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 桜が薄紅に染まるのは、その下に死体が埋まっているからだ。

紅姫

「馬鹿馬鹿しい迷信だな」
 舞い散る薄紅の花弁が新緑の絨毯を彩る様を些かの感慨も無く眺めていたロゼは、静かな水面に漣を立てた無粋な声音にそう返した。背後で喉を鳴らして笑う声に、また柳眉を顰める。
「ユン。何の用だ」
「別に、何も?」
 返る声音が至極、楽しげで余計に腹立たしい。この男は自分の神経を逆撫でするのが楽しくて仕方が無いようだ。顔を合わせれば不敵に笑い、尊大に見下す。相手が劣っているわけではないと口では言いながら、自分よりは格下なのだと控えめに――遠まわしに言っているだけそれは控えめだ――貶し、それに相手が顔を顰めるのを悦楽の表情で見下ろすのだ。
 種族の特徴を映した灼熱の赤い髪。褐色の肌に映える瞳は紅玉よりも妖艶に光り、無駄な物の省かれた身体はその想像を裏切らない力を振るう。彼がその気になれば、今、この場で自分をねじ伏せる事など造作も無いだろう。だが、精悍な面立ちとは反対に、性格的不細工、とはこの男の為にあるような言葉だとロゼは思う。思うどころか、本人に言った事もあるが、彼はただ笑うだけだった。至極、尊大に。
 無言で捨て置いても一向に立ち去る気配のない炎のマナに舌打ちをして仕方なく振り向けば、想像した通りの微笑――最早、邪笑といって差し支えない――で口元を歪めた彼が再び同じ言葉を吐いた。
「桜が薄紅に染まるのは、その下に死体が埋まっているからだ」
 夜空を舐める篝火のように煌くユンの紅の双眸が、細く笑むのと対象に、ロゼの冷えた氷のようなそれらが苦く歪む。
「マナが信心深い生き物だとは思わなかったがな」
 例えるなら世界を構成する主成分であるマナが迷信を唱えるなど愚の骨頂だ。勿論、そういったくだらない冗談の類が好きなマナもいるだろうが、この男がそれを本気で信じるとは思い難かった。彼がそんなに素直だとも思わない。寧ろ、屈折を100万回繰り返しても足りないくらいだろう。艶然と微笑むこの糞野郎が素直なら、世界は永久に平和に違いない。
 ふうわりと目の前で舞う桜がまた一枚、緑に飲まれる。
「信心深い?マナを信じる人間こそが信心深い生き物だろう。オレがただの信心深い生き物なら、お前は聖職者だ」
 ああ、なんでこんな男と話などしているのだろう。みすみす見下す要因を与えて。
「聖職者?俺は神など信じない」
「愚かな。オレと話している時点でお前はマナという存在を信じている」
 応えの代わりに、舌打ち。大地を蹴ってやりたい衝動を抑えて、ロゼの双眸に刃が光る。――神を信望するだけの、自らは何をする気もない、無責任で怠惰な聖職者と同位に扱われて気持ちが良い筈が無い。
 自分はマナには何も望まない。望むだけ無駄だと知っているからだ。
「…馬鹿馬鹿しい」
 それ以外に言葉が出なかったのはユンにこれ以上の塩を送ってやるのが癪だったのか、図星だったからなのか。過ぎった問いは、しかし、あえてそれを明確にする必要もなかった。
 マナが世界を構成するものである以上、彼らが所謂神に近いものだという仮説を覆すのは不可能ではないにしろ、難しい。彼が指摘したのはそこだ。「神を信じていない」と言った自分は、だからこそ「世界を構成する人間ではないもの」に意識を向ける筈がない。しかし、ユンは紛う事無き、マナだ。世界を構成する人間ではないものに意識を向けている時点でロゼの自己に関する持論は跡形もなく崩壊している。
 揚げ足を取られた歯痒さに苛立ちながら、ロゼは足元にひらひらと舞い落ちる花弁を見た。
 そよ風如きで枝から舞い落ちる桜の花。儚さの象徴ともいえるそれらが待ち構えたように広がる緑に沈む姿は空から撃ち落された哀れな小鳥のようだ。大地に落ちた後は雨に打たれ、泥に塗れ、踏み汚され、ぐちゃぐちゃになりながら微生物に分解されるのを只管待つしかない。過去の美しい姿など、幻のような惨めな姿。――人という括りに囚われなければ、この刹那の栄華を極める桜の下に屍が埋まっているというのも偽りではないのかもしれない。
 ちらりと上げた視線の先に映る赤が笑っている。大方、こちらが何を考えているのか悟りでもしたのだろう。見透かすような、嫌な笑み。そして、もう一度、口が開く。先と違うのは多少の含み笑いが混じっている事と緩慢な足取りで近づいてくる事くらいだ。
「桜が薄紅に染まるのは、その下に死体が埋まっているからだ」
 言葉の変わりに、冷ややかな沈黙。構わず続けるユンの唇が笑みを深める。
「冷えた土に抱かれた柔肌の骸に絡まる無粋な無数の根が皮膚に潜り、血肉を啜り、道管を通ったそれが枝葉を飾る花を染める。色水で水栽培をするのと同じだな。学んだことがあるか?植物学の基礎だ」
 実際は道管で濾過され、茎が染まる事はあれど、花が染まることは無い筈だが、静かに淡々と言い聞かせるような彼の低い声音が言葉を封じる。――微かな呼吸の音が聞こえる程の距離。近い。
 逞しい割に繊細な手つきで清水の如き清らかな青の髪に触れる指先が毛先へ滑り、頬へ移る。労わるような手つきが余計に不快だ。
「何が言いたい」
「何も。ただ、人間が唱える迷信は意識を割くに値する、というだけだ」
 白磁の頬を撫でるユンの、褐色の指。件の桜の花弁のような唇を掠めて、また撫でる。
 意図を汲めない言葉に声を上げようとしたロゼを低い声が遮った。
「つまりは、人間の栄華は屍の上に成り立つという意味だろう。のし上がる為に築いた屍の上に栄華の華は咲き誇る。人の世は何時も浅はかで愚かだ。だからこそオレを越える事はない」
 それは瞬きも忘れる程の傲慢さ。人間を嘲る事を厭わない、一線を画した生き物らしい思考。――ああ、だからこの男は尊大なのだ。人間ではない事を自負しているからこそ、人とは違う考え方をするのを躊躇わない。そうして、世界を構成しているのだ。
「…何が言いたい」
 聞けば、また笑う。
「何も。愚かなお前の色を見ているだけだ」
 清廉な青。怜悧な双眸。滑らかな肌に暖かな彩りを添える凛々しく引き結ばれた薄紅の唇は件の桜の花弁よりも色付いて誘う。その柔らかな粘膜から紡がれる不可視の壁を作る声音が、どうしようもなく嗜虐心を煽る事にこの麗しい青は気付いているのだろうか。必死に覆い隠そうとする何かを粉々に砕いて、ぼろぼろにしてやったなら、どんな顔で絶望するのだろう。
 獣が舌なめずりをするような心境で目の前の彼の吐息を聞きながら、知らず、ユンは口内で己の鋭い犬歯を舌先で磨いだ。
 薄い唇が開いて、冷えた色と対極の赤い舌がちろりと覗けば、胸が騒ぐ。
「俺は誰に染められた覚えも無い」
 ああ、そんな事を言うから、このちっぽけで浅はかで傲慢で酷く巨大な独占欲がお前の喉元に喰らい付きたくなってしまうのだ!
 誰に負けた覚えも、誰の下についた――お嬢様とのそれは今話しているものとは違う類のものだろう――覚えも無い。益々、険を帯びた青い瞳を相手にユンの笑みが一層、深まった。
「染められていないなら尚、染め易い」
 さらさらと髪を弄っていた手が熱を帯びて、獣の目が光る。

「勿論、今からでも染められる」
「…っな、んっ…!?」

 目の前の、鮮烈な赤。青い髪を鷲掴むように痛いほど引き寄せた掌に逆らえないまま、唇に熱い熱。
「……んぅ…ふ、ぅんっ…」
 噛み付くような口付けと共に隙をついて口内に滑り込んだ灼熱の塊が唾液を注ぎ、きつく絡めて捏ね回す卑猥な水音がロゼの耳を侵す。
 ねじ込まれた舌が歯列をなぞり、上顎を軽く撫でて奥で固まる小さなそれを引きずり出せば、その熱さにくぐもった吐息が洩れるのを止められない。寸分も動けない程に力を込めて引き寄せられた細い身体には逃れる術などあるはずが無かった。体格差云々の前にそもそもの人種が違うのだと、言い訳めいた言葉を脳裏で吐いて、それにまた吐き気を覚える。
 明らかな力の差に酸素を奪われながら、それでも崩れ去らない理性が青い瞳を開かせた刹那、睫毛すら触れる距離で悪戯に笑んだ紅――野郎はこんな時でも瞳を閉じない糞野郎だ――が、牙を剥いた。
「…っ!!」
 がり。嫌な音。唇に熱。独特の匂い。
「……痛…この、野郎…!」
 咄嗟に突き飛ばせば、余計に持って行かれたのか、赤い滴が宙を舞った。――――噛み切られた。蹂躙された、唇を。
「期待したか?それは悪かったな」
 唇に付いた芳醇な香りの血を舐めて横柄な態度で笑ってやれば、案の定、無言で睨み返してくる。だが、それも水面が揺れるような色では迫力どころか情欲を煽るだけだ。…いっそ桜の下で、というのも悪くない。
 濡れた熱が唇から顎へと伝っていくのを厭い、余韻すら振り払うように袖で乱暴に拭うロゼの、今し方食い千切ったその傷口に舌でも這わせてやろうとして――ひらり。熟れた唇に桜の花弁が先に張り付いた。僅かに見開いたユンの目の先で、じわじわと薄紅が紅に染まっていく。その、背筋が震えて歓喜する程の背徳的な美しさ!青い瞳の白い肌に滲んだ紅が胸を騒がせる。
 薄いそれが染まりきる前にそっとはがした褐色の指先が思いがけず優しくなってしまったのは、その美しさの所為だろう。爪でも立てて抉ってやれば良かったと思いながら、どんな派手で華美な赤も敵わない、厭らしく湿った深紅の花弁を一舐めすれば、青い瞳の美麗な面があからさまな不快を示して歪む。
 この胸を焦がす炎で焼いたなら、お前は何色になるだろうか。口には出さずに、ユンは紅の双眸を細めて、ただ微笑んだ。

「ほら、綺麗に染まっただろう」
「糞っ垂れ野郎」


 ああ、なんて美しい、踏み躙りたいほどの気高い色!


ひ、久々のSSでしたね…初ユンロゼ・マナケミア2でした!
恒例の状況確認SSなわけですが…私の中でのユンロゼは根底がコレになりそうです(笑)わぁお、殺伐…というよりも若干、病んでそうですね(おい)
即席だったのでアレですが…どうしても無謀なフライングというものをやってみたかったのですよ…!!だって、あと○日しかないじゃないですかぁぁ!!情報が少なくてキャラを間違えている可能性大ですが、気にしない!!
あとは密かに甘いもの大好きなロゼとかも書いてみたいですね。願望ですが(笑)

2008/05/24