もっと手を伸ばさなければ手に出来ないものがある。
必要なのは、たった一欠片の勇気だけだ。
ブレイバー
あの日は兎に角、イレギュラーな事が多かった。討伐任務の他に課せられた探索任務。一つの地区に二つのチーム。情報に無いアラガミの出現。三つ目に関しては調査隊の調査不足の可能性もあるが、それにしてもあのプリティヴィ・マータの群れを見逃すとは考え難い。
「それに、いくらなんでも、ミッション履歴が消されてるなんておかしいわ…」
ターミナルを操りながら、サクヤは独り、呟いた。
あの日の事を改めて調べようとした矢先にこれだ。疑念を持てと言わんばかりの展開に、寧ろ、これが罠なのではないかとさえ思えてくる。
データベースから消えてしまったミッション「蒼穹の月」。歴戦の神機使い、雨宮リンドウと極東支部最初の新型神機使いである烏羽センカが消息を絶つという大事が起こった任務の履歴が消されているなど、有り得ない事であり、あってはならない事だった。戦闘の記録は実に重要なものだ。不測の事態が起こった時の履歴が残っていなければ同じ事態に直面した時、再び対応の遅れを招く可能性もある。それが、失われる筈が無いと思われていた者達のものなら尚更。
もっと早くにデータベースにアクセスしなかった事に歯噛みして、もう一度、画面を確認し、ミッションの頭文字すら見当たらない事を再度、認識した彼女は本来、その名があるべき場所に指を置き、眉を顰める。――――やはり、無い。こうなれば最早、頼りになるのはその場に居合わせた人間の記憶と残されたデータディスクだけだ。
未だに思い出す事に抵抗を感じる光景を脳裏に描き、彼女は手にしていた銀のデータディスクを躊躇い無くスロットへ滑らせた。
覚悟はある。否。決めなければならない。そうでなければ、何の為に彼等は己を犠牲にしてまで仲間を生かしたのか。
ぐい、と改めて顔を上げ、唇を引き結び、けれど、画面に映し出されたものにサクヤは動きを止めた。
「…腕輪の認証がかかってる…?」
腕輪認証。ロックだ。つまり、このディスクの中身はリンドウの腕輪が無ければ閲覧出来ない。
「……参ったわね…手がかりはこれしか…」
言いかけて、過ぎった顔に言葉を呑んだ。――――いる。あの場にいた人間の中、リンドウとセンカの他に最も核心に近い場所にいた人物が一人。
あの事件から一週間以上経つが、彼女の退院の知らせは全く届いて来ない。あれから幾度か彼女の病室を訪れているらしいコウタからは、話が出来る程度には回復したが、自信を失い、不安定になっているようだ、と聞いている。目の前で両親をアラガミに喰われたという凄惨な彼女の過去もその時に聞いたが、それには返せる言葉を見つけられないまま、数日。サクヤ自身は一度も彼女のもとを訪れた事が無かった。自分から彼女の事を思い起こした事も、あまり無い。無論、同じ部隊の仲間として心配ではあるが、顔を合わせる気にはなれず、又、合わせたからといって何か気の利いた会話が出来るかといえば、答えは否だった。彼女の方にしても同じだろう。二人、同じ空間に居たとして、ただ痛い沈黙が流れるだけだ。
だが、己の腑抜けた調子が潮時を迎えたように、それも潮時だろうとサクヤは思う。いつまでも見て見ぬふりなどしていられない。彼女も、自分も、動き出さなければ。一人では踏み出せない事も、二人なら踏み出せるかもしれない。
入れたばかりのディスクをターミナルから抜き取って眺めた朱色が一度、瞬き、やがて高いヒールの音がモニターに映された海原に背を向けた。
今日は比較的安定していた、と思う。コウタから見て、アリサの回復は順調なように思えた。勿論、楽観視出来るものではない事は理解している。何せ、傷は外的なものではなく、身の内で密かに血を流し続けているのだ。それが何かのきっかけで直に治るようなものなのか、或いは、途方も無い時間をかけてゆっくり治していくしかないものなのか、専門家では無いコウタには検討もつかないけれど。手探りの状態では少しずつ、少しずつ治していくしかない。
本来ならセンカも居ただろうラボラトリ区画を後にするべく、ぽつぽつと歩きながら茶色の髪を揺らして考える。
気になるのは、サクヤだ。あれから大分、明るい顔が増えてきたとはいえ、時折、真剣な面持ちで何かを考えている素振りが見える。ソーマもそれには気付いているようで、彼女がそうした動きを見せる度に動向を探っている気配がしていた。
先のような混乱に任せた行動が無くなったのは良い事だが、一人で無茶な事をしなければ良いと密かに思う。彼女が全てを背負う必要は何処にも無いのだから、少しこちらにも荷物を分けて欲しいと思うのは、我が侭だろうか?
思い、やっぱり自分はちょっと子供染みている、と苦虫を噛んだコウタは顔を上げ、視界に映った人物にぴたりと歩みを止めた。――――肩口で切り揃えた真っ直ぐな黒髪に、朱の瞳。すらりと伸びた手足と、高く響くヒールの音が近づいて来る。
「あら、コウタ。今、帰る所?」
「サクヤ、さん…?」
片手を上げてさっぱりした挨拶をする女性は確かに今し方、コウタが案じていた橘サクヤその人だ。ひらひらと上げた手を振り、コウタの前で歩みを止めた彼女はいつもの優しげな笑みを浮かべて刹那、不安に揺れた茶色の瞳を見返した。
暫く、言葉も無く視線を合わせて、一間。サクヤの顔に観念したように苦笑が浮かぶ。
「心配しないで。ちょっと、考え方を変えたの」
やぁね。そんな顔しないでよ。からから笑う彼女の顔色は、それ程悪いようには見えない。少しばかり観察したコウタは状態が然程悪くない事に息をつき、肩の力を抜いて居住まいを正した。
人払いがされている筈の此処へ来たという事は、アリサと会うつもりで来た事に他ならない。どういう心積もりで来たのか、気になる所ではある。双方共、落ち着いてきたとはいえ、平常心には程遠い今の状況で会うのは静まりかけた水面に岩を放り込むようなものだ。それが良い事でないのは言うまでも無い。
帰すべきか、会わせるべきか。彼女の言葉次第で己の行動を判断すると密かに決めたコウタは耳を澄ませる。
「…ちょっと前までね、何でこうなったのか、何であの二人だけ、って…ずっとそればっかり考えてたわ。過去ばっかり見て…あの人達の事を信じてなかったのね。もう帰って来ないんだ、って、勝手に死んだ事にしちゃってた。まだ腕輪が見つかった訳でも、神機が見つかった訳でも無いのにね。戻ってくる、って口ばっかり。全然信じてなかったの。まだ何も見つかってない、って言ったのも、多分、諦める口実が欲しかったのかもしれない」
滔々と語られる心の内は、少し前にコウタが抱いていたものだ。
戻ってくる。戻ってくる。絶対に戻ってくる。言い聞かせるそれがプラスチックで作った宝石の如く陳腐な嘘くささで胸を刺していた。何か決定的な物が見つかれば、と思っていたのも事実だ。
また沸々と込み上げてくる黒いものに顔を俯かせる彼の耳に、でもね、と殊更、すっきりとした声音が響く。
「貴方のおかげで目が覚めたのよ」
弾かれるように持ち上がったコウタの顔を眺め、サクヤはまた苦笑を漏らした。
「確かにセンカもリンドウも馬鹿みたいな嘘はつかなかった。それが分かったら、何だかうじうじ泣いてる自分が情けなくなっちゃって…恥ずかしいわよね。これじゃあ、本当にセンカに怒られちゃうわ!…だから、もう少し勇気を出してみようと思ったの」
切り揃えられた黒い前髪の下から一直線に向かう視線が、コウタを越え、その奥の扉を眺める。アリサの、病室を。
その勇気とは、どれだけ多大な力を要するものだっただろう。その覚悟を決めるまでに、どれだけ泣いたのだろう。思う程、握った拳に力が入る。その強張った肩を一つ、叩いて、流れる漆黒が過ぎていく。
ふわり。掠める彼女の香り。咄嗟に振り向いたコウタを首だけ捻って見返し、朱が細く微笑んだ。
「言い忘れてたけど、ありがとう。今度、何か驕るわ。やられっぱなしじゃ流石に格好つかないもの!」
笑って、進む、その先。病室で後悔の沼に沈む彼女はきっと歓迎しないだろう。この顔を見て目を剥き、取り乱し、叫んで暴れるかもしれない。けれど、そうしてばかりも居られない、と彼女も気付いている筈で。だから、勇気を出して、初めの一歩を踏み出そう、と言いに行かなければならない。
自分も、彼女も、きっと同類だ。どちらが見下す側でも、見下される側でもない。
向き直り、前を見据える鋭い朱の双眸。
「じゃあ、行って来るわ」
堪えきれずに震えたサクヤの声音に気付かないふりをして、コウタはただ一言だけを返した。きっとこれが彼女の勇気を讃えるに相応しい言葉だと信じて。
「うん。行ってらっしゃい」
彼等の背中を見ながら、不穏な通信をする医師には、終始、気付かないまま。
「…ええ、思ったよりも早く回復していて、露見するのも時間の問題かと……ええ、ええ、では、私はこれで」
ぷつり。電話を切って白衣を翻した男の、その裏地に刺繍されたオオグルマの文字が光から逃げるように翳って消えた。
あれからもっと自分で考えて答え出してみたサクヤさん。小ボスに挑むの巻(何それ)
要はちゃんと立ち直ったサクヤさんを書いてみたかったというか…うじうじ的なものをちゃんと完結させてみたかったので入れてみました。うじうじな自分を振り返ってもらっているのもその所為です。実際、ゲーム中、生存の可能性に縋りながら、死を確信しているばっかりだったので「おいこら縋ってるのは証拠が欲しいだけでしょう」と突っ込みを入れていた訳ですよ。ええ。確信の粗探しは単なる時間と労力の浪費だと思う訳で、それに漸く気付いたサクヤさんにもうちびっとだけ勇気を出して貰おうというのが次回になります。
兎に角、このうじうじさは無い!!と悶え苦しんだ原作だったので男前さを取り戻す為にもうじうじは完結して貰わねばならなかったのですよ…。
当家はさっぱり男前サクヤさん推奨!
ちなみに、最後のオオグルマ氏は………うっかり登場させるのを忘れていたので、面倒だなぁ、と思いながら、こんな所で、ちらっと出現させました…(本音が出過ぎだよ!!)
2011/09/16 |