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 その日、防衛班班長の報告書を見たツバキはその始めの一節を読んでから、美しい眉を吊り上げてすぐさま電話をかけ、馬鹿者、と支部が揺れる程の怒声を発した。
 彼女の机からひらりと舞ったそれは一日の報告書であるにも関わらず、真っ白な紙切れにただ一言、こう書かれていたという。
 曰く――――奇跡が起こった、と。

噂の新型と愉快な先輩達+お兄ちゃん

 奇跡が起こった。明日は雨だ。いや、雪か。大雪か。違う、嵐か。いやいや、アラガミが降るに違いない。
 衝撃の稲妻を背負い、うっかりナポリタンを絡めたフォークをテーブルに落とした大森タツミは袖にケチャップが飛んだ事にも気付かず大口を開ける。隣ではジーナが興味深げに彼が硬直した原因たる光景を見つめ、同じくそれに目をやるブレンダンは飛んだケチャップの被害を被らぬべく紙ナプキンを広げてから、ほう、と関心した。カウンター席ではソーマが水を片手に石像となり、一つ、飛ばして隣ではサクヤが目を輝かせて感動している。
 こうして見ると驚愕しているのはタツミだけのように見えるが、様子は違うにしろ、全員が全員、その光景に確かに驚愕していた。――――コウタとセンカが食堂にやって来て皿に食物を盛っている、という有り得ない光景に。
 烏羽センカといえば不思議の国からやって来たのではないかと専らの噂の新型神機使いだ。彼の生態は起床から就寝まで全てが謎に包まれており、日によっては任務以外で姿を見る事など無い時もある。いつ起きているのか、いつ寝ているのか、どんな趣味があるのか、どういう生活をしているのか、誰一人として知る者は無い。
 それもその筈。彼の行動は何時いかなる時も先手必勝。どんなに朝早い任務であろうが、誰よりも先にエントランスに現れ、任務が終われば支部に着くなり雲隠れ。次の任務まで、或いは、用事まで影も形も現さない。端末で呼び出せば応えるものの、それが無ければそのまま次の朝を迎える始末だ。交流も何もあったものではない。
 任務以外で姿を見ない、という事は当然、食事をする筈の食堂でも見ないという事で…そんなセンカを眺める先輩方の最たる関心事は彼の食生活だった。
 何せこの不思議生物、先輩方の前では水の一滴も飲んだ事が無い。心配を冗談に変えようとして、実は空気か光合成で生きてるんじゃないか?と言ったタツミに誰も否を唱えられず、陰鬱な雰囲気になったのは忘れられない一幕である。
 そのセンカが、食堂へやってきた。そう、「あのセンカ」が食堂へやってきたのだ!これで気分が高揚しない者はそもそも感動という言葉を知らないのだろう。
 彼等の目の前で、感動の場面が更なる発展を遂げていく。
「あ。ちょっ、センカっ!何で野菜ばっかなんだよ!?皿が緑の山じゃん!肉も食べろよ、肉も!」
 だからそんなに細っこいんだぞ!センカの皿の惨状――コウタにとってそれは惨状といって差し支えない有様だ――を見て説教染みた声を上げたコウタは、緑で埋め尽くされた様に異を唱えた。
 リンドウが任務に出るという日、任務にかかる時間、帰投時刻を計算し、タイミングを計り、漸く連れ出した食堂。うっかり、ソーマやサクヤ達と遭遇したのは計算外だったが、少し硬直しただけのセンカが逃げ出さなかっただけ良かったとしよう。けれど、問題はその後にもやってきた。彼が持ってきた食券の、有り得ない偏りである。
 白い両手が持った皿にあるのは緑、緑、全てが緑。レタスに胡瓜にさやえんどう。ベビーリーフとほうれん草。転がるのはブロッコリー。辛うじてある色味といえばトマトとパプリカの赤と黄色くらい。蛋白質という言葉から見事にかけ離れたお膳である。寧ろ、それはお膳とも言えない。意外にバランス食を重んじているコウタには許し難い献立だ。量も山と表現したものの、高さは足りず、良くて草原。部屋で自炊をする時にはあんなにもきちんとバランス良く食べているというのに、この惨状はどうした事か。
 指摘された己の緑一色の皿と野菜も肉も乗ったコウタの皿を見比べ、銀色は少しだけ肩を落として言った。
「……あまり、得意ではないので…」
「つまり、好き嫌いって事だよな?」
 ずばり言われてしまえば、ぐうの音も出てこない。
 嫌い、ではないのだ。食べられない事も無い。けれど、野菜と肉ならばどうしても野菜を取る。自炊する時は栄養面も注意して――サカキから言われているのもあるが、大半の理由は研究に打ち込むと寝食を忘れる彼との生活で染み付いた癖だ――肉も入れているが、それでもその比率は野菜と比べて多い方ではない。重いものよりも軽いものを好む傾向もある。
 無言で圧力をかけてくるコウタの心配事はセンカの身体の弱さも関係しているだろう。体質が露見してからの彼は何かと世話焼きだった。妹がいる為の庇護気質からだろうか。心配げに顔を歪めたと思えば、強引に部屋に押し戻されたのも一度や二度ではない。そういう時は大抵、気分が優れない時だったが、何故、分かるのだろう、とセンカはその都度、首を捻ったものである。
 そして、その素晴らしい観察眼は今日も絶好調であるらしい。
 ずい、としかめっ面を寄せられ、後ずさろうとしたセンカの、その皿に、

ごべっ。

「あっ」

 コウタは己の皿から素早く茶色の物体を投下した。――――何とも美味しそうな、鳥腿肉の照り焼きを。
「あ、あっ…あの…」
「四分の一。全部食えとは言わないから、これくらいは食えよ。あとその分、野菜はちょっと貰ってくからな!それから、米も少し食べろよ?」
 そう言って、緑を攫い、代わりに米を四分の一。空いた場所が埋まってしまえば、そこには先程までとは打って変わった素敵なお膳が出来上がっていた。こうなってしまってはセンカも食べるより仕方が無い。幸い、配慮してくれたのか調整された量は食べきれない程ではないから、粗末にするような事態にはならないだろう。
 漸く、食事らしくなった皿を見て満足したのか、ふん、と機嫌の良い鼻息を漏らしたコウタは空いた食堂を見回して、ぱちり。瞬いた。
 テーブル席には先日、センカとの任務に出た防衛班。カウンター席には自分達が所属する第一部隊の先輩二人。さて、どちらに座るべきか。どちらに座っても微妙な結果になりそうな気がする。何せ、どちらもセンカを見る目が獲物を前にした捕食者のようだ。あまりがっつかれて、折角、連れ出す事に成功したセンカが逃亡しても困るのだが、誰もいない席に二人で座る、という一番無難な選択肢はこの場合、用意されてはいないのだろう。
 悩む偵察兵に先に声をかけたのは目を輝かせたサクヤ――――ではなく、大きく手を上げた第二部隊隊長、大森タツミが先だった。
「こっち!こっち空いてるぞ!!来い!」
 さあ早く!矢鱈と興奮した二十三歳独身。やや痛いはしゃぎ具合は如何なものか。そう思いつつも、ばんばんとテーブルを叩き、空いた椅子まで引っ張り出して誘われては行かない訳にもいかない。
 チッ、と舌打ちした黒髪のスナイパーのちょっとそれまでの印象をぶち壊しにしそうな悔やみ顔を見なかった事にして、銀色を引き連れた彼は防衛班の座るテーブルについた。カウンターから飛んでくる視線のレーザーがとんでもなく痛い気がするものの、次の機会まで我慢して貰うより仕方が無いだろう。その隣で硬直をといたソーマは、といえば、興味の無いふりをしながら、一応、気にしているらしい。水を飲みながら、しきりにこちらを伺っている。
 そんな視線を受けつつ、タツミの隣にセンカ――腕を引っ張って無理矢理座らせてしまった――、ブレンダンの隣にコウタ、という世にも珍しい微妙な配置で食事は始まった。
「いやあ、食堂でお前と食う事になる日が来るなんて…俺は嬉しくて堪らんぞ…!コウタ!よくやった!!褒めて使わす!!」
「ちょ、何でそんなに偉そうなの!?」
「気分だ、気分!よーし、センカ、食堂デビュー祝いに俺のパンナコッタをやろう!」
 妙なテンションと共に、シンプルな器に入った白いパンナコッタを皿に寄せられる。急激な展開についていけないセンカを置いて、今度はその一つ向こうから、オレンジジュースがやってきた。ジーナだ。眼帯で隠れていない方の瞳が細く微笑む。
「はい。私からもお祝い」
「なら、俺からは次の機会の為の食券でどうだ?」
 これ以上は食べられないだろう?苦笑しながらブレンダンが差し出してきたのはピラフの食券。食糧難の昨今、これらを貰っていいものか正直、悩む所だ。いくら稼ぎがある神機使いとはいえ、おいそれと貰っていい物ではない。
 悩んでいれば、何時の間にか席を立ったサクヤが銀色の手元に、とん、と違う食券を置く。数は二枚。見上げれば、にっこり笑う彼女の姿。
「私からもお祝いよ。もう一枚はソーマから。…今日の所はタツミ達に譲るけど、今度はこれで一緒に食事しましょうね」
 何だか有無を言わさぬ圧力をかけられている気がしなくも無いが…どうするべきか。戸惑いを露にして見た先ではコウタがサクヤに負けぬ笑顔で頷いていた。――――意味する所は、遠慮なく貰っておけ、と。にまにましながら首を縦に振る彼の中では既に次の食事についての計画が持ち上がっているのかもしれない。食堂での食事を推奨したい彼にとって、祝いの食券は連れ出すのに良い口実になるに違いない。
 落ち着かない気分を味わいながら、しかし、食堂での食事を敬遠する個人の我が侭と人の好意を無碍にする無礼は全く違うものだとは理解している。純粋な好意で差し出されたものを拒む理由は何処にもない。ともすれば、それは失礼にあたる。
 刹那、逡巡したセンカは、自分の手元の皿を一瞥してから、恐る恐る、差し出された物に手を伸ばした。
「…ありがとう、ございます…」
 済んだ声音をぽつりと落とし、奇妙なくすぐったさに仄かに頬を染めた銀色を見た一同が互いに指摘し合うくらいに目尻を下げてにやついたのは言うまでもない。


「で、お前は今までどういう食生活を送っていたんだ?」
 食べ始めて少し経った頃だろうか。センカが食事をする、という珍しい光景に一通り沸いた後、徐にブレンダンが切り出した。
「…食生活、ですか…?」
「ああ。食堂には今日、初めて来たんだろう?食事はどうしてたんだ?」
 それは此処にいる誰もが疑問に思っていた事で、彼に関する一番の心配事だ。
 何気無い世間話を装いながら、真面目に問いかけるブレンダンの斜め向かいではタツミが滝の如く流していた感動の涙を袖で拭ってセンカを見つめ、カウンターから銀色の隣へ席を移したサクヤはどきどきしながら答えを待っている。急に静まり返ってしまったジーナとソーマもそうだろう。言葉には出さずとも目の力が凄まじい。冷静なのは事情を知っていて、フォークを咥えたまま黙しているコウタくらいだ。
 そんな彼らの少し異常にも感じられる視線を一気に集めてしまった当の銀色は先程とは違う居心地の悪さに困惑したように眉間に浅い皺を作り、けれど、はっきりとこう言ってのけて見せた。

「自炊ですが、何か」

 自炊。じすい。非常に便利なノルンのデータベースにはこうある。――――自炊。自分で食事を作ること。
「じ、自炊……だと…っ!?」
「これは…盲点だったわ…」
 再び稲妻を背負ったタツミは性懲りも無くナポリタンが絡まったままのフォークを落とし、その被害を被らぬべく、ブレンダンとジーナ、更にはコウタまでもが紙ナプキンを広げて掲げた。さも当然のように食事を続けるセンカの隣ではすらりと長い美脚を組んだサクヤが目頭を押さえて己の落ち度に首を振り、カウンター席ではついにソーマが口をつけ損ねたグラスから水を零しながら固まっている。
 自炊。まさか、まさかの衝撃の事実だ。自炊こそ有り得ないと思っていたのに、まさか!
「…皆、何を考えてるか分からなくも無いけど…センカの飯、美味いよ?」
 もごもご口を動かしながら言ったコウタの言葉に今度は違う意味で場が沸き立った。
「なっ、コウタ、お前、食った事あるのか!?」
「うん。もう何回かご馳走になってるし…この間のオムライスとか超絶品!あれはアナグラの食堂じゃあ絶対に無いね!ふわふわのとろとろ!」
 恍惚とした表情で自慢げに語る彼に瞬間、殺気が迸ったが、今、大事なのは嫉妬に駆られる事ではない。
 コウタが食べたという事はセンカは別段、それを秘密にしていた訳ではない、という事だ。しかも、同伴も構わない、と。それはつまり、上手くいけば自分達もそのお零れに預かれるという事で…この機会を逃す手は無い。そう、断じて逃してはならないのだ!
 がしり。不思議生物の細い肩を掴んだのは黒髪のスナイパーが先だった。
「センカ。今度、是非…」
 貴方の作った料理が食べたいわ。言いかけた言葉は思いがけない形で遮られた。

「お、何か賑わってるな」

「え、うそ」
 突然、割り込んできた声音にコウタが振り向き、冷や汗をかいたのも無理は無い。そんな、まさか。それこそ、そんなまさかだ。向かいの席で食堂の戸口を見たセンカが白藍の双眸を丸く見開いて硬直している。
 黒い髪。その隙間から覗く切れ長の麹塵の双眸。鍛え抜かれた長身。翻る指揮官衣。戸口に立って笑うのは、任務に出ていて夕方まで帰って来ない筈の雨宮リンドウその人だ。
 ああ、やばいやばいやばい。彼らは先日の名前呼びの一件以来、顔を合わせていないという。それなのに、こんな所で遭遇してしまうなんて、無意識の恋情とは何と恐ろしいものか!高性能なセンサーでも働いているのかもしれない。ああ、兎に角、これは非常にまずい!
 内心、酷く焦りながら顔を青褪めさせるコウタを他所に、予定よりも遥かに早く帰って来てしまった男は賑わいを見せる室内で久方ぶりに目にする煌く銀色を見つけて、それはそれは嬉しそうに甘く微笑んだ。その微笑といったら、砂糖菓子も敵わない。
「センカ?珍しいな」
 身体の奥に痺れが走るような熱を孕んだ声色で名を呼ばれた直後、がたん。椅子が鳴った。

「すみません。用事を思い出しました」

 呟き、それからはまるで光のようだったと思う。少しでも隙があれば横から誰かが抱きついて止める事も出来ただろうが、茫洋としているようで実は抜け目の無いのが不思議の国からやって来たと名高い新型神機使い。そんな間の抜けた失敗はしない。
 引き止める間も無く皿を抱えて、戦闘時にも匹敵する素早さで長身の脇を擦り抜け、僅かな燐光を残して食堂から逃亡してしまった銀色を見送るしかなかった面々はぽかん、と数秒、口を開けてから、口々に叫びを上げ、男を罵った。

「リンドウさんの馬鹿ー!!何で帰ってきちゃうのさー!!」
「最低よ、リンドウ!!」
「…チッ……ウゼェ…」
「ちょ、待て!俺の所為か!?なあ、これは俺の所為なのか!?」

 後程、こっそり皿を返しに来たセンカが待ち伏せた先輩達と同僚に再び捕まったのはまた別の話。



どうしても書きたかった食事話その2。食堂デビュー編。時間軸的には長編31話〜32話の間くらいでしょうか。その後はリンドウさんと大喧嘩しますし。そんなピンポイント話。
いろいろ詰め込みすぎた所為で長くなってしまいましたが、兎に角、新型さんの器に肉を盛るお兄ちゃんとウザく感動するタツミ班長、意外と抜け目無いブレンダン氏と感動しすぎて結構わーわーなその他の人たちを書きたかっただけです(笑)あと、自炊に衝撃事件は外せない。
最後のあまりに哀れな隊長はもう当家では恒例ですね(ぇ)皆から非難囂々。ソーマ氏にまで舌打ちされる始末。
自炊ネタの最中に乱入してきてますが、肝心な部分は聞いていないので、自炊は知らないままです。更にはこの後のお夕飯もリンドウさん抜きで皆でお夕飯です(酷すぎる)
そして、夕飯の時にも新型さんはお兄ちゃんに肉を盛られます(ぇえ)

2011/02/10