それは流石に失礼だなあ。
そう言って笑ったサカキの目が決して笑っているとは言い難かった事をセンカは知っている。
白雪姫のお父様
倒れてから一夜明けた翌日の午後には上体を起こせるまでになったセンカの元をサカキが訪れたのは、もう夜半も過ぎた頃だ。丁度、彼の部屋から自室へ戻る所だったらしいコウタに状態を聞き、良好な様子に頷いたサカキは己を見る少年の目が微妙に探るようなそれだったのに内心、首を傾げながら、扉を潜り、静かに褥に沈むセンカと話す内、その答えに辿り着く事になった。
センカの保護者兼主治医がペイラー・榊である事が随分、意外であった、と。そういう事らしい。
サカキにすれば中々どうして、失礼な話である。こう見えてもヨハネスよりも二つ歳を重ねた花の四十七歳。センカ程の子供がいてもおかしくは無いだろうに。
そうぼやけば、それは恐らく貴方の性格が問題です、と臆面も無く返されて、サカキは内心、舌を巻いた。
此処に来て、センカは随分と表情豊かになったと思う。ぼんやりと命令に従う事しか知らなかった彼が、少しでも他人を相手に微笑み、憤り、あまつさえ、軽口まで叩いてみせる日が来るとは、流石のサカキも想像だにしなかった。無論、それは良い傾向である。例え、人間から離れた存在であっても、人である彼が人としての感情を持ち、生きる事に何の不都合があるというのだろう。彼は「生きている人」であり「生きているヒトガタ」ではないのだ。
思いながら、持ち込んだ機器のモニターに映し出される数値を追う目は細かな文字を捉えて流れる。
数字の上では、大分、持ち直している。昨日よりは遥かに良い。あれは肝を冷やしたものだ。あれ程、急激に悪くなるのも珍しいが、あの時の精神状態を考えれば有り得ない事ではない。病は気から。馬鹿には出来ない。
興味深げに近付いてきたレンギョウが機材に触れる前に一通り目を通したそれを片付け、サカキは朗らかに笑った。
「うん。もう問題無いね。明日には復帰出来るけど、あまり無理はしないように」
「ご心配頂かなくとも、本日、隊長から明日より三日間の謹慎を受けました」
すました顔で言うものだから、思わず、刻んだ笑みが深くなる。次いで漏れてしまった笑い声は小さなものだったけれど、しっかり子供の耳に届いて、常に上向きとは言い難い機嫌を下方修正させてしまったらしい。
じとり、とこちらを睨んで来る白藍に、また横隔膜が痙攣し始める。
「…笑い事ですか」
「少なくとも、私にはね」
この歳で酸欠になるのは少々、辛い。ひぃひぃ言いそうになる肺に何とか酸素を送りながら、褥の縁に腰を据える男はむっすりしてしまった――見た目は常と変わらぬ無表情だが、そこは長い付き合いの賜物という奴だ――銀色の額に触れた。
「彼とは、ちゃんと話が出来たようだね」
新薬の実験が出来なくて残念だ。茶化して言うものの、全く冗談に聞こえない辺りがサカキがサカキたる所以であろうか。件のリンドウがこの場にいたなら、顔を真っ青にさせたかもしれない。或いは、卒倒したか。どちらにしろ、現実にはならなかったのだから、彼は正真正銘、比喩で無く、命拾いをしたのだろう。全く、そういう意味では運の良い男だ、と保護者は内心、溜め息をついた。
細めた目で改めて見る銀色は昨日の怯えが嘘のような顔をしている。雰囲気ももう少し柔らかく、明るくなっているから、リンドウとの会話は彼にとって良いものだったのだろう。何となく面白くない気がするのは、親心というやつなのか。
ふと見たサイドボードで揺れる緑の鉢植えの隣に咲く紫色に目を留め、また唇が弧を描く。無意識にしろ、そうでないにしろ、なんとも可愛らしい事をするようになったものだ。――――竜胆の花を飾るなんて。妬いてしまいそうになる。
既に絶滅したと思われたそれを目に出来た喜びと好奇よりもそんな思いが先に立つのは、やはり、堂々と嫁に貰う宣言をされてしまった親の持つ心なのかもしれない。
「…前に訊いた事を、もう一度訊こうか」
ゆるりと、瞬きを一つ。瞼を開き、合わせた視線の先で、いつでも真っ直ぐにこちらを見つめてくる白藍を見る。
「リンドウ君が嫌いかい?」
それは初めて彼と二人きりで任務に出る事になった、あの日に問われたものと同じ問いだ。
正直に言うならば、その問いはセンカにとって鬼門に近い。センカの中のリンドウの位置というのは至極、微妙なものだからだ。好意的に相対せるかといえば、否。敵愾心を持つ相手かといえば、これも否。武器を持たずに近付くには安全ではなく、けれど、構えて行くには見当違いの相手。あえて、表現するならそんな所だろう。
当初のような拒絶は無いとはいえ、酷く極端な思考を持つセンカは未だに雨宮リンドウという男をどう見るべきか判断しかねていた。
ぱちり。長い睫毛を瞬かせて、思考を巡らせる。
嫌い、では無いと思う。先日、正面から彼に告げた通り、苦手であって嫌いではないのだ。強引に踏み込んで来るのは少々頂けないが、昨日のように距離を取ってくれる気遣いを見せる時もある。問い詰めたい事はそれこそ山のようにあるだろうに、あえてそれを飲み込んで、こちらを宥める事までしてくれた。寧ろ、好感が持てるかもしれない。少なくとも、悪い気はしなかった。悪い気がしない、という事は、好きだという事だろうか?否、それは少し違う気がする。彼が囁く睦言を自分が彼に返せるかと言えば、断じて否だ。しかし、言われる事についてはあまり悪い気は――――否。おかしい。それはおかしいだろう。大変におかしい。
「え、と…」
「判断がつかないかい?」
ぱちり。再度、今度は戸惑いを露に瞬いた白藍の、銀色の髪を撫でたサカキは苦笑を漏らす。
まあ、大体、彼の考える事は想像がつかない訳でもない。大方、当初とは違う認識に戸惑っているのだろう。こちらとしては突然、あの人が好きです、と言われなかっただけ良かったというものだ。それも、この戸惑い方を見れば、リンドウが新薬と新兵器の実験台になってくれる日は近いのだろうけれど。
さらさらと銀の燐光を撫でて梳く男に刹那、視線を揺らめかせたセンカの唇が、数度、音も無く喘ぎ、やがて短く、小さく声を返した。
「……はい」
それを認めるには、きっとまだ時間がいるのだ。お互いに。
子供の変化を見守るお父さんと自分の感情がわからない新型さん。
リンドウさんに「息子さんは俺が貰います!」発言をされてしまった博士は複雑な心境でしょうね…でも、変化という観点からはとても嬉しいという…。本当にくっつく事になったら一日一回新薬実験は覚悟した方がよさそうです。にこやかにいびってくるお舅さん、しかも上司(怖っ)…いや、もう、地獄だと思います よ 。
ちょっとだけリンドウさんの本気を理解した新型さんの方は全くどうしたらいいのかわからない状態ですね。元々、両極端な子なので曖昧なものの一つといっても良い恋愛感情は理解出来ない部類のものです。が、嫌ではないので、さて、どうしよう、みたいな。嫌ではない理由を探ってみてもわからないのでお手上げ状態、ぽかーんとするしかない、と。
途方に暮れちゃった新型さんにもっと頑張りを見せないといけないのはリンドウさんで…そんな状況にひとまず胸を撫で下ろしているのがお父さんです。
2011/05/31 |