベル3
「博士ー!センカいるー?…って、あれ?此処だと思ったのに、いないの?」
エレベーターを飛び出して、鼻息も荒くラボラトリの扉を開けたコウタの目は、てっきり検査台の上に見つけられるとばかり思っていたセンカの姿を見つけられずに、ぱちくりと瞬いた。
機械ばかりの部屋の中、ぽつんと佇むサカキだけが唯一の有機物のようだ。
「ああ、コウタ君。良い所に来てくれたね」
「センカは?帰っちゃったんですか?」
点滴のチューブを巻きながら言う所を見ると、つい先程までセンカは此処にいたのだろう。入れ違いだったのか。だとすれば、次に候補に挙がるのは彼の自室しかない。ターミナルをチェックするのも、食事をするのも、彼は全て自室で行っている。アナグラで彼がラボラトリと自室以外の場所にいるところをコウタは見た事が無かった。そのどちらにも居ないなら、彼は任務に行っている事になる。
だが、残念そうに顔を顰めるコウタとは反対に、巻いたチューブを机に置いて振り返ったサカキは浮かべる笑みを困ったようなそれへと変えて検査台の下を指して見せた。
「いやいや、センカは此処にいるよ。悪い癖が出てしまってね…連れて帰ってくれると有難いんだが…」
「へ?」
つられて覗き込んだ、検査台の下。
「げっ」
思わず声が漏れた。
サカキの指す先を辿って見つけたのは、なんとも安らかな寝顔。銀色の長い睫毛に縁取られた瞳が閉じられ、頬に薄い影を落としている。呼吸の為、僅かに開かれた薄桃色の唇は、朝露にしっとりと濡れるさくらんぼのような愛らしさと色香を匂わせていて、恰も目覚めの口付けを待っているかのような錯覚を起こさせた。
ふわふわと、銀の燐光の中で小さく身を丸めて寝息を立てる彼は真に物語にある白雪姫のようだが――――如何せん、場所が悪い。
「センカーっ!何で床なんかで寝てんだよー!!
周りに見えるのはチューブだのコードだのが散乱する光景であって、お花畑でも緑の森でも無い。所詮はラボラトリ。白雪姫が眠るには世辞にも似合うとは言い難い。しかも彼が身を横たえているのは冷たい床の上だ。
「ちょっと博士!こいつ、いつもこうなんですか!?」
注意して下さいよ!横たわる銀色を起こしながら言うコウタに、サカキは笑って言った。
「どこででも寝てしまう癖があってね…個性的だろう?」
「限度があります!」
せめて褥で眠る。これは最低限だとコウタは思っている。何より、身体の弱いセンカにこの状態は良くないに違いない。身体は冷えるし、埃なんて吸おうものなら尚、良くない。彼が抱える病がどのようなものなのか結局、先日は教えてもらえなかったが、サカキがあえて「悪い癖」と言うのだから、好ましくないのは事実なのだ。
揺すっても叩いてもぴくりともしない。熟睡、というよりも、これは爆睡だ。彼がこんな風に眠るなんて初めて知った。
「あーもう!起きろってば!!風邪引いちゃうぞ!」
嬉しさ半分、落胆少し、残りは危機感と使命感。兎も角、今は彼を起こして自室へ送り届ける事が最優先。
心を鬼にして、引っ張れば抜けそうな細腕を引けば、無理矢理、身を起こさせた事が功を奏したのか、漸くふるりと震えた瞼が開く。
「…ん…ぅ…?」
「やっと起きたか…ほら!帰る……ぞ…」
ふわり。甘い香りが立つかのような覚醒に、コウタの喉が鳴った。ぼんやりと潤む白藍。襟から僅かに覗く滑らかな白磁の肌の艶。誘うように開かれた唇は艶めき、視線を捕らえて放さない。少しばかり乱れた柔らかな銀髪を揺らしながら細く吐き出すただの吐息すら仄かな色を帯びて、言葉の形を成さずに漏れた掠れた声音が身体の芯にかりりと爪を立てて擽るような錯覚を生む。――まずい。まずい。これはまずい。絶対にリンドウには見せられない。見せたが最後、センカは美味しく戴かれてしまうだろう。否。リンドウだけではない。他の、誰にも見せられない!
早く叩き起こして、寧ろ、担いででも自室に放り込まねば、彼の貞操が危ない、と脳が警報を出す。友人の一大事だ。
意識を切り替えたコウタは点滴の痕に気をつけながら、素早くセンカの腕を取った。そのまま担ごうと脚に力を入れ――――予想よりも細い腕と軽い体重に、どきりと胸がなる。同時に伝う、冷えた汗。
廃寺で彼が倒れた時も思ったが、彼はとても軽い。その身軽さを利用しての戦闘方法を選んでいるというのを理解しているつもりでも、担いだ時のあまりの軽さに、刹那、心の臓が凍りついたくらいだ。
細い、細い、細い腕。身体。アラガミに張り飛ばされれば一撃で粉々になってしまいそうな銀色。それでも、この荒れた大地に刃を抱いて立っている。…多分、たった一人で。
「コウタ君?」
呼ばれて、気付く。今はセンカを送り届ける最中だ。
「え、あ、いや…じゃあ、失礼します」
どこかぎこちなくラボラトリを出て行く背を観察する研究者は何を思ったのだろう。
閉まる扉に遮られた視線の針に密かに安堵の息をついたコウタは、逃げ込むように乗り込んだエレベーターで、何とか自力で立つ事に成功しながらも、眠そうに目を擦る友人を眺めて漸く当初の目的を思い出した。――――そうだ。ラボラトリに彼を探しに行ったのはあの話を聞く為だったというのに、彼のとんでもない癖を目の当たりにしてしまった所為で全てが吹っ飛んでしまった。今なら、自室に向かうまで誰とも会わない筈。話をするには好都合だ。
こほん。咳払いを一つ。気を取り直した彼は銀色に向き直った。
「あ、あのさ、センカ。ちょっと聞いていい?」
言葉に反応して合わせてくる白藍は、話題に向き合う時の彼の癖のようなものだろう。彼がこういう反応をする時は大抵、会話が可能だ。
「えーと…昨日、リンドウさんと任務に行ったって聞いてさ…ほら!センカってリンドウさんの事、ちょっと苦手にしてるだろ?だから…どうしたのかな、ってさ」
言いながら、視線を走らせる。リンドウ、と言った時、彼は確かに反応した。微かな動きだったが、一瞬、肩が強張ったのだ。――苦手にしているのは変わらないらしい。隊の者として少し寂しくもあり、友人としては、突然、恋人になりました、何て突飛な展開になっていなかった事に少しばかり胸を撫で下ろしても居た。複雑な心境だが、仕方が無い。
勤めて明るく切り出したコウタの言葉に、指先を顎に添えてゆっくりと瞬くセンカは昨日の出来事を思い返しているようだった。
数度、瞬き、再び白藍が茶を捉える。
「任務が完了した後に、少し、話をしました」
「話?」
「はい」
珍しい。会話を得意としないセンカが、話をした、と。しかも、あのリンドウと。
金属の軋む音が止み、小箱の扉が開くのに合わせて二人分の靴音が新人区画の廊下に鳴り響く。自室はもう目の前だ。しかし、そこで別れる前にどうしても聞いておかなければならない事がまだ一つ残っていた。
ぴぴぴ。腕輪に反応して解除される部屋の鍵が言葉を急かす。二度目の切り出しが少々上擦ってしまったのはそのせいだと、コウタは機械を相手に胸中で悪態をついた。
「それで、さ!」
「はい」
空気音を奏でて開いた扉の中にまだ身を滑らせないのは、おそらく、これから聞こうとしている事を薄々感じ取っているからかもしれない。
静かに佇み、コウタの言葉を待つ姿を見る度、いつも思うのだ。――――嗚呼、この綺麗な友人は、まるで水のようだ、と。掴めないけれど、確かにそこにある、水のように透明な人。他人の機微に聡く、けれど、だからこそ、誰の傍にも居られない。
「話してみて、どうだった?」
答えが返るのに、やはり時間はかからなかった。
「嫌では、ありませんでした」
静かな声音。嘘の影は欠片も無く。
「……そっか」
「はい」
短く言葉を交わし、別れの挨拶を経て閉じる扉が完全に音を断ってから、コウタはゆっくりと、じわじわ滲み出る嬉しさに唇を歪めた。
嫌ではなかった。それは破滅的な程口下手なセンカにしてみれば精一杯の友好表現だ。
先の会話を思い起こす回数を増やす程、累乗して想いが溢れ出す。リンドウには嬉しい事で、センカには普通程度だなんてとんでもない。これは第一部隊にとっても嬉しい事だ。昔の慣わしのように赤飯でも炊こう、と言ったらおかしな目で見られるだろうか?サクヤは苦笑しながら賛成してくれて、ソーマ辺りには半眼で見られるかもしれない。
想像して、廊下で独り、ぷっ、と噴出す。
具体的に何を話したかなんて聞けなかったが、センカにとって、きっとそれは良い事だったのだろう。
ひとしきり喜びを堪能した後、自身も部屋に戻ろうとしたコウタの端末にタイミング良く、ちゃんとベッドまで送ってあげないとテーブルの下で寝ちゃうかも、などというサカキからのふざけたメールが届き、仰天した彼が慌てて飛び込んだ部屋で、本当にテーブルの下で丸まる銀色を見つけて絶叫したのはまた別の話。
新発見、新型さんの癖、の巻。コウタさんはお兄ちゃんスキルが発動中。
コウタさんは自室とラボ以外で新型さんを見たことが無いと言ってますが、実は人通りの少ない廊下とか倉庫の片隅とかで昼寝をしてたりします。勿論、後日、コウタさんにばれて大目玉です。
リンドウさんとの事についてはコウタさん的には親類みたいな立場で見ているので「お兄ちゃん、僕、この人が好きなの!」といきなり言われなかっただけ精神的に助かったと思ってたりします。いきなりそんな事言われた日にはきっとリンドウさんを箒で追っかけ回してるんじゃないかと(どっかのオカンか!)
2010/11/25 |