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 彼等は嘘をついた。
 「人」であるという嘘を、そして、「生きて帰る」という嘘を。

嘘吐き達の円舞曲

 遠ざかる四人分の足音と併せて、彼等が走り去った方向から微かなヘリの音が聞こえる。途中に他のアラガミが居なければ、問題無く離脱できるだろう。これで、一つ、気掛かりが消えた事になる。…彼等とは似ても似つかない物体である自分が「気掛かり」などという言葉を使うとは実に笑えない冗談ではあるが。
 目を閉じ、澄ませた耳で獣の息遣いを聞いたセンカはゆるりとその白藍を開いた。
 目に映る、世界の色。斜陽の橙と廃墟の灰色。やがて東から宵闇を連れて来るだろう西日に照らされた暁の空に綿菓子のような雲の影が浮いている様はこの地上で繰り広げられるものからあまりにもかけ離れた和やかさで、まるで、それに嘲笑われているかのようだ。遥か太古の時から変わらず繰り返す巡りは今、この瞬間にも訪れている。それはきっとこの場がどれ程荒れようと、数億年の時を歩み続けてきた世界にとっては取るに足らない出来事なのだろう。
 ぶるぶると首を振って唸りを上げた獣が、垂らした舌を口に仕舞う。再度、開いた大口に煌く牙が唾液で濡れている様を一瞥し、彼は銃形態にしていた神機を剣形態へと変換した。
 時間をかけている暇は無い。先程、遠くにいた禍々しいものが追いつき、教会内へ侵入した気配がした。リンドウがどこまで耐えられるかは分からないが、この群れを一秒でも早く片付けて加勢しなければならない。
 細めた白藍が、きゅう、と瞳孔を絞る。
「『コレ』は人間共のように甘くはないぞ」
 言い放ち、直後、銀色の背で閃く光。蝶よりも儚く、鳥よりも軽やかな――――光の翼。
 変化した気配に怯んだプリティヴィ・マータが半歩後ずさる様を見て、思い出す。サカキが言っていた。この翼はきっと力を齎すと同時に君を傷つける諸刃の刃だと。
 「烏羽センカ」が「人」である事を確実に否定するそれは、けれど、それの元になった種族である事を肯定するものでもない。しかし、この身を構成するものは確かに「それ」であり、生物の分類で言うならば「センカ」は「それ」だ。その点で「センカ」は「ソーマ」とは決定的に違う。それなのに、この身体が奥に燻らせるものは、紛れも無く「人」が持つそれなのだ。これ程、滑稽で、歪で、醜悪なものも無い。この身を「人」だと信じて疑わないコウタ達を裏切っている、己という生物。なんて醜い生き物。
 耳の奥で、シックザールの声がする。己が何なのかを思い出せ、化け物が、と。脳内に響き渡り、心臓部をつきりと刺す何かは理解しなくても良いものだろう。少なくとも、今は。
 銀の燐光を散らし、暁の炎に照らされた世界の中、彼は疼く神機を構えた。


 嗚呼、しくじった。そう思ったのはアリサが絶叫を上げた瞬間だ。続いて響いた地鳴りに、反射的にやった視線の先で決して広くは無い唯一の出入り口が塞がれて行くのを目にした時には後悔より納得の方が頭を占めていたと、遅い来る爪を受け止め、けれど、受けきれずに吹き飛ばされたリンドウは壁に叩きつけられながら、ぼんやりと思い返す。同時に腕輪が立てた嫌な音が耳を掠めた。
 人材面で優遇されているとはいえ、極東支部に新型神機の使い手が二人も配属されるなどおかしいとは思っていたが、思う反面、そのどちらかが自分を殺す為に配属されたのだろう、という予想を早くからつけていた事を考えれば、存外、不審には思っていなかったのかもしれない。事実、懐疑の念を向けた通り、センカはシックザールと通じて――これは語弊がある――いた。だからだろうか。彼とシックザールの繋がりを確信し、且つ、彼自身からその危険性を吐露された時点で、少なくとも、彼を敵にはならない位置に引き込めたと、安心し、ある種、驕っていたのだ。自分を殺しに来るなら、彼だと、思っていたから。彼自身もそうだっただろう。雨宮リンドウを殺すなら、その役は己だと思っていた筈だ。その覚悟も、あったに違いない。
 だが、実際はどうだ。とんだ伏兵がいたものだ。――――まさか、アリサがその役であったとは。精神の不安定さがこんな所に利用されているとは思わなかった。
 この後の上層部のやり方は大方、予想が付く。新兵の神機暴発による事故によりMIA、後にKIA。そんな所だ。それでこの件は全てお仕舞い。稀代の神機使いは呆気無く紙の上だけで活躍する歴史上の人物に成り下がる。さぞかし素晴らしい記録をしてくれるのだろう。単身、ウロヴォロスに向かわせたのもその偉業を華々しく記録に残す為の冥土の土産のつもりだったとしたら心遣いに涙が出そうだ。
「だけどな…俺は此処で死ぬ訳にはいかないんだよ…!」
 唸るように呟いて頭から伝う血を拭いながら、電流が小さく爆ぜる腕輪を一瞥し、握り直す神機が、がちり、と鍔を鳴らす。
 先に仕留めたプリティヴィ・マータの横で、雄々しく吼える黒い獣。教会のステンドグラスの虹色を受けるその姿はヴァジュラ種だと分かるが、この個体は見た事が無い。新種だろう。こんな時に対峙せねばならない状況に追い込まれるとは、自分もつくづく運が無い、とリンドウは口内に溜まった血を吐き捨てた。或いは、犠牲が己だけで済んで良かったと喜ぶべきなのか。――――否、己だけではない。ともすれば霞みそうな視界の中で危険を冒してこちらが体勢を立て直す時間を稼いでくれる、小さなヴァジュラの仔も己と同位置にいる。それは今のリンドウにとっては僥倖だった。
 ちょろちょろと黒い獣の巨体の周りを走り回っては引っ掻き、噛み付き、小さな雷球まで喰らわせて獣の注意をリンドウから逸らしているレンギョウがやって来たのはプリティヴィ・マータと戦い始めた頃の事だ。一向に加勢しに来ないアリサの脇を擦り抜けて、声も高らかに勇ましく飛び込んできたあの仔を送ったのはセンカ以外には有り得ない。何かを予期しての派遣だろう。そうでなければ、あの母親役が子供を死地に送り込む訳が無い。始めこそ驚いて追い返そうとしたものの、直後のこの惨劇。今ではその働きに感謝すらしている。だがそれも、そろそろ限界だ。
 素早い動きに痺れを切らせた獣が大きく振った尾に弾かれ、小さな毛玉が床に叩きつけられる。一度、跳ね、滑る身体。倒れ伏す間すら与えぬとばかりに追撃を仕掛ける爪をすぐさま飛び跳ねて避けたレンギョウは軽やかに中空で身を返し、リンドウの隣に降り立った。センカによって常に綺麗にされている毛並みは土埃に汚れ、既にごわごわだ。
「……付き合わせて悪ぃな」
「ぎゃう」
 気にするな、とでも言ったのか。いつものように、ひゅん、と撓って見せた尾がリンドウの口元に笑みを刻ませる。
 見回せば、不躾な獣に荒らされた美しい筈の教会内は実に嘆かわしい有様だった。そこかしこに割れたステンドグラスが散らばり、細工が目を惹く柱に刻まれた深い爪跡が情緒を損なっている。天井で揺れるシャンデリアは難を逃れているものの、それでもあの日、センカが愛し、レンギョウが目を輝かせ、リンドウが見惚れた光景は何処にもない。そこにあるのは咆哮と剣戟の音が響く血生臭い現実だけだ。
 こんな様を、こんな景色を、彼に見せたくは無い。何より、あの日、月明かりに照らされ、瓦礫の足元で懸命に咲いていた小さな花が、踏み倒され、にじられ、塵のように散らされている様を見れば、植物が好きだと言って柔らかな笑みを浮かべた彼は酷く悲しむだろう。表では、仕方が無い、問題ない、関係ない、と言いながら、少しだけ顔を俯けて、ゆっくりと目を閉じるのだ。
 睫毛の震え一つまで容易に想像出来る己の盲目ぶりに自嘲の笑みを浮かべつつ、男は細めた麹塵で先程から違和感が襲う己の右腕を――――そこに填まる赤い腕輪を眺めた。嫌な汗が米神から血と共に頬を伝う。
 神機使いに、この腕輪を填めていない者は一人としていない。定期的にP53因子を投与する、謂わば命綱の役割を果たす腕輪だ。これがなければ例え、己に適合した神機であろうと制御する事は叶わず、暴走した神機の餌食になる。無論、長年己の神機と死線を潜り抜けたリンドウとて例外ではない。
 それが、壊れた。
 確証はないが、間違いないだろう。体内から襲う違和感。腕輪を中心に腕を侵食する黒い何か。肌の変色。それが腕輪の故障とそれによる弊害である事は間違いない。その時点で、己の命はあと僅かだ。実にらしくない話だが、死を覚悟するしかないだろう。…愛すべき仲間達には非難囂々どころか、アナグラの天辺から簀巻きにされて逆様に吊られてもおかしくはない思考だけれども。或いは、生き残れ、と命令を下した手前、大嘘吐き、と罵られるかもしれない。
「まあ、その前に…タダで喰われてやる程、俺も大人しくはないが、な」
 黒い巨躯に対峙する、満身創痍の一人と一匹。勝ち目は、無い。だが、例え捨て身だったとしても一矢報いる術はある。
「レンギョウ、下がってろ」
 囁く漆黒に刹那、躊躇いを見せた幼子は、ちらりと依然、こちらを睨み据えてくる巨躯に目をやり、ゆっくりと後退した。
 賢い仔だ、と思う。センカの教育の賜物もあるだろうが、このヴァジュラの仔は彼の言う通り「話が出来る」。相手の意を汲み、最善を選ぼうとする。この仔の行動がセンカのアラガミ観を少しばかり理解するのに役立ったのは言うまでもない。
 その度に、彼が初めての任務で言った言葉を思い出したものだ。今でも鮮明に思い出せる鮮烈な記憶。鮮やかにオウガテイルを屠った後で虚空を眺めながら、話が出来そうに無かったから、と言った彼。あの時、理解出来なかった言葉を、今は少しだけ理解出来る。――――きっと、その姿を一目見、脳裏に焼き付けた時から、激しく胸を乱す恋に落ちていたのだ。
 刹那、走馬灯の如く巡った思考に漏れた微苦笑を、リンドウは手にした神機の鍔鳴り一つでかき消した。
 身の丈に近い赤い神機を平に構えて腰を落とし、血と汗で張り付く黒髪の合間から鋭く細めた麹塵が前を見据える。肩布を翻して咆哮を上げた獣の口腔に切っ先を向けて、ゆるりと引く肘。潜める息。霞む視界。早い瞬きでそれを払い、彼は細かな硝子で煌く床を蹴った。こんな時ばかり存在を知らせる空気圧を剣の切っ先で裂きながら、小細工の無い弾丸のような踏み込みで距離を詰める。眼前で開く獣の大口。牙がぬらぬらと光っている様まで認識出来る位置まで飛び込みそのまま――――リンドウは神機を突き出した。
「これでも喰ってろ!!」
 間があったのか、否か。音が途切れた直後、がああ、と外れた顎で叫ぶような咆哮と同時に閉じた口の、その牙が口内に差し入れられた腕の赤い腕輪を捉える。
「っ、く、そっ!」
 咄嗟に引こうとした腕が、動かない。覚悟していたとはいえ、これはまずい。血を吐きながら唸る獣の牙が振動を伝える。それから逃れるべく渾身の力で腕を引いたリンドウが拘束から開放されるより早く、真横から衝撃と熱が襲った。
 剥がれた皮膚を犠牲に腕輪から抜ける手。血の軌跡を中空に描き、無様に叩きつけられる身体。破けた外套。広がる赤い水溜り。――――爪だ、と思い至ったのは喉を昇った鉄を吐き出してからだ。怒りの一撃は同時に執念の一撃でもあったらしい。あの状況で的確に狙えるとは思わない攻撃が、確かにこの腹を抉っていた。腹はおろか、背中まで広がる熱はそれが内臓まで裂いて貫通した事を示している。ごふり。もう一度吐き出す、赤色。
 すぐさま走り寄ってきたレンギョウが心配げに啼く声を聞きながら、合わなくなった焦点を懸命に合わせようとするリンドウの目は何とか喉に突き込まれた神機を飲み込み、ゆらりと立ち上がった黒いヴァジュラ種を呆然と眺めた。
 自嘲が、血まみれの口元に浮かぶ。
「は、はは……やっぱ…無理、か……」
 あの一撃で仕留められれば儲けたものだったのに。やはり現実はそう甘くは無いらしい。思えば、己の恋路も最後まで甘くないものだった。惜しいといえば惜しいが、それが自分と彼らしい関係だといえば、そうだと断言出来る。後悔といえば口付けの一つも出来なかった事くらいか。少し笑って、また赤い命が口から零れた。
「……レンギョウ、逃げろ。命令だ」
 なけなしの気力を振り絞って硬く言い放った言葉に幼子が声を上げる。血塗れた頬にぐりぐりとごわごわの毛で覆われた額を擦り付けて、尚も啼く。
 ずしん、ずしん、と床を伝う振動は真に死神の足音だ。しかし、最早、この手に相棒は無く、持てるものといえばP53因子を投与された己の身くらいのものだが…それももう使い物にならないだろう。情け無い事に指の一本すら動かない。万事休す。このまま大人しく喰われる運命にある。その決して美しいとはいえない末路に、これ以上この幼子を付き合わせる訳にはいかないのだ。
 逃げろ。もう一度、血を吐きながら囁き、ふと、思う。
 そういえば、音が聞こえない。いつからだろう。外の喧騒が止んでいたのは。サクヤやソーマ達の声が遠ざかってから彼等が逃げ切れたのだと安心していたが、聞こえていた筈の他のヴァジュラ種の声がしない。驚く程、静かだ。とても、とても。…いつから、だっただろう。外の奴等が中に入り込んで来たらまずいと思っていたのが、今更の事のように思い出される。叫んでいたサクヤは、ソーマは、コウタは、アリサは、何と言っていたか。…センカ。センカは、どうしていたのか。霞む視界。嗚呼、静かだ。黒い足音が近付いてくる。静かだ。レンギョウの声が遠くに聞こえる。静かだ。ステンドグラスを透して降り注ぐ光が眩しい。割れた荘厳な窓の穴から、夕に焼かれた空が見える。眠い。静かだ。嗚呼、身体が重い。
 ぴちゃり。響く地鳴りが血溜りに漣を立たせた――――刹那。

「何をしている」

 斜陽に銀光が閃いた。



原作でいうならば此処からバースト部分が混ざっていく事になります。無論、捏造過多で!
新型さんの正体とか、何だとかがちらほら出ていますが詳しい事まもう少し後で出てくるのでその時にでも。今回のメインはリンドウさん殉職シーン(ぇ)大活躍しているのは毛玉(ぇえ)
リンドウさんは大嘘ついたよ、という自覚があるので苦笑いしながら自分の恋路を回想してますね…そんな場合じゃないでしょう、というツッコミもありますが、帰れないかもしれない予感がそうさせている感じです。所謂、ちょっとした逃避的な。回想にしても、べろべろに甘い回想であるのは確かですが(笑)ほら、恋はなんとか!(…)
新型の方は始めから嘘をついていた事になりますが、実際には自分から「人間です」と言った訳ではないので、悪い言い方をすれば周囲が勝手に勘違いしただけ、という事になります。でも、結果的には騙していたのと変わりないと彼は思っているので、支部長の言葉が痛い訳です。支部長の時間差攻撃恐るべし。
残る毛玉は両方の事情を理解しているので一生懸命、自分の最善で立ち回っているという健気さで精一杯のフォロー。
…毛玉が一番賢いというオチですね…誰かほめてあげて!(…)

2011/07/09