※バーストED後設定。
君の愛をもぐもぐもぐ。
とうもろこしごはん
食材の種類だとか、そんなものは別にして、彼の食事というものは非常に慎ましいとリンドウは思うのだ。
無論、物不足食糧不足が常のこのご時勢で旧文明の記録に残るような食べきれない程の豪勢な食卓を演出するなど世間に喧嘩を売っているに等しいが、それを差し引いても、彼――烏羽センカの食事というものは皿に盛られた量からして非常に慎ましい。今、まさに目の前で彼に攻略されている最中の皿にちょぼりと乗った夕飯は恰も小鳥の餌のようで、世辞で言葉に色をつけても、小鳥のそれよりやや多いくらいの量は比較的大柄な自分では到底足りない。これで歴戦の戦士も目を見張るどころか着いても行けない立ち回りをするのだから不思議なものである。
連れ出した食堂の向かいの席で小さな口を小動物のように一生懸命動かす愛らしい姿を肴に冷えたビール缶を煽るリンドウはそんなくだらない事を思いながら、想い人の皿を伺う。
もうごはんを作ってしまいましたから。夕食の誘いに来たリンドウの爪先を眺めて――彼は未だにあまり視線を合わせようとしない――そう断ったセンカに、わざとらしく眉尻を下げて見せた効果か否か、それでも共に、と縋った男の我侭を叶えるべく、作ったものを、所謂、弁当にして食堂に持ち込んだ彼の今日の食事は、よくもまあ、無い食材を此処まで種類豊かに創り上げたものだと感心する出来栄えだ。
色彩は痩せたインゲン豆と細切り人参の胡麻和えが奏でる深い緑色と韓紅のコントラストに始まり、隣には美味しそうな焦げ目のついた卵焼きの眩しい黄色がちょこりと二つ。黄色の中にぽつぽつと見え隠れする緑色は葱か韮だろうか。その隣の、醤油と味醂のまろやかな香りが魅力的な、出汁の染みた茶色い色は根菜の煮物だ。手前にころり、四、五個転がる揚げ物の塊は大きさからして鳥の軟骨か何かだろう。余分な油をしっかり拭った衣の上に控えめにかけられた香味ソースの、甘みを存分に引き出された玉葱と少しばかり焦がされたたれの香りに思わず喉が鳴る。
主食は小さな手に丁度良い小さな椀の半分より少ない量だけ盛られた米だが、その米さえ、工夫をされていて、改めて椀の中身の食材を理解したリンドウは目を剥いた。
「とうもろこし」
「?はい。とうもろこしです」
問い掛けるでもなく、感嘆するでもなく、思わずただ呟いたリンドウに返る、小首を傾げたセンカの当然といわんばかりの声音。
ふんわり昇る湯気に白い米一粒一粒が立ち上がる絶妙な炊き具合の米の中に、アナグラだけでなく極東支部、否、全世界に生き残る人類全てが不平を洩らしながらも、そんな苦情は歯牙にもかけない研究者達が日々、遺伝子操作に汗水垂らして順調に巨大化させていく黄色い食物が入っている様は、恐らく米という食材を使った料理を想像する上で至極思い至り難い光景に違いない。
「とうもろこし、ごはん?」
「??はい。とうもろこしごはんです」
炊き込みご飯ならもっと、例えば、グリーンピースだとか、人参だとかなんだとか色々あっただろうに。半ば呆然と問う男に返った声音は、今度は少しだけ不思議そうなそれであったかもしれない。
とうもろこしごはん。とうもろこしに栄養が無いとは言わないまでも、米のかさましに一役買っているような一品だ。節約が重要視される世でそれをするのは好ましい事であるし、米よりも手に入り易いとうもろこしを使用するのはリンドウも理解できる。賞賛もする。だが、しかし。しかし、だ。温室で生活していた数週間、この味も申し分なさそうな節約料理を、リンドウは食した事が一度も無かった。
「…俺、それ食べた事無いよな?」
温室でも。帰ってからのアナグラでも。やや憮然とした響きになったのはこの際仕方の無い事だろう。何せ、当初の距離の遠さからは想像もつかないくらいにこんなに距離が縮まったというのに、まだ知らないものがあったという事実が不満で仕方無いのだ。惚れた相手の事なら何でも知りたいと貪欲になるのが恋に落ちた男の性。特別にしてくれる事を望みもするが、特別でない事も望んで求める。いい歳になってまで実に子供染みているのは自覚済みだが、こればかりはどうしようも無い。
だって、好きなんだよ。しょうがないだろ。ばつが悪そうな顔つきで、淡く色を帯びた目元を誤魔化すように手元のビール缶の縁に骨ばった指を引っ掛けた男は胸中で誰にとも無くごちて、ふてくされ気味に息を吐く。そう。だって、仕方が無い。この可愛い可愛い白雪が、どうしようもなくどうしようもなく愛おしいのだ。
複雑な男の背に滲む不機嫌さを察したか否か。徐に零れた控えめな囁きが二人の間に横たわるテーブルの上を転がったのは、リンドウが指を引っ掛けた缶を口元に運ぼうとした時だった。
「…あの時は…内容を、少し、重めにしていました」
ころころころ。緩やかに転がり、向こう岸の男に辿り着く鈴の音。
「重め?」
「はい。栄養をきちんと摂って、よくお休みになるのが良いと思って…」
言われて、思い出す。――――そういえば、あの頃、持って来ていた弁当はそれまで食堂に連れ出した時に彼が食していた物から比べて相当に熱量の高いものが多かった気がする。男の手に余る位の大きめの、真新しい弁当箱に詰められた量は到底、センカが食し切れるような量ではなかったし、内容も言わずもがな。肉に始まり、野菜、米、パン。毎度、バランス良く組み合わせられた献立は申し分なく食物の本来の役割を果たし、リンドウの体調管理に一役も二役も買っていた。そのおかげでアラガミ化の発作以外の問題が起こらなかったのは確かだ。
中途半端に持ち上げたビール缶を下ろせないまま、過去を振り返る麹塵は、だから、居心地悪そうに身じろいだ銀色の髪の先から零れた燐光が揶揄するように仄かに染まった白い頬を滑り落ちる様を見逃してしまったが、それでも、恋する男が成す奇跡か、鋭敏に発達した聴覚が続いて瑞々しい唇からテーブルに転がり出た、先よりも遥かに音量の小さな小鳥の囀りを確と耳朶に捉えた。
「…え、っと……その…早く、元気に…なって、頂きたかった、ので」
ふわり、ふわふわ、ふわん。零れて、舞って、白いまろやかな頬を滑り、消える燐光。可哀想なくらい縮まっている華奢な肩。懸命に言葉を紡ごうとする唇が目に見えて強張っていて、後退も出来ずにまごつく様はまるで怯える小動物のよう。
つまり、あの日々に甲斐甲斐しく運んでくれていた弁当はセンカが己の食事のついででなく、間違いなく温室で待つリンドウの為に一から考えて作られたものであるという事で。あの当時のセンカといえば、混迷を極めるフェンリルで隊長に就任したばかり。且つ、彼は生みの親でもあるシックザールの厳しい監視下にもあった。第一部隊の為に隊長業務を学ぶ片手間、シックザールに怪しまれぬように特務にも精を出さねばならない忙しい時間の合間を縫って普段、自ら進んで食さないような唐揚げの仕込みから炊き込みご飯の仕込みから何から全てをこなすには、相当の警戒と時間調整が必要だった事だろう。毎度違うおかずを詰めてきた献立作りも楽とは思えず、その為に睡眠時間すら削ったかもしれない事はセンカの律儀な性格を考えれば、然程、想像に難くはない。
いつの間にか、彼が抱えてくるのが当たり前になっていた、彩り豊かな弁当箱。小さな白雪が使うには似合わない大きめの弁当箱はリンドウの為。熱量の多い料理もリンドウの為。材料の仕入も、仕込みも、立てる献立も、全部全部、リンドウの為。
事実を知らされて、それでも尚、無意味に拗ねていられるしょうもない男では、勿論、無い。
そっと伺うように見上げてきた白藍と、呆然と瞬いた麹塵が絡み合う。
「元気に、なりましたか?」
薄く滲んでいたらしい不機嫌に圧された銀色が、数ヶ月も経ってから今更、そんな事を訊いてきて――――嗚呼、それが無意識だというのに少しだけ落胆してしまう自分は決して悪くないとリンドウは思う。
「…あー…くそっ……そりゃ、反則だろ…」
元気にならない訳が無い。気障に言えればまだ格好もついただろうに、思わず、未だテーブルに下ろせないビール缶を中途半端に持ち上げたまま、天を仰いで白旗を上げてしまった男は、三分も持たなかった理不尽な怒りを湧き上がる歓喜と抑えきれない恋情で綺麗に片付けてから、悔しそうに呻いて、年甲斐も無く目に見えて赤く染まった目元を持ち上げたもう片方の掌で隠した。
とうもろこしごはんくらいで怒っていた自分が阿呆らしくて恥ずかしい。駄々を捏ねてそんなものを求めなくとも一番欲しいものは随分前から沢山貰っていたというのに。普段からこちらが叫ぶ愛に中々、応えてくれなくて、気付いてくれなくて、鈍感だ鈍感だと不平混じりに言っていた相手にこうして真正面から想いをぶつけられてしまった事も何だか恥ずかしくて、出来る事ならこの衆人環視の食堂から彼を担いで飛び出して、自室に三日程籠もってしまいたいくらいだ。今ならきっとハンニバル並の速度で帰れるに違いない。
言葉が喉につっかえて取れないまま、うぐ、と呻いた揺れる麹塵に、白雪の手の内で美味しそうな湯気を揺らめかせる米が映る。
あの日々を幸せにしていた欠片の全部が全部、自分の為。
それが、恥ずかしがりやで臆病で壊滅的に口下手な彼が伝えた最大級の愛情以外の何であったというのだろう?
とりあえず、可愛い愛の囀りに気付きもしなかった愚かな自分は、その程よく甘そうなとうもろこしごはんを一口貰う事から始めてみるのがいいのかもしれない。
これをいちにちでしあげられるなら、ほかだってもっとはやくできるはずじゃない…!!!
という突っ込み激しい品ですが、問題はそこではなく、何だか美味しかったとうもろこしごはんのお話です。いや、元はおすそ分けで戴いたご飯が美味しかったという事から派生した話なんですがね。お弁当ネタはもっと違うネタが一個あるんですが、何だかとうもろこしごはんがとても美味しかったんで(以下略)
新型がリンドウさんに持って行くお弁当は正真正銘、リンドウさんの為のカスタム仕様です。普段、肉とか油っぽいものなんて進んで食べない新型も一生懸命、唐揚げ揚げたり、照り焼き焼いたり、もっさり炊き込みご飯作っちゃったりしてます。口には出さないけど、リンドウさんに早く元気になってほしくて頑張る嫁は寝る間も惜しんでお料理です。ちょっと日持ちするもの作ってみたりとかして持って行ったり、毛玉用にも作って持って行ったり。通い嫁は大変。
で。普段、こうしてかさましご飯とか…食卓の80%をお野菜で過ごしてる新型をアナグラに帰ってきて改めて知っちゃったリンドウさんは「ちょっ、それ、俺食べた事ない!」とかよく分からん嫉妬をして嫁を困らせてみたりする訳ですよ。何せ、当家のリンドウさんはFZD(不憫・残念・でも格好良い)ですからね!
勿論、嫁はそんな旦那にも付き合ってあげますよー。断る理由が無い物には寛大範囲が非常に広い嫁です。
この後はきっと新型のお皿のおかずとご飯を一口ずつ「あーん」して食べさせて貰うリンドウさんが見られるかと思われます。
2012/09/17 |