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 ああ、なんて色彩の無い世界。

花牢 二、廓

 遊郭とは規律の塊のようなものである。その深く、広い堀に囲まれた街の作りすら型に嵌めた様な長方形。唯一の入り口である大門からまっすぐに伸びる表通りを挟んで数々の妓楼が立ち並ぶ様は昼も夜も華やかだ。
大門を基準に、手前から一ノ町、二ノ町…六ノ町まであり、表通りからそれぞれの町に入る場所には木戸門と呼ばれる門が構えられている。門といっても、大門のような大仰な番のいる門ではないから、そう気にするものでもなかったが。
 しかし、華やかなばかりが遊郭ではない。表通りの両端、遊郭の、丁度、西端と東端の通りは表通りの煌びやかな様子とは打って変わって乱雑、粗雑。吹き溜まりといって差し支えない河岸見世が並ぶそこは最下級の遊女が線香一本で漸く少しを稼ぐ場所だ。無論、そんな貧しい場所で衛生面が保障される事など無い。病気持ちの多い河岸見世で遊ぶ男など高が知れており、悪循環が解消される事など無かった。
 そのような場所に送られる女といったら、年季明けか、それこそ病気持ち。或いは、遊郭のしきたりを破った足抜け女や死に損ない。
 幾度か河岸見世の前を通った事のあるロゼはその凄惨さに息を呑んだものだ。自分が手繋ぎを嫌がったにもかかわらず、危ないから、と手を引く姉女郎の手を知らず、きつく握ってしまったのを覚えている。ある程度の覚悟を持って売られてきた筈なのに、ここにだけは堕ちたくないと思った。…そんな、場所だったのを良く覚えている。
 勿論、街の作りだけでなく規律自体も細かく、厳しい。完全な縦社会である遊郭は決して上の者に楯突いてはいけないのが大前提だ。些か型破りなロゼやウルリカ達――実は他にもいる――が例外的な事もあるが、それでも始めの頃はロゼも数えるのが嫌になるほど、酷い折檻を受けた。足抜けなどは掴まれば拷問の上に表通りに晒されるというから恐ろしい。
 ロゼが働く妓楼は例に漏れず厳しい遊郭の、西の三ノ町にあった。
 西のアルレビス屋といえば、東にある同名のそれと並んで名の知れた高級妓楼だ。大見世、惣籬の土間は豪華絢爛。迫力すらある。白木に囲われた格子の中でゆったりと座り、煙管をふかしながら客に色目を送る遊女も女神を集めたかのような美しさ。目の覚める赤い絨毯にしなを作って転がれば、それだけで男がこぞって見世番に声をかける。
 見た目、太夫しかいないような由緒ある高級妓楼。それがロゼの働く妓楼だった。
 通りに面した格子から手を伸ばして客を捕まえようと遊ぶ遊女を眺めながら、ふぅ、と溜息をつく。――なんてはしたないんだろうか。そんな事をしなくても、選ぶ奴は選ぶのに。
「…飽きないな…どいつもこいつも」
 そんな事をして楽しいとは思えない。少なくとも、自分を育ててくれた姉女郎はそんな事をしてまで客を捕まえろとは言わなかったし、性格上、する気も無い。それに、捕まえられて喜ぶ男も男だ。馬鹿馬鹿しい。
 見世の最奥の片隅で、姿勢が悪くならない程度に肘掛に凭れながら外を眺める彼の瞳は虚ろだ。こんなものを見ているくらいなら、部屋で寝ている方がましだが、遣り手に折檻されるのも癪だった。
 義務的に覚醒状態を保っている双眸が、眩しいほどの彩りがある筈の世界を黒白のそれとして捉えているのが可笑しいと思う。――誰も気付かないのだ。今日も繰り返されるこの日常がどれだけ意味の無いものなのか。いつものように客を引っ掛けて、座敷に引っ込んで、男を嘲笑いながら身体を重ねる。単純に遊びを求める男と、金が欲しいが為に色目を使う女の利害が一致しただけの関係。長ければ数夜、短ければ線香一本で終わる。
 自分もその一員なのだと思うと吐き気がした。それが、ロゼが身体を売らない理由の一つでもある。
 買われたばかりの頃、金は欲しいが遊女にはなりたくない、と馬鹿な事を言った自分に、世話を買って出た姉女郎はこういった。――――身体を売りたくないなら知恵を売りなさい、と。
 一つ一つ丁寧に教えてくれたあの人に叩き込まれた知識は全て役に立っている。優しい人で、どうして遊女なんかをやっているのかと疑問に思う程、いろいろな意味で綺麗な人だった。…決して身体を売らなかったあの人も髪が短かった。昔日に、何故、短いのかと聞いた事があったが、曖昧な笑みで困ったように、手入れが苦手なんだ、と言っていたのを覚えている。勿論、それが嘘だとすぐに気付いた。その後にあった事件の所為もある。
 あの綺麗な銀色は青い瞳によく似合っていたはずなのに、傷つけた奴が許せなくて、飛び掛って、結果、自分だけが庭の松に二日も吊るされたのは苦い記憶だ。
 脳裏で懐かしい記憶を揺らめかせながら通りを眺める。――流れも、色も変わらないまま。
 遊里の夜は実に煌びやかだ。絶景と言って差し支えない夜景を肴に杯を仰ぐのも楽しかろう。あちらこちらから聞こえてくる笑い声はその予想を裏切らない。早い者はもう床入れしている時間だろうか?そうなれば、壁の薄い部屋の前は通りたくない。
 はぁ。もう一度ついたため息に伏せていた目を上げた、刹那。

 目が、合った。

 赤い、茜色の瞳。芥子色の小袖から覗く褐色の肌は無駄なくついた筋肉に魅力のある隆起を見せ、屈強というよりもしなやかな体躯を美しく明かりに浮かび上がらせる。鼻筋の整った面は精悍。燃え上がる炎の色を宿した髪が夜風に靡く様は真に闇を焦がすそれのようだ。
 いつから見ていたのだろう。微かに見開いた双眸が確かにこちらを見ている。目の前で手を伸ばして触れようとする女ではなく、部屋の中央で転がる女でもなく、最も奥まった場所で、人形のように座り込んでいる自分を、見ている。
 瞬きを数度するのも憚られるような時間。
「…あ…」
 するりと絡んだ視線を外したのは、あちらが先。踵を返して、どこへ行ったのか。袖を翻して風のように消えてしまった彼を目線で追いかける暇も無く、妙な早鐘を打つ胸を誤魔化しながら、ロゼは息を吸った。
 違う。気にしてなどいない。目が合ったのも偶然。あれはただの遊び客。
 目の色を空虚なそれに戻す事も上手くいかず、とりあえず、部屋の隅っこに視線を投げたロゼを閉じ込める格子の外で、赤い髪の男が妓夫台に声をかけていたなど、そわそわと袖を弄る彼は知る由も無かった。
 数分の後、今日は座敷の用が無かった筈のロゼに呼び出しがかかる事になる。



遊郭の町の名前はそれぞれ角町とかなんだとかと名前が本当はついているのですが、そこまで踏み込みたくなかったので単純に番号になっています。河岸見世については本当に衛生状態が悪かったそうなので、ロゼにプレイバックさせてみました。
ロゼが嫌々ながらちゃんと遊女の最低限を行っているのは河岸に行きたくないから、というのもあるわけです。ロゼの手を引いた姉女郎は…カラーリングから分る人も多いんじゃないかと(笑)ええ、アノ子です。なんで今、廓にいないのか、と言いますと、色々あるわけで。

漸く、ちらっと旦那を出せたので、次は旦那パートです。
…どきどきして、袖をいじりながらもじもじするロゼは激しく可愛いと思うんだ…!!(そこ!?)

2009/01/22