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 ここは楽園。かつての、そして、今も。

抗うものへの賛歌

 今も昔も、センカがヨハネス・フォン・シックザールに呼ばれる時は大抵、表に出せない言い付けがある時だ。
 内容は接触禁忌種を含む大型アラガミの討伐であったり、生け捕りであったり、単なる偵察、探索の類であったり、その時々だが、そのどれにしろ、センカの華奢な身体に負わせるには重過ぎるように見えるものばかりだった。恰も殺す為のような任務。今ではある程度ならば難なくこなせるようにはなったものの、まだ幼い時は四肢が砕けるような思いをしたのも一度や二度ではない。
 それでも、この手足、首が満足に一つの身体にくっついているのは一重にサカキの尽力のおかげだろう。最近はそう思う。毎回、重症を負いながら、しかし、必ずその傷を癒すだけの休息が与えられているのは、彼がそれをシックザールからもぎ取ってくれているからだとセンカは知っていた。無論、サカキ自身が恩着せがましくそんな事を言った事はただの一度も無い。センカがそう気付いただけの話である。だから、この件について彼と話をした事は無かった。この先も、する必要は無いと思っている。彼もそうだろう。
 センカを生かす事によってサカキは観察対象を失わずにいられ、センカは生かされる事によってこの世界で息をしていられる。そこには相互利益に基づく立派な利害関係が成立しているのだ。――――もっとも、現在の関係が純粋にそうかと言われれば、それは即答しづらいものがあるけれど。
「ぎゃう」
 旧市街のはずれ。任務エリアですらないそこは荒廃が進み、固まったアラガミの排泄物ばかりが目立つ。臭いがしないのが救いだ、と言ったのは誰だったか。
 世界を飲み込むアラガミの残滓に密かに溜め息をつきながら、センカは平行して歩く足元のレンギョウに視線を落とした。かしゃり。抱え直す、己の神機。
 第一部隊に所属するようになってからは隠匿すべきと判断されているものがある為か、無理な呼び出しは減っていたと思う。少なくとも、正式にフェンリルに籍を置いてからおざなりに禁忌扱いのアラガミを屠って来いと放り出された事は無い。
 違和感を覚えたセンカが一度、サカキに問うた事があったが、彼は眉間を解しながら心底頭が痛いというように、同じような任務を請け負っているはずのリンドウやソーマですら君の請け負う任務には卒倒すると思うよ、と言っただけだった。それに再度、小首を傾げたセンカを見たサカキが養い子の教育方針について真剣に考える羽目になったのは、当の本人も想像出来ない事実だろう。
 その減った呼び出しがかかったのは今朝の事だ。――――旧市街の郊外の偵察。あくまで、名目上は。何か裏がある事は間違いない。そうでなければ、態々、「センカ」を呼び立てる意味がない。
 参加人数は一人。つまりは、センカの単独任務。シックザールの科す任務では特に珍しい事でも無く、慣れたものだ。にも関わらず風が胸を擦り抜けるような気がしたのは、最近、自分の周りが矢鱈と騒がしかったからだろうか?気を抜けないシックザールの手前、直ぐに蓋をした感情に首を傾げる暇は無かったが、レンギョウと二人で歩く静寂の中ではじわりと湧き上がってくるその思いに目を背ける事は出来なかった。
 立ち止まり、俯く。
「……静かだ」
 そう、静かだ。とても。とても。けれど、ついこの間まではこれが普通だった。耳鳴りがする程の静寂。掠める風の音。砂利を擦る感触。肌を粟立たせる緊張に、乾く唇。それを今更、異常だと思う事も無いだろうに、いつものように誰にも気付かれずに支部を出てきたこの胸は風通しを良くしたままだ。
 耳を掠める記憶の奥の声音。いってらっしゃい、と。少し前まではサカキにしか言われなかったその言葉を、フェンリルに身を置いてから何度聞いただろう?そうだ。今日は、それが無かった。誰にも気付かれないように出てきてしまったから。ただ、それだけの事。
 ふと意識に入れた小さな毛玉が、虚空を見上げながら鼻をひくつかせている。ふいに首をそっぽ向かせたレンギョウに、センカは首を傾げた。――――何かを感知したらしい。こういう時、この仔はとても賢い。気配を探りながら、じっとこちらを見てくる金色の視線には指示を仰ぐ言葉が含まれている。殺気立っている訳ではないから、他のアラガミがいる、という訳でもないようだが、用心するに越した事はないだろう。この仔が感知出来る範囲ならば、距離もそう遠くは無い筈だ。
 視線を合わせ、頷きを一つ。足音を消して走り出した幼子を、彼は追いかけた。
 アラガミの五感は個体によって差がある。例えば、コクーンメイデンやコンゴウが聴覚に優れているように。ヴァジュラ種は聴覚よりも視覚が発達しているようだが、レンギョウに限っては嗅覚も索敵に役立つ程度には発達しているようだった。勿論、現在、間近で生態を観察出来る個体がレンギョウだけであるから、ヴァジュラ種全体がそうだという可能性もある。そうなれば、神機使い達の戦い方も多少、様変わりする事になるだろう。そう言ったサカキが少しばかり興奮していたようだったのを覚えている。
 見回す景色の中、崩れかけた建造物が傾いた西日に照らされ、陰鬱な影を大地に描く様はまるで絵画のようだ。その中を駆けている自分たちはさながらジオラマの中の人形だろうか。己の成り立ちを考えたなら、中々、笑えない冗談だとセンカは思う。
 撓る尾を追いかけて数分、開けた視界の先にそれは姿を現した。
 茜の天空に突き刺さる廃ビルとは一線画した建物。煌く硝子の城に似た、
「温、室…?」
 植物園だったものだろうか。塀は既に崩れ、その役目を果たしていないが、唯一、残った温室だけがそこが緑の楽園であった事を物語っている。眩しい硝子張りの壁から透けて見える内部に緑のものが見えるから、気候の変化に順応出来たいくつかの種族は生き残っているのかもしれない。
 壊された温室の扉に気をつけながら、ゆっくりと踏み込む園内はアラガミなどとは無縁の平穏の中にあるかの如く、外界とはその静寂の質を換えていた。感じるのは息吹。穏やかだ。とても。
 目の前に広がるのは予想に違わぬ緑の木立の群れ。どこからか吹き込む風に吹かれた彼等の葉がひっそり揺れながらと広がっている様は恰も血塗れた空から地上を守るようだ。荘厳な、生命の美しさ。高々と伸びた幹と手を四方に伸ばす枝の下には背の低い草花が生い茂っている。データベースで見た事のある花から昔は雑草とまで蔑まされた、名前があるかどうかも怪しい草まで。どれも今では珍しくなったもの達が見捨てられた世界に生き残るべく懸命に根をはり、鮮やかな緑に色付いていた。
 見渡せば、茂った木の奥に小屋らしきものがあるから、此処にはかつて誰かが常勤していたのかもしれない。これだけの規模を管理するとなれば、それは大変な毎日だっただろう。
 踏み出した拍子、ぱりり、と歩道に散らばる硝子片が硬い靴底で微かな音を奏でて、センカは咄嗟に地面に目を落とした。――――そういえば、レンギョウは大丈夫だろうか。あの仔の足の裏には柔らかい肉球しかない。硝子で切り傷でも作れば、そこから入った菌で体調を崩す事も有り得る。此処は一先ず、あの仔を抱いて探索するか、一度、支部に戻り、後日改めて来るべきだろう。
 慌てて辺りを見回したセンカの不安を感じ取ったかのように件の毛玉が茂みから飛び出してきたのは、果たして偶然だったのか。がさりと大きな葉擦れの音と共に、口に一輪の花を咥えた幼子が金の瞳をきらきらと輝かせて彼の足元に降り立った。
 思わず吐いたのは、安堵の息。
「レンギョウ…何処に行ってたんだ…あまり一人で動いたら危ないだろう」
「がう」
 理解しているのか否か。些か咎める口調でしゃがみ込んだセンカの手に、尻尾をぱたつかせながら咥えた花を押し付けようとするレンギョウには反省の色は微塵も無い。嗚呼、全く、幼子とは実に気まぐれなものだ。
 先とは違う質の溜め息を吐き、受け取ってしまった花を眼前に掲げてみた彼は手の中で咲き誇るものの美しさに動きを止めた。
 何処で――ここは温室なのだから、ここしかないのだが――採ってきたかも分からない花は鮮やかな紫の色。天に向かい、花開く様は端麗、且つ、気高くすらあっただろう。真っ直ぐで、太めの茎。緑の葉。茎の先にいくつも花をつけるのはこの種の特徴だと、己の知る知識の中から花の名を導き出したセンカは初めて見る本物のそれに胸を騒がせた。
「……竜胆…」
 その昔、エゾリンドウと呼ばれた日の本古来の花だ。データベースで見た時、一際、綺麗だと思ったと同時に、既に絶滅して久しい事に少しばかり気を落としたのを覚えている。それを不憫に思ったのか、その後にサカキが調達してくれたのが現在、センカの枕元で揺れる鉢植えである。
 まさか、こんな所でこの花を目に出来るとは思って居なかった。手にした竜胆の、予想以上の鮮やかさに思わず、頬が緩む。
 満足げに、ぎゃう、と啼いたレンギョウが膝に頭を擦りつけ、控えめに裾を噛んで、くい、と引っ張るのに合わせて立ち上がったのは、小さな毛玉の意見が正しいとどこかで感じ取ったからかもしれない。
 軽く幼子の頭を撫でて、踵を返すセンカが向かうのは今し方、入ってきた温室の戸口。緑の囲いを抜け、再び荒野に立った彼はてこてこ後を付いて来るヴァジュラに口を開く。
「帰ろうか」
「ぎゃうっ!」
 時間はもう夕暮れ時を過ぎた頃だ。言いつけられた事は確かに遂行し、問題が無い事を確認した。何より、これ以上、年寄りの勝手に付き合ってやれる程今の自分は暇ではない。もっと言うならば、偶然見つけたこの場所を彼に報告する義理も無いのだ。懸命に生きているなら、そっとしておくのが良いだろう。それが、自分に出来る最大限。ひっそり反抗するのも偶には悪くない。
 まるでソーマかコウタのような思考を巡らせながら、傍らで考えるのは手にしたままの花の事だ。殺風景の象徴に近い己の部屋に花瓶など洒落た物があるはずも無いから、その生を終えるまでコップの中で過ごしてもらう事になるだろう。栄養をどうにか与えられれば、長持ちするだろうか?調べてみるのも良いかもしれない。憂鬱な任務で見つけた思いがけないものが、有意義な時間を齎してくれそうだ。
 ぽつぽつ歩きながら、彼は隣を歩く獣と視線を合わせて少しだけ笑った。

 とりあえず、帰ったら、おかえりなさい、と言って貰おう。



自分が和みたかっただけ、という話ですが…これを入れないと気がすまないので入れてみた次第です。だって、リンドウさんの花を出さない訳にいかないじゃないですか!
あと、「いってらっしゃい」とか「おかえりなさい」って言って貰いたい新型さんの変化を書いてみたかったというのもあります。いつもこうだった筈なのに最近の生活環境の所為で違和感を感じる、というのは結構、重要な変化だと思ったりします。

2011/04/11