あの人は何を言いたかったのだろう。思う程に、息が詰まる。
項垂れ兎と新型少女
雨宮リンドウという人はとても寛大で温和な人物だとセンカは認識している。同時に、人望に篤い彼は孤独とは無縁だとも。だが、それ程能天気な人物ではない事も確かで、このご時勢、誰もが何かを背負っている、と言った言葉の通り、彼自身も何かを背負っているのだろう、と思う。それは仲間の死であったり、部隊を率いる者としての責務であったり、様々なのだろうけれど。
その彼が、「寂しい」という感情を持つ時とは、果たして、どういう時なのだろうか。新人区画へと動き出すエレベーターの中で、センカは一人、それを考えていた。
贔屓目ではなく、リンドウはとても見目麗しい容姿をしていると思う。艶やかな黒髪がさらりと踊る隙間から覗く切れ長の双眸が微笑む様は溜め息が漏れる程美しく、形のいい唇から紡がれる声音は暖かく身体の芯に響いて意識を捉える。鍛えられた長身。大振りの神機を振るう手。染み付いた煙草の香り。それに惹かれる者は少なくないだろう。いつ死ぬかも分からない中、種の存続の為にその身を求める者すらいるかもしれない。そうでなくとも、その性格から人を集めやすい彼だ。「寂しい」というものとは甚だ無縁のように思える。
しかし、タツミとブレンダン曰く、彼は今現在、「寂しく思っている」らしい。更に原因は「彼を頼らなかったセンカにある」という。
両手で抱えた神機をかしゃりと鳴らし、センカは血を洗い流したばかりの柄に頬を寄せた。
未だ、熱を持つそこを覆うガーゼを透して感じるのは、無機物特有の冷えた感触。己と同じものだ。暖かな彼とは正反対の温度しか持たない自分に、彼が感じているという「寂しさ」とやらを理解するのは渦巻く何かを言葉にするより遥かに難しい。
そういえば、彼があんなに怒りを剥き出しにするのは初めて見た。歯を食いしばり、引き締まった腹に力を籠め、吼えるように大気を震わせた声が耳に残っている。印象の通り、黒い獣のような怒声。この無機物から感情を引きずり出す声。言うはずの無かった言葉を吐かせて、ついには喰らい尽くしたあの人。あの人は何を言いたかったのだろう、何を伝えたかったのだろう、自分は何を間違えてしまったのだろう、と思いながら、しかし、痺れたような胸の内が今、彼と会う事を確かに拒絶していた。これは、何という感情だっただろうか。
身体が浮くような刹那の感覚の後に動きを止めた箱が軋む音を伴って口を開ける。エレベーターを出て廊下を進んだ突き当りの自室の扉を視界に入れようと目線を上げたセンカの白藍が、目的地にいつもは何も無い筈の見慣れない銀を見つけた。
「あ」
「あ…」
緩く波打つ長い髪。赤と黒を基調にした衣の―――――アリサ・イリーニチナ・アミエーラ。
彼女がどうして自分の部屋の前にいるのだろう。任務は滞りなく、と言うには少々語弊があるかもしれないが、問題のシユウ自体は討伐済みである。今回はリンドウ自身が出撃した為、基本的に上官への任務報告は不要だ。他の上官…例えば、サクヤやソーマに報告をする、というのであれば話は別だが、彼等の居住区画は別階層にある。更に言うならば、先に前線に赴いていたとはいえ、彼女と同じ階級である自分に報告する必要は全く無い。
気まずそうに青い瞳を彷徨わせる色白の少女が見ているのはセンカの身体に巻かれた包帯だとか、頬のガーゼだとか、その辺りだろう。苦しみに喘ぐように小さく開閉する唇が言葉を捜している。
「あ、あの…っ」
呻き一つでは無機物に等しい自分には何も分からない。考えを巡らせるセンカが実際に首を傾げるより、戸惑いを振り切った彼女が口を開く方が早かった。
「助けて頂いて、有難うございました……次は、こんな失態は侵しません」
直線的な視線は彼女の性格を現すようだ。前を向く瞳。成る程、彼女は彼女自身が前面に押し出している性格よりも随分と違う性格をしているらしい。そういう所を見抜けるのがリンドウの美点の一つなのだろう。
彼女が言う言葉を固形で飲み込みながら、ゆるりと緩く瞬きをし、センカは静かに口を開いた。
「…命令だったので」
「え?」
「命令だったのでした事ですが…意にそぐわなかったようです」
白藍の瞳に合わさる青い瞳が丸く見開く。言った事の意味を、彼女は理解できていないだろう。分かるのは、命令だったからしただけだという事くらいか。
軽い音を立てて神機を抱え直すセンカを見ながら、アリサは止まりそうな呼吸を漸く細く続けた。先程、サクヤに捕まり、任務の報告をさせられた時に言われた事が甦る。――――曰く、センカは少し変わってるけど悪い子じゃないから嫌わないで欲しい、と。しかし、これは嫌う嫌わない以前の問題ではないだろうか。そもそも、この人物自体が理解出来ない。
命令だったからした、というのは裏を返せば、命令が無ければあの時、仲間が傷つくのをただ眺めていた、という事だ。引き裂かれようが、張り飛ばされようが、関係なかった。そういう事。あまり人当たりの良くないアリサですら、任務中に同行している仲間にはそれなりに気を配るというのに、彼は機械的な思考でその必要性を判断している。それは何て恐ろしい事だろう。つまりは上官が殺せと命じれば、彼は仲間を殺す事も厭わないのだ。行き過ぎた仮定だと言われるかもしれないが、彼の目は深く、それが真実になりそうだと思ってしまう。
機械的で、無機的な人。それがアリサが抱いた彼への感想だった。コウタが散々、俺はセンカの友達だ、と豪語していたが、こんな人とどうやって友人関係を持てるのだろう。ただ冷たいばかりの、まるで人間味を感じさせない思考は声音から冷たい銃口のようだ。
意にそぐわなかった、というのも、恐らくはリンドウとの事だと知れるが、それも酷く冷たい。本当に理解できていないようだった。飄々として、穏やかそうに見える上官があそこまで怒るとは自分も思わなかったけれど、流石にその理由くらいは理解出来る。
今回、傍目に見たセンカの戦闘方法は決して他者を寄せ付けない、完全な個人プレイだ。それは演舞の如き刃の舞。仲間を信用しない戦い方は寧ろ、その存在を意識から消しているかのようにも思える。しかし、その分、如何ともし難い理由で他者が関わる場合の対処法が有り得ない程、不器用すぎた。守りと攻撃を取る場面で、守ってから攻撃に転ずる方法を取らず、彼が選んだのは己が足止めをして仕留める方法。リンドウと彼の技量をもってすれば前者で勝利を得る事など容易かった筈だ。深い傷を負い、上官と喧嘩をして謹慎処分を受ける事など無かった。
リンドウが伝えたいものとセンカに伝わるものは幾重にも屈折した末に形を変えてしまっているのかもしれない。あの時、リンドウに言われて雲を探していた自分には彼等の間で交わされた会話が何だったのか知る由も無いが、それでも、それが酷く寂しいものだと、ぼんやりと思う。
きっと、あの上官は沢山の言葉の中から伝わる確率が高いものを選び抜いて彼に伝えているのだろうに。
「寂しいんですか?」
「…え?」
こちらを向いた白藍が、そよ風に揺らめく湖面の如く揺れる。
「何を伝えられたのかが分からなくて、寂しいんですか?」
伝わらない事も寂しいが、伝えられた事を理解できずにいる事もとても寂しい。いっそ、正面きって話し合えれば良いのだろうけれど、自分に出来ない事を相手に提案する事は憚られた。――――そう。自分ですら、人と関わる事を偉そうに言える立場ではないのだ。それが、どうして彼に語れるのだろう。
舞い降りた沈黙は、多分、重くは無かったかもしれない。
「…寂しく、見えますか?」
少し眉を寄せて小首を傾げた彼が酷く可愛らしく見えて、アリサは小さく笑った。
「ええ。まるで兎が項垂れているみたいです」
早く寂しくないようにして貰って下さい。
描写でしか登場してなかったアリサさんが漸く登場です。
印象だとアリサさんは兎っぽいので(或いは猫)、少し落ち込み気味の新型さんと一緒にがっくりしてもらいました。でも少し、アリサさんの方が余裕ありな感じで。
年上なのに年下っぽい新型さんをちょっと弟みたいに思ってるとイイです。…思えば、コウタさんも新型さんの扱いがそうですね(笑)
2011/01/17 |