弾丸で暗雲を掃えたなら、いくらでも空を撃てる。
夢は霞と消えて
作戦を展開するにあたり、同一地区に同時に二チーム以上が派遣される事はまず無い。理由は多々あるにしろ、その最たるものは互いが互いの邪魔になる可能性ゆえだ。アラガミを屠る為に駆けずり回る仲間が、他の仲間の仕掛けた機雷に当たって殉職など笑い話にもならない。そもそも行動範囲の広いアラガミ相手に狭い範囲での作戦に収めろという方が無理な話である。故に、鉄則として、司令部側もそのように任務を組む事は無い。――――筈だった。
それを踏まえて眺める目の前に広がる光景は、言うまでも無く、異常なものだ。同じ地区に派遣されるにしても、時間をずらさず、且つ、現行の隊に通達の一つも無いとは寧ろ、異常にも程がある。
誰もが違和感に顔を顰める中、立ち込める暗雲のもとを知る麹塵と白藍だけが刹那、視線を絡め、小さく頷き合った。
何が起こるにしろ、いつまでも此処でこうしている訳にはいかない、とリンドウは思う。センカにしろ、自分にしろ、シックザールに監視されている身ならば、いずれこういった事態に遭遇する事は既にある程度、予測済みだ。早々に任務を遂行し、アナグラへ戻るのが最善策だろう。そうして、腹の底で臍を噛みながら表面だけで安堵の微笑を浮かべる件の男に胸を張って勝ち誇ってやればいい。幸い、自分もセンカも互いの手の内はそこそこ知った仲だ。その上でこうして此処にいるのだから、少なくとも彼は敵にはならないだろう。兎に角、この場に長く居座るのは得策ではない。
リンドウの麹塵がもう一度、銀色を一瞥してから、未だ戸惑いから抜け出せない面々を眺めて辺りを見る。
「考えても仕方ない。俺達は中を見てくる。お前達は外で警戒。…いいな、気を抜くなよ?」
最後の一言は、誰に向けたものだったのか。厳しく放たれた言葉を合図に表情から惑いを一掃させた面々が素早く廃教会の前に並んでいく。砂利を奏でる彼等に続きながらソーマの隣に佇んだセンカは、最後にもう一度だけ視線を絡ませたリンドウが、唇だけで、気をつけろ、と紡いだ言葉に瞬きで返した。
違和感が、ある。とても、とても、気持ちの悪い、違和感が。
この異常な事態は十中八九、「誰か」を消す為のものだろう。しかし、センカを、或いは、リンドウをアラガミに殺させる事が目的ならば、この作戦は酷く杜撰なものだ。センカを殺すには人もアラガミも役不足で、リンドウを殺すには味方となる人間が多すぎる。迫る気配の数を考えれば出来ない事もないだろうが、こういう事には堅実なシックザールがその様な危うい賭けをするとは思わない。だとすれば、確実に成功させる理由が何処かにある事になる。
焦りが、増殖する細胞の如く身を冷やして行く。
何処だ。何だ。誰だ。駄目だ。時間が無い。廃教会に消えて行く広い背。漆黒の髪。聞こえる、獣の足音。聞こえる息遣い。すぐ其処に。数は、駄目だ、多すぎる。間に合わない。囲まれる。
「…っ、レンギョウ」
低く、小さく、風よりも微かに、紡ぐ名。けれど、確かに届いた声音に逸早く反応した幼子は、ひゅん、と尾を撓らせ、己の最速で闇に消えた漆黒を追う。距離はそう離れていない。ヴァジュラ特有の素早さを持ってすれば問題なく追いつけるだろう。自分が「本当の意味で」ここを動けない今、こうするしか道は無い。
ちらり。それを追う、海の色。
「おい」
「黙って行かせて下さい」
軽やかとは言い難い弾丸の如き速さで飛び出して行ったレンギョウを目で追ったソーマの声を、センカは飲むように遮った。
いつものように抱き締めていた神機の刀身をするりと撫でた白い手が、緩やかに柄を握る。息遣いが近くなる度に早くなる心音。身体の内から迫り上がってくるような緊迫感。
口を噤み、訝しげな目を向けてくるソーマと刹那、視線を絡め、前を向く。彼の方も無理に返す事はしない。
此処まで近くなれば、彼も気付いているのだろう。こちらに向いていた意識の半分が周囲の警戒に向かっている。内部の索敵に向かったリンドウに早々の退避を訴えるべきか躊躇っているのか、視線が教会とセンカを行き来しているが、こうなる前から距離を測っていたセンカにしてみれば遅すぎる躊躇だ。――――既に囲まれている。数はこちらに四。内部への侵入を試みるものが一。他とは違う気配の、まだ遠くのものが一。それもいずれ此処へ辿り着く。
客観的に考えて、生きて帰る事が出来る可能性は限りなくゼロに近く、出来る事ならば、内部を探るリンドウ達と合流、即時退避が望ましい。呼んだヘリは到着までにまだ時間がかかるだろう。とりあえずは、それだけの時間が稼げれば良いのだ。その為の犠牲が必要なのは、言うまでも無いが。
「ソーマ先輩」
小さな声音に、彼の意識がこちらを向くのを感じる。
「先輩達に退避の知らせをお願いします。お気付きのように、もう手遅れです」
にじり寄る獣の足の下で擦れる砂利の音が随分、近くに聞こえて、ソーマは目を細めた。
ヴァジュラ一匹ですら四人がかり。その上、この数を相手にするのは確かに無理がある。やはり、もっと早くに退避を訴えるべきだったのか。
「だが、お前はどうする?」
まさか、来ないとは言わないだろうが、囮になり、頃合を見計らって離脱するにしても危険すぎる。彼が少しばかり常軌を逸しているとはいえ、それは無謀以外の何物でもない。リンドウやアリサを交えた六人全員で離脱を計る方が現実的で確実だ。
言外に告げてから一度、視線をやる彼の目を見ないまま、白藍が瞬く。
「僕は残ります」
「無謀だ」
「無理ではありません」
生き残る可能性はあるのだと、即座に切り返してくる硬い声音。しかし、揺ぎ無く放たれる鈴の音を耳にしても、フードの下で青色を鋭く細める彼の不安が拭われる事は無かった。
腹に力を入れ、馬鹿か、と怒鳴ろうとした自分を押さえ込む代わりに、手にした神機の柄がみしりと音を立てる。
この自信は一体、何処から来るのか。吹けば飛びそうな、誰よりも細い華奢な身体をしているくせに、腕だけは確かで、けれど、その存在のように公開されている経歴が白紙に近い烏羽センカという人間を、これまでどれだけの回数、不思議に思っただろう?それは何も言動が掴めないというだけの話ではない。センカという存在自体が不可思議で、ともすればその生物の分類から疑いそうにもなる。――――果たして、彼は、人間なのか。数分前に抱いた疑問が再び胸に去来する。だが、それを正面から彼に問えるかといえば答えは否だ。己にも口にしたくない事実があるように、彼にも口にしたくないものがある筈で、それは決して他人が無理に暴いて良いものではないだろう。
そもそも、人間だろうが、人間で無かろうが、「烏羽センカ」が「第一部隊」である事は変わらないのだ。自分が、そうであるように。
軽く首を振り、考えを追いやったソーマの仕草を何と思ったのか、ちらりとそれに目をやった銀色が、ふと口を開いた。
「……帰ったら、」
綿毛が舞い上がるように穏やかな声音が、耳朶に触れる。振り向いた海の色に返る筈の白藍は前を見据えたまま。あまりに穏やかなそれはこの緊張が張り詰めた場には酷く不釣合いに思えて、まるで幻聴のようだと思う。
乾燥した風が埃を巻き上げ、銀色を散らして過ぎていく様を、ソーマは半ば呆然としながら見た。
「帰ったら、話を、しませんか」
「……話?」
鸚鵡返しに唱える言葉が浮き上がり、ぽとん、と大地に落ちるようだ。
それに静かに、はい、と返し、銀糸を揺らして視線を合わせた彼が、淡く微笑む。まるで、消えるように。ふわり、揺れる星の光。
「お訊きになりたい事が、あるでしょう」
ソーマも、サクヤも、コウタも。そう言うセンカの微笑はこの現状にはやはり不釣合いで、だからこそ、帰れるのではないか、と楽観的な幻想を抱きそうになる。これは夢で、幻で、だから、帰れるのではないかと。そうして、またエントランスで会った時、皆が皆、悪い夢を見たんだ、と笑うのだ。そう、これは馬鹿馬鹿しい夢の話。
現実は――――目の前の白い獣の咆哮だ。
それが壊れかけたプレハブの陰から姿を現すと同時、廃教会の内部からも同じ咆哮が木霊する。白い体躯に青い衣。女の面のそれはヴァジュラ種で間違いない。――――プリティヴィ・マータ。極東地域ではあまり遭遇例の無いアラガミだ。伝承の聖女のような美麗な人面に似合わぬ下品な大口に唾液で濡れた牙を光らせ、舌まで垂らしてみせる獣が、一、二、三、四体。廃教会の中からも痛々しい獣の悲鳴が聞こえるから、推測するまでもなく、そちらではリンドウが同じ種と交戦中なのだろう。狭い場所での戦闘は不利だろうが、あちらには新型神機を操るアリサもいる。何より、ウロヴォロスすら単独で屠ってみせる男をたかが獣一匹で心配する事も無い。
問題は四人で四体を相手にしなければならないこちらの方だ。白い影を認めると共にコウタとサクヤが銃撃を見舞っているが、さしたる効果が齎されているようには見えない。しかし、離脱をするにしても突破口を開かなければどうしようもないのもまた事実。結論として、交戦するより他、道は無い。
ぎりりと柄を握る手に力を込め、隣で己の神機を銃形態に切り替えたセンカを見やったソーマは口端を持ち上げ、笑って見せた。
「奇遇だな。俺も話す事がある」
そして、踏み出した、刹那。
「いやぁああ!やめてぇぇえええ!!」
リンドウ達が交戦している筈の教会から、布を裂くような悲鳴と轟音。砂埃。
このイベントはゲームでも印象的、というか、重要な場面なので兎に角、緊迫した雰囲気を壊さないように書いた覚えがあります。メンバー内の会話が最低限なのもその所為です。目で会話する、伝え合う、というのを通常よりも多用しています。
支部長の駒とはいえ、全てを知らされている訳ではない新型も首をかしげながら一生懸命この任務の真意を探っている訳ですけれども、支部長のメリットの観点から、自分かリンドウさんのどちらかが対象であり、且つ、どちらかであるならばリンドウさんが有力だろうと気付いています。となると、自分以外に駒がいる、と考える、と。でも間に合わないので、せめて、リンドウさんが一人にならないように毛玉を派遣。
リンドウさんの方も薄々、自分が暗殺対象なんだろうなあ、と気付いています。ゲーム中でも気付いている素振りが無くも無かったですしね。
こういう思考の連鎖は結構好きです。うひっ。
2011/06/23 |