ああ、お前は化け物のくせに人間の食べ物を食べるのだな。――――そう、言われた事がある。
光合成
「あ」
ぽとり。緩んだ白魚の指から逃げ出したブルーベリーが膝で弾んで正しく合わさった内腿の谷間に収まる様を眺めて、センカは吐息を洩らした唇を薄く開いたままふと動きを止めた。
昼下がりの果樹園。人の手を離れた木々は方々に腕を伸ばすも無粋に全てを覆う事は無く、茂る葉を透かして天から差し込む陽光はたわわな実りを光で包むように柔らかく緑の大地に注いでいる。時間の経過も太陽の位置でしか知る術はない、恰も悠久の狭間のような場所。血と埃の臭いが満ちる慌しい場所から然程、離れてはいないというのに、まるで別世界を移して来たかの如き壮大な美しさは現実さえも飲み込み、昔語りの川に流すが如く、全てを忘れさせる。覆い隠すような幸福な感覚は、或いは麻薬のようでもあるかもしれない。
一度、味わえば離れ難い、暖かで、甘く、柔らかい泡沫の楽園の偽物。それが、この温室という場所だった。
いつものようにこうして座り込んだ下草の上で、枝から、房から、もいだばかりの新鮮な果実を傍らに置いた籠に詰めて、他愛も無い話をしながら好きなだけ口に運ぶのも、傍から考えれば酷く現実味の無い光景だと思う。事実、それは過酷な毎日を送る人類にとって贅沢な事であり、又、夢でもあるのだ。
合わせた腿の中程に、ころり、転がるふっくらと膨れた、張りのある甘いブルーベリー。こんなものは、アーコロジーの管理者でもない限り目にする事はない。それでも大抵がもっと小ぶりの、味気の無いものだ。こんなに肉厚には育たず、採ったそばから砂糖で煮詰めて保存食にしてしまうから、素材の形を認識している者など多くはいるまい。
人間の夢。何ものにも怯える事無く、平穏に日々を過ごす、夢。目標。望む未来。それを今、人間を模した醜悪なアラガミが謳歌している。
「センカ、どうした?」
「え…」
不意に降った声に顔を上げれば、合う、草木の深い色。端整な顔を気遣わしげに歪めたリンドウがいつの間にか、伸ばした手も触れない位置から、膝が触れる程の近さにまで迫っていて、迂闊にも気付けなかったセンカは肩だけで僅かに飛び退いた。――――いつから、否、どれくらい思考に溺れていたのだろう。長かったのだろうか。僅かに肌を掠める他人の体温が意識で追いつけないくらいには近い。
徐に伸びてきた男の無骨な指が殊更、優しく目元に掛かる銀糸を退け、流れた手が冷たくなりかけた耳の縁を親指で辿る。
「ぼーっとして…具合でも悪いのか?」
見た目の儚さに違わないセンカの身体の弱さはあまり他人を心配しない筈の養父の折り紙つきだ。
此処へ来て早数日、以前のような吐血にまでは至らないものの、熱に霞む意識を懸命に留めようとしていた日があった事をリンドウは知っている。隠そうとしているようだが、出会った時より遥かに近づいたこの距離で見えぬものなど、そうありはしない。様子を見てくる、と消えた緑の向こうで蹲っている彼を、なんだかんだと我侭に甘えるふりをして無理矢理、褥に連れて行ったのももう何回だろうか。気付かぬふりもセンカの観察眼にかかれば透けて見えるのか、そもそも、自分に隠す気が無いのか、抱え上げる度、捕らえる腕から逃れるべく熱で火照った身体を捩じらせ、潤んだ瞳でやめてくれと弱々しく哀願するものだから、センカに並々ならぬ情を抱くと自負するリンドウは毎度、溜め息と冗談めいた睦言で頭を擡げる欲をねじ伏せたものだ。
瞳を細めて眺める白藍が近い距離で緩く瞬く。美しい、静かな、泉の色だ。空のように淡く、けれど、水底の暗さを揺らめかせた深い双眸がまっすぐに目の前の麹塵を捉えている。…霞んでは、いない。頬の白さも、仄かな色付きも、一時の感情が齎す見慣れた薄紅で。指を掠める温度も発熱のそれではない。
「…熱は無いみたいだが…疲れか」
こちらが目覚める前から気を張っているのだから無理はないだろう。半ば断定的に紡いだリンドウに、しかし、優しく髪を梳く手をぼんやり感じていたセンカはその手が毛先を離れてすぐに首を振った。
「いえ、違います。…その……少し、昔を思い出して…」
「昔?」
鸚鵡返しに返せば、少しの逡巡を経て小さく短い肯定が返ってくる。刹那、躊躇ったのは、恐らく、口にしようとしたそれがリンドウを激昂させるに足るものだと判断したからだろう。相も変わらず勘がいい。白い面を掠める気配は不安だろうか。しかし、それも恐らくは彼の杞憂でしかないだろう。リンドウが燃え上がらせる御し難い憎悪の向かう先は罷り間違っても潰れそうな銀華ではない。
この温室に来て漸くセンカが数多の嘘の種を明かした時、リンドウは一つも怒りを覚えなかった。寧ろ、痩身が飲み込んだ痛みの多さに気付かなかった己の至らなさを殺したい程憎んだくらいだ。――――震えた。戦慄いた。衝動のまま抱いたあまりに細い肩を、砕いてしまいそうだった。そうして、自分は悔しいのだ、と気づいた時に無力を嘆いた。会えなかった時間が酷く寂しく、悲しく、そして、痛かった。繁殖実験などという巫山戯た悪趣味を強いていた連中にどうしようもない殺意が湧いた。言葉にした事は無い。けれど、みっともなく震えて丸めた背にそっと手を回してくれた彼は揺らめいた暗い感情に気づいていただろう。…勘がいい。とても。時に忌々しくなる程に、彼は人の機微に聡すぎる。同じくらい、人に平静を与える事に長けてもいる。
センカを腕に抱いていなければ、直ぐにでも、無謀でも、元凶を絶ちに駆け出していたかもしれないあの時の激しい憎悪が今、見事になりを潜めているのは、それを見抜いて捕らえた彼の手がこの背を優しく一撫でするだけで煮え滾る情を沈めてしまったからだ。否。沈めた、というより、宥めたと表す方がしっくりくる。まるで猛獣を手懐けるが如く、清廉な銀光は獰猛な闇を丸ごと飲み込んだ。溶けるような感覚は忘れもしない。骨を砕かんばかりに力を込めた指からするりと何かが抜け、外界から遠ざけるように胸に押し付けた愛しい身体に凭れて、大した事は無いのです、と言った小さな声を聞いた時、嗚呼、これも彼を傷つけるものの一つなのだと悟った。気にかける事を気にかけて痛ましげに微笑む彼に、あれ以上の感情を滲ませる事が出来ただろうか。少なくとも、リンドウには出来なかった。
だが、かといって、過去の怯えに無意識に震える彼を放っておけるかといえば答えは無論、否である。銀色への愛を惜しげもなく声高に叫ぶリンドウに捨て置く事など出来る筈も無い。元より、見ているばかりは合わぬ性。こういう時は強引にでもしなければ己が傷ついている事に気付きもしない想い人が抜けない棘に苦しむだけだと、高い心の城壁を越えた彼は既に理解していた。――――だって、こうでもしなければ彼は絶対に甘えてきてはくれないのだ。
手当ての度におそるおそる触れてくる柔らかな手。しなやかな指。触れる温度。長い睫毛。燐光を生む絹の銀糸。しっとりと濡れた唇。白い肌。静かな呼吸。仄かに甘い香り。綺麗で優しくて、他人の痛みを飲み続ける今にも壊れそうな愛する人。世界の裏に蠢くものも、生命を脅かすものの存在も、全てを忘れて蕩けるくらい甘やかしてやりたいと思う。甘やかして、溺れさせて、頼らせたいのに、見た目に反して頑固で強情な想い人は弱音も中々、吐いてくれない。今も溜め込んで、溜め込んで、目を閉じ、じっとしている。耐えている姿がまた可愛いのだけれど、見かける姿はそればかり。想い続ける方としては少しでなく心配にもなるものだ。勿論、彼の身体にも良くないのは言うまでも無い。
手も触れられなかった向かいの位置から縮こまった銀色の隣へ腰を移して来たリンドウがそのまま傍聴を決め込む姿勢を見せて暫く。じっと続く言葉を待つ様子に漸く折れたセンカが細く息を吐く。こうなるとセンカに対してのしつこさではあのサカキを凌いで右に出る者の無いリンドウに勝つのは難しい。
往生際悪く、言い淀む仕草を見せたセンカが最後に視線を定めた己の腿の間で、柔肉に挟まれて居た堪れない風情のブルーベリーが潰れないまま転がっている。
「……大した事ではないのです。昔…、…人間の食べ物を食べるのだな、と言われた事を思い出して…それだけです」
嘘だ。否、隠した。瞳の揺れを目敏く見つけた男は瞬時に悟った。
センカの癖だろう。嘘をつけない彼は嘘をつかない方法で物事を隠そうと努力する。その常套手段が、「言わない事」だ。言わなければ嘘にはならない。彼の正体もただ「言わなかっただけ」の事。結果、仲間達は自分を含め、誰も彼が人外である事を知らなかった。下手な文句を並べるより遥かに賢い、彼らしいやり方だ。
しかし、それも手管が知れた今、リンドウに通用する訳も無い。何より、男は銀色の、傍目に見る儚さの内にある強さのその奥にある、触れれば砕ける弱さを知っていた。
「本当に、それだけか?」
ゆるり。指で中空を辿り、伸びたリンドウの無骨な指が徐に撫で揉みたくなる柔らかな腿の谷間に伸び、先程からそこで幸福に溺れる妬ましいブルーベリーを拾い上げて攫っていく。――――不謹慎な事だが、先から気になって仕方なかったのだ。自分だってまだこの魅惑の谷間を枕にした事が無いというのに、ちまっこい果物の分際で柔肉の楽園を占領して、あまつさえ、彼の視線まで一身に受けるなどおこがましい事この上ない。嫉妬か?そうだ。言い訳などする気も無い。これしきの事で暗い炎が燃えるくらいには焦がれている。
口に出せばすぐさま距離を置かれそうな悋気をおくびにも出さず、また僅かに縮まった距離に瞬く白藍を覗き込んだ男の指は、藍色の小粒を摘んだまま、少し力を入れればぷちりと弾けそうなそれを想い人のふっくらと膨らんだ薄紅の唇に押し付けた。微かに指に伝わる、果実を押し返してくる弾力。沈んだ唇に出来た薄い影。
触れそうな愛らしい花弁と硬い指の一本が、小さな一粒を挟んで触れずにいる奇妙な緊張感に麹塵が薄く笑う。
「それだけとは、思えないな」
「あ…んむっ!?」
何事か紡ごうとした口に最後の一押しを決めて塞ぎ、辛うじて引っ込めた手で口内に指を突っ込む事だけは避けたリンドウの腕が軽すぎるくらいの痩身を己の膝上に素早く引き摺り上げて抱き込んだのと、突然口に飛び込んできたブルーベリーに驚いたセンカが思わず小さな両掌を唇に当ててくぐもった悲鳴を上げたのは同時だった。気付けば柔らかな草の上から硬い筋肉で覆われた男の膝に座らされている様に戸惑った白藍がまあるく見開き、頻りに瞬く。
何が起こったのか。正確に理解したのは抱き込まれた腰が居心地の良いように据え直され、頬に押し付けられた厚い胸がどくりと一つ、酷く落ち着く音を奏でてからだ。
旋毛に触れた感触で、唇が触れたと理解すれば、身体に滲む他人の体温で力が抜けていく。
「…何を隠した?」
気付いている。言外に滲ませて、また言い澱む銀色の髪の先を眺める麹塵の、溶ける熱。
「……大した事では、ありません…」
「その大した事無い事が俺の想い人にそんな顔をさせているなら、それは俺にとって大した事なんだよ」
己が今、どんな顔をしているか、彼は気付いていないのだろうか。眉尻を少しだけ下げ、過去に捕らわれた瞳がぼんやり虚空を眺め、まるで途方に暮れたような顔をしている。気落ちした証の如く力の抜けた手は無体な男の腕にも抵抗出来ないまま。置いていかれた子か項垂れた仔兎のようだ、と思うのは、多分、間違いではないだろう。
ちゅ、と小さな丸い耳の先に口付け、吹き込む吐息に熱を絡めるリンドウの大きな手が宥めるように、血塗れの刃を振るうには些か細い二の腕をさする。
細い、細い、腕。力を入れれば折れそうな、硝子細工。押し殺した呼吸を緩めたのは背を支える黒く変色した男の腕が細腰に絡んだ頃。前置きに吐いた息は諦めだったかもしれない。
「…お前は化け物のくせに人間の食べ物を食べるのだな、と、昔、そう言われた事があると…それだけの事です」
言葉にして直ぐに、ちらりと見上げた綺麗な麹塵が、ぎゅう、と瞳孔を引き絞るのを見て、センカは嗚呼、やっぱり怒らせてしまった、と脳裏で呟いた。
今にして思えば、それは嫌味や皮肉の類だったのだろう。率直な感想というには多分に嘲りを含んだ口調は確かに嘲弄だった。――――鉄や地面までをも食べて生きる化け物が、態々、人間の食物を頂戴しているなどおこがましい。分を弁えていない。図々しい。そんな思いだったのかもしれない。床に投げつけられた食事を、実験で疲弊した身体を引きずりながら命令のままに這い蹲って口に入れていたあの時の自分には、まだ理解出来ないものだったけれど。
「…支部長か」
「いえ、その時の研究員の…ふわっ?!」
再度、引き寄せられたかと思えば、途端、包帯の取れない硬い胸に当たる鼻。更にきつく抱き寄せられてこれ以上無い程近かった距離が隙間も無い程になる。腰を、肩を抱く腕が最早、抱え、閉じ込めるようだ。呼吸さえ逃がすまいとする腕の強さが甘く骨を軋ませる。
さらり、流れる風が木々を撫でて過ぎる様も見えない。腕の隙間から僅かに差す陽光だけで押し付けられた厚い胸板が鼓動と呼吸に上下する様を見るのが全ての、穏やかな狭い闇。抱え込まれて、顔も上げられない。いつからだろう。不快も恐怖も感じなくなった不完全な闇の中。痛いくらい窮屈なその中で、そっと伸ばす白い指先が懸命に怒りを抑えるぬくもりに触れる。
「先輩…?」
どうしたのですか。言葉が続かぬ内。
ちゅう。
「ひっ!」
小さな肩が飛び跳ねた。
触れた、柔らかくて、でも、少し硬くて、かさついていて、僅かに熱い吐息の湿り気を残していった感触。それが抱き込む男の唇だという事にセンカが気づいたのは始めに触れた米神から移動した唇が耳の稜線を辿り、今度は耳裏の、皮膚の薄い所に口付けてからだった。ちゅう。ちゅ、ちゅ。そこに、三回。吸い付くように。
「やっ、やめっ、何ですか!?」
「んー…心無い奴に虐められた俺の可愛いセンカを絶賛慰め中だ」
邪魔するな、と横暴な事をのたまったリンドウの指が、つつ、と喉から顎の裏を滑り、頤を持ち上げれば、上向いた白藍が漸く、陽の逆行に翳る麹塵を捉える。
微風に遊ばれるままの黒髪が頬にかかり、太い首筋を擽っている様がやけに艶めいて、背負う太陽が恰も月のようだ。開いた袂の胸に浮く筋肉と骨の薄い陰影が木陰の揺れに合わせて妖艶にちらつき、刹那、センカの目を奪っていく。美しい人。大地を駆ける獣の如く強く、誇りある綺麗な人。片腕が異形になろうと、彼を醜いと罵る者はあるまい。だって、彼はこんなに美しい。――――これが、無ければ。
近づいてくる唇にセンカは今度こそ危機を覚えて身を捩った。
「ちょっ、まっ…んっ!!」
ちゅう。鼻筋と、目の間に一つ。
「こら、動くな」
「これが動かずにいられますか!ひゃぅ」
ちゅっ、ちゅ。頬に二つ。
「せん、ぱ…っ」
ちゅちゅっ。おでこに二つ。ちゅーぅ。ついでに前髪の生え際に長めのを一つ。
頬を大きな手で覆われ、背から腰までを黒く変色した腕でがっちりと抱えられては極東支部屈指の素早さを持つセンカも抜け出す事は難しい。一方、わたわたと繰り出される愛らしい抵抗をいとも簡単に押さえ込むリンドウはにやにやとしまりのない笑みまで浮かべて、ちょろりと悪戯に抱き心地の良い腰や、あまつさえ、下腹まで撫でて余裕の体だ。そうする間にも眉尻だの眉間だの口元だの、隙間も無い程、愛しい銀色に口付けを降らせては笑っている。
飛びそうな手を押さえ込みながら触れる、額、鼻筋、瞼、目元、頬、顎、米神、耳と、たまに首筋。漸く、触れさせてくれるようになった綺麗な肌に不埒な唇を滑らせながら、それでも、文句を叫ぶ愛らしい花弁にだけは触れない。触れられない。触れれば、瓦解してしまうと知っている。肌への口付けで誤魔化した煮え滾る怒りのまま、儚い銀色を蹂躙してしまう。思いながら、リンドウは柔らかな銀髪に唇を寄せ、腰を抱く手に力を込めた。――――傷つけそうだった。否、多分、傷つけた。そう思う。噴き上がった怒りに触れ、それ沈めようとした彼が、代わりに傷ついた。此処へ来てからもう何度目だろう。
誰が教え込んだのか、それともそれが彼の本能なのか、センカは誰かの身に巣食う暗闇を吸い、安寧を齎す代わりに己の身を痛める。例えば、恐怖を。例えば、怒りを。例えば、哀しみを。小さな器に一杯に溜め込んで、壊れないように、誰にも触れられないように隠れて過ごしながら、飲み込んだものがゆっくりと時の彼方に昇華するのを待っている。自身が好きだと言った、二酸化炭素を吸い、人が生きる為の酸素を作る植物のように。その綺麗で愚直で儚い生き物が、リンドウには愛しくて堪らない。愛しくて、愛しくて、全ての痛みから遠ざけてやりたい。だが、それは叶わぬ事なのだろうとも知っている。彼を操る糸はそう簡単には彼を手放してはくれないだろう。守りたいとのたまう自分達も恐らくは同じ穴の狢だ。誰もが、この小さな身体に痛みを吸わせて安息を得ている。
推測だ。今し方殺意を覚えた憎たらしい研究員とやらも本能的にそれを察知して己の闇を発散したのかもしれない。
ちゅ。迫る熱に反射的にきつく瞑った可愛い目尻に落とす唇。上がる短い悲鳴。至近距離で銀色の燐光が散って消える。
センカが植物だというなら、暴力的な程に陰鬱な情を吸い過ぎた彼はいつか朽ちて死んでしまうのだろうか。ふと過ぎった不安を、リンドウは埋めた首筋に吸い付く事で拭い去った。
「やあっ…」
上擦った声にぞくり、腰から上る甘く、重い痺れ。ぼろぼろの袂に縋った細い指を感じながら、僅かに弓なりに反った背を抱え直し、肌に触れたままの男の唇が熱い息を吐く。
「……せんぱい…もう…戯れは、此処までに…っ」
「わかってる。でも、もうちょっと、な。お前ももっと甘えていいぞ」
「何をおかしな事を仰っているんですか!」
俺の愛して止まない綺麗で可愛い華が萎れないようにまじないをしてるんだよ。なんて、まさか真顔で言える筈がない。口に出せば縋ったようになってしまいそうだ。
白藍に見咎められないように軽く自嘲して、抵抗する銀華にとどめを刺すべく籠に残っていたブルーベリーを一つ拾い上げた骨ばった指が、本当は触れたくて仕方が無い唇へと濃紺の果実を押し付ける。
そうして、木々にも人にも等しく降る光の中、振り出しに戻る、冗談めかした他愛も無い話。
「そんな野郎の事なんか忘れちまえ。お前は人だ。人が人の食べ物を食べて何が悪い?」
朗々と渡った声音に、時が止まったと思ったのはどちらだったのか。火照りを冷ますように風が過ぎれば、後に続いて白い頬が仄赤く色付く。綺麗だ。囁く前に伏せられる長い睫毛。震える毛先。洩れる恥ずかしげな吐息。輝く燐光。やがて、押し付けられた果実を愛らしい小鳥の唇がおずおずと食む様を、リンドウは抑えきれない熱情が滴る瞳で眺めた。つん、と最後に爪で一押ししてやれば、もう指先に果実の温さは無い。あるのはぽかりと空いた奇妙な空間だけ。それも直に距離を無くし、隔たる壁を失った白雪の花弁と黒獣の爪先が触れる。
忘れてしまえばいい。冗談めかして、半分以上が本気だった。そう出来ない事も知っていた。痛みの記憶こそが彼の存在を証明するものだと、理解もしていた。だが、そう。それでも、忘れてしまえばいいのだと身勝手に思う。澱んだ空気も、それを吸い続けた日々も、全て、忘れてしまえばいい。代わりに溢れる程注がれる想いを肥料にして麻薬のような愛情に溺れながら、痛みなど吸わず、甘い悦びだけを吸ってこの腕の中で美しく咲いていてくれればいい。仄暗い欲望に言い訳をするでもなく思いながら、嗚呼、けれど、自分は知ってもいるのだ。
視界を掠めるのは陽光を受けて仄かに月光を帯びる雪色の首筋。
きっと、鏡の無いこの場所では柔肌にくっきりと残したいくつかの口付けの痕も気付かれないまま、白い肌に消えていくのだろう。
まるで、銀華が吸い、昇華する痛みのように、何事も無かったように、僅かな胸の痛みだけを残して。
綺麗な空気も、澱んだ空気も、等しく吸っては息をする植物のように。
4万HIT企画、笙さんリクエストの「過去のことで弱ってる、トラウマってる新人さんを隊長がベタベタに甘やかす、または新人さんの過去を垣間見て優しく抱擁する隊長さん」!!
温室夫婦のいちゃいちゃを書こうとして玉砕している感満載ですが、いつもよりはいちゃついていると思います。多分。主にリンドウさんのやりたい放題具合が長編より顕著です(笑)いつもだったら最初のちゅーでがっつり逃げられている筈なんだぜ!
研究員の言葉についてはもうそのままですね。「お前、人間様の食物貰ってんじゃねぇよ。砂でも食ってろよ」みたいな、差別の表れです。新型としても自分の身体の構造に負い目(?)があるので何を言われても言い返せない打たれ弱さ。ですが、反対に甘んじて受ける事で突っ張るより早く難が去る事も知っているので、相手の気が済むのを待っているのもあります。自分は人間じゃないので大丈夫、とかいうよく分からない思考を持っている子は妙な打たれ強さも発揮しますよ、ええ。
で、それを愛情センサーで感知したリンドウ隊長(元)にちょっと間違った慰めスキルを発揮して貰いました よ 。 「俺の嫁いじめた奴許せん!でもそんな事より嫁が大事!」を地で行くリンドウさん。ちゅーちゅーぎゅーぎゅーして無理矢理甘えられる状況を作ってあげたりしています。こういう日はきっと一日中べったりですね。「家事はいいから俺の相手して」。
とりあえず冒頭から新型の太腿堪能していたブルーベリーは激しく大人気無い隊長の天敵でした(オイ)
笙さん、リクエストありがとうございました!!
2012/03/15 |