信じている。その心すら疑っている。
疑心の鬼
「本日をもって、神機、及び、その適合者であるリンドウとセンカは消息不明、除隊として扱われる事になった」
第一部隊隊長、雨宮リンドウと同部隊所属、烏羽センカがミッション「蒼穹の月」にて消息を絶ってから四日。その日、アリサの入院と、第一部隊に下される筈だった捜索任務が当該地域のアラガミの討伐に変更された事を伝えたツバキはいつもの表情を貼り付けたまま、ファイルを握り締めた指だけを密かに白く染めた。目の前で顔を青くさせていくサクヤやコウタの表情が、連日の会議と報告でただでさえ疲れた心に鉛の飛礫を投げるようだ。
ぎしりと軋んだ胸の奥に鍵をかけた彼女の、頑丈な錠前を叩き壊そうとするかのように、サクヤが拳を握る。
「そんな…っ、まだ腕輪も神機も見つかってないんですよ!?」
消息不明、除隊。これは、つまり、彼等を死んだものとする事と同意義だ。まだ四日。そう、まだ四日。彼等が消息を絶ってからまだ四日しかたっていない。生存を望むだけの余裕はまだある。何せ、彼等は偏食因子を投与されたゴッドイーターだ。四日くらい、きっと生きられる。今日にも見つかるかもしれない。今日でなくとも、明日、明後日。絶対に彼等は二人で帰ってくる。その希望を叩き壊すような事を何故、言うのだろう。
それでなくとも、この命令は不可解なものだ。神機使いが消息を絶った場合、腕輪と神機が見つかるまで捜索をするのが通例である。無論、それは貴重な神機を失わない為の捜索であり、決して、生存を望むからこそのものではないが、ツバキの言葉からすれば、この通例すら今回は無視され、捨て置かれる事になる。よりにもよって、長年に渡り数多のアラガミを屠って成長してきたリンドウの神機と、フェンリル珠玉の作品であるセンカの新型神機が、だ。
オペレーターとしての期間を含めればそれなりに長い年月、ゴッドイーターを見続けてきたサクヤが疑念を持つのは必然だった。しかし、ただの実働部隊員である彼女の主張が支部を動かす可能性は万に一つも無い。
「上層部の決定だ。それに、腕輪のビーコン、生体反応共に消失した事が判明した」
「ちょ、それって、二人ともですか!?」
目線を逸らしたソーマの隣で声を上げたのはコウタだ。上司と友を心配する様を前面に押し出した悲壮な面持ちで身を乗り出す彼に無言で頷いてやれば、彼は表情を落とし、愕然と腕の力を抜いた。
生体反応が消失したからには明らかに捜索は無意味だ。それが判るからこそ、言葉を失う。
「未確認アラガミが活動を活発にする中で、生きているかどうかも判らない人間を捜索する余裕は無い」
追い討ちをかけるように、或いは、己に言い聞かせるかのように言い捨て、足早に離れて行く硬質なヒールの音。
彼女の言う事は正しい。非の打ち所の無い正論だ。生体反応が消失したという彼等に生きる望みを見て捜す事は最早、無駄以外の何物でもなく、そして、彼等を屠ったらしい新種のアラガミの行動が活発化している中ではその無駄な行為に割く人員などある訳が無い。捜索を打ち切るという判断は考えるまでも無く英断だ。残された者は生きる為に過去を捨てなければならない。
しかし、本当にそれが出来る人間は一握りだろう、とコウタは床を眺めながら思う。昨日まであった笑顔を、声を、その姿を、すぐさま記憶の箱に閉じ込めてしまう事などそう簡単には出来はしないのだ。思い出にするには、まだ鮮明すぎる。
そっと盗み見た隣の彼女は、やはり瞳を彷徨わせ、拳を握ったままだった。
「どうして…そんな、おかしいわ!こんなに早く捜索が打ち切られるなんて…!だって、襲われた場所も敵も明らかなのに!!あんなに皆に懐いてたレンギョウだって帰って来てないのよ!?」
振り向いた拍子に滑らかな頬を打つ黒髪を気にもせず、御しきれない感情のままに声を荒げる様はあの時の彼女そのままで、まるでそうしていれば彼等が彼女を叱りに戻ってくるのではないかとさえ思えてくる。無論、それは只の現実逃避に他ならないが、それくらい、この現実の中で己の安定を計るのは難しかった。
ばらばらだ、と思う。たった二人が居ないだけでこんなにもばらばらになってしまうなんて。どうして、いつから、この第一部隊はこんなにも脆くなってしまったのだろう。否、思えば、初めから自分達は隠し事をしながら共にあった。強い、と思っていたのは繋ぎ役を彼等に頼っていたからで、個々の繋がりそのものはそれ程強いものではなかったのかもしれない。要を失った、ばらばらの自分達。それが情け無い今の状況だ。これを見たなら、仲間に生きろと言ったリンドウは、此処で犬死するのが役目かと問うたセンカは、どう思うのだろう。きっと目を吊り上げて、そんな事をしている暇があるなら仕事の一つでもして来い、と言うに違いない。…思い起こす程、その姿が見え無い現実が胸を抉る。
佇むばかりの男二人に一頻り叫び、漸く暁の双眸に激しい混乱以外の色を滲ませた彼女は、あ、と吐息を吐いて強張っていた肩の力を抜いた。頼り無く顰められた眉とうろうろと虚空を行き来する視線が動揺を語る。
「……ごめん…貴方達に当たっても…しかたないよね……頭、冷やしてくる…」
ごめん、任務時間までには戻るから。そう言って、項垂れた姿を追いかけてくる視線から逃れるようにエレベーターに乗り込んだ彼女の震える声音が響くように頭に残り、コウタは、嗚呼、やっぱりばらばらだ、ともう一度、胸中で呟いた。何を思っているのか、ソーマはまだエレベーターの扉を眺めたままその場に留まっている。
「サクヤさん……大分、参ってるね」
言いながら、応えは期待していない。反射的にソーマがこちらを向いた事が気配で分かったが、協調性が皆無といって差し支えない彼にとって、こういった状況での会話は不得手だろう。立ち去らないだけ素晴らしい。床を眺めたまま滔々と言葉を零すコウタ自身の口調も独り言のそれに近かった。
「…あの時はきっとあれが一番の方法だってわかってるし、皆、よくやったって、俺は思う。でも…なんか、ギスギスしてるよな…ソーマはいつも通りに見えるけど、サクヤさんはあんなだし、ツバキさんは怒ってるみたいだし、アリサは寝込んじゃうし…」
ぽつぽつと零れ出す呟きがゆっくりと沈黙に沈み、埋もれて行く。
アリサの入院は当然だろう。あの時の彼女は明らかに普通ではなかったし、今も、隔離された病室で心神喪失状態だという。
コウタ自身、少しだけ立ち寄ってみた病室の前でこの世の終わりのような絶叫を聞いた。…彼女なりに、後悔し、罪悪と戦っているのだろう。理解した瞬間に霧散してしまったアリサへの、霞のように捉え切れない怨恨を持て余したまま、只管に謝り続ける彼女の声をこれ以上聞いていられなくて踵を返してしまったのが、実を言えば、昨日の話だ。
澱んだその感情は今もやり場の無いまま、胸の奥に抱えている。
こういう時、気付けば傍に居たのは仲間の機微に聡いリンドウかセンカだったと思う。リンドウは気晴らしに食堂で奢ってくれたり、話を聞いてくれたりした。センカの方はそういった触れ合いをあまりしなかったけれど、静かに隣に座って、やっぱり話を聞いてくれた。――――その二人が、今はどちらも此処にいない。
部屋の前へ行けば出迎える主不在の赤ランプ。送っても一向に返って来ないメール。あちらこちらで聞く彼等の噂。エントランスや食堂を見回しても影すら捉えられない事実が、緩やかに心を打ちのめして行く。
「俺だって泣きたいよ。泣きたいけどさ、そんな事したら、認めちゃう事になるじゃんか…!そんなの、駄目だよ…だって」
言葉を切って、彼は息を詰まらせた。頭の中で繰り返す、あの時の情景。
「だってあいつ、帰ってくるって言ったんだ…」
素直に紡がれた筈の言葉が、矢鱈と嘘臭く聞こえるのは自身がそれを疑っているからだろうか。酷く非現実的な願望に縋っているからそう思うのだろうか。でも、それでも、認める訳にはいかない。だって、あの銀色は綺麗な笑みを浮かべて言ったのだ。確かに、はっきりと。
「帰ってくるって言ったんだよ…!!」
這い寄る暗い疑心を牽制するように拳を握り、滑稽な程声を張り上げる。そうしていなければ、己を信じていられなかったのかもしれない。血が止まるまで握って白くなった手を震わせて、帰ってくるって言ったんだ、と彼はもう一度、呟いた。
泣いたら認めてしまう。彼等が死んでしまったと、もう帰って来ないのだと。それだけは決してしてはならない。だって、認めるのはとても簡単で、けれど、それを受け入れるのはとても難しいのだ。いつか、彼等の身体の一部でも見つけてしまったなら、その時は泣くしかないけれど、今はまだ希望に縋っていたいと思う。例えそれが子供の駄々のようであっても。
慟哭したコウタの隣で静かにその声を聞いていたソーマが踵を返し、エレベーターに消える瞬間、小さく、くそ、と呟いた声がやけに大きくエントランスに響いた。
皆がもやもやしています、の回(何)
ちょっと冷静になると溢れてくる後悔とか羞恥とかは自分への嫌悪感になる事があるだろうな、と思うのでこんな状態です。実際、ゲーム中でもコウタさん辺りはあの時は仕方が無かった、と言いつつ、それが言い訳めいたものであるような自覚がある雰囲気だったと思います。常識人、藤木コウタ万歳(ぇ)
「帰って来るよ」と言いつつ、「帰ってくる訳がない」とも思っている訳で…自分の言葉を根っこからは信じていない人達。ツバキ御姉様はその辺り、年季が違います。こう、割り切ろうとする努力をする頃合を知っている、というか。勿論、彼女ももやもやしていますが、私情を挟まないようにして割り切る努力をしている感じで……皆にもやもやしているのを見せないように必死。要は、結局、自分の言葉を信じていない訳ですけれども。
纏めると…ばらばらになりかけの第一部隊。皆自分の事で精一杯。そんな感じ。
2011/07/26 |