どちらも生き、どちらも死んでいく。そして、どちらも身勝手で、どちらも正しいのだ。
生存競争の独我論
「ありゃ何だ」
タツミが漏らした声に振り向くのと、センカが飛び出すのと、どちらが早かっただろうか。恐らく、同時か、その気配に気付いていたセンカの方が早かったに違いない。
謹慎明け最初の任務は防衛班との合同任務。明けて早々、リンドウと顔を合わせる羽目にならなかったのは、まだ整理できていない部分の多いセンカにとって救いだった。更に言うなら、何かと世話を焼きたがる第一部隊の面々とも会わずに済んだのはここ数日で溜まった幸運を使ってしまったのではないかと思うくらいの幸運だったと思う。
一週間ぶりの任務で気を使ったのか、与えられた任務は旧市街地での難なくこなせる程度のもの。早朝任務に同行した防衛班も、これなら直に帰れそうだ、と狙っている昼食の献立を披露する余裕ぶり。それが覆ったのは回収地点までもう少し、といった辺りに差し掛かった時だった。
轟音と血の匂い。振り向いた視界に入ったのは、倒れ込むヴァジュラの巨体とそれを喰らう別の個体。――――己と同型のものには食欲を覚えない筈のアラガミには珍しい現象…同属食いだ。
不味いところに出くわした、と退避を優先させようとするタツミ達を尻目に、弾丸よりも早く飛び出したセンカは背にかかる静止の言葉を振り切って駆け出した。地を蹴り、舞い上がった銀色がひらり、刃を構える。重力に従い、落下する速度のまま、不意を衝かれたヴァジュラの額を割り、センカは銃形態に転換させた神機の先端を咆哮に大きく開いた口腔へと突き入れた。ごりり、と上顎を擦る銃口。躊躇いは無い。白藍を細め、唇を引き結び、体内目掛けて引き金を引けば、爆発系の効果を付与させたバレットがヴァジュラの体内でくぐもった破裂音を響かせる。
濡れる咆哮に怯む暇は無い。ごば、と焼けた喉を昇ってきた赤黒い液体を頭から被りながら、センカの指は二発目を繰り出すべく引き金を引き続ける。
無論、ヴァジュラをたった一撃で仕留められるとは思っていない。弾が続く限り撃ち続けなければ。気を抜いた方が負けだ。
四発、五発、六発、七発目。漸く、力の抜けた巨体がぐらり。傾ぐ。重々しい音を立てて砂利の荒野に沈んだ巨体を見下ろし、センカは小さく息を吐いた。後ろから、焦りと怒りを滲ませた声が近づいてくるのを聞きながら、捕食されていたヴァジュラの足元に目をやる。
視界に映るのは、小さな四足の獣。だが、普通の獣というにはその形態はあまりに人間が動物と総称するものからはかけ離れていた。
「この馬鹿っ!一人で突っ走るなっつったろーが!…って、おい、それ…」
返り血を拭いもせずにその塊の傍へ膝をついたセンカの傍らに立ったタツミが息を呑む。
捕食され、事切れた親――仮定だ――に寄り添うように大地に横たわる獣の大きさはその種族からは考えられない程に小さく、両手で抱えられる程度しかない。例えるなら少し大きな子犬か虎の子というのがしっくりくる。とくとくと血を流すわき腹は襲ってきたものに爪で張り飛ばされでもしたのだろうか。裂傷が目立つ汚れた全身が小さく、小さく、消え入りそうな微かな浅い呼吸を繰り返していた。
静かな声音が静寂に響く。
「…ヴァジュラの仔のようです」
虫の息の小さな獣。その顔はどこか幼さを感じさせるものの、確かにヴァジュラの面だ。人面に似たその顔は実に特徴的で、忘れる事など無い。アラガミに幼生期があるのかは分からないが、目の前に存在するそれは成長すれば確実に立派なヴァジュラになるだろう。
そっと触れた白い手が、幼い獣が流す赤に染まる。じわりと指先から手のひらに昇るのは生物の温度だ。指の間を擽る、少しごわついた毛と吐息の温もり。生きている温度。生きている鼓動。その微かな音。――――放っておいてもこのままオラクル細胞へと還っていくだろう。アラガミ同士で助けあう事などそうそう無い。その上、この幼子は手負いだ。助けられるどころか喰われてしまうのが関の山。
選ばせてやれる道は、自然に還るか、同属の糧となるか、この手で止めを刺してやるか、或いは。
「どうする?」
「どうするったって…アラガミの親子なんか聞いた事ないぞ?脅威になる前に仕留めておいた方が…」
ジーナとタツミの不穏な会話に反応したのか、ぴくり。センカの視界に映る小さな脚の爪が硬い大地を掻いた。
刹那、唐突に理解する。――――嗚呼、「これ」は生きたいのだ、と。何の為にこの世界に生まれたのか分からない種族であっても、確かにこの世界に存在していたいのだ、と。それはきっと、自分と同じなのだろう、と。そして、思う。「これ」は「自分」とどう違うのだろうか、と。
未だ議論を続ける防衛班に背を向けたまま、ゆっくりと、出来るだけ優しく、小さな身体を抱き上げる。返り血で濡れた腕の中は居心地が悪いだろうが、少しばかり我慢してもらうより仕方が無い。
謹慎明けでこんな行いは許されないだろう。今度は謹慎どころか神機を剥奪されるかもしれない。それでも、
「手当てをします」
「は!?お前、何言って…!」
予想の範囲内で異論があがる。その声を聞いても、彼は小さな体温を抱いたまま振り返らなかった。
「…自分が何を言ってるのか分かっているんだろうな?」
有り得ない展開に高く声を上げるタツミとは反対に、冷静な声音で低く問いかけてくるのはブレンダンだ。
その些か冷えた響きを背に受けながら、珍しく神機を片手で抱えたセンカの手には力が籠もる。
「……分かっている、つもりです」
「それなら、それをこっちに寄越せ」
「嫌です」
断る、ではなく、嫌だ、と。酷く自己中心的な言葉を使ってしまったのは無意識だったが、これはまさに自己中心的な発想による行動であるから、間違った使い方ではないのだろう。子供の駄々のようなものだと思う。何て幼稚なものだろうか。こんな応対をしたのは初めてだが、この腕の中の存在を渡すわけにはいかない。渡せば最後、小さな蝋燭の灯はいとも簡単に吹き消されてしまう。生きたい、と足掻く小さな、けれど、確かな意思が。それを消させる訳には、いかないのだ。
だが、ゴッドイーターの言う事も理解出来る。彼等はアラガミとは相容れない存在だ。捕食するか、されるかの関係。地上に蔓延る危険因子は少ない方が良いに決まっている。この腕に抱くヴァジュラが将来、人を襲わない保障は何処にも無いのだから、悪い芽は早くに摘んでおくに越した事は無いのである。
生存への欲求同士がぶつかり合うのは仕方の無い事で、しかし、色々な事が矛盾しながらも今、自分が味方するのは人間側では決して無い。
握り締めた神機の微かな鍔鳴りが聞こえる。銃形態にしたままのそれをこつん、と爪先で小突き、振り向くと同時に器用に足で支点を固定した神機の銃口を躊躇い無く背後の三人へ向ければ、彼等が息を呑む音が聞こえた。
「責任は、取ります。駄目だと思えばこの手で処分します」
分かっている。これは、裏切りだ。それ以外の、何物でもない。
「先に帰投して下さい。僕は残ります。迎えは要りません」
きつく、直線的に前を見据える白藍。腕に抱いた小さなアラガミを必死に守っているようにも見えるその姿は血に濡れていて、戦う者には似合わない細さが目立つ。頭から血を被っている所為で彼の特徴でもあるその綺麗な銀糸が光を失い、固まってしまっているのを見咎めて、タツミは不謹慎にも、密かに笑った。――――まるで、母親だ。例え、敵わない相手であろうと、身の内から湧き上がる恐怖を捻じ伏せ、震えを殺し、子を守る為に外敵に牙を剥く。今の彼はまさにそれそのものだ。
隣を一瞥すれば、戸惑うばかりの同僚二人が容赦なく向けられた銃口を伺っている。まさかここまでされるとは思っていなかったのだろう。此処は一つ、班長たる自分が上手く纏めてやらなければ。
溜め息一つ。苦笑を浮かべ、彼は両手を上げた。
「わかった」
「タツミ!?」
「だが、勿論、条件はつけさせてもらう」
思いがけない判断に叫ぶ同僚を制して、依然、銃口を逸らさない後輩に目を向ける。無言で見据えてくる姿勢は、話を聞く姿勢だとコウタが言っていた。へえ、とその時はあっさり聞き流した情報がこんな所で役に立つとは思わなかったが、何事も無駄なものなど無いという事か。何気ない情報も馬鹿には出来ない。
低く声を落とし、真っ直ぐに見つめる漆黒と刃のような白藍が交わる。
「そのヴァジュラの扱いについてはお前に一任するが、夜までには連絡を寄越して帰投すること。何も連絡が無い場合、捜索を出す。…それが飲めるならお前の好きにして良い」
いいな?念を押して背を向ければ、僅かに和らぐ気配。完全に警戒を解かないのは未だにブレンダンとジーナが相対しているからだろう。確かに、この事態は好ましいものではないが、センカの心がこれ以上、乱れる前にそっとしてやった方がいいとタツミは判断していた。それに、彼に関しての問題を解決するなら、自分達よりもずっと適任の男が一人、いるではないか。
「ほら、お前ら、帰るぞー」
掛かる号令に漸く足音が後ろを追いかけてくる。残った気配は、どうやらやっと肩の力を抜いたようだった。
さて、班長はこれからが大変だ。まずは不満そうな部下に補足説明をしてやらねばならず、更には支部への報告をどうにか誤魔化さなければならない。間違っても、部下の一人がアラガミを拾いました、などとは書けないからだ。それがばれてしまった際は少々覚悟を決めなければならないが、出来高優先のゴッドイーターの中で今更、降格などあまり痛くは無い。
そして、本日最後の大仕事は―――――言わずもがな、雨宮リンドウへの烏羽センカ捜索要請である。
どんな展開になるのか、多少、楽しみにしながら、タツミはヘリを待つ回収地点で太陽が中天に差し掛かりつつある空を見上げた。
アラガミにジュニアがいるなんて聞いた事も見た事もないんだ ぜ !(…)
勿論、捏造ですよー。だって、アラガミはヘドロとかマグマとかから湧いて出てくるものですもの!(ゲームのミッション説明参照)
要はそれぞれに理由があって、だから負けられないのは分かるけど、さらっと言えば、どっちもごり押しで我を通そうとしてるって事なんじゃないですかね、という話。で、それに影響された新型さんもごり押しで助けちゃうよ、と。きっとこの辺りにサカキ博士のアラガミとの共存思考が刷り込まれてるような気がします。
さて、今回の一番の功労者は言わずもがなタツミ兄さんですね。KYだけど読める時は読める男、大森タツミ。でも誰も褒めてくれない(ぇえ)
2011/02/05 |