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 彼女を見て、君を思い出し、自分の汚さに唾を吐いては目を閉じる。

いつかの君を思い出す

アリサはぷにぷに。コウタはかちかち。それがどうにも彼女には納得できないらしい。
「ふむ。…人間の個体差が気になり出したみたいだね」
 おっかしーなー、おっかしーなー、と繰り返すシオを眺めて、観察者は興味深いと顎さすった。視線の先ではシオが身体を揺らしながら今し方、思い切り抱きついてじっくり検証したコウタとアリサ、そして、サカキを見比べ…そうしたかと思えば、床に座り込んで己の脚を見ている。持ち上げ、両手で触り、ごろり、転倒。
 慌ててその背を起こしたアリサが小首を傾げる。
「…個体差、ですか?」
「ああ、体格差や性格、人種、性別…人間の多様性に興味を持ち始めているんだ」
 青色の瞳を瞬くアリサにそう返し、そういえば、と脳裏にふと銀色を思い描いた彼は記憶を振り返った。――――あの子は、センカはどうだっただろうか。当初から与えた知識を抵抗無く吸収するとても知能の高い子だったが、シオのようにこうして人間の個体差に直接の興味を示す事は無かったように思う。人間の子ですら男女や成長の個体差を気にかける中、彼がそれに気を向けなかったのは、恐らく、彼がその身に施されてきた実験の中で必然的に学んでしまっていたものだったからかもしれない。或いは、「彼の身体の作り」がそうさせたのか。ある程度の知識を得てしまった今だからこそ無関心に見えがちだが、元々はどちらかといえば、好奇心は旺盛な子だ。研究室の書物もデータも好きに読ませていたから、その中で学んだ可能性もある。
 性についての知識は、あの子にはあえて教えるまでもなかっただろう。「ああいう実験」を施されてきたあの子だ。その意味も結果も身をもって知っていた。ただ、鬼畜染みた行為によって暴力的に叩き込まれるものとは別の、知識として取り入れるべきものはきちんと調べていたようだったけれど。
 多様性云々はあの子には鬼門であり愚問だったに違いない。何せ、あの子はたった一人なのだから、自分以外の存在が多様性の証明になる。
 思い出し、一つ息をついて、改めてシオを眺めれば、彼女はまだ同じ言葉を繰り返していた。
 おかしいな、おかしいな。耳を擽る声。そういえば、あの子はその言葉すら言った事が無い。言ったとすれば、それは頭の中での話。澄んだ声音でその言葉を紡いで知識を請うた事は一度も無かった。おかしいな、おかしいな。思う傍から本の虫。データの虫。紙やモニターに齧り付いて、無言で知識の海を漁っていたのをよく覚えている。そうして、どうしても答えが見つけられない時に、漸く小さな手で裾を引っ張るのだ。愛らしい顔の、細い眉の間に目一杯皺を寄せて。
「むー…ねえ、はかせー。おっかしーよー?」
 仰ぎ見られ、記憶を辿っていた彼は刹那、息を呑んで思考を切り上げた。口元がいつもより少しばかりぎこちない笑みを浮かべる。
「ん?何がだい?」
 彼女にしてみれば何もかもがおかしいだろう。何せ、アラガミとして荒廃した世界を闊歩していた時とはまるで違う環境だ。規則的な動きをする機械。意思疎通をはかり、群れる人間と言う生き物。それに囲まれた生活。そして、自身が築く他との繋がり。全てがアラガミという種族の常からは逸脱していると考えて良い。何においても疑問を抱くのは全く道理である。
 センカとは違う彼女の様子に微笑ましさを感じながら、もう一度、朗らかな笑みを浮かべて見せたサカキに、彼女は大きな金色の瞳を瞬いて言う。
「だれもふわふわしないー」
 刹那の、間。
「…ふわふわ?」
 妙な擬音を反復して、彼は首を傾げた。隣と、ソファの上で、同じくアリサとコウタが怪訝な顔で頭を揺らしているのが見える。――――はて、ふわふわとはこれ如何に。
 通常、人間にふわふわという擬音がつく事はあまり無い。あるとすればそれこそ、頭髪くらいのもの。それもふわふわというより、さらさらだとか、もさもさだとか、ばさばさだとか、その辺りの方がしっくりくる。しかし、シオはアリサの頭髪にもコウタの頭髪にも触れていないのだ。抱きついて、胸だの腕だのを触り、そうして今に至っている。ふわふわが出てくるような場面など何処にも無い。
「うーん…どういうものか説明してくれるかな?」
 苦笑いを交えるサカキにも全く検討がつかなかった。これが例えば、獣と間違っているというのなら、それを訂正してやるだけで済むのだが、どうにもそれでは済まないような予感がする。
 ぱちり。また瞬き、思い出すように微笑む子犬の口元。
「うーんと…ぎゅってするとふわふわでぬくぬくで…あと…ほわほわするぞー!シオは…えっと…ダイスキだ!」
 ぎゅっとする、という事はつまり抱きつくという事だろう。あとのふわふわでぬくぬくでほわほわはよく理解出来ない。そう思ったのはどうやらサカキだけではなかったらしい。暫く、真剣にそれに繋がるものを探し当てようとした二人の少年少女は一瞬、虚空を見上げ、直に首を振った。
 とりあえず、分かった事は、ぎゅっとするとふわふわでぬくぬくでほわほわする「それ」をシオが大好きだと公言するくらい大層、気に入っているという事だけだ。食物以外で彼女がそういった位置付けをするものは酷く珍しい。
 只管に首を傾げるばかりの面々を他所に、大好きな「それ」を思い浮かべて実に幸せそうな笑顔を見せるシオを見て浮かぶのは、やはり苦笑い。――――センカもこれくらい天真爛漫だったなら、もう少し心労が減っていただろうに。思えど、きっと彼をそう育ててしまったのは自分を含めた周りの大人なのだろうとサカキは思う。センカはその汚れきった汚泥の中で生き抜く術を見つけ、磨き、歩んできたにすぎないのだ。
「よく分からないけど、大好きなのは良い事だよ」
 言いながら、満面の笑みを浮かべる彼女の髪に指を差し込んで、ゆっくり撫でてやるその行為すら、今、彼にしてやれない事を彼女で代用してしまっているのかもしれない。つきり。痛むのは胸の内。
 自分達が汚した綺麗な銀色を失って尚、己の中に巣食う浅ましい薄汚さに刹那、胸中で苦虫を噛み潰した男は苛立ちをやり過ごすように浅く息を吐いた。
「…兎に角、アラガミは分類上、無性生殖に近い繁殖形態をとってはいるけれど、新種のヴァジュラのような例もある。こうして人間の個体差に興味を示す彼女が概念としての性別をというものを理解するのも時間の問題だろうね」
 我ながら、上手く纏めたものだ。満足げに頷いた観察者の横でふわりと銀髪を揺らしたアリサが口を開く。見ているのは、アラガミの少女だ。
「…この子も、見た目は女の子なんですけど…」
「うん、そうだね」
 これが実は中々に深刻な問題である。見た目だけなら男性体のセンカと違い、シオが完全な女性体なのは一目瞭然。そうなると支部長の手とは別に、サカキにすらどうにも出来ない問題が出てくる。
「支部長もそろそろ帰ってくるだろうし…あの服もどうにかしないと…」
 数日前に遠方に飛ばした――決して悪意があった訳ではない――ヨハネスがそろそろその意図に気づいて帰ってくる頃だ。彼が戻ってくれば、これまで以上に警戒が必要になるのは言うまでもない。ソーマは逸早くその危険性に気付いている筈であり、色々と走り回っているサクヤも同じだろう。大きく動けるのはあと数日。それまでに必要なもの、情報は集めておかなくてはならない。
 目下、最優先で必要な物は――――彼女の服である。
 今日に至るまでの彼女の様相といえば、破れたフェンリルの旗一枚。大きなそれは一応、彼女の腿中程辺りまでを覆っているとはいえ、裂けた穴から見える素肌は隠しているとは到底言えないきわどいものになってしまっている。ある程度の露出が魅力の女性の服においてですら、これは無い。これが男性体であればサカキがどうにかするものだが、相手はアラガミでも女性体。どうにも勝手が違う。嗚呼、センカならばどうしただろうか。あれで中々、子供の扱いが上手な彼の事、上手く諭して見事、着せて見せたに違いない。
 そういえば、あの子は何も着せられていない時も多かったなあ、などと胸中でぼんやりのたまったサカキは翌日、焦りすぎた事を少しばかり後悔する事になる。



博士、養子と子犬を重ねてみる、の巻。
博士と新型の関係というのは意外と複雑で、双方共に自分が抱く相手への認識を正確に把握しきれずにいます。博士も新型に人らしくなってほしいと思いながら、他方で観察物として優秀であってほしいとも思っている訳で、回想する彼の視点は養父としてというより、学者として観察対象を見る視点の方が強く現れています。実際、原作でもシオへの認識は子か孫に対するものであるようで、根底は観察対象でしたし、ソーマに関しても端々にそういう認識が出ていたような気がします…多分。
回想そのものに関して少しあれこれ言ってみると…新型が言葉を覚える前から一緒に居た彼なので色々知っている分、書き手としてはとても書きやすかった、というか…新型のフェンリルに所属する前の生活が垣間見られるような内容にしてみました。且つ、以前、新型がリンドウさんに語った時とは違う視点の違う見方、状況の感じ方も織り交ぜられていればいいなぁ、と思います。

で、次は子犬が大暴走。

2012/01/14