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「すみません、用事を思い出しました」
 目が合った瞬間、オムライスを口に運ぼうとした手を止めた彼は瞬時に両手にお盆を抱えて駆け出し、
「おっと、もう同じ手には引っ掛からないぞ?」
逞しい男の腕にあっさり捕まった。

忘れちゃいけないTPO

 昼も少し過ぎた頃の食堂。急ぎ逃げる蝶の如く脇を擦り抜けようとした白雪の手から素早く食事の乗った盆を攫い、身を翻して回した太い腕で華奢な体躯の細い腰を抱き込みながら、嫣然とした笑みを浮かべた男は言わずと知れた極東支部屈指の色男、雨宮リンドウである。対する、捕らわれの白雪といえば、こちらも言わずと知れた、極東支部屈指の不思議生物、烏羽センカ。盆を持つ形のまま持ち上げられた腕が滑稽な様で空気を持ち上げている。
 暖かな硬い腕に突然、囚われ、慣性の法則に従って刹那、浮いた爪先をそのまま持ち上げられたセンカの様は捕獲された子兎そのもの。腹を圧迫される慣れない息苦しさに柳眉を寄せて腕の持ち主を見上げてやったが、その顔にすら惚れ込んだ男には功を奏するはずもなかった。
「…用事が、あるのですが」
「嘘だな。この後のお前の予定は全部オフだ。博士からの呼び出しも無い」
 得意げに言う男を更にきつく睨めども、腰を持ち上げられ、足が宙に浮いたままの間抜けな格好ではどうにも様にならず、反対に、反抗する姿も可愛い、と囁く彼を喜ばせてしまう始末。甘さを帯びる微笑が逃げたい身体を擽って、居心地の悪さに拍車をかける。
 何処で調べてきたのか、彼の言う通り、この後に用事など皆無だ。サカキからもツバキからも連日の任務の労いとして今日の午後から明後日までの休養を半ば強制的に言い渡されている。殊、サカキの方からは体調への配慮から珍しく目を吊り上げて言われたくらいだ。常ならば窘める程度に抑える筈の休養の指示が強制に近いものになった原因としては此処最近の数値が思わしくない事が挙げられるのだろうが、本人が感じる不具合といえばいつもの微熱程度。空咳も無ければ吐血も無い、静かなものである。目立った変化ですらないそれは寝込みがちなセンカにとっては取るに足らない。しかし、この身を預かる彼にしてみれば見逃せないのも仕方の無い事。駄々を捏ねる程センカも子供ではない。無理を押して昏倒した前科もある。此処は大人しく自室で目を閉じるか、久々に書物の表紙に指をかけようと思った所に――――この事態。何とも迷惑な。
 大方、情報源は休暇を申し付けた研究室の主だろう。当てられてしまっては仕方が無いが、だからと言って展開に甘んじる義理は全く無い。脳裏で呟いた彼は小さな口から密かに肺の空気を細く吐き出した。
 どうにかして、抜け出さなくては。気を取り直したセンカが先ず目に入れたのは奪われた盆だ。リンドウの掌に乗るそれを取り返すべく細い腕をいっぱいに伸ばして振ってみるものの、相手は、自分より遥かに体格の良い長身の男。女性並みに――或いは、女性よりも小さい――センカがいくらもがこうと、拘束されたまま、リンドウの、しかも、その手先に触れられるかといえば無論、答えは否だった。
 すい、と盆を高く上げられてしまえば、伸ばした白魚は届く筈も無い。
「……子供ですか」
 返して下さい。言えば、こちらも真剣な様子で返すリンドウが目を細める。
「上等だ。同じ手には引っ掛からないって言っただろ?どんな顔しても逃がすつもりは無いから、観念して俺とランチタイムしとけ」
 言って、そのまま歩き出す男の歩調に迷いは無い。広い食堂を窓際の明るい席を目指し、右手に愛しい銀色を、左手に小さな食膳を掲げた美丈夫が闊歩する。高く響くブーツの音は酷く弾んでいて、その音だけで彼の上機嫌がわかるようだ。鼻歌でも歌いだしそうなやに下がったにやけ顔も何てだらしが無いのか。目を逸らす間を計り損ねた面々が思わず半眼になる。
 此処にいるのが一度でもリンドウが白雪を口説く現場を見ていた第一部隊や防衛班でなかったなら、食堂の床は悲惨な状態になっていただろう。寧ろ、一度でも見ていた彼等ですら手にしたコップから水を零していたのだから、悲惨どころか掃除婦が悲鳴を上げるような凄惨な様子になっていたに違いない。
 周囲の幻滅を物ともしないこれが燃え上がった恋の成せる業ならば、これ程凶悪なものも無いかもしれない。盲目になり過ぎるのも困りものである。
 そうして手に入れた至福ひと時。昼下がりの食堂でリンドウは愛しの銀色の隣に陣取り、蕩ける笑みを浮かべていた。
 前回は逃げられてしまったものの、今回は何とか捕らえられた事が、この上なく嬉しいと言ったなら、やはり、半眼で見られるだろうか。周囲からはもう既にそういう類の目で見られている気がしなくも無いが、その覚悟を必要としないくらいには前回のあれは地味に心に痛かった。それ程までに嫌いなのかと訳も分からず激しく落胆した記憶に、今でも遠い目をしたくなる。あの頃はまだ己の心の内に気付いていなかったから、簡単に逃がしてしまったが、今はそうはいかない。どうしたって手に入れたい銀の白雪。見つけたら少しでも長く視界に入れておきたくて食指が動く。実際、多忙を極める神機使い同士、同じ部隊とはいえ、プライベートで顔を合わせる回数は一日にそう多くは無いのだ。
 グラスに注いだいつものビールを一口啜るにも、横目に見るのが愛して止まない人なら味も違う。現金なものだと己を笑いながら、細々と食事を再開するセンカの皿を見たリンドウは含んだアルコールを嚥下してから僅かに麹塵を見開いた。
「お前、それで足りるのか?」
「え?」
 グラスを持つ指の一本で指すそれは少しずつなりとも量の減ってきた膳である。その量は食べかけとはいえ、隣に置かれたリンドウの膳と比べ、明らかに量が少ない。小鳥の餌並み。通常の四分の一か、それ以下といったところだろう。恐らく、誰か――と言っても大方、違うテーブルでこちらを見ているコウタかソーマ辺りだろう――と分け合ったのだろうが、身体が資本の職業でこの量は無い。
「小食そうだとは思ってたが…これは食べなさすぎだろう。これじゃ持たないぞ」
 甘さを拭った声音で諭され、食事の手を止めた白藍が俯く。――――もう何度、説明したか。多少、うんざりしてきた所だ。しかし、その瞬間の何処にも彼の姿は無かったのだから、仕方が無いと言えば仕方が無い。けれど、説明すれば彼が秀麗な顔を顰めるだろう事は目に見えていて、気が重いのも確かだ。何せ、想いを告げられたあの日からのリンドウは容赦が無い。宣言通りに個人の領域へ侵攻してくる彼は持ち前の観察眼と絶妙な間の計り方でこちらが困るような事ばかりを仕掛けてくる。そう、決して、怒るような事ではなく、困るような事だ。これが、憤怒を齎すものであれば嫌悪するだけで済むが、これでは嫌悪も出来なければ邪険にする訳にもいかない。そして、彼はそんな遣り取りに戸惑うこちらの様子にさえ、逃げたくなるような甘く愛しげな目を向けてくるのだから、もうどうしたら良いのか空の彼方を見るばかりである。
 はあ。小さく、溜め息を一つ。
「……あまり、食事を必要としないので…」
「それでその量か?」
 それにしても少ない、とセンカの予想通り、リンドウは顔を顰めた。
 細い指で握ったスプーンを煌かせ、オムライスを掬う様は申し分なく可愛らしいが、緩やかな曲線を描く銀色の上に乗せたチキンライスの量はやはり少ない。淡く湯気の立つそれを控えめに開けた小さな口で食す様は真に小鳥の食事のようだ。この食べ方を見れば、彼が嘘をついていない事は一目瞭然。本当に量を食べられないのだろう。そもそも、好き嫌いをしているだけなら兄代わりになりつつあるコウタが黙っている訳が無い。彼に関して過保護な他の面子も目を吊り上げて諭すだろうが、食堂を見渡す限り、そんな様子は見られないどころか、当のコウタの皿にはセンカと分けたと思しきオムライスが鎮座している。何も言わず、消費を手助けしているという事は、彼の体質として黙認しているのだろう。そうであれば、態々余計な事を言うのは単なる迷惑というものだ。
 少しずつ啄んで、時折、水を一口。付け合せの野菜をつついて、また卵に包まれたチキンライスを匙で掬う。皿の上の食物を一生懸命、消費するべく、黙々と食器を動かす様が可愛くて、男は顰めた顔を緩めて唇に笑みを乗せた。――――うん。可愛いは、正義だ。許す。
「まあ、無理に食えとは言わないが体調管理はしておけよ?」
「了解しました」
 スプーンを咥え、無表情でこっくり頷くこまごました仕草もまた男の胸を高鳴らせて止まない。ふわんと揺れた銀糸から舞い上がる淡い燐光。嗚呼、可愛い。可愛すぎる。が、此処で妙な動きは勿論、しない。
 サクヤ達は所構わず口説いていると思っているようだが、リンドウとて節度くらいは弁えている。これ程までにないくらい自重しているのだ。
 出来る事なら何処であろうとその身体を抱き締め、今よりも更に深い愛を白い耳に吹き込み、満たしてやりたいと思う。今でも、少し囁くだけで気を乱すのだから、戸惑いに小さく開く唇を奪い、逃げる舌を絡め取り、吸い上げれば、きっと恥ずかしげに震えてみせるのだろう。膝など直に崩れてしまうかもしれない。脳裏で思えば、欲望は際限無く増幅する。身体の中で茹だるのは熱。湧き上がる食欲に似た性欲。この手で余す所無く彼の全てに触れ、見た事の無い恍惚に艶めく顔を、声を、聞いてみたいと本能が囁く。邪魔な服を剥ぎ取り、白い肌を暴いてしゃぶり付いたなら、どれ程の歓喜がこの身を駆け巡るのか。そそり立たせた己の雄を捻じ込んで、甘い悲鳴を上げる彼の声を聞きながら絡み付く熱を感じられたなら、いくら夜が長くとも足りないに違いない。想像する程、乾きを訴える喉。逸る胸に宿る暴力的な情が身体を支配しようと血を滾らせる。
 その衝動を、懸命に堪えているのだ。熱を持て余したまま夜を越えた事も少なくない。こんなに耐えているのだから、少しくらいご褒美があっても良いものだが、まろい頬に唇を寄せようものなら飛んでくるのは今もこのテーブルの動向を見守っている部下達の鉄拳と姉上殿の長いお説教。全く世の中とは厳しいものである。
 苦笑を零してから、それはそれは甘く相好を崩した彼は、しかし、次の瞬間、思わぬ光景に目を見張った。
 かしり。歯と金属のぶつかる音が微かに聞こえる。麹塵に映るのは瑞々しい薄桃の唇とそれに柔らかく食まれた銀のスプーン。その鏡のような曲面に、赤い艶が触れていた。淡い吐息で僅かに曇る鏡面の鈍色を優しく拭う舌先。赤く、小さなそれがケチャップのついたスプーンを舐めて次に口に入れるものを探している。ちろちろ、ちろり。銀を擽る濡れた色。
 露に濡れる花弁の如き唇から熱を移した金属がゆっくりと離れる様が矢鱈と艶めいて見えて、擡げた情欲に喉が鳴る。温くなってきたビールのグラスを持ったまま見詰めるスプーンの先が、静かにオムライスに沈まっていく光景がまるで別世界のもののようだ。
 少ない量を掬い上げて、ふう。湯気を吹く唇の扇情的な窄み。ケチャップで赤味を添えた半熟卵の乗る米がふっくらとした唇に近付き、いつもより少し大きく開いた口の中、包まれてみたいと夢見る粘膜の奥へ消えていく。咥えたスプーンを唇で拭うように緩やかに引き抜き、ぺろり、舐めるその先端。尖らせた舌先が小鳥のそれのように金属を擽る様に血が沸き立つ。必死に飲み込む欲は心臓に早鐘を打たせて理性の糸を焼くばかりで、とどめに湿った赤色が口端についた調味料を拭い取れば――――くそ。もう、我慢ならない。
「…?先輩…?」
 不意に肩に触れた無骨な指にセンカが振り向けば、徐に距離を詰めた男の顔が視界を支配した。切れ長の双眸。美しい麹塵。通った鼻筋。嗚呼、唇は少しだけかさついているのだ、と認識したと同時、唇に触れた暖かな吐息に彼は身体を凍らせた。
 無言の、流れるような動作で近付く互いの唇が触れるまで、あと少し。

「センカっ!あぶなーい!!」
「下がれ!!」

 コウタとソーマの叫びに硬直するより早く、身体が反射的に動いたのは日頃の賜物か。柔らかな拘束から逃れ、身体を離した刹那、
「うぉあ!?」
がらがらがっしゃん。テーブルを二つ程、瞬時に飛び越えた第一部隊隊員によってリンドウは綺麗に一つ向こうのテーブルへとぶっ飛ばされていた。見事な弧を描いた後、轟音を響かせて備品を薙ぎ倒す姿は実に情けない。彼にとって幸いだったのは子兎を獣から救った凶器が神機ではなく拳であった事くらいだが、それも四人一斉、全員が神機使いという事を考えればそれ程幸いではなかったかもしれない。どちらにしろ、壊れた備品の中に埋まる様は隊長格にあるまじき醜態である。
 模範的な美しいフォームで容赦無く屈強な男を殴り飛ばした女性陣が肩で息をしながら身を起こせば、般若の面が露になった。
「さ、最低よ…リンドウ…!!犯罪だわ!まだセンカは十六歳なのよ!?」
「いくら成人するまで待ったら自分が三十路だからって未成年に子供を産ませる気ですか!?」
「いや、あのさ、二人とも…センカも男だから…」
 控えめに突っ込むコウタの言葉は最早、届いてもいない。必死な彼女達には生物学的な論理など頭から抜けてしまっているのだろう。寧ろ、センカならば産めるとすら思っているかもしれない。
 冗談にもならないような思考を脳裏で辿ったコウタの耳に瓦礫と化したテーブルと椅子の山から低いぼやきが槍の如く飛び込んで来たのは溜め息をつこうとしたその瞬間だった。曰く、

「あー…うっかりしてた…」

 やばいやばい。あれはやばかった。繰り返して、もぞもぞと身を起こす我らが隊長、齢二十六歳。独身。己の抱く恋心の扱いで手も頭もいっぱいな彼の中でどういう思考が巡ったのか。呟きを耳にした誰もが動きを止める。
 うっかりしていた。それはつまり、気を抜いてぼんやりしていた、という意味で。例えば、うっかりしていなかったとして、あのまま穏やかに甘い食事を続けられていたのか、はたまた、うっかりし続けていたなら、あの後の展開は濃厚な深夜放送の実演になってしまっていたのか。まさか、訊く事など出来ようはずもない。
 とりあえずは、

「センカ、あっちで食べよう」

 危なくて仕方が無い!



あー、楽しかった(二回目)物凄く楽しかった50話ネタ再び。食堂でうっかり事件。
リンドウさんは実はとても我慢しているんだよ、というお話。…いや、あんまり我慢できていないおいえば我慢できてないんですけど…でも頑張ってるんですよ!お預け喰らったわんこは涎たらしながら頑張ってるんです!褒めてあげて!(何)
今回、力を入れたのは勿論、リンドウさんのエロい妄想と新型さんのエロい食べ方な訳ですけども…でも食事の風景って結構エロポイントが高いんじゃないかと思ってみたりとか…食べてる間に、こう、舌がちろっと覗くのがたまらんですね、はい。隊長は悪くない!(ぇええ)でも、不憫属性なのでぶっ飛ばされます。
しかし…立派な公害ですね、この二人(笑)

2011/04/27