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 それは明らかな興味だ。

嫌悪とは

「で、君はリンドウの行動に怒っている訳だね?」
「理解しかねます」
 それだけ唱えてむっつりと押し黙ったセンカに、サカキは彼が此処に来てから幾度目かになる溜息を零した。溜息が目視出来るものであったなら、今、この部屋は研究機材よりも溜息の方が場を占めているに違いない。そう考えて、うっかりもう一つ溜息が床に落ちた。
 彼がこの様な状態で此処に来る事は珍しい。この様な、とはつまり、あからさまに不機嫌な様子、という意味である。
 常の彼といえば、感情の発露に対するサカキの興味を理解している所為か、必ず平静を取り戻してからラボラトリを訪れる。「自室」という孤独を保障する安全地帯を手に入れた彼は、最低でも三日に一度は訪れなくてはならないラボラトリでサカキと対峙する際には自室で対策を練ってくるのだ。最も、彼が最近、取り組み始めたその行動自体にもサカキは大層、興味を抱いているのだが。
 ふむ。モニターに映し出された見事なまでの赤数字の羅列に目を通しながら――これはまた血を吐きそうな数字が並んでいる――、観察者は顎を擦った。
 眉間に山を作ったセンカの珍しい表情の理由はどうやら、またしても雨宮リンドウらしい。此処まで彼の感情を引き出せる者はそうそう居ないが、誑し込むのも大概にして貰わなければ。まだ不安定な彼を刺激するのは好ましくない。下手をすれば、銀の蝶はまた檻の中だ。折を見て、少し釘を刺しておくべきなのかもしれない。
 悪い男に引っかかりそうな娘を心配する父親の心境とはこういうものなのだろうか、と苦笑するサカキの手は、思考とは裏腹に軽快にキーボードを滑る。
「しかし、君はリンドウが狩ったウロヴォロスとは接触した事が無いのだろう?知り合いでもないのに君が怒る理由は無い。そして、君はそれをきちんと理解している。その上で、まだ不機嫌だというのは、それ以外に理由があるからだよ」
 明らかにね。細めた目がまるで生暖かく見守っているようで、居心地が悪い。彷徨う白藍が己の腕に潜り込んだ針に落ちた。吸い込まれていく薬剤は、あと数分で全てこの身に満ちるだろう。
 指先へ向かう視線が手のひらの赤黒い爪痕を見つける。
「他に理由などありません」
「だから、怒ってはいない、と?それは嘘だ」
 頷きかけた銀色を制して刺さる観察者の声。断定的な口調は絶対的な確信だ。
 センカが、ウロヴォロス討伐に成功した神機使いがリンドウだと気付く事、或いは、特務をこなした者に目を向ける事は予測できた事態だった。「彼」を知っていれば、それは別段、驚く事でもないが、怒りを向けられたリンドウは驚いただろう。上手く隠したつもりだったかもしれない。しかし、「同族を感じる能力」はセンカの方が数倍も上だ。
 無論、それが諸刃の刃であるのは言うまでもない。間違えば、凄惨な事態になるかもしれないその感覚がどう転ぶかはサカキにも判らないが、今回は良い方向にやり過ごせたらしい事は、今、センカが大人しく此処に座っている事からも明らかだった。
 現在、サカキの溜息を増産しているのは、センカがアラガミに仲間意識を持っている可能性ではなく、彼の、意外な頑固さである。
 ウロヴォロスに同情している訳ではないというのは、彼の様子からして間違いないだろう。近況報告をしている最中も道端の石ころ以下の話題性の低さで、その名前は三本指で足りる程しか登場していない。出てくる名前は専ら人間の、主にコウタやサクヤ、ソーマといった第一部隊の者の名だ。サカキとしては、大変、好ましい。好ましいが、だからこそ気になるものがある。――――件の男。雨宮リンドウの扱いである。今回の事に限らず、それに関して、センカは極力、意識して避けている節があった。
 処方する薬を袋に詰める手が思考で鈍る。白藍の視線がこちらを向いているのは、その動向を見逃すまいとしているのか。
 ふう。また一つ、溜息。
「…以前、君に、リンドウは嫌いかい、と聞いたね」
 細い肩が僅かに跳ねる。
「君が今、リンドウに感じているのは確かに怒りだと私は断言出来る。けれどね、その怒りが憎悪であるかと言えば、それは違うと…それも断言出来るんだ。憎悪であれば、君は直にでも彼の首を飛ばしているだろうからね」
 作業を続けながら、サカキは彼にどうやって「それ」を分からせてやろうか思考を巡らせた。
 彼が憤っているのが何故なのか、大方の予想はつく。しかし、人間的な感情全てを否定する傾向にあるセンカはそれを認めようとしないだろう。サカキにとっては興味深く、且つ、喜ばしい事でも、彼には理解出来ないという言葉一つで片付けられてしまうような、考えるに値しないものなのだ。無理に理解させようとすれば暴走し兼ねない。加減は、とても難しかった。
「その点で考えれば、君はリンドウを嫌っていない事になる。嫌っていないのに何故、意識して彼の話題を避ける程、憤るのか。考えられるのは、リンドウが第一部隊に対して下す命令と、彼自身の行動とが矛盾しているからではないかな?」
 白藍に宿した静かな火を鎮めたセンカの手が緩く握られる。
 思い出すのは、死ぬなと言う声と、表情に影を落とした先輩二人と、傷を隠しながら吐き気がする程の血臭の中で笑う上司の姿。
 血のにおいがする、と言った時の彼の顔は、少し青褪めてすらいたと思う。驚いたのだろう。ばれるとは思わなかったと、そんな顔だった。あんなに血臭を身体に染み込ませておいて、石鹸程度で誤魔化せると思ったのだろうか?動きのぎこちなさも?普段、癪に障る程聡い癖に、随分と短慮だ。任務とはいえ、ウロヴォロスに単身挑むなどという行動も、理解し難い。それを隠す神経も。――――しかし、その彼の短慮な行動が今の自分の状態を引き起こしているかどうかは、疑問だった。自分が抱くものにしてはあまりに人間的すぎる。
 紫煙の香りが鼻腔を擽った気がして、じりりと意識の端が痺れる。
「……理解しかねます」
 否定はあまりに弱弱しかった。腕を見れば、吸い込まれていく最後の一滴。
 薬を詰めた袋をセンカの傍らに置いて白磁の腕に沈んだ針をそっと抜き取るサカキの手の温度に、細い背筋が震えた。鼓膜を撫でる声が刹那、遠くなる。
「しかし、事実、君は現在進行形でおかんむりだ。眉を顰めて、語調を強めて、考えるのはリンドウの事ばかり。それが彼に対する怒り以外の何かだと言えるのかい?」
 見上げてくる白藍から返る答えは無い。考えているのだろう。
「他人の心の中を覗く方法は無いし、何より、あってはならないものだから、私は君が何を考えているかなど言ってくれなければさっぱり分からないが…いいかい、センカ。良く覚えておくんだ」
 針の外された腕を仕舞いながら静かに首を傾げる銀色は、まだこちらの話を聞く姿勢でゆったりと瞬いた。

「嫌悪とは立派な興味だよ」

 染み込む言葉を認識し、理解し、そして、見開く白藍の双眸。
 そうして気付く。――――これは確かに「彼」への人間的な怒りだったのだ。



自分の憤りがわからない新型さんとどうにかしてわからせようとするお父さんの図。
今回は不思議生物・新型さんについての事が少し出てきてますが、詳しいことはもっと後です。隠す気はあまり無いので(ぇ)もう既に感づいた方も多いかと思います。
ぷりぷり怒るのに全く怒っていないと言い張る鈍い子が相手なのでペイラーお父さんはいつも大変(ぇええ)
ちなみに、ウロヴォロスが道端の石ころ以下の話題性なら、リンドウさんは更にその上を行く話題性の低さという現実があります。…がんばれ、リンドウ隊長!とりあえず、新型さんに首かっ飛ばされなくて良かったですね!(…)

2010/12/09