ロゼリュクス・マイツェンは目を丸くしていた。少し口の開いてしまった間抜け顔は彼にしては珍しいものだ。
見下ろす視界の中で腰に手を当てた尊大な態度で見上げてくる小さな彼女がロゼにそんな顔をさせてしまった言葉を繰り返す。
「いつ、ゆんとけっこんするの?」
ああ、このまま意識が飛んでしまえば夢だと思えるだろうか。
お子様の主張
焦げ茶の髪をいつもの江戸紫のリボンで飾って、彼女は今日もまた家から乗合馬車に乗り込んだ。目指すは自分の育て親のいる、ある意味悪名高い学園で…しかし、今回の目的は融通の利かない、鈍すぎて蹴りを入れたくなるような人外の育て親ではない。――――つい最近、自分達父娘の関係を多少なりとも改善してくれた、あの少年だ。
きりりと見据えた先で彼の髪と同じ色の空が馬車の窓を流れていく。忘れ物の有無を軽く確認して、ついでに彼に質問する内容を確認したコロナは自分を奮い立たせるように拳を握った。今日はある意味、正念場だ。
自分から見て、多分、間違いは無い。先日、ある意味盛大な追いかけっこを繰り広げた時の彼ら…ユンとロゼの様子は単純に仲間や友人というには少々部類の違うものだろう。何より、動かぬ証拠を自分は掴んでいる。…これは万一、しらを切られた時の切り札だが、今回くらいはあのどこか煮え切らない二人にそれくらいの石を投げてやっても罰は当たらない筈だ。
寂しさに一言添えてくれた彼が家に来てくれるなら、一緒にいてくれる家族が増えるなら、これは発破をかけない訳にはいかない。
再度、コロナの小さな手に力が篭った数時間後、慣れた様子で見事、学園に忍び込んだ彼女は真っ先にアトリエを訪れ、突然の訪問に前回と同じように目を丸くする彼らを前に声高に言った。
「いつ、ゆんとけっこんするの?」
真っ当に考えて、これで呆けない奴が居たら大物だと思う。静まり返ったアトリエ。一瞬、飛びそうになった意識をなんとか繋ぎ止めて、しかし、ロゼは数度の瞬きしか出来なかった。
精一杯、背伸びをして見上げてくるこの子供は今、何を言ったのだろう?反芻する思考を遮って焦燥を帯びたユンの声が飛ぶ。
「コ、コロナ!何を言って…!」
「ゆんはだまってて!だいじなことなの!!」
「ぐ…」
負けじと張り上げられた高い声に叱責一つで黙らされてしまう大の大人も如何なものか。それも何年もの時を重ねたマナなら情けない事、この上ない。どこか不憫な目を向けられたマナは幸いな事に焦りでそれには気付かなかった。気まずい様な、奇妙な顔で言葉を飲み込んだまま対峙するロゼとコロナを歯噛みしながら見つめている。
「ねえ、いつうちにくるの?そつぎょうしてから?しきじょうはもうよやくしていいの?ドレスはわしき?ようしき?ちゅうごくしき?」
可愛い声でとんでもない事を言っているのは気のせいだという事にしておきたい。先程とは違う意味で仲間の視線を集めてしまったユンが背後で頭を抱える気配を感じながら、ロゼはなんとか状況を理解しようと脳味噌に鞭を打った。
つまりは、この子供は自分とユンが結婚を前提にしてのそういう仲だと思っているらしい。
彼女と関わったこれまでを振り返って、そういった素振りをした覚えはないが、子供の考える事だ。自分が学園に忍び込む度に二人連れ立って追いかけてくるのだから、親密な関係だとでも思ったのだろう。彼女の抱える寂しさや、諭すロゼの言葉がそれに拍車をかけたのかもしれない。どちらにしろ、ロゼがユンのもとへ嫁ぐ事が前提になっているのが目下の問題であり、何より、今、こんな所で話すような内容ではない。
期待と不安にゆらめく気丈な双眸の奥を目にして、ロゼはそっと息を吐いた。
「あのな、どういう勘違いをしたのか知らないが、俺はユンとはそういう関係じゃない」
言った刹那の、落胆と安堵と微妙な気配。頭を抱える彼が醸したのは三番目だろうが、今はそれに無視を決め込む。これ以上、場をややこしくする必要はあるまい。はっきりと言い切れば理解力のあるこの子供の事だ。納得してくれるだろう。――――そう判断したロゼは次の瞬間、それがあまりに早計だったと後悔する事になる。
呆れたような視線の先できゅう、と眉間を寄せ、唇を引き結んで、可愛らしい仁王は深呼吸一つで窓が震える程の声を上げた。
「そんなのうそだわ!!」
びりびりびり。そんな効果音が似合う超音波。サフォケイトだってこんな音はしない。ルゥリッヒも目を回して倒れるくらいの大音量。…最後の喩えはあくまで想像でしかないが、この声を間近で浴びせれば一撃必殺も夢ではないような気がする。くらりと回る世界に絶えながら咄嗟に耳を塞いだロゼはそんな事を思えるだけまだ冷静なのかもしれないが、問題はそこではない。
「う、嘘って…そんなわけないだろう。本当に…」
「うそだわ!」
有無を言わさぬ否定。ここまで頑なにされるとそんなに信用が無いのかと情けなくなってくる。いや、別段、彼女に信用して貰おうとは思っていないが、しかし、この場でこんな話をされても本当に困る。
睨み据えてくるコロナを前にロゼは比喩でなく頭を抱えた。――どうしろというのか、この子供は。勘弁してくれ。
「何か証拠でもあるのか…?」
そう零したのは無意識だった。つい。そう、うっかり。ぽろっと。何の考えも無く、そして、そんなものがある訳が無いという自信のもとに。そもそも、そんな証拠がある訳が無いのだ。彼女が学園に訪れたのは片手で数えられる程、それも指三本で足りる程であり、尚且つ、それは極最近の事だ。証拠があったとして、信憑性に欠ける。
独り、そう結論付けたロゼが落ちた視線を彼女に再び合わせたのと、彼女がきりりと上げた眉を変化させたのは同時だった。――――擬音をつけるなら、にやり。そんな音。
「しょうこがあればいいの?」
あくどい笑顔だ。色で表すなら真っ黒だ。嫌な汗がロゼの背中をつぅるりと滑る。
「あまいわね。ちゃんとうらはとってあるのよ」
これはドラマのワンシーンか何かか。どこかにカメラでも設置してあるのか。ある種の凄みを帯びていく少女の顔は恰も女優の名演技の如く。
小さな口が開くのをロゼは嫌な予感で硬直したまま眺める。これは言わせてはいけないような気がする。だが、彼女の口を塞ごうとする手が動く前に、それは大気を揺らして世界に飛び出してしまった。
「はじめてあそびにきたときに、ゆんがあなたにちゅーしてるのをみたわ」
「なっ、どこで!?」
間髪入れずに上がったユンの声が酷く動揺している。いつもの沈着冷静な印象が総崩れになっている事でコロナの言葉を肯定してしまっているのにも気付かない彼にまた形容しがたい仲間の視線が集まっていく。頼むから苦しくても嘘くらいついてくれ、なんて、そんな言葉ももう多分、届かない。
哀れに思う程、うろたえるユンに対して、最早、石像と化してしまったロゼの口が開いたまま放置されてしまっているのが滑稽だ。笑えない冗談を宛がうなら、それは真実の口のそれに似ている。
「ほかにもあるわよ。にかいめにきたときにふたりでてをつないでるのをみたし、そのあと…」
「言うな!頼むから言うな、コロナ!」
言い合う父娘に挟まれて、どんどん白くなっていくロゼの影。白皙の肌は青ざめてすらいる。
「ゆんがろぜをだきしめて、みみもとでなにかささやいてるのもみたわ!しゃしんだってあるんだから!」
「そんな写真は持つな!こっちに寄越せ!!」
あんたの言う通りだ。というより、今すぐ、それを現像した写真屋に殴りこみに行きたい。あの現場を見られたなんて恥以外の何者でもない!――――そんな切り返しをしながら、しかしロゼの口は動かない。既に何かが許容量を突破してしまっている。
突けば崩れそうな石像を漸く、仲間が案じようとしたその時、再び、子供の声が響いた。今度は、廊下まで聞こえる程、大きく。
「それに、よるにろぜのへやのまえをとおったとき…」
やばい、まずい、シャレにならない。最悪の三拍子。ブリキのような動作で伸ばそうとした手はやはり今度もコロナには届かなかった。
「『あっ、ゆん…だめっ、そんなにしたらおれ…』……むぐっ!」
「うわぁああああ!!」
風の如くの俊敏さで的確にコロナの口を塞いだユンと倒れこむようにその手に手を重ねたロゼが勢いのまま戸口へ走る後姿が残像を伴って仲間の視界を駆け抜ける。ひらひらとなびく腰布とコートの裾が焦りを現して軌跡を残したが、それが子供の言葉に更に信憑性を持たせていた。
ぷらりと二人の間にぶら下がった少女は恰も捕獲された宇宙人のようだ。寄り添ったユンとロゼの間で憮然とした表情を浮かべながら唸る姿は可愛らしいが、今、彼女を解放する訳にはいかない。断じて。とりあえず落ち着いて話せる場所を探すことが先決だ。この際、アトリエの仲間の興味と好奇と妄想に溢れた視線がどうのと言ってる場合ではない。
「ちょ、ちょっと、どこに行くのよ!?話はまだ…」
振り返りもせず、荒々しい音で開かれたアトリエの扉に紅と青が身を滑らせた刹那、漸く上がったリリアの声に寄り添って逃亡を謀る二人が同時に視線を返す。
焦りと羞恥に染まった白い頬を寄せるロゼの青い瞳は潤んですらいて、彼の代わりに力強く言葉を返すユンの腕に身を寄せている様がまるで――
「緊急家族会議だ!」
褐色の大黒柱の言葉を肯定しているようだった。
嵐が去ったアトリエの静けさは常であれば有り得ない。何より、エトですら口を開けたまま動けないでいるのだから、今日の嵐は色々なものを吹き飛ばしてしまったようだ。
「…とりあえず…」
切り出したリリアの声は震えている。エトの恋人ごっこの時が甘く思えるくらいに。
「お、お嬢様…」
かける言葉を失ったメイドの前で、ぽたり。鮮烈な赤が絨毯に染みを作った。
「次はユンロゼノンフィクションで決まりね…!!」
「…お嬢様、鼻血は拭いて下さいね。原稿が汚れますよ」
あと、ロゼさんのお部屋に盗聴器を、とか考えないように。一応の釘を刺すウィムの傍らで元気良く拳を振り上げたぷによの言葉を、彼女は綺麗さっぱり無視をする事にした。――――曰く、トーン貼りならぷによに任せろ、だそうな。
バザーでちょっと表に出せない新刊が発売される日も近いかもしれない。
ユンロゼ+コロナという組み合わせが大好きです(真顔)そんな妄想から生まれたSSでした…ええ、痛いという事はそれこそ痛い程わかっているんですが…でも一度でいいからヤってみたかったんですー!!
お子様は意外と何でも知っているのでこんな事をあるんじゃないかなぁ、と思ったりするわけです。しかもコロナはしっかりしているので卒業後の予定を訊きに来るんじゃないかとも思うわけで…どっちにしろ、ドレスの選択肢に中国式が入っているのは個人的趣味です(笑)どれも似合うと思いますがね!!ロゼはスレンダー美人ですし…!!
コロナが夜のロゼの部屋の前で何を聞いたのか、とか、一体、中で何が起こっていたのか、とかは皆さんの想像通りだと思いますよ(ニヤニヤ)
ちなみに、リリアお嬢様はバザーで同人誌をロゼ受け同人誌を売っているのだと信じて疑いません(お嬢様に謝れ!)
まあ、結局はユンに「家族会議だ!」と言わせたかっただけです(くだらねぇ…)
2008/08/02 |