mono   image
 Back

 それはまるで侵食するようだ。

触れた手に、温度

「ただいまー」
「残念ながら、此処は貴方の部屋ではなく、僕の部屋です、先輩」
 速やかにお帰り下さい。今日も重々しい赤い神機を片手に部屋に踏み込んだリンドウにねぎらいの言葉も無く返ったそれは酷く冷たかった。
 目を向ければ、白い褥に眩しく散らばる銀の燐光。じとりとこちらを睨む空の色より淡い白藍は、その枕元で寝ていたらしいレンギョウが身を起こし、軽やかにサイドボードを飛び越えて歓迎してくれる様とは随分な温度差がある。例えるなら、北極と赤道直下。更に下手な冗談を重ねるなら、彼の周りにはオーロラだって見えるかもしれない。…無理も無いだろう。何せ、このやり取りはもう三日前から続いている。
 飛び付いてきた毛玉を受け止め、微苦笑に口元を歪ませたリンドウは備品越しにその可愛らしい――言われた方は激しく顔を顰めるが、彼自身は疑いも無くそう思っている――顔を覗き込んだ。
「まあ、そう言うなよ、センカ。…ちっとシャワー浴びてくるから、コレ頼む」
 言って、反論する間も与えず摘み上げた毛玉を銀色が沈む褥に放る。ぽん、と弾んだそれがセンカの腕に収まるのを見届けてから己の神機を彼の枕元に立てかけてある新型のそれに並べれば、三日前から繰り返されている光景の出来上がりだ。そのまま、ひらりと手を振って、男は慣れた動作で浴室へと向かう。
 センカが倒れてから五日。リンドウは押しかけ何とかよろしくセンカの部屋に入り浸っていた。否。入り浸るというのは生温い。最早、それは同棲を強要していると言っても過言では無いだろう。看病を口実に部屋を訪れ、手始めに洗顔用具を、次に神機の手入れ用品を、更に己のコップ。酒。仕舞いには着替えまで持ち込んでしまった時には弟のまさかの暴挙に流石のツバキも目を覆ってサクヤに凭れた。二人でしきりに、私がしっかり見ていなかったから、と涙ながらに後悔の弁を延々と述べあっていたのをセンカは確かに覚えている。
 気付けば、一人部屋である筈のこの部屋には今、そこかしこに二人分の何かがある状況に陥っていた。
 無事に仕事を終えてきたリンドウが帰宅直後に当たり前のようにセンカの部屋を訪れ、彼に神機を預けて浴室の戸を閉めるのも、三日目ともなれば慣れた光景だ。センカ自身ももう何も言う気にならない。レンギョウに至っては元々、リンドウにも懐いていた所為か、酷く嬉しそうにするものだから、追い返す理由も無くなってしまう。
 はあ。零れる溜め息。聞こえる、水がタイルを叩く微かな音。
 同じ部屋で生活している以上、当たり前だが、此処数日、風呂上りの彼からは自分と同じ匂いしかしない。同じ石鹸の香り。それを、不思議なものだと思う自分がいる。無論、彼特有の、煙草の香りが無いわけではないが、ふとした時に香るものが、自分と同じそれだというのはまったく不思議な感覚だった。
 天井を眺めていた視線を横に移せば、見えるのは二つの神機の柄。――――己のそれと、彼のそれ。全く違う主。真新しい柄と、長い戦いの中で傷を増やした柄と。二つ仲良く並んだそれらは同じ神機で、けれど、全てが決定的に違っているように見えた。
 ふらり。伸ばした指先が、赤い神機に触れる。褥に沈む自分に添わせるようにシーツの上へ引き上げ、柄の先から持ち手をなぞり、鍔から、刀身へ。緩やかな動きで白い指先を沿わせていく。時折、付いた傷の一つをなぞっては、優しく撫でる白魚は己の物とは違うそれを繰り返し辿った。
「……違う」
 ぽつり。零れる。
 温度の無い自分と、温度のある彼では、扱う神機すら温度が違うのだろうか。いつも己のそれにするように抱き締めても、冷えた感触がしないのは何故なのだろう?錯覚のような仄かな温度が、鋼鉄に寄せた頬にじわりと滲む。
 不思議なものだ。温度の無い自分と同じ石鹸の匂いが温度のある彼から香り、更には同じ神機であるはずの赤いそれが己の持つそれとは全く違う温度を伝えてくる。今にも鼓動が聞こえそうなその温度はまるで、

「貴方のようです」
「そりゃあ、嬉しいな」

 何時の間にか止んだ水音の代わりにそこに佇んでいるだろう男に言えば、予想に違わず返る低い声音が笑う。シャツとジーンズに身を包み、雫の垂れる濡れた頭をタオルで乱雑に拭きながら、赤い神機を抱いて横たわる銀色に近付いた彼はゆったりと褥の縁に腰を据え、次いで、流れるような動作で刀身に添えられた白い指に無骨な指を触れさせる。触れた箇所から滲む体温。風呂上りの所為か、それは少しだけ熱かった。
 ぎしり。二人分の重さに、褥が軋む。
「もう長い事、こいつと一緒だ」
 兄弟みたいなもんかもな。言いながら、センカの指をするりと撫でる手。労わるように柔らかく細めた瞳は優しげに己の相棒たる赤を眺めていた。
 型名、ブラッドサージ。それがリンドウが長年愛用している相棒だ。新型の神機を操るセンカにはあまり間近で見る事のない旧型の接近型神機であるこれには歴戦の名残がそこかしこに刻まれている。それは同時にリンドウの潜ってきた死線の数でもあるのだろう。懐かしげに傷を数える視線が時折、順を追うのを止める。思い描くのは、窮地のその時か、アラガミを見事屠ったその時か。
「きっと、この神機が人の形を取るなら、沢山の戦いを語るのでしょう」
「やめてくれ。お前に知られたくない赤っ恥まで喋られたら困る」
 人の形を取った神機が自分の赤っ恥を言いふらす様でも想像したのか、嫌そうに歪む顔はそれでも秀麗だ。鈍い室内灯に濡れた鴉の羽の色を煌かせ、緑の葉の如く生気に溢れる麹塵の双眸を細める男を、尚も醜いと言える者がこの世にいるとは思えない。触れる指先から伝わる熱い温度も、目を閉じなくとも香る濃い煙草の香りも、雨宮リンドウそのものだ。そして、その手に握る神機すら、彼を形作る物の一つなのだろう。この神機が温度を持つ理由は、恐らく、そういう理由だ。熱く、激しい温度を持つ人の、その熱が、長い時間の中で無機物に熱を持たせたのかもしれない。
 それはきっと悪い事ではないのだろうが、その熱は境界を越え、この身まで侵食しようとしてしまうから、対処に困る。それが良い事なのか、悪い事なのかの判断はまだつかないけれど己の中の何かを確実に変えつつあるのは確かだ、とセンカはリンドウを眺める意識の片隅で呟く。
 脳裏で言葉を切った直後、神機を眺めていた麹塵が思い出したように鋭く緊張を帯びたのを認識して、ぼんやりと思考に沈んでいたセンカは真っ直ぐに合わされたそれにゆるりと一つ瞬いた。
 ぎしり。また一つ褥が悲鳴を上げ、近付く、互いの顔。ぱらりと零れてきた冷たい黒髪が白い頬を擽る。
「…明日、任務だろう」
 瞬きを、また一つ。
「ヴァジュラの討伐任務と伺っています」
 言えば、頬を掠るのは黒獣の溜め息だ。そよ風が耳朶を撫でるように、何考えてんだ、と低い呟きが過ぎて行く。
 リンドウが顔を顰めるのも無理は無いだろう。極東支部の管轄内でヴァジュラが確認された報は誰もが知っている。以前も確認されなかったわけではないが、それでもこの地で見られる事はそう多くは無い種族だ。その討伐を、病み上がりのセンカに行かせようと言うのだから、病状を知っている隊長が良い顔をする訳が無かった。無論、そのまま黙っていた訳ではない。任務の参加者を確認した彼自身がすぐさま支部長室まで赴き、異議を申し立てたものの、シックザールの動作は首の横振り一辺倒。養父である筈のサカキも沈黙したまま。腹に一物も二物もある者相手に、たかが隊長格であるリンドウの進言で状況が覆る筈も無かった。
 平行線ですらない話によくもまあ、この手が奴の机を叩き割らなかったものだと思う。当たり前のようにセンカを行かせると言ったあの男の顔を思い出すだけで頭に血が上る、とリンドウは悪態を奥歯で噛み潰した。せめて傍についていてやりたいが、よりにもよってその日はアリサとの任務が入っている。傍には居てやれない。
 触れていた白い指から、滑らかな手の甲を撫で、ゆるく、その華奢な手を包めば、融解していく、互いの体温。
「…死ぬな。必ず生きて帰れ」
 目を閉じずに言う言葉は、恰も祈りのように。
 センカならば、その言葉は守られるだろう。そう信じていたいと思う。思いながら、安らぎとは程遠い暗澹がこの身を冷たく侵食していくのは何故だろうか?――――嫌な予感が、具現しなければ良い。
 額を合わせて、拒絶されなかった事に安堵しながら、けれど、ゆっくりと目を閉じた暗闇の先で肯定の言葉が返らなかった事に男は少しだけ胸を痛めた。



押しかけ旦那リンドウ隊長と諦め気味奥様新型さん。養い子(毛玉)は家族一緒(?)で大喜び。
気がつけば同棲状態に持ち込んでいた弟の抜け目無さにはツバキ姐さんも幼馴染とがっくりです。「うっそ。いつかやるとは思ってたけど、こいつ、本当にやっちまったよ…!」みたいな驚愕と果てしない後悔。主に、新型さんの貞操的問題で。二時間ごとくらいに誰かから「大丈夫!?喰われてない!?」と連絡を入れていると思います。嫁が心配な姉二人です。

隊長的なお話をすると、三日の謹慎中、いそいそと自分の物を持ち込んで初日から入り浸っていたリンドウさんなので、最早、新型さんの部屋の中は勝手知ったるなんとやら。浴室だって普通に借りちゃいます。既にお互いの風呂上りの姿は知っている仲って事ですね、はい。色気ある風呂上りにムラムラしちゃったりしなかったり、そんな素晴らしい三日間。
ちなみに、ちょっとだけ和解(?)した後でも相変わらず熱烈アプローチしているのはリンドウさんだけで、アプローチされている新型さんは素敵にスルー状態です。
なんて可哀想な隊長……!!(酷)

2011/06/04