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 全て分かった気になっていたのは。

戦場で鬼ごっこを君と

 二体のシユウに同時に発見されては乱戦は必死だ。飛び込んだ巨体の大腿部分――果たしてアラガミの部位をそう言う事が相応しいのかどうかは定かではないが人間で言うならそこは大腿で間違いない――に刃を潜らせながら、センカは肩越しに斜め後ろを見やる。リンドウとアリサが相手をするもう一体のシユウが怯むのを一瞥し、低く呻く獣の喉に意識を戻した銀色が咄嗟に地を蹴れば、直後、己の居た場所に大穴が空いた。
 細身の刀身に鮮血を纏わせて思う。――――不利だ、と。
 リンドウとアリサが弱いというのではない。問題は実戦経験が少なく、且つ、どちらかといえば銃器を主にして戦闘を展開するアリサの援護にリンドウが回っている、という状況にある。センカが遠目から見るに、アリサが弱いという事は決して無いだろう。新型神機の特徴を良く生かして戦っていると思う。しかし、動きが形式に沿い過ぎている。リンドウがセンカ一人に一体を任せて援護に回るのはそれ故だろう。要約して、アリサはセンカよりも実践における柔軟性が無い。
 ひらり。右に踏み込んで爪を唸らせる巨体をかわして中空に飛び上がる銀色の刃がついでのように硬い腕に食い込み、血肉を連れて空を舞う。弧を描く錆色を纏い、反転する世界を無感動に見つめて銃形態に変換させた神機を構えた銀色が狙うのは巨体に似合わぬ小さな頭だ。相手が叫びを上げる前に額に見舞うレーザーが、悲鳴を潰す。
 細められる白藍の双眸に宿るのは静かな燻り。口元は呼吸に軽く開かれたまま。頬に付いた赤が矢鱈と艶めく。
 己のあるべき場所であるかの如く身を躍らせていた中空から舞い降りるように痛みに喚くシユウの懐に降り立った血色の白雪の眼前で、数瞬遅れてその姿を認めた獣が赤い口腔を晒して吼えた。振り被った爪は――――遅い。
「終わりです」
 獲物を捕らえぬまま振り被った高い位置で止まる爪。本当ならば言葉など必要ない。彼等に言葉を理解出来る可能性があるとはいえ、紡がれるのは終焉だけなのだから、蛇足中の蛇足だ。
 思う傍ら、痺れるように伝わる、肉を裂き、千切る感触。核を抉られる断末魔の咆哮の振動。神機を握る指先から腕を伝い、肩を抱いて背筋を撫でる微電流のようなその感触に、思わず頬が上気する。小さく漏れる吐息を飲み込もうとした、その時だ。
「アリサ!!大丈夫か!?」
 焦燥の声音。振り向けば、視界に捉えられるのは吹き飛ばされたらしいアリサと、爪を振り上げるシユウ。声音に違わず目を見開いた形相のリンドウは、神機を構えて斬りかかる姿勢だ。――――シユウの腕力に敵わなかったのか。P53偏食因子を投与されているとはいえ、限界はある。形式通りの動きをしようとして、失敗したのだろう。共にいたもう一体のシユウが仕留められた事も残りの一体の怒りを煽る原因になったのかもしれない。どちらにしろ、あのままではアリサの首が飛ぶ。
 足元で息絶えた巨体を蹴り飛ばし、荒んだ大地で銀色は風を纏った。靴底が砂を散らす。
 距離は、問題無い。間に合う。リンドウの救援も間に合う。彼は既に振り被った姿勢だ。自分が飛び込むよりも早くシユウの気を逸らせるだろう。更に言うなら、自分が飛び込む必要性は全く無い。寧ろ、自殺行為だ。わかっている。それなのに、冷静な思考を裏切って飛び込んで行くこの身体は何なんだろう?頭の片隅で木霊するのは、リンドウの、あの言葉。力になってやれ、と。影響されているのか。分からない。
 渦巻くような思考の中、冷静な己の思考が手のひらで砂利を奏でる影を捉えた。アリサには悪いが、蹴り飛ばすなり、突き飛ばすなりすれば最悪の事態は免れるだろう。問題は、その後だ。
 どん。よろめきながら立ち上がったアリサの身体を突き飛ばして、見上げた先を認識するより早く。――――ざくり。
「センカぁぁあああ!!」
 赤が、散る。身を襲う熱と衝撃。
 確とその赤い神機でシユウの装甲を喰い破ったリンドウの、吼えるような叫びが木霊した。
 瞬時に湧き上がった驚愕と憎悪に滾る麹塵に映る血染めの銀色の肩から鮮血が噴出す様は、恰も静止映像のように痺れた頭に像を残す。シユウの爪が沈み、真紅に濡れていく銀色の肩。咄嗟に身を捻り、装甲を展開した事が功を奏したのか、そう深くは無いが、しかし、それでも鋼鉄を破り、貫いて来たものに負わされたそれは間違っても浅くは無い。張り飛ばされずに持ち堪えているのは動きを止められたシユウに再度、斬りかかろうと振り被るリンドウが止めを刺すのを待っているからだ。
 そのまま張り飛ばせないと分かるや、爪を抜いて身を引こうとする相手に、逃がしはしない、と語る冷えた白藍。無表情に巨体を見上げる小さな身体でどれだけの重量を受け止めているのか。ぼたぼたと落ちる緋色の雫の音が聞こえるようだ。何て、無茶な。彼のしている事は無茶苦茶以外の何ものでも無い。
 ぎりり、と握り締めた神機の柄が、今ならへし折れそうだ、と思うと同時に、早く仕留めなければ、とリンドウの気が逸る。意識が熱に侵食されていく感覚。分かる。これは、怒りそのもの。
 手元に意識を集中すれば獣へ変ずる赤い刀身を振り上げ、銀色に爪を立てた愚かで憎らしい巨体の中心を狙う。外しはしない。するわけが無い。死をもって贖え!
 意識を支配する凶暴な思いのまま、風までも食い千切った牙が沈む感触が腕を伝う。冷静になれ、と叫ぶ自分を押し退けた男が捕食形態で唸りを上げた神機でシユウの核を食い千切る音が贖罪の街に響き渡った。――ぶぢり、ぐじゃ。ぶぢぶぢぶぢ。抉り出される核の、肉から引き剥がされる音。ばたばたと落ちてくる重い血液と肉片は恰も水分過多なぼた雪如く。
 センカの目の前でアラガミの目が光を失い、肉に食い込んでいた爪が抜ける。アリサは呆然とその光景を眺めているだけだ。或いは、動けないのかもしれない。
 数秒の沈黙の後、重力に引かれて傾いだシユウの抜け殻を邪魔だとばかりに神機の横薙ぎ一つで遠くへ飛ばした男は緩い足取りで見慣れない赤に染め上げられた銀色の前に佇んだ。
 無表情に向かい合う麹塵と白藍。静かな廃墟に、風の唸りが渡り、

 ぱん。

 響く、乾いた、音。
 頬を張り飛ばされたとセンカが理解したのはそこがじわじわと熱を持ち始めてからだった。――熱を持たない頬が熱く痛む。それだけでリンドウの手がどれ程の力でセンカの白い頬を叩いたのか、腫れ上がるその様を見ているだけのアリサですら知れた。
 凪いだ湖面のような双方の瞳の、その片方の奥が燃えている。
「何で避けなかった」
 低く唸る声。神機の柄を握り締め、逞しい肩を震わせているのはこれ以上の衝動を必死に抑えているからだ。そうでなくては、暴れ狂う熱に任せてセンカを襤褸雑巾のようにしてしまいそうだった。
 あの瞬間。アリサが窮地だったとはいえ、センカが飛び込んでくる必要性があったかと言えば、答は否だった。勿論、センカが飛び込んでこなければアリサはそのまま張り飛ばされていただろうが、その程度で死ぬような訓練は受けていないはずだ。もっと非情な言い方をすれば、そのおかげでリンドウ自身はシユウに攻撃を加える機会を得る事が出来た。無防備な背中に刃を埋め、核を裂く事が可能だった。
 それが、結果は同じだったにしろ、何故、彼が赤に濡れる事態になっているのか。混乱の抜けない頭では、全身の血流に乗って指先まで侵す憤りを抑えられない。
「何で飛び込んできた!?お前ならあの時あの場に飛び込むのは自殺行為だと分かっていただろう!?俺が間に合うのも分かっていた筈だろ!?」
「力になれ、と、先輩が言ったので」
 飛び散った己の鮮血で頬を染め上げた銀色の目が、硝子のようだ。少しだけ顰められた眉だけが、理解出来ない、と語る彼の感情を表して、リンドウは頭を抱えるように己の前髪を掴んだ。
「違う…!そういう意味じゃないだろ!」
 そういう意味では、決して無い。力になれ、と言ったのは仲間として支えてやれ、と。そういう意味で。人と関わる事に少しだけ触れ始めた彼には必要だと思ったからで。もっと誰かに頼って欲しいと、そう思ったからで。…嗚呼、どうしてこんなに難しいのだろう。どうして、こんなにも伝わらないのだろう。彼は確かに自分の話を聞いているのに、考え方ばかりが擦れ違って交わらない。
 聞こえるのは色の無い静かな声音。
「理解しかねます」
 嗚呼、また此れだ。「理解出来ない」。「理解出来ない」。「理解出来ない」!そればかり!――――ぶちり、と。何処かで何かが切れた。
「っ!いい加減にしろ!」
 大気がびりびりと痺れる程の怒声に、傍観に徹するしかなかったアリサの肩が飛び上がる。雷鳴の如く落ちたそれは咆哮に似て、遠くでアラガミの足音が遠ざかっていくのが聞こえた。
 衝撃波のようなそれを正面から当てられたセンカの瞳に映るのは迸る怒りに麹塵をぎらつかせ、秀麗な顔を歪ませたリンドウの姿だ。荒く息を吐き、肩を震わせ、握る神機の柄がみしりと音を立てる。見た事の無い気迫に、あ、と吐息を漏らそうとしたのも束の間。吐息すら閉じ込めて、雷鳴が襲う。
「理解出来ない、で逃げるな!考えろよ!何か言えよ!お前が何考えてるのか、さっぱりわかんねぇ!俺がお前を知りたいと思うのは悪い事か!?仲間になって欲しいと思うのは悪い事か!?全部分かった気になってんのはお前の方だろう!」
 だから、あんな戦い方をする。だから、あんな行動を取る。全ての先を歩きながら、ひっそりと、控えめに、誰にも分からないように。たった一人で。
 その手を捕まえたいと願うのは、我が侭だろうか?そんな冷えた場所ではなくて、もっと、暖かい場所に連れて行きたいと思うのは、悪い事だろうか?リンドウ個人の意見としては、否だ、と思いたい。
 改めて見た白藍が揺れている。僅かに見開かれ、それでも真っ直ぐに見てくるその瞳が次の瞬間には瞬き一つで炎を宿した。吸った息が見るからに深く、何処かで冷静な自分が、これは大声だ、珍しい、と囁く。
 目が行くのは、込み上げる感情に歪む艶やかな唇。
「五月蝿い!」
 びりり。リンドウ程ではないが震えた大気に、今度は違うアラガミの足音が遠ざかる。
「貴方に何が分かる!何も知らない癖に、おかしな事ばかり言って…分かった気になって…!違う個体を理解する事なんか出来る訳が無いでしょう!?」
「分からないから分かろうとするんだろう!?」
 言葉尻を喰らう如くに吼えた言葉が目を見開いた銀色の喉をひくつかせる。泣かれるだろうか。今度こそ徹底的に嫌悪されるだろうか。…関係無い。もうこの喉から唇に昇る言葉は止められないのだから。
 その細い手を取りたいと、どうやって伝えたら良い?その細い身体を支えてやりたいと、どうやったら伝わる?その壊れそうな肩に乗る重いものを、少しでも分けて欲しいと、頼って欲しいと、何も必要以上に一人で傷付く事は無いのだと、どうやったら分かって貰えるのだろう?わからない。わからない。それでも、分かって欲しいと思うのは、どうやっても放っておけないくらい大切だからだ。だから、だから、
「もっと俺達に……俺に頼れよ!!」
 吐き出した衝動は慟哭に似ていたかもしれない。――――束の間の、静寂。風の音。
 大気の痺れが消えて暫く。咆哮に喉を嗄らせた男は気まずそうに視線を逸らし、言葉も無く砂利を鳴らして回収地点へ向かい出した。これ以上平行線を辿る話を続けても意味が無い。そういう事だろう。牙剥く獣の紋章を背負う広い背から取り残された銀色は逃げるように地面へと視線を移した。噛み締めるのは、唇。
 凄惨な様子にすら色香をまじえるその顔が歪む様はそれさえも人形のように麗しく、けれど、リンドウの背が小さくなる頃、赤い血に彩られた艶かしい唇から零れた、地を這うような震えるそれは静か過ぎるこの街にやけに大きく響いた、と、傍観するしかないアリサは漠然とそう思った。

「……『頼る』って…何だ…っ…」

 嗚呼、きっと、それも慟哭だったのだ。



ついに大喧嘩した隊長と新型さん。アリサさんが相変わらず蚊帳の外。…いや、好きですよ?アリサさんも勿論、好きですがね、思ったよりもリン主が二人の世界になってしまっただけの話なんです よ !!
というか、アラガミも逃げ出す程の大喧嘩を繰り広げる夫婦ってこわい(何)

2011/01/12