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 まだか、まだか、と待つ事すら疲れてきたのに、まだこの胸は諦めを知らない。

欠片集め

 ぴりりぴりりと五月蝿く鳴る端末の電源を切ったのはつい先程の事だ。何度、切ろうとしつこくかかってくるそれは、見れば、コウタとサクヤからで、何故、任務に出ている筈の彼等が代わる代わるかけて来るのか、早朝からの任務を終えてシオの元を訪れたソーマは首を傾げつつ、鬱陶しげに小さな電源ボタンを押した。
 暇なのか、否、任務に出ているのだから暇な訳が無いが、そうであれば、暇を持て余す程簡単な任務だったのか。考えるのも馬鹿馬鹿しい。そもそも、今日の彼等の任務は鎮魂の廃寺で感知されたリンドウの腕輪の捜索である。雪の中を探る作業の最中、暇である筈が無い。だというのに、第一部隊の副リーダーまでもが何を遊んでいるのか。メールが来る気配も無いという事は大した用事でもないのだろう。大方、シオへの土産はアラガミのコアで良いか、とか、そんな所だ。
 真っ暗になった画面をぱちんと畳み、彼は床に座って音楽を聴いているシオに目を落とした。楽しげな白い頭がふらふら揺れて、音を追っている。
 ソーマの頭に合わせて調節されたヘッドホンが面白い程似合っていない彼女の纏う白い服はつい先日、整備班のリッカをも巻き込んで新調したものだ。アラガミ素材ならば着られると切り出された時には正直、目の前が白くなったものだが、襤褸切れ一枚の姿よりはましであるし、白を基調とした上着に短い下衣が併せられ、背でふわりと広がる木の葉色の布が羽のように揺らめきながら、同じ色のリボンが腰周りと胸元で広がる様は、まあ、似合っていなくも無い。
 新しいものが嬉しいのか、和解――正確にはソーマが一方的な嫌悪を向けていただけだが――した事が嬉しいのか、家出から戻った彼女は以前にも増して饒舌に、感情豊かになったものの、同時に気になる行動も見せ始めた。――――食事に連れて出た際、しきりにきょろきょろと辺りを探る仕草をするようになったのである。
 どうやら、食物を探している訳ではないらしいその行動は主に食事を終えて、帰る時に見られた。動き出す時の位置はいつもソーマの背を追う最後尾。不意に後ろを振り返る仕草は隠れるように静かで、荒廃した世界の陰に誰かを探すような目で辺りを一巡りしてから、いつも少し落胆したような色を宿して終わる。連れて出る地域によって割く時間はまちまちだが、煉獄の地下街では比較的短く、旧市街地や廃寺に降り立つ時には時間が些か長くなる事をソーマは知っていた。
 一度、それを指摘した事がある。何か探しているのか、と。しかし、返った言葉は秘密の一言。他の言葉など一音も紡ごうとしない。
 さて、隠すという事自体、知り得ないと思える彼女が何処でそんな行為を覚えてきたものか。時間が経つにつれ、僅かに琴線に引っ掛かっていたものが彼の中で俄かに存在感を増してきていた。
 まず、邂逅当初の彼女の振る舞いがおかしい。知能が高く、姿形を真似るくらいには人間を見かける機会があった――自分も見られていた一人だ――とはいえ、実際に接触をしてきた他種族をこんなにも簡単に信用出来るものであろうか。己に限って言うのであれば、それは断じて否だ。人間同士ですら初対面では警戒し合うというのに、彼女にはそのような素振りが全く無かった。それはつまり、彼女がその形の生物に馴染みがあったからだと考えられ無くも無い。
 二つ目に、言葉の問題がある。今に至る前の彼女の語彙といえば、イタダキマスの一言のみ。人語を習得する前は寧ろ、その言葉だけで意思疎通を図ってすらいた。しかし、その「イタダキマス」は何処の誰から覚えたのか。平和ボケした旧文明でもあるまいし、戦場において、暢気にイタダキマス、などと言っている光景がある筈も無い。捕食時に揶揄程度に言う事くらいはあるかもしれないものの、頻度は多くないだろう。しかも、彼女はイタダキ「マシタ」と過去形を使おうとする素振りすら見せた。単語のみを固形物的に理解していただけでは有り得ない使い方だ。
 三つ目。アラガミに反省という概念があるものかという疑問がある。先日の事件で迎えに行った際、予想に反して彼女は落ち着いていた。本当ならばもっと叱り飛ばしてやらねばならないと思っていた所が、あの落ち着きよう。事前に誰かが宥めたとしか考えられない。
 その疑問の、全ての答えを導き出すかもしれない言葉を、ソーマは知っていた。空母で口論した時の彼女の言葉だ。――――そーまと……えーと…そーまをみつけてうれしかった。聞き流してしまえば気付かないだろう。だが、確かに彼女は一度、言いかけている。そーま「と」、と。あの時こそ、ただ言葉を間違えただけだと判じたが、実際にそれが誰かを指していたのなら、話は全くの別物だ。
 ちらり。見渡す研究室の中に己とアラガミの少女以外の人影は無く、機械が犇めく座席にもサカキの姿は無い。居ない間の留守を任されたのだから当たり前かと胸中でぼやき、彼は降って沸いた好機に切り出す間を計った。
「…なあ、お前…」
 音にすれば、丁度、プレイヤーを止めたシオの金色がくるりとこちらを向く。
 これは、無意味な事だ。ソーマは思う。訊いてどうにかなる訳でも無く、どうする事も出来ない。まだ帰らない者達の痕跡を掻き集めようともがいているだけの、未練がましい行為だ。分かっている。けれど、何時の間にか諦めを覚えていたこの胸は、また何時の間にか諦めない事を覚えていて、その思いは何故か、矢鱈と強く身体を動かすのだ。訊かなければ、気がすまないと腹の底が沸く程に。
 逸らした視線が、床を見る。
「……お前、この前、俺を見つけて嬉しかったって言ったな。その前に、何て言い掛けた?」
「う?」
「俺『と』誰を見つけて嬉しかったんだ?」
 直後、伺い見た彼女の顔の変化に彼は思わず横隔膜を震わせそうになった。
 首を傾げて動きを止め、漸く言葉の意味と指すものに心の当たりをつけた瞬間、うぉあ、と意味の分からない呻き声を零して、金の目を見開き、青褪める。ふらふら揺れていた爪先までも凍らせて固まる姿はそれだけで答えのようなものだが、続いてまた呻いた彼女はぶるぶる頭を振ってこう答えた。
「うー…ひみつ、だなー…」
 その顔で秘密も糞もあるまいよ。思えど、呆れのあまりに声帯は役目を放棄して、溜息だけが零れ出る。
 何とも往生際の悪い。この分ではサカキにも同じような事を訊かれて同じ反応をしたのだろう。自分にはその誰かが誰なのかは分からないものの、勘の良い、喰えない中年の事。彼女のこの反応から誰と会っていたかにも大方の見当をつけているに違いない。分かっていて第一部隊に知らせないのは一重にあの男の性格の悪さ故だ。全くいけ好かない事この上ない。
 胡乱げに目を細めたソーマを尻目に、やっとの思いで硬直を解いたシオは酷く慌てていた。――――まずい。これはとてもまずい。サカキに知られるのもまずいが、ソーマにまで知られてしまっては尚まずい。だって、サカキは博士だけれど、ソーマはリンドウやセンカを探しているサクヤ達と同じ神機使いだ。外にも沢山、行く。そんな彼等に知られたら、きっと知られたくなかったセンカに迷惑をかけてしまう。迷惑をかけるのは悪い事だ。先日、よく学んだ。何より、彼に痛い顔はさせたくない。兎に角、どうするべきか。兎に角、兎に角。
 必死に考え込む彼女が息を吸った、その時、ぷしゅ。微かな空気の音を奏でて扉が開く。音になりかけた言葉を潰され、尚、慌てる彼女を他所に、漸く帰った部屋の主に悪態の一つでもついてやろうと鋭く細めた海色を戸口に向けたソーマは、しかし、そのまま喉を凍りつかせた。
 信じられないものが、そこにある。
「…あ…」
 目の前の存在が幻想である可能性を粉砕するかのように、細い鈴の音が吐息に紛れて耳朶に触れた。安い蛍光灯の光を滑らせ、煌くのは雪の色。儚く揺れる毛先から銀の燐光を撒いて、光る筋の一つ一つが白皙の肌に薄い影を落としている。薄く開く薄桃の唇は甘い香りを放つ花弁の如く。伏せがちな長い睫毛に縁取られた白藍が、ぼんやりと床に座って慌てふためくシオとその傍らに腕を組んで立つソーマを視界に映していた。
 馬鹿な。呟いたのは、意識の片隅だ。音を紡ぐ事を放棄した喉からは、高鳴る胸から押し出された吐息だけが零れ落ち、僅かに残った冷静な自分が脳裏でぼんやりと囁く。――――嗚呼、コウタ達が矢鱈とかけて来ていたのは、きっとこの事だったのだ。理解した身体が疼いた。
「…お前…生きてたのか…」
 ふわりと舞い、淡く消えるのは、夢現に見た柔らかな燐光。記憶に残る、砂塵の向こうに置き去りにした月の色。
 烏羽センカ。あの日から密かに探し続けた銀色が、今、まさに目の前に立っている。



帰って来た新型、ソーマさんと遭遇の巻。…ではなくて、ソーマさんvs子犬の巻です。
此処で密かにはっていた伏線をまた一つ回収ですよー。空母での話を省略しなかった理由が此処です。
そもそも、原作でリンドウさんと会っていたとはいえ、中々に言葉を操るのが上手かった上に仕草、思考が少し普通のアラガミとは違っていたシオさん。その理由を此処でこじつけてみました。これでかっちり嵌ったなぁ、と感じていただけたら私の勝ちです!うははは!!新型の存在を零しそうで零さないシオさんの頑張りの危なさ表現にちょっと苦労しました よ 。「うぉおおっと危ねええ!!でも隠せてなーい」みたいなコミカルさが売りの当家のシオさんは後半の和み要員です。
そんなシオさんに助け舟登場ですが…そこはまた次回で。子犬の気分は「たすけておかあさん!」ですよ、きっと。でも、お母さんもいっぱいいっぱいで容量超過気味です。

2012/04/06