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 どこの馬の骨でなくたって、まだやれない。

他所にやるにはまだ早い

 任務が無ければ、ゴッドイーターがする事というのは然程、多くは無い。寧ろ、何も無いくらいだ。おまけに任務に関する事柄に一切関わるなといわれてしまえば、出来る事は寝る事か勉学くらい。生憎と遊ぶという概念があまり無い自分にはそれくらいしかなかった。
 ぱたん。読んでいた本を閉じる。暇潰しに読み始めたこの本も実を言えば既に五回読破済みだ。人間的に言うなら、正直、飽きた。眠ろうにも寝過ぎてしまったのかいつもの静かな波は遠くに居るようで、近くに呼ぶのは中々難しそうだ、と溜息すら漏れる。
 先程までこのラボラトリでアラガミの進化について、サカキの講義を受けていたコウタとアリサは終わるなり任務へ出てしまい、既に此処には居ない。この部屋にいるのは機械を弄るサカキとリンドウに謹慎を言い渡されたセンカだけだ。相手を気配だけで察しようとする、腹の探り合いにも似た雰囲気は相変わらずのもので、けれど、先日から少しだけ変化した何かが沈黙の質を変えさせていた。
 重くは、無いと思う。どちらかといえば穏やかだろうか。よく判らないが、悪いものでは、無いと思う。
 ちらり。モニターの流れを追う姿を盗み見て、また沈黙。僅かな間の後、ついに耐え切れなくなったように男が噴いた。
「…ふふふ…っ…何か言いたい事でもあるのかい?」
 さっきからこちらを気にしてばかりで、手にした本は一ページだって進んでいなかったじゃないか、とは流石に口に出さないが、定位置となっている検査台の上に本を放り出した彼はその意を汲み取ってしまっているだろう。少しばかり顰められた顔がやけに面白くて、サカキはもう一度、噴いた。
 あの日から内面を訊いて来ない自分に彼が不信感を抱いているのは気付いている。怪しさを探っている、というよりも、心配している感の強いそれは無意識でも喜ばしい変化だ。しかし、勿論、それをからかって態とこんな態度を取っている訳ではない。可愛い子には旅をさせろとはよく言ったもので、自分が一歩引いたことによってセンカと周囲の結び付きはおぼろげで曖昧だったものから、確かなものへと徐々に姿を変えている。これなら、センカが普通に社会に溶け込む日も、そう遠い話ではないかもしれない。
 寂しさ半分、喜び半分。でも、流石に嫁に行くにはまだ早い。彼の行く末を考える時の自分はまるで父親だ。まあ、歳からいって、確かに子供一人いてもおかしくはないけれど。
 さて、自分の親心云々は置いておいて。先日、センカが負った大怪我が原因の謹慎処分については無論、把握済みである。結論からいうならば、妥当な処分。それについて異を唱えるのは御門違いに他ならない。センカ自身もそれについて言う事は無いのだろう。そもそも、上官命令に逆らうような子ではないが、だからこそ、詳細を聞いたサカキは思わず開眼する程、驚いた。――――センカが怒声を発した、などと、何の冗談かと。
 彼を見続けて十六年。感情に任せた声音など聞いた事が無い。最近でこそ、ぼんやりと心中を吐露する事はあれど、怒声というには程遠い。それがまさかアラガミも逃げ出すような怒声とは。だが、少々、激しいものにしろ、これも彼の変化の内だと思えば、悪いものではないのだ。寧ろ、大いにやって欲しいと思う。リンドウと彼は中々、良い組み合わせなのかもしれない。…勿論、嫁に行くにはまだ早いが。
「考えている事を当ててあげようか」
 まだまだセンカの思考を読み切れない輩にはやれない。サカキの腹には密かに力が籠もる。
 苦笑しながら言う男に合わさる視線は背伸びをする雛鳥のようで、やっぱり嫁に行くにはまだ早い、と彼は再度、脳裏で呟いた。
「まず、謹慎処分の事を考えていたね。実に暇そうだった。でも、君はそれについて納得している部分があるから、事務的なものについては考えを完結させているんだろう。他に考えなければならない事はあるようだがね」
 正解かな?席を立ち、茶を入れるサカキにセンカは渋々、小さく頷く。満足したようにそれを眺め、男は湯気の立つカップを差し出した。ふうわり。手渡される瞬間に湯気が笑う。
「次に、私に聞きたい事、という観点からすると…先程の講義の事かな」
 瞬間、跳ねる肩。長く付き合ったサカキくらいでしか認識できないだろうそれは相変わらず上手く隠されていて、彼はまた少し笑った。僅かにでも流れる穏やかな空気は少し前の自分とセンカの間ではとても珍しいものだったと思う。最近ではよく感じられるようになったそれは、言うまでも無く、とても喜ばしい事だ。
 検査台に腰掛ける彼の隣に座り、静かな声音を聞く。
「……『人というアラガミ』とは『誰』の事なのかと…」
 俯く銀色の表情は翳り、サカキからでは良く伺えないが、きっと、その少しばかり沈んだ声音に違わない表情をしているのだろう。
 持論に夢中になったばかりに、迂闊にも彼の琴線に触れてしまったらしい。
「自分の事だと思ったのかい?」
 いつもの調子を崩さずに言う彼に返るのは沈黙。それだけで答に等しい、と男は顎を擦った。
 あの言葉に、それ程、意地の悪い意味があった訳ではないのは明白だ。サカキが持論に夢中になるのはいつもの事で、逐一、それに構っていたらきりが無い。しかし、センカにとって今日のそれは気にかけるに値するものだった。どういう意図をもって彼等の前でその論を述べたのか。あの瞬間、確かにセンカの中で焦りに似た何かが込み上げた。
 この身の全てが帰結するものは間違ってもサカキやリンドウ達と同じものではない。強いて、同じものと呼べるかもしれないソーマですら、実を言えば、根本から違うのだ。例え、この姿が人に似たそれであっても、その思考すら決して交わる事は無い。違う個体を理解出来ないように、そもそも、違う種を理解する事など不可能なのだ。――――この傷を齎した人が良い例だ、とセンカは依然、頬に滲む痛みに刹那、意識をやり、またリンドウの事を考えている自分に小さく溜め息をついた。あの任務から、ずっとこんな調子だ。
 ふいに、ぽん、と頭に乗った温もりが意識を現実に引き戻す。適度な重み。それがサカキの手だというのを理解するのには、少しだけ時間を要した。
 笑いながら柔らかく銀髪を撫で乱す手に、白藍が瞬く。
「気にかける事は無いよ。あれはただの学論で、特別に誰かを意識しての言葉じゃない。不安にさせたなら悪かったね」
 常に無いくらい優しげなそれが何故だか、逃げたくなる程居心地が悪い。こんな居心地の悪いラボラトリは初めてだ。いつも早く退出したい、と思うのはあまり気分が良くないからで、こんな感覚に陥るからでは決して無い。何だろう。これは、そう、例えば、任務以外で第一部隊や防衛班の面々と会う時のそれに似ている。似ているだけで、同じものかといえば、それもまた少し違う気がするけれど。
 じとり。銀の前髪の下からそっと隣に座る男を見上げる。
「理解、しかねます」
「そうかい?私から見たら、君はとても不安そうにしていたけれどね」
 不安、というものは人間的なものだ。自分には理解出来ない。そう言う彼に、サカキは頭を撫でながら、やはり笑って見せた。

 こんな時間も、きっと悪くはない。
 他所にくれてやるのはまだまだ先になりそうだ。



サカキ博士の「人と言うアラガミが現れるかもしれない」発言について。
もう種明かしがされているのであまり伏せる必要も無いなぁ、と思っていますが、まだちゃんと書きません。もっと先でちゃんと書きます。
何にしても、博士と新型さんの場面は書いてて和みます。
お父さん、もっと警戒しないと、悪い虫(訳:リンドウ隊長など)が調子こいてくっついちゃうよ!

2011/1/21