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 果たして、彼は「人」であろうか。

蒼穹の月

 ヴァジュラの容姿で印象に残るものとすれば、その異質な人面だろう。獲物を前に瞳孔を絞るその眼光は、或いは、心的障害にすらなるかもしれない。――――無論、それと対峙しなければならない神機使いには心的障害を負っている暇など無いどころか、極最近ではそのヴァジュラを育てている神機使いすらいるものだから、どちらかといえば、それは最早恐ろしいものの類ではなくなっているのだけれど。
 取り留めの無い事を思いながら、センカは大地を揺るがす咆哮を浴びて、暁に彩られる廃墟の町の中空に身を躍らせる。
 ミッション「蒼穹の月」。幻想的な名に似合わず、随分と血生臭い任務だ。「話が出来ないアラガミ」相手に四人がかりとは、シックザールも悪趣味な事をする。この程度であればセンカ一人でも十分だっただろう。似合わぬ仏心を出した訳でもあるまいに――リンドウは病み上がりをこんな任務に放り出す事自体が既に最低だと出撃寸前まで言っていたけれど――、実に気持ちの悪い話だと眉間に皺が寄る。
 アリサと任務だというリンドウはどうしているだろうか。よもや、並程度のアラガミ如きに遅れを取っているとは思わないが、この違和感はどうにも拭えない。…そういえば、今日の彼の任務地は何処だっただろう?
 気を逸らした、刹那、視界の端で撓った硬い毛に覆われた長い尻尾が強かに細い背を打ち、脳まで揺らす衝撃と共に、風切って飛んだ銀色が崩れたコンクリートに打ち付けられる。舞い上がる瓦礫の破片と砂。同時に、センカが吹き飛んだ方向と反対に駆け、ヴァジュラの注意を惹く幼い仔の鳴き声が響く。
「センカっ!大丈夫か!?」
「……問題ありません」
 焦燥を浮かべて声を張り上げるコウタにそう返しながらも巡らせる視線で眺める戦況はやはり思わしくない。集中しなければ。考えるのは後で良い。
 迷った挙句、レンギョウを連れて来たのは正解だった。この任務が混戦の泥沼にならなかったのは一重に、あの仔が小型種の存在を嗅ぎ付けてくれたからだ。センカとてその存在に気付かない訳ではなかったが、一人での任務ならばまだしも、同行者がいる任務で「一人でいる時のように」振舞う訳にはいかない。邪魔な小物を綺麗に平らげてから本命に挑めたのはセンカにとって有益だった。無論、混戦にならなかったという点においてコウタ達にとっても有益であったのは言うまでもない。
 今もこちらが体勢を立て直す間、巨躯の前をちょろちょろと持ち前の身軽さで撹乱する小さな獣が頼もしく見える。しかし、同属を屠る手伝いをしているのだと理解していない訳でもないだろうに、こうして被害を食い止めようとするのを見るのは何処か複雑だ。
 溜め息を飲み込み、彼は手にした神機の柄を握り締めた。――――早く終わらせるに越した事はない。咎を背負うには、あの小さな身体は幼すぎる。
「…コウタさん、少しだけ、足止めが出来ますか?」
 見据える先で幾度と無く斬撃を喰らわせるソーマの振り下ろした刀身が獣の面を割る。それに怯む様子すら見せないのはまだ終焉の足音が遠いからなのか。サクヤのレーザーに前足を貫かれながらも繰り出す爪には一分の揺らぎも無い。完璧な劣勢だ。起死回生を狙うにも「人の力に合わせていたのでは」仕留める事はおろか、近付く事すら出来ないだろう。
 横目で見やれば、取り出したスタングレネードを片手に眉間を寄せるコウタが己の神機を持ち直していた。
「……出来るけど、無茶すんなよ?」
 病み上がりなんだからさ。その言葉に無言を貫いた銀色が地を蹴ると同時、巻き起こる風と地鳴りのような咆哮を縫って退避を呼びかける少年の声が廃墟を渡る。
 スタングレネードで作れる隙は一瞬。閃光に怯んだヴァジュラが暴れては仕舞いだ。確実に仕留めるには核を抉り出すしかないが、その時間は皆無といって良いだろう。兎に角、「人の力で片付けられる」だけの隙があればいいのだ。
 銀の燐光を軌跡の如くちらつかせ、退避していく彼等とは別に、獲物へ直進する姿は無謀ですらあったかもしれない。事実、サクヤが悲鳴に似た声を上げるのを意識の隅で聞いた気がする。ソーマ辺りが、ばかやろう、と罵っていた気もする。何も言わなかったのは、目の前に迫るものを張り飛ばそうとして空振ったヴァジュラの上空へ飛び上がった銀色に合わせ、絶妙の頃合でスタングレネードを放ったコウタと、その陰に身を寄せ、緊張に尻尾を立たせたレンギョウぐらいのものだ。
 ちりり、と微かな音がした直後、眩い閃光が夕日を飲んで瞬いた。――――風を纏う銀は、獣の上。ひらりと身を返し、手にした神機の刀身を銃身へと転換する。狙うのは、バスターの刀身が付けた深い痕が目立つ首だ。
 着地と共に傷を抉り、銃口を捻じ込む。肉を引き裂く音と湿った粘着質な感触が腕を伝わる不快感に意識を向ける事も無く、ちらり、確認するバレット。己が選んだそれを認めるのと、引き金を引くのと、どちらが早かったのか。次の瞬間には獣の悲鳴が響き渡った。
 撃鉄が雷管を撃つ刹那、反動で飛びそうな身体を沈め、その太い首に跨り、抜いた護身用の短刀を肉に突き刺して縋りながら銃身を固定する。一発、二発、三発。撃つたびに肉に沈められる銃口が確実に中で弾丸を破裂させる音を数え、けれど、相手が砂利に沈むまでは手を緩めない。これだけ打ち込めば中は血も肉も無い、焼け付いた空洞になっているだろう。あと、少し。四発、五発。
 最後、六発。銀色に跨られたままのヴァジュラの首がぐじゅりとあるべき場所からずれ――――漸く千切れ落ちた。
 ごとん、とも、ずしん、とも言わない最期の音は酷く水気を帯びていて、思わずその凄惨な光景を見た誰かの喉が鳴る。丸く抉られた赤黒い傷口を見ながら、頭を落としたそれが時を止めたかの如く暫く佇み、やがてたたらを踏んでゆっくりと崩れ落ちるまで瞬きの一つも出来なかった。
 首に跨ったまま息をつく銀色と呆然とするしかない者達の間に流れるものは酷く冷たく、乾いていて、それが互いの距離の遠さを自覚させる。
 センカの強さは周知の事実だ。生来からの身体の弱さを感じさせないその立ち回りは流麗であり優美。リンドウやサクヤがそうであったように、一度その折れそうな身体が風を纏い、大地を滑れば、剣舞の如く繰り出される剣戟と弾丸の舞台には誰も上がれない。だが、時折、こうして無理な行動を起こす事も、誰もが知っていた。
 力押し、といって差し支えない戦い方。例えば、ソーマとの初任務の時や、レンギョウを保護する時に見せたものがそれにあたる。
 ふとした動作の中に組み込まれた、息をするような剣戟と違い、銃口をアラガミの体内に埋め込んで撃ち込むそのやり方は常の冷淡な程の美しさと比べ、やや異質にすら映ったと、タツミが顔を顰めながら話していたのをコウタは覚えている。実際に見た事は無かったが、これはそう、確かに「異質」だ。屠る事だけを考えた、まるで、アラガミのような。
「任務完了です」
 その声に、びくり。肩が震えた。――――「人というアラガミが現れるかもしれない」。ふと、そんな、サカキの声が甦る。
 ちらちらと煌く銀色の燐光を視界に映したまま、果たして、彼は人だろうか、と思いかけ、彼はすぐに首を振った。そんな馬鹿げた疑問さえ浮かんできてしまうのはこの異質な状況に遭遇してしまった所為だろう。馬鹿馬鹿しい。センカは「センカ」だ。
 他に目を向ければ、同じ事を思っていたのか、同じように首を振るサクヤとソーマがいる。
 跨っていた首から舞い降りる羽の如く軽やかに大地に降り立った銀色の言葉を合図に、喜色満面の様子で幼子が走り出していったのを酷く異様だと思ってしまった己への不快感を、彼等はもう一度、軽く首を振って意識の彼方へ追いやった。

 だから、彼等は気付かなかったのだ。
 微かな物音と気配に顔を顰めた銀色が密かに「誰もいないはずの廃墟の陰」へ視線を向けた事を。



蒼穹の月の回ですが…まずは真面目にミッションパート。戦闘シーンというのは書いてて展開を考えるのが楽しい部類ではありますが、スピード感的な意味合いでとても私にとっては難しい場面です…。
原作通りのメンバーと毛玉での出撃ですが、この場合、毛玉の心的ポジションはとても微妙だったりします。要は同族狩りをしている訳ですし。新型さんもそれを理解しているので、なるべくレンギョウには手を出させないように早く終わらせようと努めて…こんな結果です。
他のメンバーは何処かで新型さんの人間離れした部分に疑問を持っていますが、今はまだ知らないふりをしている感じ…というよりも、ただ現実から目を逸らしている感覚の方が近いです。
いつも通りの筈の新型さんと毛玉の和み風景と、仕留めたヴァジュラのエグい死骸と、そのミスマッチな風景自体に妙な恐怖感と疑問を持つメンバーとの温度差の話。

2011/06/09