遠い対岸かと思っていた愛を叫ぶ距離は意外と短いのかもしれない。
向こう岸からアイラブユー
「センカ、明日空いてるか?」
「残念ながらコウタさんと任務ですごきげんよう」
昼下がり。息継ぎを挟む間も無くくるりと踵を返そうとしたセンカの首根っこを捕まえたリンドウが軽々とその細身を肩に担ぎ上げるのを見たエントランスの面々は光よりも早く他所を向いた。
「…っ降ろして下さい」
「んーそうかそうか、明日は埋まってるが今日は空いてるんだな?じゃあ付き合え。書類が溜まってるんだ」
「空いているなんて一言も言っていません。書類くらいご自分で処理なさって下さい」
話も聞かず、もがくセンカの華奢な腰を撫でながら、デスクワーク嫌いなんだよ、と返す男の顔はやに下がり過ぎて、彼に憧れを抱く者にとっては幻滅以外の何物でもない。相手が本気で嫌がっているにも関わらず担ぎ上げ、あまつさえ、さり気無くセクハラ紛いな事までしている様は正直、犯罪だ。ここにツバキがいたなら問答無用で説教が始まったに違いないが、間が良いのか悪いのか、彼女は会議で外している。
残念だ。実に残念だ。そう遠い目で呟いたのは誰だったのか。
リンドウの足元で、ぎゃうー、と啼いたレンギョウが間違った気を使ってソファに座るコウタの元へ走ってくるのと、保安部を呼ぶべきか否か迷う光景がエレベーターの中に消えるのは同時だった。がしゃん。動き出す箱。――――可哀相に。食べられない事を祈るばかり。全てはリンドウの常識と理性にかかっている。合掌。
とんでもない不意打ちの告白合戦から数日。当初の軋んだ雰囲気が嘘のようにリンドウとセンカの関係は大きく変わった。何が、と言われれば、全てが、と答えるより他無い程に。
コウタ達の予想として、リンドウがセンカに熱烈な求愛をするのは範囲内だったが、公衆の面前でここまであからさまに強引な行動をするような変化を見せるとまでは流石に誰も思わない。隊長としての理性的な一面を知っている者からすれば尚更だ。初めてエントランスで――よりにもよってエントランスだ!――センカに口説き文句を囁く彼を見た全員が手に持っていた物を盛大に落としたのは記憶に新しい。実姉であるツバキに至ってはこちらがいくら目の前で手を振っても気付かず、数十分の間、意識を飛ばしたままだった。
そんな彼も一応、己の理性を働かせているのだと知ったのは食堂――更には食堂!――でセンカの唇を奪おうとした時だ。すぐさま飛んだ第一部隊の鉄槌が間一髪の所でそれを阻んだが、気まずそうにぽつりと呟かれた、うっかりしてた、の言葉には誰もが冷や汗をかいたものである。うっかりしていなかったら我慢できたのか、とか、そのままうっかりしてたら何処までヤったのか、とか。そんな事は冗談でも聞けなかった。
センカの貞操の危機を察知した面々が目を光らせ始めたのもこの時からだ。我らが隊長殿をみすみす犯罪者にする訳にはいかない。
そんな己の危機を察したか否かは定かではないが、センカの方の変化も劇的だった。以前よりも物を言うようになったのだ。更にはどこでそんな能力を身につけたのか、冒頭のようにちょっとした嫌味くらいなら真顔で言えるようにもなったのは友人第一号を自負するコウタもそれは驚いたものだが、思い返せば、センカとて言われっ放しで来た訳ではない。小川シュンとやり合った例のエントランス事件では見事な嫌味を披露して見せている。それを人並みに表に出すようになっただけの話なのだろう。
あわせて、周囲への対応が心持、軟化したのはコウタ達にとっても喜ばしい事だった。余所余所しいのは中々寂しい。
「でもさ」
嬉しさを胸に抱きながら、膝に上ってきたレンギョウを抱えるコウタは、しかし、溜め息をつく。
「リンドウさんってまだまだ圧倒的な片思いだよね」
「超えられない壁ね」
付け加えるサクヤは相変わらず厳しい。ツバキからリンドウがセンカを手篭めにしないように――そんな貧弱でも無いとコウタは思うのだが――注意しておけ、と言われている上、サクヤ自身、可愛い後輩をそう簡単にけだものに喰わせてなるものか、と意気込んでいるのだ。これについてはコウタも嗜める言葉が見つからない。そもそも、隙を突いてセンカの唇を奪おうとするリンドウが悪いのである。
エントランスの雰囲気に慣れたヴァジュラの仔の尻尾を弄りながら今度はブレンダンが口を開いた。
「ちゃんと話聞いてる辺り、脈ありなんじゃないかと思うんだが…」
「それはセンカが律儀だからでしょ」
「あいつ、人の話聞かないって事無いからなぁ」
言葉を重ねるのはジーナと、手にした菓子を毛玉の前にぷらぷらさせてコウタに窘められるタツミだ。始めはヴァジュラの保護に異を唱えた彼等も数日経てば気にもしなくなった。今ではレンギョウの良い遊び相手になっている。
センカが他人の話を聞かない事は無いというのはコウタも同感だった。これまでの間、リンドウとの会話以外でセンカが他人の話に耳を塞いだ事は一度も無い。理解出来ずとも、必ず一度は飲み込み、それなりの答えを返す。それは所謂、彼の性分と言うやつなのだろう。根から真面目なセンカらしい性分だと思う。
しかし、その分、リンドウに返す言葉は少々辛辣で、一方的に愛を囁く男はまるで対岸で叫んでいるかのようだ。
「まあ、どうせ今日もしっかり、なんちゃって秘書やるんだと思うから…悪い関係じゃないと思うんだけど…」
なんちゃって秘書とはここ数日、事ある毎にデスクワークに付き合わされるセンカを揶揄した言葉である。何だかんだと言いながら、きちんと上司たるリンドウの為にコーヒーを入れ、書類を整理し、会議があれば会議の、任務があれば任務の時間を管理する姿は有能な秘書にしか見えない。
「この間、報告書届けに行った時さぁ、リンドウさんが『ん』って言っただけでコーヒーのおかわり注いだセンカとか……俺、どこの熟年夫婦かと思っちゃったよ…」
きっとあのコーヒーですら、きちんとリンドウ好みの濃さに仕上がっているのだろう。この裏腹具合はツンデレというべきか否か。ただ仕事として割り切っているだけだという虚しい説もある。センカの性格上、捨てきれないバッドエンドだが、それはないだろう、とコウタは密かに思っていた。
センカの性格上、という観点で見るならば、この状態は有り得ないからだ。態度が軟化したとはいえ、根本は他人の介入を許さない彼が堂々と個人領域への侵攻を宣言した男に、例え、仕事とはいえ傍にいるだろうか。答えは否だ。言葉巧みに逃げてしまうに違いない。センカがそれをしないという事は彼自身がそれなりにリンドウに気を許しているという事である。例えばコウタが傍にいるのを許すように、サクヤが傍にいる事を許すように、ソーマが、アリサが、タツミやブレンダン、ジーナが傍にいる事を許すように、リンドウにも同じ敬意を払っているだけなのだ。
要は、嫌ってる訳じゃないんだもんね。先日の驚くべき展開を思い返して、コウタの瞳が柔らかく揺れた。
兎も角、今日はリンドウの部屋には何があっても近付かないようにしなければ。馬に蹴られるならまだしも、神機に斬られるのは真っ平御免だ!
「ところでさ、アリサ。ターミナルを弄ってるふりしてるくらいならこっち来たら?」
「ほ、ほっといて下さい!」
フルスロットルなリンドウさんは公共の場でも新型さんを口説くのに余念が無いようです(…)
新型さんも嫌っている訳ではないのでわーわー抵抗しつつ、流されている感じです。で、隊長はそういう所も利用して二人の時間を作るべく部屋に連れ込む、と…わお、一歩間違えば犯罪!
いつも本格的なピンチになる頃に白馬の王子様の如く、サクヤ姐さんとかツバキ姐さんとかが戦闘モードでご登場してくれていると思います。……きっと。いうまでもなく、リンドウさん不憫フラグですが(ぇえ)
2011/04/02 |