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「紹介する。今日から第一部隊に加わるレンギョウだ」
 リンドウの両手に上半身を抱えられ、ぷらりと下半身を揺らした「それ」は――――ヴァジュラだった。

毛玉事件

「ちょっ、リンドウさぁぁあああんんんんん!?」
「なんだーコウター。五月蝿いぞー?」
 なあ?ぷらりと掲げたそれに話しかければ、ぎゃう、と良い子の返事らしきものが返ってくるものだから、コウタはそれを指した指を己の髪に突っ込んで天井を仰いだ。――――嗚呼、今日も蛍光灯が眩しい。いつもと何ら変わり無い。今日も皆で任務に出て大勝してくる予定で、嗚呼、それなのに、それなのに!肝心要の我らが隊長殿の手の中で尻尾をぱたつかせているのはヴァジュラじゃないか!
「それってアラガミ…よね?」
「ん?それ以外に見えるか?」
「ごめんなさい。聞いた私が馬鹿だったわ…」
 平然と、それこそ当然のように返すリンドウに、今度はサクヤが返り討ち。その傍らに佇むソーマとアリサは既に許容範囲を突破してしまっているらしい。この騒動の冒頭でヴァジュラの姿を見た時から瞬き一つしていない。誰かこの事態の打破を狙う猛者は居ないものか。後に残るのは色々な意味でフェンリル極東支部屈指の攻撃力を誇る銀の白雪。彼ならリンドウの暴走を止められる。しかし、当の銀色が佇む場所といえばよりにもよって、いつもは有り得ないリンドウの隣で、その時点で最早、彼はこちらの味方ではない。
 どう見たってアラガミじゃないか、なあ?と男が上機嫌に言えば、ぎゃうー、と返す小さなヴァジュラ。嗚呼、頭が痛い。夢だ。これは何か悪い夢なんだ。今日は部屋で不貞寝フラグを立てても良いですか?誰もがそう思った時、漸く救世主が鈴の声音をもって舞い降りた。
 俯けた視線が冷えた床を見る。
「……すみません…僕の、勝手で…連れて来ました」
 消え入りそうな声音は、しかし、そう遠くは無い距離を埋めるには事足りて、混乱の只中でもがく第一部隊はぱちりと瞬いた。
 勝手で、という事は命令に反したという事だ。アラガミと敵対しているにも関わらずアラガミを保護するなど命令違反以外の何物でもない。それを、命令に忠実なセンカがした、と。まさか。信じられない。センカの命令に対する認識は非常に厳しいものだ。あまり命令らしい命令というものが下されない第一部隊では認識しづらいが、討伐任務で徹底的に相手を殲滅するセンカの態度はそう思うに十分足る。そのセンカが命令違反。討伐任務を主とする第一部隊で、ヴァジュラの保護を優先。有り得ない。
「え、と…本当に、センカが連れて来たの?」
「はい。我が侭を…聞いて貰いました」
 迷惑もかけてしまった、と、逸早く立ち直ったコウタ――この辺りは友人第一号の賜物かもしれない――の問いに頷いた銀色に、彼は柔らかな茶色の瞳を丸くした。
 センカが我が侭をいう所など見た事も聞いた事も無い!彼の口から我が侭という言葉が零される事すら初めてだ。ちらり、一瞥した先でサクヤとソーマが些か驚いた様子で瞬く。誰もが同じ思いだろう。我が侭とはかけ離れているように見えるセンカだ。寧ろ、名前で呼んで貰うだとか、こちらの我が侭を聞いて貰った記憶しかない。何か提案をすれば、余程の事が無い限り返る答えは是。それが常だった。
「我が侭を聞いて貰ったって…リンドウさんに?」
 問えば、彷徨う視線の後に、小さな首肯。
「あー…そっか。うん。わかった」
 どうしてこんなにも隊長殿がでれでれの上機嫌なのか。ちらり。再び一瞥した先輩と同僚は今度は半眼でリンドウを見つめていた。つまりは、想い人に我が侭を言われて嬉しい、と。そういう事だ。
 しかし、それとこれとは別問題である。アラガミは人類の敵であり、フェンリルはアラガミに抗う為に存在する。相容れない存在を置いて苦しむのは庇護するセンカであり、庇護されるこのヴァジュラだ。無論、それを理解していてのこの行動なのだろうが、こればかりは誰もが渋い顔にならざるを得ない。ともすれば、リンドウの隊長としての資質も疑われかねないのだ。軽率な事はするべきではない。
 ぽりり。頬を掻いたコウタはリンドウの前髪に触れようと短い前足を目一杯伸ばすレンギョウを見た。
「……あの、それって…ちゃんと許可貰ってんですよね?」
 何処からどう見てもこれはヴァジュラだ。大変無害な犬猫です、と誤魔化すにはあまりに無理がある。通常ならば、すぐさま外部に放り出すか仕留めるかしたい所だが、こうして第一部隊に紹介する、という事はそれなりの手順を踏んでいるのだろう。
 むに。ついにほっぺたを幼子の肉球で押されたリンドウが怪訝な顔をするコウタに向き直る。実に間抜けだ。
「当たり前だろ。サカキ博士の太鼓判付きだ」
「サカキ博士!?」
「おー…って、いてっ、こら、爪出すなっ」
 驚く隊員を尻目に、にゅ、と飛び出た爪に男が仰け反る。緩んだ手からするりと抜け出したレンギョウが飛び跳ねて擦り寄るのは銀色の細い脚だ。くるりと一周回って一啼き。
 喉を鳴らして頭を擦り付ける幼子を眺めるリンドウはしたいままにさせている銀色の横顔に視線を移して微笑ましそうに笑った。
「知能も十分。人の見分けも出来る。言いつけをしっかり守るのはそこらの躾のなってないガキより賢いぞ?何より、センカによく懐いてるからなぁ…」
 離そうとする方が大惨事を招く。そう言う彼の遠い目は、一度、その「大惨事」を経験したからかもしれない。思う傍ら、サカキの名の登場に目を剥くサクヤ達とは別の意味で目を剥いたコウタはあの観察者がこの一件に関わっている事に妙に得心していた。
 サカキはセンカの主治医だ。二人の接する所を見てきた自分には明確にそうだと言われなくともわかる。友人や仕事仲間とは違う、他には無い気安い雰囲気。それは、例えるなら家族の間にあるものに似ていた。家族が家族の事に関わる。それは何ら不思議な事ではない。無論、彼がセンカの我が侭の為だけにこれを許可したとは思わないが、彼自身、何か思うところがあって行動したのは事実だろう。更に言うなら、学者らしく割り切る性格であるサカキの事、ヴァジュラの始末を支持しなかったという事はこのヴァジュラは一応、保障付きで無害という事だ。
 はあ。溜め息をついたのは、果たして誰だったのか。きっと、親子のような雰囲気を醸し出す二人と一匹以外の全員だったに違いない。
 先ず動いたのは、センカに対して最も免疫があるコウタだった。
「えーと、レンギョウ、だっけ?噛んだりしない…よな?」
「噛まないように言ってあります」
 すとんとしゃがみ込んだコウタから逃げるようにセンカの脚の後ろに隠れてしまったレンギョウに恐る恐る手を伸ばしてみても、毛を逆立てる気配は微塵も無い。それどころか、怯える仕草もそこそこに、興味深いとばかりにふんふん鼻を鳴らして指先に近付いてくる。――――成る程。確かに敵意は無いらしい。リンドウの言う通り、言い付けをしっかり守っている。これだけ見れば只の犬猫だ。中々、可愛らしいじゃないか。
 込み上げる感覚のままに唇に笑みを乗せた彼に続き、そよ風を纏いながら腰を落としたのはサクヤ。同じく手を伸ばして、幼子の気を惹けば、先程と同じく鼻を鳴らす小さなヴァジュラが彼女を微笑ませた。
「ふふっ…大人しいのね」
「暴れないように言ってあるので…」
 まるで母親。そう思ったのは何もコウタやサクヤだけでは無いだろう。固まったままだったソーマとアリサの肩ががくりと落ちて鉛より重い溜め息が落ちる。人間諦めが肝心とは昔人はよく言ったものだ。
 最早、ヴァジュラの仔が入隊云々には文句を言うまいが、この幼子の敬愛の仕方を見るに、センカに良く懐いている、というよりも、センカを親だと思っている、という方が正しいかもしれない。当のセンカも全く嫌がっていないのに加え、律儀に躾までして面倒を見ているのだからこれは親子以外の何物として見ろというのか。これで、妻にでれでれの夫が寄り添えば、いるだけで公害のような家族の出来上がりだ。しかし、勿論、そんなに上手く事が運ぶとは微塵も思っていない。そこまでの道のりは果てしなく遠い、と誰もが知っている。
 結ばれるも公害、結ばれずも公害。今日も全員集めて緊急会議。
 はあ。また大きく漏れた溜め息は、果たして誰のものだったのか。きっと、微笑ましい母子と圧倒的片思いの男以外の全員だったに違いない。



毛玉を第一部隊にご紹介、の巻。今回の見所は肉球でほっぺたを押される隊長です(ぇ)
もう既に擬似家族が出来上がっている訳ですが、本人達には自覚が全くありません。…まあ、新型さんと毛玉の間にはあるかもしれませんが…隊長は相変わらず外の人。で、ですが、ちゃんと進歩はしてますよ!?新型さんが頼りにしてる辺り、リンドウさん的にはレベルアップです!まだ圧倒的片思いでも距離は詰まってるんです!(…)
さて、次は誰もついていけない展開になります(何)

2011/03/22