そして、私は魔法のような気休めすら言えないまま。
人魚姫の真似をした
「珍しいね。君が自分の事を自分から話すなんて」
ソーマが辞した後に残されたのはいつもの二人で、そうなれば、観察者が詰問を始めるのは常だった。
改めて、センカの診察を始めるサカキは淀み無くキーボードの上に手を滑らせながら、時折、一瞥する視線で検査台の上に横たわる銀色の表情を細かに捉える。
頬の赤みは大分、引いてきた。呼吸も正常だ。血圧も問題無い。もう起き上がっても良い頃合だが、依然、横になったままなのは、薬の針が腕に沈んでいるからと、ただ消耗してしまっただけだろう。密かに、安堵の息が漏れる。あとは彼が回復するのを待つだけだ。
一通り、目を通したデータを閉じ、ゆるりと立ち上がる男の背を白藍の視線が追う。
「君の事だから、ヨハンがばらすまで黙っているんじゃないかと思ったよ。私に向けた言葉といい、何処で覚えてきたんだい?」
飄々と言って見せながら、実際はとても驚いた。何せ、一度も命令に反した事の無い彼が暴言を吐き、尚且つ、己の出生に関わる事項に自ら触れたのだ。それは紛れも無い反抗であり、ヨハネスにとっては見逃せない不安要素になる。無論、感情の発露を促したい側であるサカキにとっては喜ばしい事なのだけれど。
こぽり。二つのカップに注いだ茶から昇る湯気で刹那、眼鏡が曇る。直に消えた霞は幻のようだ。
センカ自身は他人の感情を理解出来ない訳ではない。寧ろ、その機微に聡い方だ。だからこそ、他人と必要以上の距離を取りたがり、他人が被害を被らない最善を選ぶ。しかし、その反面、彼は「自分」の扱いがあまりに杜撰だ。根底にあるものがそうさせるのだろうが、彼は己を「人」ではなく「物品」だと認識している。先の会話でソーマを硬直させた言葉がその片鱗であるのは言うまでも無い。「物」が「人」と同等であってはならないと思っているのだ。故に、彼は「大丈夫」とは言わず「問題無い」と表し、「分からない」とは言わず「理解出来ない」と言い、他人を表す全ての言葉と自らを表す全ての言葉を分けている。
その明確な境界が、新型神機使いとして第一部隊に配属されてから揺らぎ始めた。
感覚的な言動。戸惑う口調。彼の口からは聞いた事の無い言葉。時折、見せる柔らかな表情。近頃、ふとした時に見られるようになったそれは、どれもこれまでサカキが極稀にしか見る事の出来なかったものばかりだ。その表情の意味を問うたび、不思議そうに首をかしげる彼が微笑ましくて、つい愛らしい顔が渋く歪むまで詰問してしまったのも一度や二度ではない。今回の言葉も恐らくコウタ辺りから仕入れてきたものなのだろう。或いは、ソーマか。誰にしろ、それはセンカに「人」としての温度を与えるものだ。
しかし、受け入れてくれれば良い、とささやかな期待を込めてその感覚を指摘するたびに間髪入れず否定されてしまうのは、やはり、彼の身体を構成するものの所為なのだろう。それを思い出す度、サカキの胸を針が刺す。そして、酷く聡い彼は、サカキが隠すそれにも気づいているのだ。
答えないままの銀色の枕元に暖かなカップを置き、自身はいつもの席に腰を据える。
「藪医者の方はコウタ君かソーマ辺りだろうが……どういう心変わりなのか、少し知りたいものだね」
直に答えが返るとは思っていない。彼は聡く、思慮深すぎる分、言葉を選ぶのに非常に時間がかかるのだ。無理に引き出すのは、好ましくない。
ぎしりと椅子が鳴き、サカキの手に包まれたカップから立ち上る湯気が三度、揺れる頃、機械音ばかりの部屋で小さく空気が揺れた。
「人の、」
「ん?」
「人の真似を、してみようと思いました」
言って、言ってしまったと、口を噤む銀色。表情を消した白藍が、どこか零れそうに揺らぐ。
「人の感覚を理解しようとしたんだね?」
殊更、優しく返せば、彼は小さく小さく身を丸め、瞳を閉じた。
「僕は、人に見えたでしょうか?」
「君は初めから人だよ」
恐ろしい感覚だ。人だと肯定する事も、人ではないと否定する事も。それを理解する事すら。
そうして彼は、己が否定する「人間的な恐怖感」に冒されている事に気づかないまま、また瞳を閉じてしまうのだろう。
人の定義を示されて、それに準じてみようと思った新型さんが自滅してしまった図。
この時点でのサカキ博士の言葉は追い討ち以外の何物でもない感じですね。だけど、他に言いようが無い、というジレンマ。かと言って、沈黙していれば、それが答えになる訳で…どう足掻いても何か答えるより道が無い、損な役回り。
そもそも博士は気休めなんてあまり言わなさそうなので、ずっぱり本当の事を言ってしまうんだろうなぁ、と思います。それが博士クオリティ。
2010/12/16 |