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「そういえばさ、新しい神機使いが配属されるんだって」
 センカがそれを聞いたのは、実際に彼女が配属される前日だった。

貴方が其処に居るだけで私の牙は疼くのです

 アリサ・イリーニチナ・アミエーラという少女について考察する際、今、一番気にかけている銀色と比べてしまうのは、何事も彼の行いと比べてしまう最近の自分の癖だ。考察の結果としては、彼等は良く似ているようで、実際には、彼女の方が何倍も素直だという結論に達する。事実、彼女は本当に素直な子なのだろう。
 己の赤い神機を肩に担ぎ、旧市街に降り立ったリンドウはちらりと静かに後ろをついてくるセンカと未だ回収地点で空を見上げるアリサを一瞥する。
 長い銀髪を翻し、冷めた青い双眸で周囲を眺めるアリサの精神的外傷は中々、根深いらしい。触れるだけで我を忘れるような反応をするのだから、乗り越えるのは簡単では無いかもしれない。それが戦場で彼女の命を縮める事にならなければ良いと思いながら、それを言うならもう一人も大変心配だ、と思う。
 名前呼びの一件以来、自分とセンカとの間で会話がなされた事は一度も無かった。そう、ただの一度もだ。朝の挨拶も無ければ、任務後の帰還の挨拶も無い。無い、というよりも計ったように顔を合わせる事が無かったのだ。自分が支部にいれば、彼は任務に。自分が任務に出れば、彼が支部に。そんな日が続いていた。今日、此処で顔を合わせたのも実に数週間ぶりの話である。久しぶりの彼との任務に心躍らせた自分だったが、いざ、顔を合わせれば以前と変わらぬ眼差しと名前も階級すらも呼ばれないこの現実。先日に引き続き、少々凹みそうだ。
 最近、この感情を吐露する度に隊員達が遠い目をして溜め息を吐いているのを思い出し、男は、溜め息を吐きたいのは俺の方だ、と肺の空気を吐き出した。
 ちらり。密かに盗み見る銀色は足元の砂を眺めて歩くように俯いている。視線を合わせないようにしているのか、ただ、そういう気分なのか。どちらにしても会話をする気は皆無なのだろう。話しかけたとして、独り言になるのは確実だ。しかし、だからといってこの状態に甘んじている程、雨宮リンドウという男は消極的でもなければ臆病でも無かった。
「…お前との任務も、久しぶりだな」
 最後に共に出撃したのはいつだっただろうか。随分、前の事のように思う。
 今度こそ、後ろを振り向けば、顔を上げてこちらを見ている彼の白藍は相変わらずぼんやりと風景を映すばかり。話を聞いているようには到底、思えないが、経験上、それがそう見えるだけだという事をリンドウは知っていた。
「このご時勢、誰もが何かしら背負ってる。アリサだって根は悪い奴じゃないから、お前も支えてやってくれ」
 言いながら、彼が頷くとは思っていない。最近ではコウタだけでなく、サクヤやソーマ、防衛班の一部ともそれなりに会話や連携が出来るようになったと聞いているとはいえ――残念ながら、ここ数日の見事なすれ違いぶりの所為でリンドウ自身はそのある意味感動的な光景を拝む事が出来ていない――、人を遠ざける何かしらの理由があるらしい彼の性格が変わった訳ではないだろう。態々、他人との距離を詰めろと提案しているようなこの言葉に二つ返事で頷くとは端から思ってはいなかった。
 予想通り、視線はゆらりと揺れてゆっくりと外されていく。男の苦笑が緊張を孕む空気を震わせた。
「嫌か?」
 数秒の間と神機を抱えなおす僅かな音。
「……いいえ。嫌では、ありませんが…」
「何だ?言い淀むな」
 先を促す言葉を紡ぐ唇は弧を描いたまま。端整な顔に浮かべられた笑みは困っている風でも機嫌を損ねた風でも無い。いつもの通りの微笑。感覚的な言葉を当て嵌めるなら柔らかい、とか、穏やか、とか、そんな言葉なのだろう、とセンカは思う。
 らしくもない話だが、昨日、サクヤからリンドウとの任務の知らせを聞いた時、実は仮病でも使ってしまおうかと考えた。話を聞いたらしいコウタに先手を打たれ、今朝方、部屋から引っ張り出されなければ――その際、床で寝ていた事を散々怒られた――任務を放棄していたかもしれない。ちゃんとリンドウさんと話をする事、と言い聞かせる声音がまだ聞こえるようだ。ついでに、センカが考えてる事もちゃんと言う事、という声まで続く。
 第二部隊を巻き込んだあの騒動の日から意図的にリンドウとの接触を避けていたのは事実であり、勘の良いコウタがそれに気付いていない訳が無い。理由を聞いてくる事は無かったが、訝しげな視線を向けられている事には気付いていた。気付いていて、気付かないふりをしていた事にも、彼はやはり気付いているのだろう。だからこそ、ああして何とか自分とリンドウの仲が違えないようにしてくるのだ。
 リンドウが嫌いか、と言えば、恐らく答は否、なのかもしれない。最近はそう思ってきている。そう、嫌いでは、ないのだ。多分。彼が自分の領域に入り込んでこようとするから、戸惑うだけで、嫌悪を抱いているかといえば違うと思う。しかし、だからと言ってコウタ達に接するように出来るかといえば、それは断じて否だった。近づいてくるだけで、同じ空間にいるだけで、神経が尖り耳元で警鐘が鳴り始める。何もかも分かったような彼の態度はいつでも自分の内側に小さくは無い波を立てる。それが怒りなのか、困惑なのか。それはまだ理解出来ていないけれど。――――ここ数日、彼を避け続けて、理解出来たのは此処までだ。まだ誰にも言った事は無い。コウタは勿論、サカキにでさえ。
 視線を少しでも上げれば映る、艶美な黒檀の色。切れ長の麹塵の双眸。鍛えられた逞しい身体。ぞくりとするような耳朶を撫でる低い声音。醜悪なものなど一つも無い彼の何処を、自分はこんなにも気に入らないのだろう。否、気に入らないという表現すらきっと当て嵌めるには相応しくないのかもしれない。
「センカ?何かあるなら言っても良いんだぞ?お前はもっと誰かに頼っても良いと思うしなぁ…」
 呆れたような顔で言う彼を見ながら、やはり「苦手」だ、とセンカは軽く首を振った。この人といると身体の何処かで何かが燻っているような気がして落ち着かない。
 伏せた視界にかかる、影。彼の気配が近い。鼻腔を擽る煙草の香り。距離を詰められたのだろう。咄嗟に返す言葉は最早、囁きに近かった。
「…いえ、何も」
「本当か?俺に言ってない事とか無いか?」
 何気ない言葉だった、と思う。他愛の無い、どちらかといえば、気遣いの言葉。常であれば大した感情の動きも見せずにやり過ごしただろうそれに、今日は何故か目の前が爆ぜた。
 瞬時に赤く染まる視界。ここ数日の出来事の所為で安定を欠いていたのか。思えば、リンドウの姿を目にしたその時既に、自分の中の何かは臨界点を越えていたのかもしれない。
 細い腕が抱えた神機を放り出し、男の胸倉を掴んで引き寄せる。がしゃり。土抉る金属の音。近くなる距離。

「…お前が全てを知っていると思うな…!」

 世界の全てを、誰かの全てを知っている。或いは、知りたいと思う。それはなんと傲慢な考えだろう。――その時は、何の脈絡も無く確かにそう思ったのだ。
 けれど、直に思い知る事になる。
 突如、燃えた苛烈な炎を前に丸く目を見開いたリンドウを見据え、吐息を感じる距離で、ぎゅう、と瞳孔を絞り、獣のように低く唸って麹塵を睨み据えた己のその考えこそ、傲慢だったのだと。



ちょっとキレちゃった新型さんと何でキレられたのかさっぱり分からないリンドウさん。まるっきり蚊帳の外のアリサさんは雲を探し中。アリサさん的には結構大事なイベントのはずですが、端折ってしまいました よ !!(コラ)
要は、「調子こいてんじゃねえよ」とソーマ風に言えなかった新型さんの精一杯の暴言の話です。暴言の吐き方を知らない新型さんにはこれが限界。まだソーマさんから学び中。……いつか真顔で「クソッタレ」と言い出さない事を願います(笑)

2011/01/07