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 文字とは、こんなにも感情豊かなものだっただろうか。
 そう瞳で問いかける君の変化が、良いものであれ、悪いものであれ、私は嬉しく思うのだ。

曖昧の輪郭

 コウタに教わったメールと言う物は中々に興味深いものである。
 語り口調で手紙を書く、というのはそれ程珍しい事ではないが、内容的には直接的な対話で済ませた方が早いものが多い。それをあえて文章化して相手に送るのは手間ではないだろうか?しかし、相手が直接的な対話が不可能な状態にある、という可能性も皆無ではない。よって、この行動は他者の時間を配慮に入れた、気遣いになるのだろう。
「で、君の結論としてはメールはどういったものなんだい?」
 点滴の針を白い腕に沈めたサカキの手がチューブにテープを貼って離れた。
「便利なもの、でしょうか」
「おや、君にしては珍しく考えが纏まっていないようだ」
 虚空を眺めて呟いた声音に、学者の顔が面白げに歪む。サカキはいつもこうだ。何かとこちらの意見を聞きたがる。殊、内面の、思考に関するものには矢鱈と興味深げに掘り下げて聞いてくるものだから、センカの脳内は掻き回されているような錯覚を覚えるのだ。
 腕に飲み込まれていく薬の感覚。この次には数本の注射が待っている。
「…答えなければいけませんか?」
 問えば、
「実に興味があるね」
返る、笑みを含んだ言葉。こうなれば、話題の転換は難しいだろう。彼の「興味がある」は「何としても聞き出す」と同意義だ。
 センカはちらりとその読めない双眸を見返して、直に逸らした。
「…隊長達の文字はとても柔らかく感じます」
 検査台に横たわった自分の視界に映る天井の白さは、先ほど目にしたメールの文字とあまりに違う温度だと思う。無機質で、酷く冷たい。恐らく、自分と同じ温度。とても、とても、冷たい。人ではない冷たさ。けれども、携帯端末から見た――コウタに教えてもらったが、ターミナルからでも見られるらしい。彼の教え方はとても懇切丁寧だった――メールの文面はとても暖かかったように思う。その文字から、言い回しから、感情が伝わるような、人間的な温度。だが、穏やかで便利な面しか無いように見えるそれは他方から見れば、文面から己の思考が漏れるかもしれない危険があるという事だ。
 諸刃の刃。真に、そう言って差し支えない物だと思う。
 そう続けようとした言葉は、しかし、僅かに不思議そうな気配を孕んだサカキのそれに遮られた。
「感じる?」
「…?はい」
 ゆっくりと長い睫毛を揺らすセンカの、確かな肯定。サカキにすれば、「感じる」という表現は彼にしては珍しいどころか半ば有り得ない表現だった。
 感じる、とは学者の観点から言えば、些か曖昧過ぎる言葉である。自己の感覚に頼った、利己的な表現。主観は自分にあり、決して客観的な表現ではない。
 サカキ自身、個人的な表現で使う事はあれ、学説を唱える時に使った事は一度として無かったが、少々、特異な生い立ちであるセンカはサカキ以上に感覚的な物言いをこれまでした事がなかった。具体的には、今この瞬間まで口から零した事がなかったのだ。
 その彼が、今、「感じる」と言った。――この胸に湧き上がる暖かなものは、何だろうか。
「?博士?」
 酷く嬉しそうな笑みを浮かべながら、柔らかな羽根に触れるかの如くに銀の髪を撫でた手のひらのぬくもりに、センカの瞳が瞬く。
「うん。大丈夫。君が成長したという事だね」
 第一部隊に入れたのは正解だったらしい。あの面子は良くも悪くも情に厚いから、彼にも何らかの変化を齎してくれるかもしれないとは思っていたが、これは予想外に良い変化だ。
 一つ頷き、違う方向から満足を得られた学者は追いかけた話題を自ら切り捨てた。
「明日は『彼』との任務だそうだけど、大丈夫かい?データで見る以外では、初めて会うだろう?」
 センカに関する情報は必ずサカキの元へ送られている。彼の体調面から精神面に到るまでの全てを受け持っている主治医のような立場からすれば願ってもない事だが、無論、それに裏が無い訳が無い。無償のものには必ず何かしらの代償がある筈だ。サカキはそれをセンカの生命の保持だと考えているが、どんな事情があれども、こちらに有利になるようなものであれば文句などある筈が無かった。
 センカに取り付けた機器の数値を見ながらサカキは微かな吐息すら聞き逃さぬように耳を澄ます。
「問題ありません」
「そう。でも、くれぐれも無理はしないように。最近の君は数値があまり良くないからね」
 どのような結果になったとしても、明日の任務はきっと彼の胸に漣を立てるだろう。精神的に安定を欠くようにならなければ良い。もしも、明日、良くない事が起こるようなら、彼をこの場所に連れ戻さなければならない。――そう思いながら、サカキは吐息に似た返事を返して眠りに落ちて行く白藍が瞼に隠されるのを見送った。



お父さんサカキ博士と新型さん。この二人は親子属性だと良いかと(ぇ)この長編の和み要員。
メール云々については常々思っていた事だったりもします。とくに携帯メールとかは中々興味深い。あれだけ表情豊かな文面が書けるのも日本語の素敵な所だと思ったりもします。自己を表す言葉だけで三種以上あるのも、それだけで大まかにでもその人を表せるというのは凄いと思うわけです。
文章に示す事で偽れないもの、というのも勿論あるかと思いますが。

2010/10/14