特殊以前の問題だ。
もっと、こうだった
一瞬だった。目の前で優雅な挨拶をしていた男が白い獣に潰された――飛び掛ってきたそれに、彼は確かに一度、潰されたのだ――刹那、鉄の香りが、ぱぱっ、と些か状況に似合わない軽い音を立ててセンカの顔を赤く彩った。
多分、その時自分がしていた顔といえば、珍しく目を見開いてでもいたのだろう。事態に気付き、重い刀身で飛び掛ってきた獣…オウガテイルを屠った彼は眉を顰めていたように思う。
ソーマ。それが生き残ったセンカの、今回のパートナーの名だった。いっそ清々しい程の愛想の無さで、社交辞令程度に、ようこそ、と言った彼の、褐色の肌に合う白金の髪――白、というには煌きが強い――から覗く鋭い海の色は、滾る熱を隠して厚く氷を張っている。脆い、美しさ。その熱を隠すには、きっと氷が薄すぎるのだろう。勤めて冷たく振舞おうとする彼の温度はセンカよりも遥かに暖かかった。
態勢を立て直す為に身を隠した鉄筋の陰。こちらの居場所を探るオウガテイルの足音を聞きながら隣で息を潜めるソーマの青いパーカーを眺めるセンカの姿勢はいつもの通りだ。己の神機を両手で抱え、黙したまま。いつもと違う所があるとすれば、その白い面と煌く銀の髪を彩る赤い色くらいだろう。
ちらりとその様を見やった男の顔が訝しげに顰められる。
「おい、殺る気が無いならそこにすっこんでろ」
リンドウに一応、聞いてはいたが、本当に両手で神機を抱えたまま構える気配も無い。こんな奴は初めて見る。怯えるでも無く、無意味に鼻息を荒くするでも無く、ただ、無を映して佇む姿。汚れた顔を拭いもしない彼の細い身体が儚い印象に拍車をかける。――――これで、本当に戦えるのだろうか?余計な情報を押し付けていったリンドウによれば、任務の遂行には何ら問題はないらしいが、それも著しく信憑性に欠けるとソーマは思う。そもそも、そんな弱々しい細腕でアラガミを斬れるとは思えない。
脳裏でそう唾を吐いた直後、彼は、否、と首を振った。それを言った日には、サクヤや他の女性ゴッドイーターに滅多撃ちにされそうだからだ。
相変わらずぼんやりとした彼の瞳がゆるく瞬く。
「聞いてるのか?」
返る言葉は、無い。代わりに、神機を銃形態に切り替える重々しい音が返る。そのまま、両腕で神機を抱え直し、彼は鉄筋の陰から広い場所へ歩き出した。
近づくオウガテイルの足音。爪が鉄の地面を削る音すら聞こえる。それに押しつぶされそうな、規則的な靴音と神機の微かな音。それを呆然と見送ったソーマが事態の危険性に気付いて物陰を飛び出したのは、獣の咆哮が天を貫いてからだった。
痺れを齎す大気の振動に頬が引き攣る。赤黒い口内を晒して突進してくるオウガテイルを前に歩を止めた彼の神機の銃口は――――空を向いたままだ!
「っんの、クソッタレ!」
間に合わない。小さな影に飛び掛る白い巨体。コマ送りの光景が先のエリックを思い起こさせて、ソーマは奥歯を噛んだ。畜生、畜生、クソッタレ、畜生!
苦し紛れにでも己の神機を投げつければどうにかなるかもしれない、と構えを変えた刹那、空を指す銃口がゆらりと角度を下げた。
酷く自然な動作で銃身を辿り、引き金に触れる手。一度、身を引いてから細身の刀身を突き出す如き速さで空を突いた凶器の先端が寸分の狂い無く獣の喉奥に突き込まれた直後、冷たい銃口が業火を噴いた。
青い瞳を見開いたソーマの頭がその映像を正しく理解するには、多少時間がかかったように思う。
食道も声帯も突き破って体内に撃ち込まれた弾丸の衝撃に血を吐きながら弾み、踊るオウガテイルの巨体がやけに滑稽で、まるで横隔膜を震わせて盛大に笑っているようだ、と笑えない冗談が脳裏を掠める。鼓膜を殴りつけた銃声も、くぐもった悲鳴も、多分、とても遠かった。
瞬間、青褪めたのは自分だったのか、撃ち抜かれている獣だったのか。
気付けば、再び訪れていた静寂と僅かな海の囁きが耳を癒す。先程までと違うのは、流れる風に含まれた、むせ返る程の血臭だ。とんでもない落差に、くらりと眩暈がする。
がちゃり。何事も無かったかのように、酷く緩慢な動作で剣形態に戻した神機を柔らかく包んだ細腕が、僅かに血のついた柄を撫でた。
「…予想と、違いました」
海鳴りを縫う響きは、多分、初めて聞いたと思う。思えば、今、この瞬間まで彼は一切、口を開かなかった。
透明な、けれど、感情の色の無い声音。横たわる獣の屍骸を眺める顔は、ソーマの位置からでは見えなかったが、恐らく、何の色も浮かべていないのだろう。
飲み込んだ唾が乾いた喉に引っ掛かる。他人を遠ざける気質の自分が珍しく緩い歩調で彼の隣に並んだのは、少しの好奇心ゆえだ。
「予想と違う?」
黒い霞を伴い、オラクル細胞に返ったオウガテイルから視線を外したセンカの横顔を眺めるソーマに、彼は初めて応答らしい応答を返した。
「もっと、こうだと思ったので」
ちらりと高い位置で顰められた顔を見上げて、神機を床に置いた華奢な両手が虚空に大きめの円を描く。近くで見れば、予想以上に細く繊細な指先が空気をかき混ぜる様はどこか艶やかだったが、ソーマの動きを止めさせたのは彼の言動だった。
静かに――それは一方的ですらあった――話を終わらせ、置いた神機を拾い上げたセンカは呆然と、円の描かれた虚空を眺める男を置いてゆったりと歩き出す。
「……は?」
開いた口。この場にリンドウかサクヤがいたなら、顎の落ちたソーマを見て笑い転げただろう。実に珍しい表情だ、とサカキですら眼鏡を掛けなおしたかもしれない。
「もっと、こうだった…?」
それって、どんなだ。口内に言葉を溶かして、彼は不意に思い出した。――――そういえば、リンドウもサクヤもこう言っていた。
彼は兎に角、特殊だ、と。
鉄の雨話。ぴりぴりバスターとマイペース新型さん。
常々、あのでかい口にがぽっと銃口を突っ込んで連射すれば仕留められるんじゃないかと思っています(ぇ)皮膚は硬そうですが、中身は、ほら、中身ですからねぇ…こういう戦い方を書くのは結構好きだったりします。
「もっとこうだった」の種明かしについてはソーマ氏と新型さんの好感度がもう少し上昇してからになりそうです。…そこ。いつ?とか、そんな未定な事は訊かない!
2010/10/21 |