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 それは何よりも強くて美しい。

ダイヤモンド

「ロクシスはダイヤモンドだね」
 調合器具がぶつかり合う音が精々だった部屋に突如、響いた言葉はロクシスに入れる予定に無いものを錬金釜に入れさせた。
 硬直した手から滑り落ちたそれが、ぼちゃん、と飛沫を上げる。釜の中身が形容し難い色に変わっていくのを見ながら、彼は、嗚呼、失敗した、と顔を顰めた。
 放って置いても問題は無いだろうが、上手くいきそうだっただけに少々、惜しかった。――思いながら、ロクシスは空よりも美しい双眸で自分を見ているだろう彼に向き直る。
「…何だって?」
 聞き返したロクシスに、素材の散乱する机の片隅で本を広げるヴェインは同じ言葉を繰り返した。
「ロクシスはダイヤモンドだね」
 真っ直ぐに見つめてくる瞳が一片の曇りも無く錬金釜の前に立つロクシスを捉える様は、己の言葉に基づいて彼を観察しているというよりも背後の錬金釜を含めた、視界に映る彼を一、情景として意識に納めているというに等しい。――柔らかな視線の、羽が舞うような覚束無い浮遊感がロクシスの中の何かをざわめかせる。
「それは、美しく見えて、その実、ただの炭素の塊という意味か?」
 そんな意味で言う訳が無い。分かってはいたが、事ある毎にちくりと棘を刺すのは最早、習慣に近かった。理由として挙げるなら、一つはそれが自分のどうしようもない性格である事と、一つは彼を気に入らなかった頃の名残が抜け切らない事と、そんな事は建前で、実は彼がどうしようもなく好きなのと。結局はヴェイン・アウレオルスという存在の、誰もが知り得ない側面を知りたいが為だ。幼稚だと分かっていても、つい口から出るのが憎まれ口なのは、存外、自分が彼を捕まえようと必死だからなのかもしれない。
 投げられた棘に刺されたヴェインの頬が膨らむ。悲しげに双眸が揺れて、漸く、視線が地に足をつけた。
「そんなんじゃ、ないよ」
「じゃあ、なんだ」
 調合を諦めた釜を放って机に近づけば、見上げてくる可愛い面。傷ついた面持ちが玉に傷だが、それも自分が付けた傷なら甘く思えてしまう辺り、自分も中々に良い性格をしていると思う。
 先を促す視線を躊躇いで受け止めるヴェインは狼の前の兎のようだった。
「…怒らない?」
「内容による」
 加減をするつもりはない。言えば、また彼は困った顔をして黙り込んでしまう。
 ヴェインが思考をそのまま音として零すのは珍しい事だ。意識下が中々に閉鎖的な彼は必要な言葉すら飲み込む傾向にある。初めはそれに酷く、憤りを覚えたものだが、ぽつぽつとよくよく選んで小さく語られる言葉を聞けば…彼は決して何も考えていない訳ではないのだと漸く気づいた。寧ろ、言葉を選ぶのに時間が掛かっているだけで、選ばせなければ、選ぶよりも美しいそれらが溢れ出す。――今はその拙い美しさに期待する自分がいるのをロクシスは理解していた。
 時計の秒針が一周する。かち、と頂点に合わさったのに合わせて、待ち望んだそれらは零れ始めた。
「え、っと…あのね。本に、書いてあって…」
 未だに躊躇っている前置き。青い瞳が俯いて、今し方、読んでいた…零れた言葉の原因になっただろう本に視線が注がれる。――鉱物図鑑。開かれた項目はダイヤモンド。決して綺麗とは言えない原石の写真の隣の頁には、丁寧なカットで煌びやかに光り輝く大粒のそれが載っていた。
 一瞥して、さあ、先をどうぞ。今にも萎えそうな子兎を、狼はまだ手放さない。
「…ダイヤモンド、って…『征服されざるもの』って意味なんだって。それで…ロクシスって、トニ先輩達のアトリエに居ても、僕達のアトリエに入ってきても…ロクシスだったでしょ?」
 そりゃあ、他の誰かになっていたら、それはそれで大変だろう。そもそも、当初、このアトリエに来るのは甚だ不本意な話だった。――台詞を飲み込んで、また先を促す。
「すごく姿勢が良くて、いつもしっかり立っていて…周りに左右されないで…自分の行く先を知っていて…」
 目を閉じて、紡がれる静かな欠片。
「きらきら光る長い髪も、暖かい紅茶みたいな強い瞳も、ちょっと怖いけど…ちゃんと説明してくれる落ち着いた声も…全部、綺麗で…」
 僕なんかとは全然違って。――選ばなかった言葉がヴェインの胸の奥に落ちる。これを言ったら、きっと怒るから。

「だから、ロクシスはダイヤモンドだと、思ったんだ」

 もっと言いたい事が、伝えたいものがある筈なのに、良い言葉が見つからない。もどかしい。こんなに簡単で、簡潔な言葉で表現出来るような想いでは無い筈なのに、稚拙な表現しか出来ないのが辛い。
 顔を上げて、逃げ腰でも、合わせた視線で伝われば良い。言葉に出来ない、全てが。――眼鏡の奥で軽く見開かれた瞳に、少しだけ笑う。ちゃんと笑えたかどうかは、怪しかったけれど。
 また、秒針が一周。
 組んだ腕を解いて、ロクシスは机に置かれた白い手に触れた。
「それなら、」
 整った可愛い爪。指先で撫でれば、切なく微笑んだ双眸がきょとりと見返す。
 優しい体温。大きな青い瞳。煌く銀の髪。小鳥のような声。美しい言葉。――――本当は何ものも敵わないけれど。
「差し詰め、君はブルーダイヤだな」
 取った手の軽さに微笑んで、こつりと額をあわせた。
「…呪われてるって、こと?」
 酷い。小さく抗議して、眉間に皺を寄せて不満を露にしても、可愛いだけでどうしようもないなんて、君は気づいていないんだろう。
「呪いは呪いでも、少し違うな」
「なあに?」
 ああ、可愛い。この美しさでどれだけの人間を魅了するんだろうか。とりあえず、ここに一人、彼が居ないと気が狂ってしまいそうな人間がいるのは確かだ。
 緩い光が差し込むアトリエで、秘め事のように絡み合う指先。刻む秒針が刹那、止まる。

「私を魅了した。どうしてくれるんだ?この呪いは君じゃないと解けそうにない」

 君のダイヤモンドを私にくれないか?



出来損ないギャグばかりしか書けないわけじゃないんだよ!?という言い訳をしたくて書いたシリアスSS。本当はノックシリーズよりも先に書いていましたが…まあ、色々あって。
甘いかい?え?砂糖が足りないって?…うちは糖度が足りない事で有名なんです…(死)
ヴェインはぽろっと可愛い事を言う子だと思っています(妄想甚だしい)
で。ロクシスはそれにじわじわと気付いていって、やがてそれを求めるようになればいいな、と。
個人的にはダイヤモンドの原石もクロは好きですよ?小さいものしか見た事がありませんが…綺麗な物は手を施されなくても綺麗なんだなぁ、と感嘆した覚えがあります。
きっと彼らはそんな人たちです。………あれ?クロさん、いつに無く真面目?(爆)

2007/09/14