メールって、何ですか?
友達レベル0
「お!おかえり〜!」
しゅ、と空気音を奏でて開いた自室の扉を潜ろうとした刹那、抜けるように明るい声音がセンカを引き止めた。
振り向いた先で微笑む、柔らかな茶色の瞳。いつものように神機を両手に抱えてぼんやりと佇むセンカに向かい、彼は跳ね気味になっている同じ色の髪によく似合う帽子を少し整えながら、己の神機を抱えてエレベーターを駆け下りて来た。
藤木コウタ。自分と同じ、ゴッドイーター。彼と会ったのはつい最近の事だ。具体的にはセンカが新型神機に適合した際、サカキにラボラトリを追い出された先に辿り着いたエントランスのソファで「ガム食べる?」と聞かれたのが最初の接触である。あまり友好的な会話というものに馴染みの無いセンカには随分、新鮮だったのが印象的だった。
同期――彼曰く、自分の方が少しだけ先輩だという――であり、同じ第一部隊である彼との接触は部屋が新人区画の隣同士という事を差し引いても比較的多いようにセンカは思う。だが、煩わしいと思った事は無い。人との接触が得意ではない自分が彼に、リンドウに対するような思いを抱かないのはきっと、彼の目がこちらを探ってこないからかもしれない。彼の視線はとても直線的だ。
「今帰り?」
返すのは、頷き一つ。いつもの事だが、それで彼が機嫌を損ねた事は無かった。こちらの甘えを、彼は理解している。妹がいると言っていたから、多少の意思疎通の不足には慣れているのだろう。勿論、それもこちらの甘えだ。
ピリリ。不意に耳を突く電子音に腰を探ったコウタの顔が、取り出した携帯端末を見た刹那に歪む。
「うわっ…ツバキ教官からお叱りの言葉が…っ」
訓練で散々扱かれたのだろう。小さく呟いてぶるっと震えた彼の顔が瞬時に青褪める様がまるでリトマス試験紙のようでなんとも面白い光景だと思う、などと言ったなら、今度は怒り出すに違いない。一人で芝居が出来るんじゃないかと思うくらい、彼の表情は実に豊かだ。
正反対の性質を持つセンカにとってコウタという存在は――サカキ博士の言葉を借りるなら――興味深い観察対象だった。
そこまで考えて、ふと思い出す。目線は、今し方コウタを震えさせた手の中のそれ。
「…それ」
「へ?」
黒くて四角い、小さな機械。自分も、サカキ博士に無理矢理ポケットに捻じ込まれて、持っている。
博士曰く、大切な連絡手段だというが、センカ自身は今に到るまで一度も使った事がなければ、中身をいじった事も無かった。リンドウとの任務を終えた昨日の夕方もとりあえずテーブルに放り出して、そのままだったような気がする。今朝も、持っていなければならない、と博士に言われていたからポケットに入れていただけで、ちまちまとついたボタンの一つも押した事は無かった。
黒くて、四角い、小さな、機械。それは…それは、
「それって、何ですか?」
時間が、止まった。
コウタにとって、それは無くてはならない物である。寧ろ、全てのゴッドイーターに必要な物で、知らない者な皆無な筈だ。
黒くて四角い小さな、携帯端末。電話だとか、メールだとかに必要な、大事な連絡道具。通信機械。
コウタにとって、否、全ての者にとって、それは無くてはならない物である。それを指して、相変わらずぼんやりとしているけれどとても綺麗な白藍の双眸を瞬かせた彼はこう言った。――――それって、何ですか、と。
「え、えぇえええええ!!?」
悲鳴が静寂を切り裂く。思わず取り落としそうになった己の神機と端末をなんとか手の内におさめられたのは、一重に、コウタのセンカに対する少しばかり他人よりも深い理解ゆえだろう。言葉を変えて、人はそれを慣れと言う。
両手でゆったり神機を抱える同期の同僚。ちょっと、否、かなり、ぼうっとしているとは思っていた。思ってはいたが、これは予想外だ。
「ちょ、えええ!?え、うそっ、ほんとに知らない!?」
返ってくるのはいつもの小さな首肯。
「持ってるよね!?」
更に首肯。
「使った事ないの!?」
とどめのように、首肯。――――これは、本当らしい。表情も全く動かない。首肯をする度に燐光を帯びる銀髪がふんわりと揺れるばかりだ。
信じられなかった。携帯端末を使った事が無いだって?そんな馬鹿な!けれど、センカが相手ならそれもありそうだと思ってしまう辺り、自分はこの不思議な雰囲気を醸し出す友人をかなり理解してきているのかもしれない。嬉しいのか、悲しいのか、判断に迷うところだが、これは多分、喜ぶべきところなのだろう。彼自身が何かしらの形でこちらと接触を持とうとしているのだから、きっとそうだ。
持ち前の前向きさで立ち直ったコウタは早速、行動を起こした。
「センカのやつ、ちょっと見せて。えーと、中も見ちゃうけど、イイ?メールとか」
こっくり頷いた彼が制服のポケットを探って暫く、真新しい風情の黒いそれが白い手から渡される。
何の感慨も無く手渡されたそれは本当に使った形跡が無い。改めて目にした真実に驚きを隠せなかったが、それと同時にコウタにはセンカが個人の領域に関するものをあっさり手渡したのが意外だった。
何に関しても無関心で思考が鈍っているように見えるセンカはその実、酷く思慮深く、特定の部分では神経質だ。特に物理的、或いは非物理的に関わらず、個人的なものへの接触を酷く嫌う。感情の色を見せない双眸で他人を良く観察し、自他共に安全な、損得の無い距離を保って接する事で他人とは明確な一線を引いているのだ。
勿論、それはコウタに対しても例外ではない。だからこそ、酷く驚いた。
端末の中を見る、という事は個人の領域に踏み込む事だ。メールの内容であったり、着信・発信の履歴であったり、様々な質の「個人の情報」が詰まった機器。普通であれば、それを他人に渡すという事は有り得ない。殊、そういったものを嫌う彼であれば。
手渡された携帯端末に目線を落として硬直したコウタが思考の海に溺れて暫く。センカの小さな声が鼓膜を撫でた。
「…?どうかしましたか?」
「え?あ、いや、何でもない何でもない!ってか、リンドウさんとサクヤさんからメール来てんじゃん!!」
俺のも未開封だし!良く見れば、今まで来たメール全てが未開封だ。そりゃあ、返事も来ない筈である。――――実は会った初日に送ったメールへ返信が来なかった事に軽く落ち込んでいたりもしたのだが、これはそれ以前の問題だろう。床にのの字を書きそうになっていた自分が少しばかり馬鹿馬鹿しくなる。彼に悪気は全く無かったのだ。
「ターミナルは使えるんだろ?」
そちらからでもメールを見る事は出来る筈だ。それくらいは出来ているに違いない。寧ろ、それが出来なくてはどうやって生活しているのか。思いながら、何と無く嫌な予感に苦笑を滲ませて言った彼に返ってきたのは僅かな沈黙と、まさかの眉間の皺。
コウタの手から、今度こそ神機が音を立てて床に落ちる。
「え、うそ」
励ましのメールを送り合う仲になるまでの道のりは果てしなく長そうだ。
お兄ちゃん属性コウタさんと新型さんの話。
四話で鳴ってた携帯端末の描写はリンドウ氏のメールのです。そのままシカトされてしまった隊長に合掌。
コウタさんと新型さんは現在友達レベルがゼロなのでこの程度のお付き合いですが、少なくとも他よりは仲が良いものとみられます。というか、コウタさんはお兄ちゃん属性なのでそういう所の気遣いとかは一級品なんじゃないかと思うんだ!新型さんもそこに甘えてしまえばいいですよ。
コウタさんも意外な観察眼がある時があるので、接し方は上手そうです。
2010/10/14 |