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「早く帰って来い」
 かくれてたら、おなじいろした、おなじかたちの、ちがうものがいった。…でも、「ちがう」って、なんだ?
 わからないから、「それ」のまねしてみたんだ。…どう?にてる?おなじのもってたものにきいてみる!
 「あれ」なら「はやくかえってこい」もしってるとおもうんだ!

ひみつを、ひとつ、ふたつ、

 温室で寛ぐ人数が増えて幾日。その日、いつものように、イタダキマス、と叫びながら――オナカスイタに続き、リンドウが教えた言葉だ――果樹園に飛び込んできた彼女が自身の手を変形させて形作ったそれを見た彼らは食事の手を止めて目を見開き、事態の進展を察知した。
「…神機、か…?」
「形を見る限り、そうですね」
 手から生やしたようにも見えるそれを振り回しつつ元気に飛び付いて来た小さな身体を受け止め、間近で陽光を照り返す刃を眺めたセンカは一口齧った林檎を片手に動きを止めたリンドウにそう返す。
 長い刀身に重厚さは無く、あえて分類するならばショート系と言った所だろう。刀身は彼女の肌と同じ真白。鋭利な刃も完璧な造形だ。峰も美しい曲線を描いている。彼女が使い易いように多少、造型を変えられているものの、見目そのものだけは紛れも無く万人が万人、神機だと言うだろう。銃器や捕喰形態への変換は出来るのだろうか?廃寺に積もる雪の如く穢れないそれは手に直接、接続されていなければ人間が使う通常のそれと見分けがつかないかもしれない。
 一通り、彼女の手にあるそれを眺めたセンカはぐりぐりと頭を擦り付けてくる――この辺りはどうやらレンギョウから学んだようだ――痩身を少しばかり離して金の双眸を覗き込んだ。くり、と嬉しそうな大きな目が瞬く。
「それは、どこで見た?」
 紡ぐのはアラガミにも分かる響きのそれだ。詳細な情報を得るには母語で会話をするのが早い。
 案の定、ぱちぱちと二度瞬いた彼女はすぐに答えを返してきた。――――曰く、自分がいる場所で、と。彼女がいる場所、とはつまり鎮魂の廃寺近辺だろう。念の為、どういう場所か聞けば、センカの銀髪をくいくいと引っ張って、これがふわふわする、と言う。間違いない。
「…鎮魂の廃寺ですね…あの辺りは任務エリアですから、不思議ではありませんが…」
「その前に、毎回、俺はお前らの会話方法が不思議でならないんだがな…」
 しゃくり、とまた一口林檎を齧って不可解な表情を浮かべたリンドウに、センカは眉を顰めて一言、いい加減慣れて下さい、と言い放ち、更に情報を得るべく、抱きついたままの彼女に視線を合わせた。その素っ気無さに、こちらも眉を顰めた男の機嫌は更に下方修正が入る。
 リンドウが不平を言うのも無理は無い。彼に一連の会話は理解できていないのだ。
 オラクル細胞を通して会話をするアラガミには本来、人間のような言語が存在しない。コンゴウのように意思疎通を図る種も存在するが、基本的にそれは知らせの咆哮であって、所謂、警報のような役割を担っているに過ぎないのだ。人間のように思いを伝える繊細な語彙などアラガミには理解も出来なければ、話す事など出来よう筈も無い。同種族間の個体認識など、あれそれどれの世界。言うなれば、人参の群れかほうれん草の群れかという個体識別の無い世界だ。例えば、ヴァジュラから見て、シユウの群れは牛蒡の群れが歩いているに等しい。そもそも互いに喰い合い、最終的に頂点に立った、たった一匹の個体が世界を制する種族に、他人に伝える為の多彩な語彙など必要無いのである。
 センカやレンギョウ、そしてこの少女が他と違うのはそこだ。――――話が出来る。その一点において、彼らは明らかに他と一線を画していた。
 しかし、それが「人間の言葉」で可能なのかはまた別の話である。彼らはアラガミで、なればこそ、アラガミの言葉ででしか理解出来ない。だが、アラガミに言葉は無く、だから明確な意思を伝える為には互いのオラクル細胞を通した「響き」で意思疎通を図るより他無いのだ。そして、オラクル細胞を通すその響きは、必ずしも「音」が必要な訳ではない。
 結果として、効率を重んじるセンカとそれに準じる少女が今、リンドウの目の前で繰り広げている「音」を使わない会話は傍から見れば、ただ見詰め合っているだけのようにしか見えなかった。
 銀色の細い身体に、ぎゅ、と抱きついて視線を合わせる少女に親愛以外の感情が無いとはいえ、いつまでも同じ体勢なのは如何なものか。そうしたいのはこちらとて同じだというのに、どうして自分は警戒され、彼女は無条件に許されてしまうのだろう。真面目な話をしている筈の場面で二十六年も生きた人間、それも男が眉を顰めて嫉妬をするなど大人気無いと分かっていてもどうにも面白くない。
 早く終われ。そしてその位置を代われ。そんな願いが届いたかは定かではないが、ふわりと燐光を散らした銀色がこちらに顔を向けた。
「彼女が見たのは、ソーマ先輩だったようです」
「ソーマ?」
「自分と似た色の髪をしたものが一人で居たと言っているので、間違いは無いでしょう。ここ数日、毎日のように見かけているというのは気にかかりますが…」
 鎮魂の廃寺に、第一部隊が展開している。それ自体は全く疑わしいものではない。元々、第一部隊は討伐部隊であり、防衛班と違い、任務地に赴く事はそう珍しい事ではないのだ。寧ろ、アナグラに留まる方が珍しいと言っても過言ではない。だが、連日のように一箇所に赴いて討伐を繰り返しているというのであれば話は別である。それは殲滅、或いは掃討作戦を実行しているという事だ。
 何の為に、あの辺り一帯のアラガミを片端から討伐しているのか。考えるまでも無い。――――特異点を誘き出す事が狙いなのだろう。
「第一部隊が動いてるなら、支部長じゃないな」
 あの男はもう少し慎重に動く筈だ。特に、疑念を抱かれる事を承知でリンドウとセンカを「計画的に失わせた」第一部隊に対しては、今、最も警戒しているに違いない。
 口端についた果汁をぺろりと覗かせた舌で拭い取った男を一瞥したセンカの白藍が刹那、彷徨う。
「…そうであれば、博士でしょう」
「だろうな」
 支部長以外で特異点に執着していた者といえば、残るはセンカの養父たるペイラー・サカキ以外には無い。
 表向き、友好的な協力関係にありながら、水面下では口八丁手八丁で化かし合いをしていた二人だ。特異点の情報を掴んで動き出してもおかしくない。問題はどちらがその正確な情報を掴んだか、だが…このやり口を見る限り、サカキで間違いは無いだろう。力ずくで追い詰め、檻に入れるのではなく、真綿で首を絞めるように、檻に入らざるを得ない道を選ばせる。どちらが非情かは価値観によるが、傍から見ている方にしてみれば実はどちらも変わりは無い。そして、その損な役回りをさせられているのが、自分達が所属している第一部隊である。
 可哀相に。居なくなったリンドウとセンカの代わりに、残された面々が彼にこき使われているのだ。そして、それは少女をフェンリルに保護してからも続くのだろう。嗚呼、可哀相に。あの人は笑顔で人を死地に送る。何度それでとんでもない目にあった事か。
 そういえば、それが彼の特技の一つだった、と思い出したセンカは密かに溜め息をついた。
 何にせよ、彼女が保護されるのがサカキの側であるのなら暫く心配はいらない。時間稼ぎにしかならないとはいえ、最善といえば最善だ。シックザールに渡るより遥かに良い。しかし、問題もあるのは確かだ。
「…僕達の事を、知られる訳にはいきませんね…」
 サカキや第一部隊に保護されるのは良いが、今の自分達が生きている事を知られる訳にはいかない。余計な情報の流出を抑える為、彼女に自分達の名前を教えていないものの、たどたどしい口調の中にぽつりぽつりと語られる特徴が探し人のそれだと知れば、人情に厚い彼らは他の任務を投げ打ってでも直に迎えに来るだろう。…それでは、困るのだ。
 刹那、合わせた視線でリンドウと一度、頷き合ったセンカの手がそっと少女の肩に触れた。依然、手を神機に変形させたまま、今度はその大きな瞳を不思議そうに瞬かせて小首を傾げた少女の、その耳に、よく聞こえるように言葉を紡いでやる。
「よく聞いて、これを守って欲しい」
 細胞から響かせて、合わせる視線。
「此処で僕達に会った事は誰にも言ってはいけない。いいな?秘密だ。誰と、どれだけ親しくなっても、何を聞かれても、何も言ってはいけない」
 随分、利己的な言い分である事は承知している。彼女に利は一つも無く、けれど、どうしてもこれは守って貰わねばならない。リンドウの為にも、自分の為にも。
 何も知らない、幼子同然の無垢な存在に打算的な密約をおしつけて良いものか、些か迷いながら、センカはじっと見上げてくる金色を眺めた。
 ことり。彼女の頭が、また傾げる。
「…ヒ、ミツ…?」
 ヒミ、ツ、ヒミツ?ふわふわ右に左に首を傾げてアラガミの響きではなく、人間の言葉を繰り返す少女に向け、センカが己の唇に人差し指を当てて、もう一度、秘密、と繰り返してやれば、同じく自分の唇に指を当てて真似る仕草が返ってくる。それに少しだけ口元を緩めた彼は、今度は自分が彼女を真似るように、指を唇に当てたまま小首を傾げてみせた。
「そう、秘密だ」
 ふわり、揺れる銀の燐光。毛先を滑り、陽光の中を舞い、やがて、溶けて消える。残るのは僅かな風。
 誰にも言ってはいけない。アラガミに分かる響きで伝えたそれは確かに彼女に伝わっただろう。一拍置いて、自分の真似をされたのだと気付いた彼女はきらきら光る金の瞳を嬉しそうに大きくさせて、腰を折る程頷いてくれたが――――何と無く、不安な感は否めない。何せ、彼女は無垢すぎる。少し引っ掛ければ、あっさり暴露してしまいそうな予感はこの胸だけのものではないだろう。
 傍らを見やり、苦笑いしているリンドウの顔を見て、その不安は確固たる物になる。…彼女がサカキに保護されたら、自分がフェンリルに戻る日は早まるかもしれない。
 密かに溜め息をついたセンカの袖をついつい引っ張る感覚があったのは、肺の空気を全て出し切った時だ。瞬いた白藍に、まあるい金色の月が二つ合わさる。
 そっと耳打ちされる、それは。
「はやくかえってこい、ナニ?」
 風が木の葉を騒がせる中、あえて耳を澄ませねば聞こえぬ程、声を潜めたのは、意図してだったのか、否か。
 たどたどしいながらもしっかりと音になった言葉は、早く帰って来い、で間違いない。それは恐らく、彼女が見たという、あの海の色を湛えた彼が紡いだものだろう。押し殺すような口調が容易に想像出来る。同時に思い出すのは、あの時、最後に聞いた同じ声色。――――帰ったら、話がある。獣の咆哮を裂いてこの耳に飛び込んだ、低くて、硬い、苛立ちを含んだ声。心配げに見つめてくる沢山の視線。
 いつまで、自分は彼らに甘えているのだろう。待っていると言った人達のもとへ戻らずに、目を背けて。…その甘えは、確実に彼らを欺き、傷つけているというのに。
 優しく胸の奥を刺した棘の痛みに銀色は淡く微笑んだ。
「それも、秘密だ」
 せめて、彼らの元に帰りたがっているのに帰れない彼の前では言わないで。
 吐息に近い声音で囁いた白藍がゆらりと揺れて、その様に目を見開いた少女は口を開け、けれど、何か不味いものでも口にしたかのようにすぐに閉じた。
 嗚呼、舌が痺れて苦い。もっと苦しくて痛い顔をする人がいるのに、何を言えばいいのか見当もつかない。人間は、こういう時にどうやって苦しい顔をする人を治すのだろう。食べ物をあげるとか、頭をなでるとか、そういうものではない気がする。これは、どうしたら良いのだろう。もう一人に聞くにも、秘密だと言われてはどうする事も出来ない。
 そうして、答えを見つける術を失った彼女は一つだけ頷いて銀色に擦り寄り、林檎を食べ終えた男はその様を凪いだ麹塵を細めて眺めていた。

 それは彼女が温室にいた最後の日の光景。



ほのぼの温室家族、お父さんが絶賛嫉妬中。「どうして俺はぎゅってしたらだめなの!?」(…)
アラガミの意思疎通についてはかなりの捏造と想像が入っていますが、コンゴウやザイゴートなどを見る限り「協力関係にあるものを呼ぶ」という概念や行動はあるようなので、「言語は無いけど共通の音の認識はあるんだろう」という認識をしています。そもそも、アラガミという生物は終末捕喰の礎にするかされるかという完璧な弱肉強食の意識で生きているものだと思うので、意思疎通に必要な多彩な語彙は必要ないが故に発達していないんじゃないかと。ある意味でシオがその典型だと思います。原作でディアウス・ピターを退けた時は恐らく、威嚇に近いものであったと思いますし、喋る、という感覚に慣れていないようだった気もしなくもないですし…。
そんなこんなでアイキャッチとフィーリングで意思疎通しながら小首を傾げ合って「秘密」って言い合う母娘にお父さんは林檎をガジガジしている訳ですよ。やっほう、大人気ない!(酷)
でも、実は毛玉ともそうなんですよ、お父さん。

この後はちょっと色々飛ばしていきますよー。

2011/12/12