※バーストED後設定。
「嫌いです」
その衝撃は思ったより凄まじかった。
四月のおばかさん共
「あ…え?」
「大っ嫌い、ですっ」
早朝からの任務が漸くひと段落してソファで寛いでいた和やかな昼下がりが一変したのは、まさに不意打ちの強襲も良い所で、瞬間、ぽろりと落ちそうになった煙草をなんとか唇の端に引っかけたリンドウは間抜けな顔をしながらも、柳眉を寄せた精一杯のしかめ面で睨み据えてくる愛らしい想い人の引き結んでなお艶やかさを失わない唇を呆然と眺めた。
なんだっていきなりこんな事を言い出したのか。不快です、ならまだしも――センカにとっての不快は嫌いとは別だ――彼が口にしたのは「嫌い」だ。よりにもよって、経験上、縋る藁も、取り付く島も無い、「嫌い」。しかも、その後に来たのはいっぱいいっぱい息を詰めて、小さく、けれど、確と音にした「大嫌い」。それも「大」と「嫌い」と「です」とその後に思い切り力を込めていた。これはどうした事だろう。今まで、顔を顰められるだとか、逃げられるだとかはあったが、こんなにも強烈な嫌悪を正面から向けられた事は一度としてなかった。滑る冷や汗より襲う震えが紫煙を戦慄かせる。――――考えろ、何をした。一体、何をしたんだ俺は。
昨日の夜は何事も無かった筈だ。いつものように共に夕食を摂り、風呂は流石に締め出されたが、同じベッドで体温を分け合って、朝を迎えた。…そうだ。昨日から、朝までは何も問題はなかった。二人とも夜が明けてすぐの仕事であったから、朝食もそこそこに出撃の準備にかかり、互いの健闘を祈りつつ別れたのがヘリポート。その時も覚えている限りでの変化は無く、彼はコウタ達と廃寺へ、自分はタツミ達と旧市街地へ。何事も無く任務を終え、帰投したのが五時間前の事だが、思えば、一足先に帰還して迎えてくれた彼はその時には少しそわそわしたようにも見えていたかもしれない。
思い出す今日の彼の任務同行者はコウタとサクヤとレンギョウ、それにシュンだったか。シュンの協調性の無さが気にはなるものの、バランス的には悪くは無い編成だったのを覚えている。…コウタと、サクヤ。何やら思い当たった気がするのは恐らく気のせいではないのだろう。センカを猫可愛がりする彼等といったら、頭は良いくせに世俗に疎い所為で時折、突拍子も無い事をしでかす彼の耳に悪戯に情報を吹き込むのが大好きなのだ。
考える間にも聞こえる、可愛い声の罵倒の言葉。きらいです、きらいです。嫌悪より申し訳なさが目立つ必死の顔はもう目を瞑ってしまって、迫力も何も無い。まるで虚勢を張って狼に立ち向かう子兎だ。これはこれで可愛いが、自分は間違っても、昼も夜も睦み合いたいと思う人にいつまでもきらいと言われて平気でいられるような人間では、無論、無い。
さてはて、今度は何を吹き込まれたのか、考えるのも大変である。何せ、サカキとシックザールに蝶よ花よ我等の手駒よと囲われ仕込まれ育ったセンカの世間知らずは筋金入りだ。世間一般が知っていると思われる年中行事にはとんと疎い。少し前までは大衆に馴染んだ菓子も知らなかった。そんな彼の知らないものにあたりをつけるなど砂漠で米粒を探すようなものだとリンドウは半ば途方に暮れて煙を吐く。吹いて、散って、煙る景色に霞む電灯。さてはて、どうしたものか。
とてもきらいです、だいきらいです、しんじられないくらいにきらいです。可愛い小鳥が息つく間も無く並べて並べて、並べきって、ついでに吐き切った息が切れる頃、あれでもないこれでもないとこちらも思考の限りを尽くした男の目がふと傍らに置かれたカレンダーに止まり――――嗚呼、成る程。得心行った。
恐らくはこれだろうというものが分かればどうと言う事も無い。形勢逆転は世の常だ。
にやり。長い前髪にそっと隠した麹塵を細めた男が、黒い笑みを一つ。
「そうか…それなら仕方が無いな」
「ふぇ?」
今の今まで呆然と沈黙していた男に降る罵倒が止んで、代わりに落ちた少しばかり間の抜けた息を、リンドウは、やっぱり可愛い、と胸中だけで絶賛しながら、これ見よがしに眉を顰めてみせた。
「そんなに嫌なら俺だって無理強いはしない。…そうだな、違う部屋にでも転がり込むかね」
「え、え、えっ…あの…違…っ」
「俺はまだお前を愛してるが、お前は違うみたいだし…かといってお前が他の男と幸せにしてるのを祝福出来る程、出来た人間にもなれないから寧ろ他の支部へ転勤させてもらった方が双方の為かもな…」
灰皿にもみ消す煙草の火が煙に燻りからただの煙に変わり、燃え上がり、消えていくものの虚しさの象徴の如く上る紫煙が細く消えていく。愛は業火だ。いつこうして細い煙になり、やがて煙も立たぬ滓になっても不思議は無い。言いながら、ちらり。盗み見る銀色の、可愛そうなくらいの慌て顔。――――やばい。可愛い。
思わず笑いそうになる喉に力を込めつつにやける口元を片手で隠して俯けば、打ちひしがれているようにでも見えたのか、小刻みに震える肩に縋るような温度がおずおずと触れてくる。
指だ。白い、細い、愛しいセンカの白魚の鼻先のような指先だ。見ずとも分かるのはそれだけ愛しさが募っているからに他ならない。
「あ、あのっ…違うのです…えと…えと…コウタさんが…!」
「そうか…新しい恋人はコウタか…やっぱり若い方がいいよな…」
俺ももう三十路近いし。自虐を繰り出す演技の前で音がしそうな驚愕に無表情をかち割られるセンカの顔。可愛いのだか、面白いのだか、ああ、いや、勿論、悶えるくらいには可愛いのだけど。
ちがいます。ちがうのです。あれはちがうのです。今度は打って変わってリンドウの前に膝をつき、縋って弁明を始める可愛い人は動揺がいつもの観察眼に布をかけてしまっているらしい。これだけ近づいても男が笑っている事にも気付かないのだから、中々に重症である。普段は他人の隠し事にもそうで無い事にも敏感な彼にしては由々しき事態だと言ってもいい。しかし、これをずっと続けるのは流石に意趣の返しが過ぎるというもの。程ほどにしておかねば、後で痛い目を見るのは自分の方であろう。
喉奥で笑う痙攣を戦慄きと思い込むセンカの必死の言葉を聞きつつ、自分でも下手だと思う縁起に流されてこれ程までに縋ってくれる事が嬉しくてたまらないリンドウは意地悪も潮の時と見切りをつけ、徐に傍らで申し訳程度の存在感で鎮座するカレンダーを白藍の眼前に示して見せた。
つい先日めくられたばかりのそれの暦は卯の月、四月。
「なんてな。エイプリルフール、だろ?」
「…え…?」
ぽかんと口を開けた顔は先程までの自分と恐らく、同じ顔だ。呆然としたその顔もやはり可愛くて、動けずに床に座り込むセンカの身体を軽々と膝に抱き上げたリンドウはそのまま細い身体を抱き込んで、誰もが見蕩れる端整な造作をだらしなく緩ませた顔が銀の燐光を煌かせる柔らかな髪に擦り寄せた。
ふわりふわり。頬に、腕に、身体に感じる彼の体温。苦しげな鈴の音。せんぱい、と呼ぶ唇。――――これを嘘でも手放すなんて馬鹿げた事は思えない。自惚れても良いなら、嫌いだと言う最中に苦しげにしていた彼も同じだろう。好きで、好きで、もうどうしようもない。離れる事を想像するだけで苦しくて仕方が無い。腕の中で膨れっ面をして大人しくもじもじしてみせる彼もきっと同じ。
「……最初から、嘘に気付いていらっしゃったのですか…?」
ばつ悪そうに見上げてくる白藍に麹塵を合わせ、微笑んでやる。
「いや…途中からだな。初めは気付かなかった。お前がそう簡単に俺を嫌いになる訳が無いと踏んで色々考えたが…もし本当にそうなら、と考えるとお前を滅茶苦茶にしちまいそうだった」
不穏な胸中を吐露しつつ頬を摺り寄せれば、近い吐息に洩れる、銀色の甘い囀り。この囀りに他の誰かが触れるなど、許容出来なかった。どうしても繋ぎ止めて置きたくて、その為ならば、と刹那にでも少々、公にはし辛いものを多々考えたと知ったなら、この銀色の小鳥は今すぐにでも何処かで逃げてしまうだろうか。否。そう思う傍からその逃げ道を塞ぐ手立てを考えているのだから、自分は端から彼を逃げる気も起きないような檻に閉じ込めておく気なのだろう。
目を隠し、甘い快楽に堕として、白い耳に蕩ける想いだけを注ぎ続ける。そんな日々に、嗚呼、けれど、出来ないと知っているから、いつでも自分は、自分から火の海に飛び込んで行こうとするセンカを追いかけて捉えて置こうとするのに必死になっているのだ。
「…嫌い、は…正反対の意味でとっていいんだろ?」
そうじゃなかったらそういう意味になるようにしてやる。髪に、頬に、額に口付ければ、黒獣の、牙を隠した獰猛な愛撫に擽ったそうな仕草で肩を縮めたセンカの身体が、ことり、硬い胸に凭れて擦り寄る。
「……ご存知でしょう……」
蚊の無く声で囁き、拗ねてしまった彼の白い肌に仄かに走って目立つ朱の色はまるで春先に色付こうとする花の蕾に乗るそれだ。無論、リンドウはその花が開き、香り立つ様も、それを越えた先も知っている身だが、そうなった今でもこうして事ある毎に初々しい蕾の姿を見せてくれる想い人が愛しくてならないと思う。だからこそ、気が抜けないとも思うのだけれど。
ちゅ、と米神に啄ばみを落として、吹き込む囁きは、秘密事のように。
「…お前の口から聞きたいんだよ。こういう時でもないと言ってくれないだろう」
毎夜、毎朝、四六時中、愛を囁くリンドウと比べ、センカが小さな口で想いを伝えてくれる事は滅多に無い。三十回に一回が精々、二十回に一回は上々、十回に一回なら万々歳。溢れ過ぎて持て余すほどの想いに日々悶える身なら、毎度とは言わないまでも情事の間以外も応えの言葉が欲しいと思うものだろう。
エイプリルフールの嘘に「嫌い」と言ったのだから、本当の事だろう反対の言葉は容易に想像はつくけれど、本人の口から聞かねばそれは単なる憶測のままだ。
「ほら。センカ」
「…う…」
往生際悪く呻いてもじもじ動く小さな柔らかい尻が腰を刺激して少々よろしくないが、まあ、そこは時を考え、耐えねばなるまい。長く待って待って待って漸く手に入れたのだから、この程度の間くらいは許容の範囲内だ。耐えろ。いくら可愛い魅惑のお尻が誘うように腰を刺激していたとしても、いくら困る仕草が慌てる小動物のように可愛らしいとしても、思い出すだけで活力を得られるだろう一言を聞きたいのなら決して手を出してはならないのだ。耐えろ。耐えろ。耐えろ。
艶めいた微笑を浮かべる面の皮の下で久しく動員していなかった理性に全力で召集をかけるリンドウの視線に晒された何も知らない銀色の小鳥が下唇をきゅっと噛んでそっと伺うように目線だけを煌く銀糸の下から向けてきたのは、時計の秒針がきっかり一週回った頃。
「……怒りませんか…?」
「少なくとも、俺が予想する限りは怒る理由なんか何処にもなさそうだが?」
だから、ほら、言ってしまえ。俺の理性が頑張っているうちに。
殊更、鮮やかに笑って不安げな白い頬を優しく撫でてやれば、肩の力を抜いた彼は覚悟を決めたように一際強く、もう一度、唇を噛んでからもぞもぞとリンドウの身体に這い登るように身体を動かし、黒髪の隙間から覗く耳に濡れた花弁のような薄桃色の唇を近づけて、小さく小さく、部屋の空調の音にもまぎれてしまいそうな声で囀った。
「…お慕いしています、リンドウ先輩…」
好きだ、と言えないのはきっと彼の最後の羞恥心が水を差してしまったのだろう。何せ、彼は常の半ば堂々とした態度からは想像もできないくらいにこういう事には消極的で非常に恥ずかしがり屋だ。
思いながら、リンドウは心底嬉しそうな顔で愛しい銀色をソファに埋めて覆い被さり、ふと、こう囁いて――――後悔した。
「ところでセンカ、エイプリルフールは四月一日限定のイベントだぞ?」
今日はもう四月五日だ。
直後、可哀想なくらいの悲壮な顔で固まってしまったセンカがつい先程までの甘い空気を軽く吹き飛ばしてしまったのは言うまでもない。
「……ねえ、リンドウさん。念の為聞くけど、その袖にくっついてるの、何?」
「あー…いや、なんていうか、放してくれなくてな…ほら、センカ。もうわかったから、な?俺も怒ってないし、コウタも待ってるし…ちゃんと帰ってくるから」
「………きらいじゃないです…ちゃんと…ちゃんと…お慕いして…ちゃんと、すき、です…」
「!!今の、もう一回!」
「あーはいはい。今日の任務、リンドウさんは欠席ね。ソーマとか手ぇ空いてたっけ…どーだったかな」
----------
エイプリルフール遅れちゃったSS!!拍手にしようと思ったら思いがけず長くなってしまったのでSS倉庫に投入です。
時間軸的にはもうリン主がご夫婦化しちゃってるバーストED後ですね。久々にリン主の甘いの書いたので「うぉわお!砂糖袋ヘイカマン!!」みたいな状態になってしまいました よ !(意味分からん)
とりあえず、こういう同人では恒例の「エイプリルフールに攻に嫌いと言ってみる受」をやってみたわけで…これって成功したのかしてないのか微妙ですね。何番煎じ?みたいな感じなのは否めません…期待した方…ごめん、ね?(コソコソ)というか、ヤる気満々だったのに放置してしまった隊長、まじごめん、ね?多分、お風呂場でヌいたんですよね、そうですよね…(オイ)
補足をしておくと、コウタさんとサクヤさん、シュンさんからエイプリルフールなるものの存在を聞いた新型さんが「四月一日限定イベント」を「四月中のイベント」と勘違いしてこんな事態になった、というオチです。で、リンドウさんから言われて衝撃を食らってしまった新型さんはリンドウさんにくっついて「ちがいます、きらいじゃないです。すきです。すきです。せんぱいが、すき、な、んです…」とかぽつぽつ言いながら半泣きになっている、と。
リンドウさんは困りつつ、可愛いので全く真剣に慰める気ナシ(コラ)あとはベッドで一日中新型に「すきですっ、す、き…っ…んぁ…あっ、あ、せんぱいっ…すき、で、すぅ…」とか言わせてればいいと思います。
はっぴー(?)エイプリルフール!!
2013/04/04
|