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 これ以上、誰も傍には来なくていい。
 ただ、記憶に焼き付く鮮烈な銀色だけを待っている。

雪待ち

 一人増えれば、一人減る。減る、というのはつまり、死ぬという事だ。素晴らしい自然の摂理というやつはこうして人口の爆発的な増加を抑えている。時折、何を間違ったか、減らし続ける事もあるが、そんなのはきっと所謂、悪戯だとか気まぐれだとか、そういったものなのだろう。運命を信じる訳では無いにしても、ソーマには当たり前の感覚として根付いていた。
 新型神機使いが一人増えて、数日後、同じ新型神機使いが一人減ったのはもう一週間以上も前の事である。同じく減ったリンドウ――彼もセンカと同様、フェンリル内では既に鬼籍入りしている――は旧型の神機使いだったけれど、そこはコウタという旧型が参入した事で釣り合いを保っているのかもしれない。
 入れ替わり立ち替わり、なんとも忙しい展開だと思う。しかし、これがこの世界の摂理だ。
 しゃくり。しゃくり、じゃり。辺りを警戒しつつ、摺り足で踏みしめる雪が囁く。低く構えた神機を冷やし、柄を握る手の僅かな温度を奪う大気は刃のようでありながら、しかし、視界に舞い降りる白雪が遠い空から注ぐ月明かりに煌く銀の花弁のようにも見えて、何処か滑稽にも思える。ふわり、ひらり、軽やかに落ちてくるそれらは、或いは羽根の如く。
 踏み込んだ御堂にも積もる白は闇に踊る極光にも光り輝いて、辺りを鋭く見回すソーマの脳裏に誰かの姿を呼び起こさせた。――――ちらつく、銀色の淡い燐光。
 此処最近、鎮魂の廃寺に訪れる度、それを思い出して足を止めている。だが、決して悲観している訳ではない、と彼は自負していた。言うなればそれは、悪態をついて文句を言う為の備忘行為だとか、そんな所だ。顔を合わせた時にみっともなく口を開けてぼんやりするのは性に合わない。あの大馬鹿の、無駄にきらきら光る頭には拳の一発でも落としてやらねば気がすまないというもので、せめて、面と向かって馬鹿野郎と罵ってやる為にも彼の、少しばかり鮮烈過ぎる姿は忘れる訳にはいかなかったのだ。
 じゃりり、埃を靴底で奏で、動きを止める。感じるのは、視線。――――気を抜くな。己に言い聞かせる。此処は戦場だ。雪も風も、微かな音すら敵にも味方にもなる。
「…誰だ」
 紡いだ低い声音に返事は無い。
「姿を見せろ。…そこにいるのは分かってるんだ」
 続ける言葉にも応える気配は微塵も無く、ただ、風音だけが御堂の壁を軋ませていく。
 こうした視線を感じるのは、実を言えば今回が初めてではなかった。任務中、殊、単独での行動をしている間に、ちょろちょろと周りをうろついてこちらを伺っている気配を幾度か感じた事がある。しかし、しつこくついて来るのは視線のみで、実際に接触を図って来た事は一度も無い。それでも、張り詰めた中で暢気にうろちょろされるのは少々感覚に優れすぎたソーマには鬱陶しいと思うに十分、足るものだった。あまりの鬱陶しさにこうして声をかけたのも、もう数度目である。無論、これまで一度も接触が無かったのだから、呼びかけに対しての反応など吐息の一つも返った事は無い。じっと動かぬまま、視線を浴びせられて、苛立ったこちらが踵を返すのが常だった。
 これは自分と同じく一人で行動する事が多いらしいセンカに問おうとして、結局、問えないままになっている事柄でもある。
 蒼穹の月でプリティヴィ・マータの群れに逸早く気付き、威嚇までした彼だ。同じ事があったとすれば、この突っつくような感覚に気付かない筈は無いだろう。
 澄ませる耳に、雪が擦れる音が聞こえる。背後だ。ゆっくり、潜めた足音。近い。軋む金属と、雪が静かに積もる音。角を曲がり、坂を上ってくる。一歩、二歩、三歩…近付いたそれが御堂に足を踏み入れた、刹那、ソーマの神機が風を裂いた。
 重い鍔鳴り。唸りを上げて軌跡を残す、大ぶりの太刀筋。掠めて、ぱらり、散った茶色の幾筋。
「ちょ!ちょっと、タンマっ!俺だって!!」
 振り抜いた冷えた刀身の先端が肌に触れるか否か。前髪を幾筋か持っていかれ、銃を掲げて防御の体制をとったまま器用に肩を飛び上がらせたのは異形ではなく、人間だった。茶色の髪に帽子を被せた――――コウタだ。
「……なんだ、お前か」
「なんだ、じゃないだろ!?帰投する時間になっても戻らないから心配して探しに来てやったんじゃないか!」
 大仰に憤慨してみせる彼の隣では同じく眉を顰めたアリサが強く頷いている。
 帰投時刻を過ぎても戻らないという事がどういう事を意味するか。新人の神機使いですら知っている事だ。どこかで報告外のアラガミと交戦しているかもしれないし、或いは、その報告外のアラガミに屠られている可能性も零ではない。その可能性を払拭する為にも集合時刻を厳守するのは最低限の常識である。
 歳若いながら、既に歴戦の神機使いであるソーマがそれを知らぬ筈はなかろうに、コウタの憤慨を鼻息の嘲笑一つで片付けた彼は朽ちた御堂の隅に視線をやって己の神機を担いだ。
「…余計な世話だ。俺は俺の好きなようにさせてもらう」
 寧ろ、その方が都合が良い。自分に関わる事で誰かが死ぬ事は無く、不測の事態が起ころうとも、死ぬのは自分ひとりで済む。これ程、効率の良いものもあるまい。そもそも、他人と関わる事を得手としない自分がどうして居心地の悪さを我慢してまで誰かといなければならないのだろう。このような化け物の傍になど、誰も居たいとは思わないだろうに。
 冷えた御堂の隅に積もる雪が固まり、きらきらと輝いている。まるで、誰かの燐光のように。
 廃寺を吹き抜ける風よりも冷えた硬い声音よりも、その内容に茶色い双眸が瞬時に吊りあがったのはいうまでも無い。
「俺達、同じ部隊の仲間だろ?勝手ばっかり言うなよ」
 咎める口調が未だ怒気を潜ませているのは、彼が存外、理性的な人間だからだろう、とソーマは思う。
 コウタという人間は常の騒がしさの裏で随分と他人の心情を汲み、重んじる性格をしている。センカに逸早く近づけたのもその性格ゆえだろう。ただ重んじるのではなく、それを踏まえての心配りは素直に驚嘆に値し、実に好ましい。時に、我慢しきれなくなった我が頭を擡げ、子供染みた行動に走るのも、彼の個性の一つだと言えば短所にもならない。得をしている、といえば、得をしている性格だ。不器用者の多い部隊内でも一、二を争う世渡りの上手さは恐らく、彼の家庭環境が要因の一つなのだろう。殊、溺愛しているという妹の存在は彼の人間構成に多分に影響を与えている。
 こうして無礼な態度を取る相手にも一度は会話を試みようとする彼は実は部隊内で一番強いのかもしれない。――――しかし、それと、この「自分」を仲間と称する事は全く別の事だ。
「…仲間、か……ふん」
 鼻で笑う言葉。己が口にすれば、やけに胡散臭い響きで大気に溶ける。
 呟くような声音になってしまったのは、コウタの口にする同じ言葉が、自分のものと比べて違い過ぎたからかもしれない。

「……少し小突いたくらいで死んじまうような、おちおち背中も預けられない奴なら…いない方がましだ」

 誰もいなければ、誰も己の所為で死ぬ事は無い。それは、己にとっても素晴らしく良い事だ。死ぬ方も、化け物の傍で死ぬ事程、口惜しい事も無いだろう。信頼する者の姿を見る事も無く、この呪われた身の傍で朽ちたなら、虚ろな目を空に向けて地べたに這い蹲り、お前が傍に居たから、と罵りの声を上げて憎悪するに違いない。
 それでも純粋な人間とは言い難い自分を仲間だと言いたいのなら、まず、それ相応の力を持っていなければ話にならないのだ。たかがアラガミに噛まれたくらい、潰されたくらいで死んでもらっては困る。
 過去、そうした力を携えていたのはリンドウとセンカの二人だったが、次々と死を呼び込むソーマの傍で見事な剣技で力を見せ付けながら不穏な影を跳ね除けていた彼らもついには不在になってしまった。これが、彼らの力を超越してしまった己の不幸が齎すものなのか、単なる運命の悪戯なのか、どちらにしろ、二人が傍にいない事に変わりは無い。
 結局は、どれ程強かろうと、この呪いから逃れる術など無いのだ。今は只、彼らの帰りを待つしかない事がもどかしい。
 それきり口を噤んだソーマの耳に、今にも爆発しそうな声色で、コイツ、と苛立たしげに呟く声がする。ちらり、一瞥したコウタの顔は口調に違わぬ険しいそれ。息を吸い、開く口に牙が見えるようだ。
「ああ、わかったよ!アンタは凄いよ、大した奴だよ!」
 一人でどんな任務でもこなせるんだからな!言い放ち、目の前を真っ赤にしながら、けれど、欠片ばかり残った理性が脳裏に銀色をちらつかせて見せる。――――嗚呼、あの銀色なら、こんな事を言うソーマに何と返しただろう。あの銀色が相手だったなら、ソーマは、何と言って返したのだろう。
 思いながら、愚痴りたい相手は今はどこにもいなくて、コウタはただ抱えた神機を握り直した。
「…お高くとまりやがって……俺は先に帰るからな!」
 踵を返し、踏み出そうとして、ふと思い出した銀色を脳裏に留め置いていた足が止まる。
 肩越しに振り向いた視界で、気遣わしげな顔で後をついて来ようとするアリサの向こうに依然、御堂から動く気の無い青いパーカーが見えた。
 ひらひら、ひらり。穴の開いた天井から舞い降りる――――煌く白雪。
「……それから…今の言葉、リンドウさんやセンカにも言ったら殴るからな」
 身を挺してまで皆を救った二人に向けるには、無神経すぎる言葉だ。もしもソーマが同じ態度を彼らにも取るようなら、今度は容赦しない。言外に告げて、彼は今度こそ廃寺を後にした。しゃくり、しゃくり、雪の悲鳴。続くアリサが、一つ、視線を投げて去っていく。後に残るのは静寂ばかり。
 話す間でさえ降り止まない雪は月光に神々しく光る仏像にも積もり、積もりすぎたそれが微かな囁きを零して床に砕けていた。冷えて、固まった雪がまたきらきらと輝いている。
 コウタ達が去った方向に視線を向けながら、ソーマが手を出せば、仰向けた掌に乗ってするりと溶ける、風で煽られた白雪の一片。僅かな温度にも溶けてしまうそれは恰も「彼」そのもののようで、目を閉じれば斜陽の中で小さく微笑んだ銀色ばかりが映り込む。――――彼は、今何処にいるのだろう?廃寺に来る度、思い出す。来なくとも、思い出す。
 きらきら、ふわふわ、光る、銀の燐光。手に乗り、さらり、また消える。
「…馬鹿が。帰投時間はとっくに過ぎてるぞ…」
 彼は掌に舞い降りた白雪を強く握り締めた。

 早く帰って来い。口の中で微かな音になり、溶けて消えた言葉を聞いていたのは輝く仏像に身を潜めた、白い影だけ。



私待つわ〜なソーマさんの話(色々ぶち壊し!)
このイベント自体はもうすっ飛ばしても構わないレベルのものなのですが、仲間が帰りを待ってるんだぜ、という感じをもっと出したかったのと、やっぱりGEパート的にはソーマさんにちゃんとスポットを当ててあげないといけないので入れてみました。
書き出し部分から続く内容に触れると…フェンリル内というのは殉職的な意味で入れ代わりが激しい職場だと思います。それがちょっとした「代替の利く兵隊」のような錯覚を生み出す皮肉を帯びているとソーマさんの「くそったれな職場」も少しは支部長的なもの以外の意味を持てる言葉になってくるのではないかと思ってみたり。そもそも、印象的な言葉であったにも関わらず原作ではアレ以降、触れられない名言だったのでちょっと勿体無いなかったともぞもぞしておりました…。……ま、まあ、正直な所、当家の長編ではあの台詞の頭文字すら出ていないわけですがね!(…)
ですが、ああいう言葉が出てくるという事はソーマさん自身、神機使いそのものについて思うところがあると思うので少し出してみた次第です。
で、その派生系(?)という意味合いで今回の仲間云々の一悶着に繋げています。

あと、明確には書きませんでしたが、盗み聞きは子犬さんですよ。補足しないと分からないってこれ如何に。

2011/12/03