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 最低だ。何がって?俺がだよ。

気付いた時には医者も匙を投げるほど

「サクヤ、俺は最低だ」
「分かったから、部屋で茸の栽培だけはしないでちょうだい」
 毒茸になりそうだからやめて。騒動を聞きつけ、リンドウの部屋を訪れたサクヤはソファの隅っこでどんよりと影を背負う情け無い部屋の主に向けて、非情にもそう言ってのけた。
 原因は聞くまでも無い。先程、捕まえたアリサから事の次第は聞いている。サクヤの個人的な意見として、リンドウの行動は隊長として間違ってはいないだろう。しかし、それが行き過ぎていなかったかといえば、返す言葉には迷う。満足な説明もせずに手を上げるのは、流石に大人気無い。しかも、十も年下の少年とアラガミも逃げ出す程の気迫で大喧嘩をしたというのだから、大人の威厳は形無しどころか宇宙の藻屑だ。
 結論として、今、最底辺まで落ち込んでいる男を慰めてやる理由は何処にも無かった。
 されど、センカに非が無かったかといえばそれもまた否である。先日、話した内容から仲間としての連携について思う所があったのは事実で、最近では少しはこちらの動向にも目を向けてくれるようになったというのに、この事態は何なのか。リンドウに対する態度は全く変わっていない。寧ろ、悪化してすらいる。
 命令以外の言葉を拒絶するセンカと命令以外の言葉を受け入れて欲しいリンドウ。この二人は一度、訓練場に閉じ込めてでも腹を割って話し合ってもらうべきなのではないかと、外野ながらサクヤは思い始めていた。
 そもそも何が一番、情け無いかといえば、リンドウが己の恋情に全く気付いていないというこの宇宙一有り得ない現状だ。依然、ソファを湿らせている彼は自分が何故、そんな心情に陥っているのかすら分かっていないのだろう。
 はあ。溜め息一つ。思わず夕日を眺める哀愁もご愛嬌。
「…そりゃあ、手を上げたのはやり過ぎたと思っていなくも無いが、あいつだってやり過ぎだ」
 ぽつぽつ話し出す黒い塊――落ち込みすぎていて、正直、近づきたくない――に、くらり。眩暈すらする。駄目だ。反省していない。根本から反省する箇所が違う。
 更に遠くを眺めた彼女を置いて、彼は続けていく。嗚呼、部屋の湿度が最高潮。
「自分を犠牲にするとか、限度があるだろ…周りがどう思うかも知らないで、あんな事しやがって…。あの細っこい身体がへし折れるんじゃないかと思ったんだぞ?」
 周りが、ではなく、俺が、の間違いだろう。細っこい身体云々もゴッドイーターならそう簡単にはへし折れる訳が無い事くらい、彼も知っているだろうに。
「血がどばどば出てる癖に痛いとも言わないし、泣きもしないし、何でもかんでも一人でやろうとするし…」
「それで頭に血が昇ったのね?」
 我慢の限界を迎えたサクヤが子供の愚痴に変わりつつあるそれを遮れば、ぐう、と唸って言葉を飲み込む齢二十六の独身男。膝まで抱えてしまいそうな雰囲気は正直、鬱陶しくてたまらない。普段の沈着冷静、寛大寛容、大人の余裕の代名詞は何処へ行ったのか。
 アリサの話では二人の喧嘩はそれは物凄い怒声の応酬だったらしい。それを聞いた時は思わず、再度、説明を求めた。まず有り得ない話だと思ったからだ。リンドウが任務中に声を荒げて取り乱す事も勿論、珍しいが、それ以上に「あのセンカが」怒声を繰り出したなど、想像も出来なかった。元が非常に大人しい性格の子だ。そうでなくともこちらが心配する程、目立った感情の起伏を持たないあの子が、いくら警戒対象として見ているとはいえ、上官相手に声を荒げて対抗するなど有り得ない。しかし、真面目一辺倒のアリサがそう報告してくるのだから間違いではないはずで、だからこそ、サクヤは本当に驚いたと同時に、嗚呼、あの子も感情を露にして心の内を叫ぶ事があるのだ、とどこかで安堵したのだ。
 その相手が誰あろう、リンドウである事が――リンドウ本人がどう思うかは別にして――喜ばしい。
「それで、あの子に何て言ったの?」
 その内容について、やはりアリサから報告を受けているが、本人の自覚を促す為にももう一度、その状況を思い出してもらう必要がある。
 そろそろ蹴りを入れてやりたくなるような男に苦笑を向けて、サクヤは言葉を待った。
 俯けていた顔を上げ、壁を眺め、彷徨う視線。覚えていて、言葉にするべきか迷っているのだろう。モニターからターミナルへ、最後にベッドサイドの観葉植物に目を向けて、何を思い出したのか、少し和らぐ麹塵の瞳。理由を問いたいと思う気持ちが頭を擡げる前に、漸くその唇は音を紡いだ。
「頼れ」
「え?」
「俺を、頼れって言ったんだ」
 あいつは分からなかったみたいだけどな。言いながら、和らげた瞳に閑寂を揺らめかせる彼は本当に己の抱く想いに気付いていないのだろうか。恋い慕いながら、相手にされない寂しさを滲ませるその双眸。それに彼は本当に気付いていないのか。
 虚しく笑ってみせる彼に向けた言葉が喉から滑り出る。
「ねえ、リンドウ。貴方、本当に気付いていないの?」
「ん?何をだ?」
 秀麗な顔に影を落とす黒檀の髪から覗く麹塵が瞬く様は当たり前のようにあまりにもあっさりしていて、だからこそ、サクヤには彼が本当にそれに気付いていないのだと知れた。――――情け無い。我が幼馴染ながら、実に情け無い。此処は一つ、鬼教官で知られる彼の姉上殿にも一喝して貰った方が良いのではないだろうか。思いながら、とりあえず、まずは彼に己の気持ちを自覚させるのが先だ、と頭を切り替える。
 ぐりぐりぐり。少しばかり米神を解して、溜め息を一つ。この仕草は彼の想い人相手に極最近もやった。

「貴方、センカの事が好きなんでしょう?」

 勿論、恋愛対象として。決して広くは無い部屋に響いた彼女の声音に男が固まる。
「…え。…は?いや、サクヤ、今、何て…」
「だから、貴方、センカの事が好きなんでしょう。気付かない方がおかしいわ」
 ふんぞり返って、今度は断定的に言い放つサクヤが非常に漢らしい、なんて言ったら撃たれるだろうか。常に無くそんな馬鹿げた事を思うくらい、リンドウの頭は機能を停止していた。
「そ、りゃ…気になってるのは確かだが…」
 そんな、まさか。思いが巡り、けれど、不思議と否定の言葉は一つも出てこない。
 第一印象は綺麗な奴。それだけだった筈だ。初任務に同行して、それが綺麗なだけではないと知った。時が止まる程の、飛び散る赤い飛沫を纏ってすら美しい姿。声音は静かで、鈴よりも澄んでいる。多分、それが、始めだ。会話を避ける彼の内面が知れなくて、精神状態が心配で。サクヤからその片鱗を聞かされて更に気にかけるようになった。特殊な思考で孤独な思いをしていないか。そうであれば相談して欲しい。頼って欲しい。独りで佇むその隣に立ってみたい。そう思ううち、いつしか雪の如く煌く銀色を視界の端に探すのが癖になって、けれど、当のセンカは何故か自分を避けて逃げる。それで更に気になった。いくら距離を縮めようとしても彼はその分離れて行き、警戒も露に唇を閉ざす。コウタやサクヤ達にはその花弁のような唇を開く癖に、自分には硬く閉じた貝のように黙すのが酷く面白くなくて、無理矢理、言質を取って二人きりの任務に連れ出したりもした。
 その行動の根幹が、何だって?
「…あ…いや…嘘だろ…?」
 視線を落とした己の手のひらが口先ばかりの戸惑いを嘲笑うように、触れた銀糸の感触を思い出す。
 手袋の上からでも感じた、予想に違わぬ絹の心地。指の間を滑る銀色が愛しくて、あの時、必要以上に触れてしまった。自分の無骨な指に絡めて、解いて、撫で梳いたその髪。されるがままにされているのが嬉しくて、緩んだ口元を押さえられなかった。感じていたのは、確かに幸福感だったのかもしれない。後日、ブレンダンが同じように触れているのを見て、訳も無く不機嫌になったりしたのも記憶に新しい。
 嗚呼、そうか。――――漸く、気付く胸の内。
 例えば、サクヤやソーマやコウタやタツミやブレンダンやジーナやツバキに向ける親愛と、センカに向ける己のそれは明らかに違うと断言出来る。
 自分以外と話しているのを見れば不満が生まれ、誰かと行動を共にしていると知れば理不尽な怒りすら湧き上がるその感情は確かに嫉妬と呼べるもので、反対に彼の目がこちらを見ていれば安堵し、言葉を交わせば舞い上がる程の歓喜が生まれ、触れれば熱くなる感覚は、何故、今まで気付かなかったのだろうと思うほどにあからさまな恋情だ。
「あー…やばいな」
 一つ一つ紐解いていけば胸に染みて行く、焼け付く程の思慕。今なら、彼が傷つく事で自分があれ程までに頭に血を上らせた理由も理解出来る。
「俺、好きな奴、殴っちまった」
 閉じた瞼の裏に映すのはあの日、植物が好きだと言って微笑んだ、銀色の白雪。
 頼られないのが悔しくて、深い傷に眉一つ動かさずに拒絶だけを伝えてくる瞳にイラついて、衝動のままにあの白い頬を腫れる程、強く叩いてしまった。酷く自己中心的な発想だったと、今なら分かる。嫌われるだろうか?否。嫌う、という感情を持つほど気にされていないかもしれない。そもそも、名前すら呼んで貰えない自分は存在すら認識されているかどうか。嗚呼、凹む。とても凹む。もうぼこぼこだ。
 でも、それでも、これはきっと止められない。あの銀色が欲しくて欲しくて仕方が無い。どうしてもあの身体を抱きしめて、口付けて、心を通わせたい。想うほどに膨らむそれは最早、手遅れの末期状態だと思う。本当に、どうしてこうなるまで気付かなかったのか!
 何にしろ、覚悟は決まった。後は死力を尽くして押していくしかない。何せ相手は最高の防御力と攻撃力を誇っている。並の攻撃ではびくともしないどころか間違いなく返り討ちだ。協力者がいなければ断崖絶壁で揺れる華を手に入れるのはまず無理だろう。ただでさえ警戒されている自分では尚更、難易度は高い。
 ちらり。一瞥した先には依然、ふんぞり返り、艶やかに笑う幼馴染。ここまで発破をかけてくれるのだから敵ではないと思う。彼女が知っているという事はソーマ達も知っているのだろう。味方は存外、多いのかもしれない。自分はなんて部下に恵まれているのか。少しばかり感動で視界が滲みそうだ。
 テーブルに放ったままの煙草を一本出して咥え、ライターをぱちんと鳴らす。
 煙を一つ吐き出して、まあ、ちょっと座れよ、相談があるんだ、なんて、いけしゃあしゃあと言った自分は相当、図太いのかもしれない。

 さあ、ここからが本当の追いかけっこの始まりだ!



祝・リンドウさんの自覚!!
ついに…ようやっとここまでこぎつけました よ !…しかし自覚するにしてもなんとも情けない自覚の仕方ですね…今更、あれこれ嫉妬していた事に気付くとか…もう、ほんと、ツバキ御姉様に渇を入れてもらった方がいいんじゃないですかね?「お前はそれでも雨宮家の男かぁあああ!!」ぐらいには言ってやってくれてもいい気がします(ぇえ)

2011/01/17