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 だれにもいわないよ。シオ、えらいか?

正解は秘密

 シオの家出事件は奇跡的に外部に漏れる事は無く、寧ろ、おまけのようにくっついてきたソーマと彼女の関係改善を考えれば、それは起こるべくして起こったのかもしれないと周囲は思った程だ。
 彼等の微妙な関係には気付いていたとはいえ、サカキ自身、マーナガルム計画を発端としたソーマの身の上を知っている手前、気安く接する事は出来るにせよ、下手な事は言えなかった。己が彼の立場で話せる訳でも無し。根から学者肌のサカキには例え、慰めであったとしても、仮に自分がその立場だったとして、などという無責任な仮定の話をする事は性に合わなかったのだ。客観的な事実を述べる事。それが己に出来る最善であり、唯一であると思っている。無論、状況により良し悪しである事は否めない。殊、センカに対してはどうにも逆効果の方が多かったように思う。慰めすら出来ない養父の傍は居心地が悪かっただろう。
 さて、無事、帰還したシオであったが、数時間見ない内にまた随分と成長を遂げていた。――――他人を慮る思考を身につけていたのである。これはどうした事か。実に興味深い。
 考えられる可能性の一つとして、先の外出の折に小さくは無い喧嘩をしたというソーマと関係を改善出来るような何かが、彼女が逃げた先であったのだろう。或いは、第一部隊と接触して行く上で自然にそれを理解してきていたのか。それにしてもこの上機嫌具合はソーマとの仲直りだけが原因とは考え難いとサカキは眼鏡をずり上げる。
 彼女の服の素材を狩りに――アラガミ素材しか着られないというのだから、それは狩ってくるものだ――行ってしまった第一部隊がいなくなった部屋の中で二人きり。帰ってきてこの方、少女の笑顔の花は咲くばかりで尽きる事がない。ごろごろ床を転がり、何かを思い出すように虚空を見やり、また笑う。人間が思い出し笑いにほくそ笑む姿そのものの彼女の行動は推測を証明しているように思えた。
「シオ、何か良い事でもあったのかい?」
 問いかけに、当の彼女はまた笑うばかりで、
「えへへー、ひみつー」
これだ。
 ソーマの話では廃寺で見つけた時は既に落ち着いて、反省までしていたという。元々、知性が高く、人の心を理解する兆候を見せ始めていた彼女だ。一人になり、冷静な思考で考え、己がやりすぎてしまった部分を素直に反省したのだろう。しかし、それだけであったなら、何故、ここまで彼女は上機嫌なのか。いくら問い掛けても返る言葉は秘密の一辺倒。その言葉さえ何処で覚えてきたものか。それ以外には言わないものだから、サカキの興味指数は鰻上りの一途を辿っている。
 ふむ、と顎を擦り、彼は細い目を一つ瞬いた。
 彼女が上機嫌になるのは如何様な時か。例えば、満足のいく食事の後。アリサやコウタ達に褒められた時。サクヤに頭を撫でられた時。ソーマにじゃれ付く時。どれも同じくらいに上機嫌な様子を見せる。あとは、殊更、上機嫌になった時といえば、先日の大好きなものの一件だろうか。――――ふわふわでぬくぬくでほわほわする、シオの大好きなもの。今の彼女はそれを語った時の様子に酷似している。
 その時こそ、首を傾げたサカキだったが、該当する感覚を持つものを知らない訳ではなかった。もしも、そこに「きらきらする」と形容詞がついていたならば、直にでも思い至っただろう。
 例えば、そう、これは仮定の話だ。例えば、「彼」がシオと接触し、意思の疎通に成功しており、且つ、彼女に大層、気に入られていたとしたら。そして、それを彼が彼女に口止めしていたとしたなら。…有り得ない話ではない。彼は――隠匿されているが――アラガミで、彼女と明確な意思疎通を出来る術を持っている。人間の言葉では意図を伝えられずとも、アラガミの言葉でなら彼女に口止めをする事は可能だ。彼女との邂逅もフェンリル所属前から単独任務を課せられていた彼なら会わない確率の方が低いだろう。実際に接触したのがその時ではなくとも、彼は今、行方が知れないのだ。いくらでも機会はある。
「…少し、聞いても良いかい?」
「なーにー?」
 くるり。床に白い脚を放り出して座り込んだ子犬が黄金の双眸を向けてくる。
 腰をかがめて、如何にも無害そうにその瞳を覗き込む観察者は、ともすれば詐欺師のようにも見えたかもしれない。
「単刀直入に聞こう。…君は此処に来る前に『人間』に会った事があるかい?」
 あえて括ったそれに、彼女は気付いただろうか。無邪気な金色をくりりとさせて、白い頭はすぐに横に振られた。
「ううん。ないよ」
 成る程。「人間」には会った事がないらしい。――――あくまで、「人間」には。
 これは予想の範疇内の反応だ。何故なら、「彼」はアラガミであり、同じアラガミであるシオがそれに気付かない訳が無いからだ。例えば、これが人間に会った事がある反応であったなら、それは彼と同じく行方が分からないリンドウである可能性が高い。
 うん、と一つ満足げに頷いて、観察者はまた口を開いた。
「そうか。では、次の質問だよ。初めて会った時、君は『いただきます』という言葉を知っていたね?あれは何処で覚えたんだい?」
「うぅんと…ひみつー」
 刹那、迷い、秘密。つまりは、人間の言葉で話せる何かの傍にいた事がある、と。段々、立てた推測が信憑性を帯びてきた。口ごもったのは、これが直接、口止めをされたものではないからだろう。言って良いものか迷い、結果として隠匿せねばならないものに結びつくもの全てを秘密で括ろうと彼女は判断したのだ。実に賢い。確実に知恵をつけている。
「ふむ。それでは質問を変えよう。三つ目だよ。この間、言っていた、君の大好きな、ふわふわでぬくぬくでほわほわするものは生き物かい?」
 そして、それはきらきらしていなかったかい?少しばかり警戒の気配を帯びてきた金の瞳を前にそこまで続けなかったのは一重に彼女にこれ以上、警戒されない為だ。これが人間とのやり取りであったなら迷わずそこまで続けて止めを刺しただろうが、彼女は人間ではなく、野生動物に近いアラガミという種族である。こちらも気を使わねば、また逃げられてしまう事になり兼ねない。
 そもそも、まだまだ駆け引きには疎い天真爛漫なシオくらいならば、長年、センカという警戒心の塊のような半野生動物と触れ合ってきたサカキにはお手の物。相手が人間でですらおいそれと負けはしない男が抜かる事など無いのだ。
「う…ひみつ…」
「成る程」
 絞り出すような細い声に頷きを一つ返す男の、ずれ気味の眼鏡がきらりと光る。
 ふわふわでぬくぬくのそれは明らかに生き物であるらしい。しかも、前の質問を踏まえれば、それは人の言葉を話す。話すという事は解すと取っても良いだろう。つまり「それ」は人の社会で生きてきた経験があるという事に相違無い。
 此処まで来れば、サカキにとっては最早、答えが出たようなもの。
「では最後の質問だ」
 漸くこの責め苦が終わる、と苦い顔をしていたシオが途端に光り輝く笑みを浮かべたが、それはその瞬間だけだった。

「君は家出をした時、誰かに会いに行ったね?」

 びくり。フェンリルの旗に包まれた細い肩が跳ね、金の瞳の瞳孔が僅かに絞られる。感じたのは、殺気であったか、否か。酷く冷たい声音は静かだからこそ殊更、その温度を感じさせて、恰も血液に冷水を流し込むようだ。白い姿を捉える双眸は細く、いつもの笑みを浮かべたまま。それが更に大気を凍らせる。
 誰かに会ったか。その問いに正直に答えるならばシオの持つ答えは是である。フェンリルを抜け出し、真っ直ぐに向かったのは緑でいっぱいの家。そこでリンドウとセンカに会っていた。ソーマ達といるようになってからは会えていなかったから、どうしても会いたくて、走って会いに行った。――――でも、これはひみつだ。言ってはいけない、秘密なのだ。そう約束した。約束を破るのはいけない事だとアリサが言っていたから、秘密だと約束したものは喋らない。もし、自分が喋ってしまったら、きっと「あれ」はまた痛そうな顔をして悲しむのだろう。恐らく、怒りはしない。ただこちらが痛くなるような顔で笑いながら、大丈夫、お前の所為じゃない、と言って優しく頭を撫でてくれる。けれど、どれ程優しくしてくれても、その顔はシオがして欲しい顔では決してないのだ。
 きゅ、と引き結んだ唇に勇気をひとかけら。――――ほめて、ほめて、にこにこして、ほめて。

「ひみつ」

 答えは一つ。春風を纏った観察者は笑って頷いた。



博士vs子犬の図。子犬は隠しているつもりですが、勿論、博士には筒抜けな訳で。
こういう駆け引きは書いていてとても楽しいです。だから、博士が出てくる回はいつも博士フィーバーなんですけどね…ふへへ。
内容的な話をしてみると博士は根っからの学者さんなので誰にも肩入れしないよ、という前提があると思っています。つまりはいつでも第三者的な立場から物事を見ている訳で、一歩引いた立場から繰り出す博士の質問は時に、中々、答え辛いものもあるんじゃないかと。
そんな博士の今日の餌食がシオさん。おかーさんの言いつけを守っているようで守れていない残念な子犬さん。
とりあえず、原作で発揮し切れていないように思える博士の鋭さをここで自己満足に昇華してみています。うひひっ。

2012/02/17