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 きっと拒絶だった。

理解不能論

「お疲れさん」
 そう言って別れた上官は多少、笑顔が固かったように思う。恐らく、自分の戦い方が初戦にしては慣れていたように見えたのが引っかかっているのだろう。
 金属の擦れる音を引き連れて重々しく閉じたエレベーターが再び昇降音を響かせ始めるのをぼんやりと眺めて送りながら、彼は珍しく、失敗した、と胸の内で呟いた。少しばかり、眉間に皺が寄る。
 自分の出生等について、別段、隠す事は無いと思っているが、それでも知らない方が良い事というのはあるものだ。知る事で鈍るものがある。そして、あの上官は知る事で鈍る類の人間だろう。勿論、公私を分ける人物であるとも思う。しかし、少々、個人的な領域に踏み込みすぎるきらいがありそうなのも確かだ。完全な職業主義には程遠い。
 精々、数時間程の任務の間に交わした言葉が必要最低限で済んだのはセンカにとって幸いだった。あれ以上は良くない。彼にとっても、自分にとっても。何より、距離を詰めて来るかもしれない彼は明らかに拒絶の対象だ。無闇に波風を立てる必要も無いだろう。
 慣れない自室に踏み込んで吸う空気は、やはり、慣れない。吸った空気が重い二酸化炭素に変わり、床に落ちる。
 殺風景、と言われれば殺風景な室内。無理も無いだろう。何せ、この部屋に入るのはこの瞬間が始めてだ。物らしい物がある訳が無い。私物と呼べる私物といえば、いつ運び込まれのか、ベッドサイドでひっそりと息をする、大事にしていた鉢植えくらいのものである。万年、サカキ博士の陰で息をしていたような自分には「自室」と言われても、帰ってきた安堵だとか、気の抜けた感覚だとか、そういった「普通の人が感じるもの」が理解出来なかった。そもそも、感情の品書きに無いというべきか。目の前に広がるものはただの「部屋」で、それ以上でも以下でもない。辛うじて理解出来る箇所があるとすれば、この「部屋」が「センカのもの」であるという客観的事実くらいだろう。それは人以外のものが人を認識する時のそれに似ている。嗚呼、アレは人なのだと、そう思う時のそれだ。機械的で、無機的。
 抱いた己の神機の柄に摺り寄せた頬が熱を奪われる感覚に、白藍の双眸が細く和らぐ。かしゃりと鳴る、金属音。この有機物に限りなく近い無機物だけは距離を計る必要が無くて良い。
 ピリリ、と今は空を飛ばなくなった小鳥のように鳴いた携帯端末をテーブルに放り出し、そのまま彼は「自室のベッド」に銀糸を散らした。


 鳥羽センカ。十六歳。性別、男。フェンリル極東支部初の新型神機適合者。――――何度と無く繰り返し確認した彼の履歴に関する書類から分かるのはその程度だった。家族構成はおろか、どこに住んでいたのかさえ書かれていない。最低でも外部居住区なのか内部居住区なのかくらいは書いてしかるべきだろうに。
 溜め息と共に部屋を煙らせた紫煙が天井へと消える。仕事終わりの配給ビールと煙草をゆったりと味わいながら、雨宮リンドウは手にした書類をテーブルに投げ出してソファに身を預けた。
 斜陽に靡く銀糸の髪の柔らかさに少しでも触れたいと思わなかったかと言われれば言葉に詰まる。この手で白い肌に痕を残してみたいと、そのぼんやりと虚空を見つめる空よりも淡い双眸に映りたいと、そう思わなかったかと問われれば、今度こそ頭を抱えてしまいそうだ。
 刀身はショートを使用していたようだが――観察すべき大事な部分を覚えていない辺り、もう終わっている――、それにしても大きな神機に不似合いな小さな身体。華奢すぎる肢体は自分などが抱きしめれば直にでも折れてしまうのではないかと思う。同時に、「そういう欲」の対象になるだろう。
「……守って、やんなきゃな」
「あら、誰を?」
 呟いた声に、女のそれが返る。
 扉の向こうに気配はしていたから、そう驚く事でもなかったし、何より、次の彼のパートナーは彼女だ。部隊の二番手に位置する彼女が彼の事を聞きに来ないわけが無かった。彼女自身、ちらりと見ただけの彼の事を気にかけているのだろう。それは勿論、戦闘能力に関する興味もあるだろうが、それ以上に気にかけているのは彼の性格だ。自分が帰ってきてすぐにこうして聞きに来るという事は、相当、気にしている。――まあ、細い両手で神機を抱えて朧のように佇む彼は、実際に共に任務へと赴いた自分から見ても戦えるようには見えない。
 開いた扉から優雅にこちらに歩み寄ってくる彼女に向かって、リンドウは不敵に笑って見せた。
「今日の初デートでとんでもないものを見せ付けてくれた御姫様だよ」
 言えば、首を傾げる彼女の動きに合わせて、顎辺りで切りそろえられた髪が揺れる。暁の色を写した瞳は至極、不思議そうだ。
「とんでもないもの?」
「おう。あれは惚れるぞ、サクヤ。チームワークには少々難有りだが、下手したら俺より強い」
 今度は、驚いたように暁が瞬く。曰く、有り得ない、と。しかし、本当にとんでもなかったのだ。あの細腕に僅かな力が込められる瞬間すら、血生臭い筈の光景が何処か硝子細工のように繊細で、嗚呼、本当に、とんでもなかった。
「俺なんか標的に指一本触れてないしなぁ…」
 その点では隊長として情け無いと思うが、あれを見れば誰でもあの流麗な舞台には上がれないだろう。彼と比べて、自分達の戦い方は…悪く言えば、野蛮だ。
「明日はお前と任務に行かせるつもりだが…あれを見たら戦闘面に関する心配は杞憂だぞ?」
「…そんなに凄かったの?」
「有体に言えば、綺麗の一言なんだが…まあ、見れば分かるって」
 言葉にするのは、難しい。自分に語彙力が無いのか、或いは、それを表現するだけの言葉がそもそもこの世界に無いのか。どちらにしろ、それを伝えられないまま、ただ、見てみろ、と言う事しか出来ないのはリンドウには酷くもどかしかった。
 一口煽った配給ビールの苦味が腹の底の憤りを冷やす。――――戦闘面についてはこちらがぼんやりしなければ問題無い。彼について問題があるとすれば、
「問題は…あいつの性格だな。特殊すぎる」
 呟くような小さな声は、確実に彼女に届いたようだった。再び、不思議そうに揺れる暁。少しばかり明後日を見ているのは、エントランスで見た彼の姿を思い起こしているからだろう。
「……ちょっとぼうっとしてそうだったけど…そんなにおかしな子には見えなかったわよ?」
「いや、何て言うか、こう、表現し辛いんだが…」
「作戦中は乱暴な性格に豹変するとか?」
 ありがちよね。彼女がさしておかしな風でもなく言うのは、このアナグラの住人が、否、ゴッドイーター達が少々個性的だからだとリンドウは思う。個性的な人物の筆頭である某博士を思い出して、立ちそうになった鳥肌を気合で抑えた。
 灰皿に吸い掛けの煙草を押し付ける。
「豹変するならまだ良いぞ……寧ろ、作戦中でも全く変わらない。あのままだ」
 あのまま。そう、あのままだ。何か、義務の如く平静を保ち続ける彼の姿は、思い返せば、心の内に踏み込ませ無いような拒絶めいた何かがあったかもしれない。会話らしい会話が出来なかったのを彼の所為にする訳ではないが、話しかけるのを躊躇う程度には、纏う空気の色の無さが自然すぎて――あくまで不自然ではない――気になった。
 空気の温度ではない。色、だ。温度が無い程、冷たい訳でも無く、けれど、暖かい訳でもない。強いて言うなら常温の気配。恰も、生き物が擬態するかのような溶け込み方。乏しい感情のように、色が無い。無害なように思えるそれは、多分、明らかな拒絶だったと思う。
 ビール瓶を伝う結露を目で追う男は、行きのヘリはおろか、帰りのヘリでも雑談一つ出来なかった虚しさを、脳裏を駆けた思考と違う言葉を口から吐く事で飲み込んだ。――――大丈夫だ。嘘は言わない。だって、これは本当の事だ。物凄く信じられない事に。
「両手で枕を抱えるみたいに神機を抱えて、散歩でもしてるんじゃないかと思うような足取りで戦場を闊歩するんだぜ?信じられるか?敵を前にしてもろくに構えもしない。しかも、俺ですら一歩も動けないような立ち回りをした後に言った言葉は何だと思う?」
 少し可哀相なものを見るような視線を感じる。やめてくれ。可哀相なのは俺じゃない。それを信じられて無いお前なんだぜ?そう思いながら、自分でも何だか惨めになってくるのは何故なのか。
 サクヤの視線が痛すぎる。
「…な、何だったの?」
 やめろ、どん引くな。俺の所為じゃない。俺は事実を伝えているだけなんだ。――引き攣った彼女を置いて、彼は明後日を見た。

「『話が出来そうになかったから』」

 しかし、此処数十年の間にアラガミと示談をしよう、などという話は終ぞ聞いた事が無い。
「………私、あの子とやっていけるかしら」
「俺も少しばっかり不安だ」
 二人の大人がモニターに映し出された夕日を遠くに眺めていた。



大人組の不安。新型さん、不思議すぎて困る、みたいな。
リンドウさんは密かに愛に落下中。サクヤさんは明日の任務にちょう不安。新型さんは熟睡中、というちぐはぐ具合を狙って玉砕。

2010/09/16