強烈な爆音を響かせて迎えに来たヘリを見た時に、自分は上手く笑えていただろうか?
腕に抱いた彼岸花
雨脚はそう強くない。
相変わらず黒い竜巻――それがどういったものなのかは未だに解明出来ていないらしいが――が空をかき混ぜる場所で、せめて小雨程度であるのは幸いだと思う。これが身を打つ程の豪雨だったなら、それだけでこの任務は失敗だ。
かしゃり。今日も両腕に抱えた神機を鳴らして佇むセンカの隣には、昨日、少しだけ顔を合わせ、先程、共に任された任務を無事に完了した橘サクヤが長い銃身の獲物を携えて同じ方角を見据えていた。
肩口に届かない長さで切りそろえられた黒い髪はリンドウと同じだが、その艶めく双眸の色が違う。――――朱の双眸。苛烈な色だ。
「何だか心配する必要なかったわね。君、強いんだもの」
びっくりしちゃったわ。紅を引いた唇が弧を描く。
本当に、びっくりした。驚いた、と硬い表現を用いる余裕など馬鹿馬鹿しいくらいに、そう、ただ、びっくりした。何から何までリンドウに聞いた通りだったのだ。――大事に、それこそ、本当に「枕を抱えるように神機を抱いて、散歩でもするかのように戦場を闊歩」していた上に、「敵を前にしてもろくに構えもしなかった」。おまけに引率した先輩神機使いである筈の自分が「指一本触れていない」。
信じがたい事だったが、リンドウが言った事は本当に、本当だった。
エントランスで正式に顔を合わせたセンカに対するサクヤの印象といえば、やはり、幼馴染というべきか、リンドウと同じものだ。曰く、綺麗なもの。華奢で、それこそ、折れそうな。始めこそ、これで戦えるのか、と不安にもなった――何せ、今回、彼には接近戦を強いなければならなかった――が、アラガミを目の前にした彼は疾風よりも速かったように思う。否、サクヤが標的に銃口を向ける前にそれは終わっていたのだから、確かに疾風よりも早かったのだ。そして、その風は呼吸を忘れる程優美だった。
「リンドウも言ってたけど…綺麗に戦うのね。あの人達とは大違いだわ」
彼と比べて、自分達の戦い方は少々、野蛮過ぎるのかもしれない。そう思うのに足るくらいには美しい立ち回り。思い起こすだけで妙な高揚感と共に口元に笑みが上りそうになる。しかし、あまりに早く任務が終わってしまった所為で出来てしまった、迎えのヘリが来るまでの暇を潰す相手である筈のセンカはぼんやりと感情の読めない双眸を辛うじてこちらに向け、僅かに不思議そうな面持ちで小首を傾げて見せるだけだった。
チームワークに難がある。確か、リンドウがそんな事を言っていた。言語を理解出来ていない訳ではないと思うが、これは少々、意思の疎通が難しそうだ。だが、ここでめげるわけには行かない。何か、言葉を見つけなければ。まずは会話だ。
「えーっと…あのね、」
「綺麗、でしょうか」
遮る声音があまりに静かで、彼女の思考は刹那、動きを止めた。
「…綺麗…ですか?」
もう一度、殊更、ゆっくりと動く雨水で潤った唇。長い睫毛に乗った水の玉。淀み無く見つめてくる白藍の瞳が緩く瞬く。頬を伝う水が恰も涙の如く輪郭を辿り、細い顎から荒れた大地へ落ちる様があまりに儚く思えて、そこで漸く彼女は彼を僅かにでも傷つけたのだと知った。
頷けないサクヤの前で、センカは神機を抱える腕に少しだけ力を込めて目蓋を伏せる。
「そんな事は、初めて言われました。……殺しているのに」
小さな、小さな、声。変わらない表情は決して傷ついているようにも、悲しんでいるようにも見えないが、雨音を裂いた彼の言葉はサクヤを打ちのめした。――――殺しているのに。そう言った。殺しているのに、綺麗だと言われた、と。
アラガミを相手にあれ程、綺麗に立ち回る者をサクヤは見た事が無かった。故に彼女はその表現で彼を褒めたつもりでいたのだ。同じように彼を表現したリンドウもそうだろう。しかし、当のセンカは少しも嬉しそうではないどころか、皮肉に受け取っているらしい。
深く、稀有な方向に考えれば、彼の反応はそうおかしいものではない。どれ程、綺麗だと言われようと、アラガミという確かにこの地球上に生息している「生物」を殺している事に他ならないからだ。それは、例えば、昔の記録にある戦争で他人を殺した折に賞賛を受けるような、そんな感覚に近いのかもしれない。しかし、実際問題、アラガミは人類の敵であり、駆逐するべきものだ。そして、彼の戦い方を見た者は誰もが、彼を同じように賞賛するだろう。
綺麗に殺している。その表現が果たして正しいものなのか、小さな姿を前にするサクヤは今になって正誤を判断しかねていた。
「…ねえ、昨日、リンドウと任務に出かけた時、『話が出来そうになかったから』って、言ったそうね」
張り付く喉を唾液で潤す音すら響きそうな沈黙を破れたのは多分、奇跡だったと思う。そうでなければ、ヘリの爆音が薄氷を打ち砕くまでこのままだっただろう。そうして、彼と自分の非物理的な距離は泣きたくなる程遠くまで離れてしまうのだ。
ここで取り戻さなければ、駄目だ。
「おかしいですか?」
再び、首を傾げて視線を向ける彼に、サクヤは困ったように笑った。成る程、思考が少々特殊なくらいで、会話は出来ない事も無いらしい。それすら不可能だったリンドウは、申し訳ないが、彼に警戒されているか既に嫌われているのかもしれない。
「おかしくはないけど…ちょっと珍しいわね」
「珍しい…」
かしゃん。神機を抱えなおすのは彼の癖のようだ。考え込むついでに、綺麗な面の眉間に一本しわが寄る。そうして、ぽつりと零れた言葉はサクヤの朱の双眸を大きく見開かさせた。
「……アラガミと、自分の違いが…理解出来ないのだと、思います。…体温があって、負傷すれば赤い血が流れて、生きている音がする」
奏でられる声音の、静かさ。外された視線が黒い竜巻の先を眺めている。
「アラガミばかりの世界で、どうして自分だけがそうではないと言えるのでしょう」
人の敵であれ、何であれ、彼等も人と同じ「生物」なのだと、清流の声音が言う。
かつて、人が狩猟を行って生き延びてきたように、彼等も同じ事をしているに過ぎない。人に狩られる獣が抵抗をしなかったかと言えばそれは断じて否だ。ある者は逃亡を図り、ある者は立ち向かっただろう。それが、人とアラガミの間で行われているに過ぎないのである。
その上での、果たして意思の疎通が絶対的に不可能であるかという疑問について、彼は可能性を見ている。――彼等も、同じ「生物」なのだと言いながら。
「君は、優しいのね」
細腕に抱かれた神機に、寸前まで牙を剥かせないのはアラガミに人と同等の意識を持っているからだろう。戦場を緩く歩くのは、彼等が敵だという先入観を持っていないから。戦い方が綺麗だと言われて俯くのは、生き物を殺した事を褒められたくないから。だが、牙を剥くものを前に太刀筋を乱すような事はしない。敵であれば斬る。いっそ清々しい程の明快で稀有で異質な思考。理解に到達する他人は、皆無に違いない。
視線の先で雨に濡れる、華奢な姿。アラガミとの共存の可能性を見ながら、アラガミを駆逐する事を期待される兵器を腕に抱く、新型神機の使い手。これ程、性質の悪い皮肉も無い。
これを聞いたのが自分で良かったと思いながら、これからの彼への接触の図り方を考えつつ、彼女は、きっと、それじゃあ君は直に死んでしまうわ、という言葉を飲み込んだ。
意外とアラガミとの意思の疎通は出来そうなんじゃないかと思いますが、そんな考えじゃ直に死んじゃうんだぜ、というお話。
サクヤさんはお話してくれるので、大変、助かります。だって、うちの新型さん、空気がデフォルトですもの(ぇ)
2010/09/30 |